一章 ~山奥の研究所~
夢を見ていた。懐かしい夢だ。
あれは私が高校に通っていた頃、まだ日常が変わらないものだと思っていた頃だ。
あの日、私はこの研究所に来ることを選択した。あの時は必死で、彼と私のことばかりしか考えていなかった気がする。いや、それはいまだに変わっていないか・・・
私は清潔そうな白いベッドから降り、着替えを始める。家から持って来ていた服はすっかり着られなくなり、箪笥にしまいっぱなしだ。まさかここまで背が伸びるとは思わなかった。おそらく同年代男性の平均くらいはあると思う。もうちょっと低くてもよかったのに。
もうあれから三年が経ったのか。
まだ、ここに来たことが正しかったのかはわからない。なにせ未だにシキに会えていないのだから。
簡素な半そでの灰色のシャツに袖を通し、同じく簡素な緑色のスカートを穿く。その上から体を包み込むような白衣を羽織り着替えを終える。特に決まりがあるわけではないのだけれど、ここにいる人は大体似たような格好をしている。
カーテンを開け、朝日を室内に取り入れる。ベランダがあるのではないか、と思わせるほどの大きな窓は湖面のように透き通っていて、何の障害もなく薄暗い、朝の太陽の光を部屋に行き渡らせる。十四畳ほどの広さの部屋はその日差しに照らされ、その簡素な居住まいを私に晒す。机に置かれたパソコンにベッド、それと巨大な本棚が並んでいる以外は特に目に付くものはない。学習熱心といえば聞こえは良いが、それはどこか生活感のない部屋だ。
そのまま窓も開け、換気をする。室内と室外の温度差によって生じた僅かな風が、私の髪を波立たせた後、寝静まっていた空気が洗い流されていく。
私はベッドに座り、身長に比例して長くなった髪をすきながら時間を確認する。午前五時、三年前までは考えられなかったほどの早起きだ。私が出勤しなければいけない時間は九時からなので、こんな時間に起きる必要はないのだが、もはや習慣になっている。
なにせ「学校には今までと変わらず通ってもらってかまいません」とはよく言ったもので、高校に通っている頃は、朝四時には起きないと学校に間に合わなかったのだから。
ここはあまり大っぴらにできる施設ではないので、人気のない山奥に建てられている。その上電車もバスも通らないので、車で送ってもらうしかなかった。それでも、車でいける範囲に学校があったのは幸運か。
私はカレンダーを見て今日の日付を確認する。九月十日、私の誕生日だ。おそらく夕方ごろに母からお祝いの電話が来るだろう。
始めは一週間ごとにかかってきた母からの電話も、今では2~3ヶ月に一度というペースになっている。なにも問題が起こらないことに安心したのか、それとも働き出したのだから、自分のことは自分でやれということなのか。
私は身支度を整えると、図書館にでも置いてあるような本棚に近づき、堅苦しい題名の本に手を伸ばす。ここに置いてあるのはそのほとんどが専門書で、おもに統計学、心理学、脳科学といったここの研究に関係するものばかりだ。
机の上に置いてあるノートと筆記用具を持ち、再びベッドに座る。きちんと机に座ってやれば良いのだが、なぜか私はベッドの方が落ち着く。夢とはいえ、シキに会える唯一の場所だからだろうか。
私はしおりを挟んでいたページを開き、そのまま学習に没頭した。
ぴ・・ぴ・・ぴ・・
とアラームが鳴り始めた。
アラームの設定は午前八時、私がいつも朝食をとる時間だ。
私は目覚まし時計のアラームを切ると、きりの良いところまで本を読み進め、しおりを挟んで閉じた。さらにノートと筆記用具を収めると、立ち上がって窓を閉め、ドアへと向かう。
ドアの脇の電子錠へパスワードを打ち込み、指を脇のセンサーにかざす。承認と表示されたディスプレイを横目に廊下へ出る。
廊下の幅はあまり広くないが、通路は長い。ここは宿舎のようなもので、一部屋十四畳の、同じような部屋が連なっている。
私はどこか無機質な空気の中、食堂の方へ歩き出した。
途中で何人かの研究員に会い、挨拶を交わす。ここに勤務する研究員は十人程度で、あとは事務員や清掃員など、研究には直接関係のない人たちだ。ここで三年ほど暮らしたお陰で、ほとんど全員の名前を覚えることが出来た。
食堂に着くと食券を買い、担当のおばちゃんに注文する。種類はあまり多くなく、週変わりのA,B,Cランチの三種類で、飲み物はコーヒー、紅茶、緑茶、オレンジジュースの四種類だ。
