二章 ~安息の眠りの間に~
土曜日。次の日が休日という週の終わり。
研究員達は皆、焦りながらもどこかのんびりとした雰囲気を持ちながら、コンピュータの画面と睨めっこしている。きっと来る休日を楽しみにしながら、早く仕事を終わらせて帰りたいと思っているのだろう。なにせ研究という仕事上定時に帰れることはほとんどなく、いつも夜遅くまで仕事をしているのだから。
いくら世離れした職場で働いているとしても、日曜日は部屋でゆっくりしたいと思うのは、もしかしたら子供のころの休みの貴重さを覚えているからなのかもしれない。
そんな、いつもよりキーボードを叩く音が若干忙しない研究室の中。私はいつもと同じように、そしていつもとは違う心持でコーヒーを運ぶ。
なるべく忙しくない時。研究員の皆が早々にこの部屋からいなくなる日。決行日を今日にしたのは、ぴったりとこの条件に当てはまったからだ。
今日この場にいるのは六人。入り口からすぐ右側に二人、一つ奥に一人、その左側に三人、それら全てを見渡せる位置に一人。
仮眠室の扉があるのは向かって右側の一番奥。主任さんが座る机から真横に五メートルほど向こう。怪しまれず、自然にあそこへ近づくには、右奥の健樹さんを最後にすれば良いだろうか。
私は頭の中でコーヒーを渡して回る順番を決め、コンピュータと研究資料に埋め尽くされた道を歩き始める。
まずは一番手前の机に座る歌野さんに近づくと、なにか不信な目を向けられていないかとびくびくしながら、マグカップを差し出す。いつも着るよりも一回り大きい白衣の下で、着心地の悪い服がもこもこと体を圧迫してきた。
「どうぞ」
「ああ、ありがとう」
歌野さんは平素と変わらず端的にそう答えると、マグカップを受け取り、ゆっくりと口につけた。
始めはどうせ味もわからないから何でも良いと言っていた歌野さんも、何度か違う種類のコーヒーを持っていくうちに気に入ったものが見つかったらしく、今ではこのモカを使ったカフェ・オレばかりを頼むようになった。砂糖も結構入れるので、意外と甘党なのかもしれない。
私は軽く目礼をすると、その隣に座る津右湖にも同じようにマグカップを差し出す。
津右湖さんは「いつもありがとうね」と言って受け取り、すぐにコンピュータへと向き直った。
そのまま、たまに会話を交わしながら次々とコーヒーを配っていく。
適正温度に設定されたクーラーが自らの役目を忠実に果たし、暖かい空気を維持し続ける。
そんな中、真冬並みの厚着をしている私は、微かに滲む汗を気取られないよう、前髪を整えるふりをして額についた水滴をふき取る。
体感温度は高いが、空調が効いている為か滴るほどの汗は出ない。まったく、つくづく快適な空間だ。
そうこうしているうちに五人目の机にたどり着いた。入り口から見て左側に当たるその端。そこに座っていたのは有詩さんだ。
有詩さんは今この部屋にいる中で唯一の女性だ。そして、私が一番仲良くしている人でもある。だからこそ、いつもと違う私の白衣や挙動に感づくかもしれない。
今日のこの計画のことは有詩さんには話していない。絶対に反対されるだろうし、なにより今回のは明確に”悪いこと”だ、話せるわけがない。
「有詩さん、お疲れ様です」
私はわずかに頬を引きつらせながらキリマンジャロのブラックが入ったマグカップを差し出した。
「ありがとう」
キーボードを叩いていた手を止め、振り仰ぐようにこちらを向いた有詩さんは、マグカップを受け取ると、少し怪訝な表情で言った。
「今日はまた随分と大きな白衣を着ているのね」
「それが・・・洗濯物干すのを忘れて、着替えがなくなったんです。しょうがないので以前間違えて貰ったやつを着ました」
あまり間を空けずとっさに言い訳をする。
背中を汗の粒が伝っていく感触がした。今流れた汗は、きっと暑さのせいではないだろう。
「私のでよければ貸したのに・・・」
「それには及びませんって、明日には乾いているはずですし」
私は笑顔でひらひらと手を降る。我ながら完璧だと思うくらい自然な笑みがでた。
有詩さんは小さくため息を吐く。
「女の子なんだから、身なりには気をつけるのよ?」
「はあい」
母親のような台詞に少し笑いながら私はそう答えた。
そうして少し話をした後、有詩さんの机を離れた。難関を一つ突破して、思わず安堵のため息が漏れる。