私はBランチ・・今週はご飯と海苔と魚と味噌汁の和食だ・・・とコーヒーを載せたトレイを持つと、空いた席に座り食事を始めた。
食堂は広く、席は研究員の数よりもはるかに多い。壁の一面はそのほとんどがガラス張りになっており、そこから見える景色は雄大な山々を映し出している。
この施設には機密性保持のためか、大っぴらに外の景色が見えるのがここしかないため、ここで働く人たちの休憩所となることも多い。
ふと改めて感じる。ここは贅沢すぎる。
たった十人程度の研究員のための食堂に、膨大な蔵書を誇る図書館やスポーツジム、それに様々な種類の酒がおいてあるバー。さらに一人十四畳の部屋。シャワールームもその部屋に付属しており、最新の機器を積んだパソコンが一人一台(情報の流出を防ぐためにインターネットには繋がっていない)それも半年毎のメンテナンスや、上位機器への交換も頼めばやってもらえる。その上、望めばいくらでも本や衣服などの娯楽用品を無償で手に入れることが出来る。
その代わり外との交流、例えば街にいったり買い物をしたりは基本的に許されないし、電話をするのにも許可を取らなければいけない。テレビや新聞などは自由に見ることが出来るので、内部の人が外部の人に情報を伝えることを警戒しているのかもしれない。もしそうだとしても、いささかやりすぎな気がするけれど。
その上、施設内やその入り口には異常なほど厳重なセキュリティに、一週間に一度受けなければいけないと義務付けられている健康診断。そしてこの人里離れた山奥という立地条件。管由は国立機関だから安心と言っていたが、とてもまともな施設とは思えない。まるで秘密基地のようだ。
そういえばあれから管由に出会っていない。三年間もここにいるのに一度も会わないということは、彼の勤務先はここではなく、別の場所なのだろう。おそらく、あの建物だ。
私はこの研究所に隣接するもう一つの建物を思い浮かべた。
そこは私がこの三年間で手に入れることが出来たシキへと続く道の一つで、ここの主任に聞いた話によると、その建物はこことは違う研究を行っている所らしい。おそらく私以外の超能力者の研究だと思っている、有詩さんもそんなことを曖昧に言っていたし、こんな山奥にある研究施設なんて知られたくない類のものに決まってる。だからこそ、あそこにシキがいるのではと疑っている。
私はそのことが分かってから何度もその建物に行こうとしたが、そのことごとくが失敗に終わった。なぜならこちらからあちらに向かうには、玄関を二つ通らなければいけない。つまりカードキーが二つ必要で、私はこちらの玄関を開けるキーしかもっていないからだ。どうやらキーの発行には国のお偉いさんの許可がいるらく、今の私に与えられるはずもない。
前にあきらめ切れなくて、外から中を覗こうとしたのだけど、建物全体を高い塀が囲っていて、全然見えなかった。勝手に入ってやろうかとも思ったけど、そんなことをすればもちろん警報が鳴る上に警備隊が出てくる。そもそも、その塀を越える方法すら思いつかなかった。
そんなこんなで実質シキに会いに行く手段が全然見えなかった・・・今日までは。
私が食事を続けていると、対面に誰かが座った。
私は食事の手を止め、顔を上げる。そこには管由とともに私を連れてきた外人・・・実際はハーフらしい・・・が座っていた。
「有詩さん、おはようございます」
「おはよう、秋姫さん」
私たちはいつもの挨拶を交わし、食事を再開する。有詩さんは日本育ちらしく、日本語は流暢だ。三年前、ここにつれて来られてから私の担当的な立場になったらしく、なにかと面倒をみてもらっている。そのお陰というかなんというか、この研究所内で私が一番よく話す人だ。彼女にはここにきて半年が経った頃、ちょっとしたきっかけで、ぽろっとシキのことを話してしまったことがある。当初はやってしまったと頭を抱えたが、付き合っていくうちに信用に足る人だとわかってきて安心した。そのうち仕事上だけでなく個人的な付き合いもするようになり、シキと私の関係や、私がシキを探すためにここに来たことも詳しく話した。だから今ではシキについての相談まがいのことを聞いてもらうこともある。
私は食事を終えると、有詩さんが食べ終わるまで待ち、切り出した。
「あの・・・結局どうなりました?」
私は期待と不安をない交ぜにしたような声で、話しかける。
有詩さんはナプキンで口元を拭くとこちらを見て、ちっちっと指を振りながら猫のような茶色い目を細め、どこか愛嬌のある顔で言った。
「その話の前にまずお祝いから。秋姫さん二十歳の誕生日おめでとう。これでやっとお酒が飲めるわね、今度一緒に飲みにいきましょう」
私は、ありがとうございます。と簡素に答え、次の言葉をじっと待つ。
有詩さんはやれやれと言った風に肩をすくめた。それは子供に見れなかった野球の試合の結果を教える、母親のような仕草だった。
「昇進おめでとうっていうのも変だけど、ご希望通り今日からあなたにも仕事が与えられるわ」
私は内心でガッツポーズを取った。やった、ついにここで仕事をすることが出来る。ずっと勉強し続けてよかった。
ここの仕事をすることが出来るという事は、すなわちここの研究者用のコンピュータが使える、ということだ。さすがにあまり重要な部分は見せてくれないだろうけど、もしかしたらシキや、あの隣の施設について何か分かるかもしれない。
もし運良くデータの整理系統の仕事なら、勤務中にデータをちょろまかすことだって出来るかもしれない。
「でも労働時間はそんなに長くするつもりはないわ、あなたの本業は、違うところにあるのだからね」
有詩さんは言い含めるように注意を促す。分かっている。私の本業はあくまで”実験体”だ。私のこの魔法について調べることが、ここに連れてこられた理由なのだから、それをおろそかにする気はない。
「はい、分かってます」
私が真剣に頷くと、有詩さんは満足したように微笑んだ。
「それじゃあ今から私の部屋に来て。そこで仕事の説明するから」
私がわかりました、と答える前に食堂の入り口の方から「船尼さんちょっといいですかー」と他の研究員が呼ぶ声が聞こえてきた。有詩さんは、はーいと返事をして私に、先に行っといてとジェスチャーを送り、行ってしまった。有詩さんはこの研究所でも有能な方らしく、よく他の研究員の手伝いを頼まれる。
それにしても、まさか本当に仕事はもらえるとは。自分でも結構無茶なお願いをしたと思っている。なにせ私の経歴は普通高卒までで、特に専門分野を勉強していたわけではない。それにここは国立の研究所で、しかも超能力という特殊な分野で、機密扱いされているところだ。本来なら有名大学を優秀な成績で卒業した、一部のエリートが働けるような場所である(何人かに聞いてみたが、ほとんどがMITなどの外国の有名大学だった)。そんな場所で働かせてほしいとお願いするのは、なかなかに苦行だった。まあ、おそらく研究の方面はノータッチで雑用っぽい役回りになると思うけど。
私は少し空いてしまった時間でコーヒーをもう一杯飲んだ後、有詩さんの部屋に向かった。
有詩さんの部屋は私の部屋の三つ隣にある。間取りは大体同じで、窓の位置も同じ。この研究所の部屋にデフォルトで付いている、どう考えても部屋用じゃないだろう、と突っ込みたくなるような大きさの本棚には、専門書とどこかの研究所のレポートを収めたファイルが、あふれんばかりに詰まっている。きちんと整理はしているようだが、この部屋は私の部屋より若干ごちゃごちゃしていて、人が住んでいる気配がちゃんとある。
「まあ、大体これがあなたの仕事になるわ。特に難しいことはないと思うけど、なにか困ったことがあったら言ってね」
「はい。ありがとうございます」
仕事についての一通りの説明を受け、大体自分の立ち位置が分かった。研究員達が読んで不要になった書物を集めて図書館に運び、整理をすること・・・つまりは高校の図書委員のような仕事だ。
私は傍目にも分かるほどがっかりして、自分の甘さを呪った。考えてみれば当たり前か、大して知識もないのに、研究の手伝いなんて出来るわけがなかった。それにここは機密事項だらけだから、国に信用された人しかまともな研究は出来ないだろうし、そもそも私自身が被験者なのだから、研究状況を私に見せるわけがない。
有詩さんはどう慰めれば良いのか分からない様子で、まあまあ、とか言っている。これでまたシキへの道標が消えてしまった。いったいいつになったら会えるのだろうか。
「ごめんなさいね。私には出来るのは秋姫さんに仕事をさせたいって伝えることだけで、秋姫さんの仕事内容を選べるような立場じゃないのよ」
私は慌てて顔をぶんぶんと振った。
「そんな、謝らないでください。私の無茶なお願いを聞いてくれて、感謝してるんですよ」