いけない、まだ前段階。気を抜いちゃ駄目だ。次は・・・健樹さんか。
反対の端から一つ手前。入り口から見て右手の一番奥に当たる机に目を向ける。
そこから仮眠室まではおよそ三メートル。今この部屋にいる人たちの中で、一番近い位置にいる。
私は心の中で気合を入れると、健樹さんの机に向かって歩き出した。
ちょっと疲れた風を装う。
僅かに肩を落とし、顔も少し俯ける。
そのままいつもよりはゆっくり目に、けれど他の人には気づかれない程度には早く歩く。
まるで疲れが溜まって覇気がなくなったOLのように。
「健樹さん、コーヒーです」
少しだけ声のトーンを落として言う。
「・・ああ、ありがとう」
コンピュータの画面に集中していた健樹さんは、少し怪訝な顔をして私からモカのブラックが入ったマグカップを受け取る。
「お仕事、大変そうですね」
心配するような口調で、言う。
私はあなたの疲れを見て取った、だからあなたも私の疲れを見て取って。という意味を込めて。
健樹さんは少し目を見開くと、目元を軽く揉み、気弱そうな笑みを向けた。そのしぐさは、心配されるほどに自分は疲れて見えたのか、そう言っているように見えた。
「いやぁ、僕なんかここの人達の中では働いてないほうだよ。草津主任なんて日曜日ですらずっと仕事してるからね」
「それは・・・すごいですね」
感心した声を出しながらも、心の中では動揺が広がっていく。
日曜日も働いてる?ってことはもしかして明日も平日と同じように働くって事?なら、今日もいつも通り夜遅くまで仕事するかもしれない。
・・・まずい
私は内心の動揺を隠しつつ、会話を続ける。
「主任さんってどのくらい休みを取ってないんですか?」
「そうだねぇ、少なくともここ三ヵ月くらいは取ってないと思うよ」
「うわぁ、大変ですね」
いや、大丈夫だ。いくら主任が遅くまで仕事をするといっても、帰らないってことはないはず。調べる時間は減るけどここまできたんだ、やるしかない。
私は動揺する心を無理やり理由をつけて静める。
内心が落ち着き、ほっと息を吐きそうになり、慌てて表情を作る。考えに没頭するあまり疲れたふりを忘れてしまっていた。
少し上目遣いに健樹を見る。怪しまれてはいないだろうか?
健樹さんはその表情に何を見出したのか、少し心配そうな顔を作り、言った。
「君も疲れているようだし、休みをとったらどうだい?」
やっとほしい言葉がもらえた。
内心でガッツポーズを取りながら、言葉では一旦引く。
「いえ、私は大丈夫ですよ」
ついでに少し気弱げに微笑んでみた。
「そう?まあ、無理だけはしないようにね、倒れたりなんかしたら大変だ」
健樹さんは少し目を伏せると、そう言った。
「はい、本当にまずいと思ったらそこの仮眠室でも使わせてもらいます」
「そうだね、それが良い」
「あ、ちょっと仮眠室の中見てきて良いですか?どんな部屋なのか、前から気になってたんですよ」
「ははは、特に何の変哲もない部屋だよ、ご期待には添えないと思うな」
「良いんですよ、ただの興味本位ですから」
私はそう言うと、乗せるもののなくなったお盆を両手で抱え上げ、仮眠室の入り口まで行った。
よし、これで言い訳は整った。曰く「ちょっと仮眠室を見学しているうちに眠くなって、少しだけ眠るつもりが、気がついたら朝だった」だ。うん、いける。
私はその内容をもう一度反復すると、扉に手をかけた。
この建物内での数少ない電子鍵が存在しない扉を見ると、郷愁に似た何かが胸の中に去来してくる。
ちらっと後ろの様子を伺う。
皆ディスプレイに集中している。こっちを見ている人はいない。
かたかたと、キーボードを叩く音がやけに耳につく。
なんだか・・・夜の公園みたい。
幼い頃によく遊びに行った公園。時間を忘れて遊んでいたら、いつの間にか日は落ちていて辺りは真っ暗になってしまっていた。
唯一の明かりは、公園に接する道沿いの街灯のみで、それらは煌々と道を照らしてはいるが、その明かりは公園の中には届かない。
そんな、前しか照らさない街灯が並んでいる感じ。
なんとなくあの時感じた恐怖を思い出しながら、音を立てないようにそっと仮眠室の扉を開けた。
ぶるぶると、お腹の辺りに小刻みな振動が伝わってくる。
ゆっくりと目を開け、音を立てないように身を起こすと、辺りを見回す。