有詩さんには、本当に言葉じゃ言い表せないくらいに感謝している。なにせ、まず間違いなく役に立たない人を働かせてほしい、と頼んでもらったのだ。お礼をすればこそ、責めるなんてありえない。
それに、これくらいは予想できたはずだし、高望みしすぎた私がまぬけだっただけだ。そう、本当に・・・まぬけだ。
理解できたとはいえ、気分が沈んでいくのは止められない。だんだんと頭が下がっていくのが自分でも分かる。
私ががっくりとうなだれていると、有詩さんは立ち上がり、自前らしいコーヒーメーカーで、カフェオレを入れてくれた。
「蜂蜜入りよ、ここの食堂にはないから、ネットで注文したの」
目の前に差し出されたそれを受け取り、一口飲む。すると良い香りとやわらかい甘みが舌に広がった。甘めに作ってくれたらしい。なんとなく、安心する。
そのままカップの中のカフェオレをぼーっと眺める。有詩さんは有詩さんで自分のコーヒーを注ぎ、背もたれに体重を預けながら優雅に飲んでいる。
有詩さん・・・・コーヒー・・・仕事・・それだっ。私は勢い良く顔を上げ、今思いついたことを整理する・・・多分大丈夫。
「有詩さん一つ伺いたいんですけど、研究員の皆さんにコーヒーの差し入れとか持っていって良いですか?」
仕事、そう仕事だ。なにも与えられた事をこなすだけが仕事じゃない。自分で考えて言われたこと以上をするのが仕事だ。コーヒーを運ぶくらいのことは私にも出来るし、役に立つとまではいかないけれど、少なくとも邪魔にはならないはず。これで研究室に入る建前が出来る。うまくやれば研究ファイルか、コンピュータのデータかが手に入るかもしれない。
「それは別にかまわないけど・・・」
有詩さんは微かに言い淀む。私を見る目が哀れんでいるように見えるのは、気のせいではないと思う。
「あのね、秋姫さん。識人くんを探すのは別に止めないけど、見境がなくなってきてるわよ。大事な人だっていうのは分かるけど、もう少し落ち着いて」
有詩さんが訴えるように私をなだめる。私とは違う茶色の目が微かに憂いを称え始めた。とても心配してくれているのだろう。うん、やっぱり有詩さんは優しい人だ。
実際、自分でも見境がなくなってきているのは分かる。まず隣の研究施設と連携をとっているか分からないし、私が見て理解できるかどうかも分からない。まさか勝手に室内を漁るわけにもいかないし、そもそもそこにシキに繋がる情報はないかもしれない。いや、ない可能性のほうが高い。それでも、それに縋りつくしかないのだ。
三年間もシキを探し続けて、未だに手がかりはどれも推測の域をでないものばかり。もう探す手段も尽きて、こんな微かな光しか見えないことに望みをかけるしかない。でもそうして望んでいるうちは、まだ希望はある、と自分に言い聞かせることが出来る。もし、この光さえ見えなくなってしまったら、もう私は立つことが出来ないだろう。
「藁をも掴む思いって感じね」
私の焦燥を感じ取ったのか、有詩さんはやれやれとため息を吐いた。
「良いわ、気が済むようにやりなさい。でも、その前に注意はしておくわ」
有詩さんは突然顔を私の耳元に寄せると、不吉さを感じさせる声で囁き始めた。
「一応言っておくけれど、あまり軽率な真似はしないように。ここはあなたが思っている以上にやばいところなのよ」
私は、誰も居ないところで突然、内緒話をするような小声で話し始めたことにもびっくりしたけれど、それ以上に有詩さんの声色がとても不穏で、まるで動物園に来て猛獣が脱走したことを聞いたときのような不安を感じた。
「どういうことですか?」
思わず私も小声になってしまう。なぜか誰かに聞き耳を立てられている気がして、落ち着かない。
「こう思ったことはない?異常なセキュリティに、人里はなれた山奥。まるで秘密基地みたいだって」
「あ、はい。確かに思ったことあります」
確かに常日頃から不思議に思っていた。
「ここはね、まさにその秘密基地なの」
「へ」
あまりに現実味のないことだ。有詩さんの口から出てくる言葉とは思えない。でも笑い飛ばせないのはどうしてだろう。
「今二つの党が政権争いをしているのは知っている?」
「ええ、前にニュースで見た覚えがあります」