常夜灯が淡く照らす中、およそ九畳ほどの広さをもつ仮眠室は、静かな、それこそ寝息すら聞こえないほどの静謐な空間を演出している。
入り口から二,三歩ほど歩いた距離に簡素なベッドが三つほど並んでいる。ただ、それだけの部屋。物置がその何もなさを是とするように、仮眠室もまた、ベッド以外のものを置くことを禁じたかのように何もない。
私は両隣のベッドに誰もいないことを確認すると、白衣の真ん中辺りのボタンをはずし、中から未だ震え続ける携帯電話を取り出した。
親指を弾いて携帯電話を開け、設定しておいた目覚ましを止める。現在時刻は、午前一時四十分。草木も眠る丑三つ刻にはまだ少し早い。
うん、予想通り誰もいない。やっぱり皆日曜日はゆっくりしたいんだな。
布団を剥がし起き上がる。寝具に使うことを想定されていない白衣は、あちこちに皺がより、ごわごわしたとても着心地の悪い物になってしまっていた。
さすがに白衣のまま布団に入るのはまずかったかなぁ・・・でも今回はしょうがないか。
立ち上がって白衣を脱ぎ、ベッドに放る。下からは明らかに男性用の黒いフード付きコートが出てくる。これを着ているせいで、今日はいつもより大き目の白衣を着なければいけなかった。ただえさえ大きい男性用コートを下に着て隠すには、多少不自然でも大きな白衣を着なければいけなかったからだ。
足音を立てないように研究室への扉に近づき、耳を済ませる。
・・・何の音もしない。皆、帰ったんだよね?
びくびくしながらも、少しだけ扉を開く。すると、ヴーンという獣のうめき声のようなものが聞こえ、思わず扉を閉めた。
何?何の音?
どっどっどっと心臓が胸を叩く。
頭が痺れたように意識が薄くなる。
焦点が合わなくなり、視界がぼやけてきた。
あれ・・・今の音って・・もしかして
胸を抑え深呼吸をすると、今度は少しだけじゃなく、人が通れるほどに扉を開けた。
五メートルほど先、丁度主任さんがいつも座っている机に、わずかな明かりが灯っていた。
もしかして・・・コンピュータ着けっぱなし?
フードを目深に被り、なるべく監視カメラに写らないように主任さんの机に近づく。
この部屋の監視カメラの位置は全て頭の中に入っている。といっても、死角はほとんどないので顔を映さないようにするのがせいぜいだけど・・・
そうして主任さんの机にたどり着くと、そこにはその存在を示すように、爛々とディスプレイがデスクトップ画面を表示していた。
横に置いてあるコンピュータからは、さっきよりもはっきりと、ヴーンといううめき声が聞こえてくる。
それは、明かりがディスプレイの光のみというこの部屋と相まって、森の中で狼に出会って慌てて焚き火をし始めたような、そんな気分にさせる。
私は椅子に座ると、マウスを手に取った。
やった、ラッキー。これで起動する手間が省けた。それにしてもコンピュータを着けっぱなしだなんて、主任さんも相当疲れが溜まっているのかな。
私は思わぬこのタイミングでの幸運に感謝すると、デスクトップ上にある適当なファイルを開いた。
第二研究所職員一覧。そこにはここに勤める研究員の名前や経歴、出身地などの個人データが詳細に書き込まれていた。
第二研究所ってここのことかな?・・・うーんこれじゃないなぁ。とりあえず片っ端から開いてみよう。
私は目に付くファイルを片っ端から開き、その内容を確認していく。
研究結果をまとめたレポート。
私の魔法についての考察をまとめた文書。
雇用や契約についてのメモ。
スケジュール張。
実験器具申込書。
・・・・・・
・・・・
・・
そうして三十分程ファイルを開いては閉じてを繰り返していると、ふと気になる文書が出てきた。
第一研究所職員一覧。
第一研究所って・・・あれ、さっき開いたのは第二研究所だから・・・・あ、もしかしてこれ、どっちかが隣の建物のことなのかな。ってことは・・・
私は先ほど開いた第二研究所職員一覧を開くと、二つのファイルを見比べた。
えーと・・・あ、第二研究所に私の名前がある。なるほど、ここって第二研究所って名前だったんだ。
この棟の名前を知らなかったことに自分で軽く驚きながら、ページをスクロールさせ、見覚えのある名前を探す。
あれ、有詩さんと、主任さんと、あと歌野さんも第一と二、両方の研究所に名前がある。これってどういうことだろ、両方で働いてるってことかな?