「どっちかってことは言えないけど、ここを建てたのはその片方の党でね。ここは国立、というより党立みたいな施設なの。もちろんもう片方の党の人たちはこの研究のことは知らないし、さらに言えば世界中でここの存在を知っているのはほんの一握り。秋姫さんも高校に通っているときはここのことは絶対に秘密だって言われたでしょう?今だから言えるけど、あの頃のあなたには常に監視がついていたの、下手にここのことを話したらどうなっていたでしょうね」
「どうなっていたって・・・」
話がだんだんと物騒になってきた。そういえばこの三年間で、初めてここの人たちに会ったときのような警戒心は、大分薄れてきている。これは、もしかしたら結構まずいことなのかもしれない。
「今日私がここに呼んだのはね、秋姫さんの部屋では話したくなかったからなの。言い方は悪いけれど、あなたは貴重な実験体。おそらく部屋には監視カメラ・・・はさすがにないと思うけど、盗聴器くらいなら仕掛けてあっても不思議じゃないわ。ここは言ってみれば陸の孤島。法なんてあってないようなものなのよ。何かがあっても、もみ消せるくらいの力を持った人たちが投資してるから、特に顕著ね」
「・・・」
あまりにも驚いて返事も出来ない。私の部屋に盗聴器?いくらなんでもそれはないだろう、と言い切れる要素が何もない。そういえば、相談に乗ってもらうときやシキの話をするとき、有詩さんは必ず自分の部屋に私を招く。あまり気にしていなかったけど、そんな理由があったんだ。
「もちろんここの廊下や庭、研究室や実験室には監視カメラが付いてるわ。廊下や庭のカメラは旧式のいかにもってやつだけど、研究室や実験室のカメラは最新の、それこそビー玉くらいの大きさのカメラが仕掛けてあるの」
確かに廊下の天井付近に、監視カメラがあるのは知っている。もしかして、あれは外部からの侵入を防ぐためではなく、内部からの流出を防ぐため?
「そして、ここの警備員。彼らは警備会社の人でも警察の人でもないの。分かりやすく言うと、特殊部隊みたいなものだと思ってくれれば良いわ。今の代表の・・・私兵だから」
私兵?私兵って個人が持ってる少人数の兵隊ってことかな、なんか昔漫画で見たことがある気がする。たしか警察みたいな訓練じゃなくて、本当の軍事訓練をしているのだったかな、あれって実在するんだ。
もはや驚きは通り過ぎて、ただ感心することしか出来ない。がちがちの情報規制に、監視カメラ、そのうえ特殊部隊ときた。今までの常識が崩れていきそうだ。
あれ・・・情報規制って、お母さんとかはどうなんだろう。私を勧誘しに来たとき、ここのこと結構話したよね。ってことはまさか・・・いや、さすがに考えすぎだ。有詩さんに感化されて考え方が物騒になってきてる。大丈夫、最後に電話したのはたしか2ヶ月くらい前だったけど、元気だったし、何かするならこの三年の間にやっているはず。
「とまあ散々脅したけど、それだけあなたの超能力が期待されてるってことでもあるのよ」
今更そんなことを言われても素直に喜べない。それに私のこの魔法は、出来れば誰にも知られないままの方が良い。有詩さんの話を聞いてその思いがいっそう強くなった。
「要するに私が言いたかったのはね。あなたの行動を留める気はないけど、何をやるにしても十分注意してほしいってこと。特に、ここの人たちと仲良くなるのは良いけど、決して信用しては駄目。そのことを忘れないでね」
そう言うと、有詩さんは近づけていた顔を離し、すっかり冷めてしまったコーヒーに口をつけた。
私は呆然と、有詩さんを見つめることしか出来ない。今の、ここの人たちを信用してはいけない、という言葉。それは、有詩さんも・・・ということ?
疑問はまだある。どうして監視カメラのことや、警備員のことを知っているのか、また、どうしてそれを私に教えてくれたのか。ただの注意にしてはあまりにも話しすぎな気がする。これではまるで、私がここの研究に非協力的になるように促したとしか思えない。
私は戸惑いの眼差しで有詩さんを見つめるけれど、いつもの優しい笑みを浮かべる有詩さんからは、何の返答も得られそうにない。
いつの間にか昇り始めた太陽が、窓からこの部屋を照らし出す。その光は白く、この世界にヴェールがかかったような曖昧さを感じさせる。目に映る全てが白く薄ぼやけて、ここが本当に現実なのかが疑わしい。
私は不安な気分のまま、冷めたカフェオレを口に流し込む。ねっとりと、粘りつくような温度が、まるで今の私の気分を代弁しているかのようだった。