私は頭の中で今までの三人の行動を思い出す。そういえば三人ともたまに所用で出かけることがあった気がする。
みんな、忙しそうだなぁ。
ページの一番下までざっと目を通すと、ファイルを閉じようとした。そのときにふと、研究員一覧と書かれたタグの隣に、超能力者と書かれたタグがあることに気がついた。
どくんと心臓が大きな鼓動を打つ。
これ・・・もしかして・・・
私はそのタグをクリックすると、噛り付くように画面を見つめ、そのリストを確認していく。
阿藤裕紀
井坂明美
伊藤・・・識人
「・・・あった!」
私は喜びのあまり、思わずこぼれ出てしまった歓声を慌てて手でふさぐ。それでも笑みは顔から離れない。
やった、やったよシキ。とうとう君を見つけることができた。
鼓動の音がうるさいくらいに耳に響く。自分でも興奮しているのがわかる。
三年間。長かった、ものすごく長かった。元気にしてるかな?まだ私のこと覚えててくれるかな?会いたい、会って話をしたい、一緒に居てほしい、抱きしめて・・・貰いたい。
私は伊藤識人と書かれた行の詳細を表示させた。
伊藤識人、精神感応者。配属時年齢十七歳。
身長百七十四センチメートル。体重五十五キログラム。
・・・・・
・・・
つらつらとプロフィールが書かれた表を読み飛ばしていく。
家族構成。両親ともに健在。父親は銀行員。母親は専業主婦。兄弟はなし。小、中、と地元の学校に通い、公立の進学校に進むが、中退。第一研究所に就職する。
備考。譜空秋姫という恋人が同高校に在籍。
備考って・・・私のこと?
シキのプロフィールに自分の名前が入っていた事に、場違いな喜びを覚えさらに読み進めようとしたとき、かつっと靴の踵で床を叩くような音が聞こえた。
「・・・っ!」
私はとっさに開いていた全てのファイルを閉じると、滑り込むようにして向かい側にある机の下に体を入れた。
その直後、しゅっという扉が開く音が聞こえると、誰かが室内に入ってくる気配がした。
入ってきた誰かは入り口に立つと、そのまま立ち止まってしまった。
・・・どうしたんだろ?もしかして、ばれた?
私は両手で口を塞ぎ、体を丸める。
そうだよ、コンピュータを点けっぱなしで帰るわけがなかったんだ。どうしてそこに気づけなかったんだっ。
自分の無用心さに唇をかみ締める。
誰かは、思い出したように歩き出した。なぜか、電気は点けない。
コツ・・・コツ・・
静かな足音だ、夜だから気にしているのだろうか?
足音はだんだんと主任さん用の机に近づくと椅子に腰掛けた。ここからは見えないが、ギィという椅子独特の金属音がしたので、おそらく間違いない。
大丈夫。ばれないはずだ。暗いし、私からも見えないんだから、あっちからも見えないはず。
私は祈るように、硬く目をつぶった。
誰かはコンピュータでなにやら操作をすると、早々に立ち上がって出口の方に向かっていった。
あれ・・・もしかして、コンピュータを消しに来ただけ?
ほっとした瞬間。ちょっとした悪戯心が沸いてきた。
識人の存在を知っていて隠していた人。立場上やむを得ない事情があるのだろうことは想像がつくが、それでも、その恋人が私ということも知っているのだから、少しくらい教えてくれたって良いと思う。
机の下から少しだけ頭を出し、その後姿を捉える。
誰かは立ち止まると、机の上でなにやらごそごそと探し出した。丁度その近くの机の上にペンが置いてあるのも見えたので、あれを使うことにする。
イメージは手。握るように、ゆっくりとそのペンを掴む。
丁度良い位置に誰かの手がある。大体七センチくらいかな、よし。
さらに六つの手をイメージし、そのままその手の甲に突き刺そうとして、ふと気づいた。そういえばここに居る人は皆、私の魔法のこと知ってるんだった。こんなことをすれば私がここに居ることを教えるようなものだ。
私は慌てて手のイメージを消す。慌てたせいでペンが少し動いてしまい。そのままころころと転がって、地面に落ちてしまった。
カツーン、という小さく、それでもこの空間では良く響く音を立て、ペンは地面に落ちてしまった。
まずいっ!
私は出していた頭を引っ込め、だんご虫のように丸くなる。
「おっと」
自分の手が当たったと思ったのだろう。誰かは特に気にした風もなくそのペンを拾うと、机に戻した。
あ、あぶない・・あぶない。
さすがにこれで見つかると洒落にならない。さっき自分の無用心さを後悔したばかりなのに、またやってしまった。
誰かは、何か紙の束を抱えると、今度こそ部屋を出て行った。
そのまま、五分ほど息を潜める。
・・・ふう。
私は机の下から這い出すと、つい今しがた消したコンピュータの前に座り、電源をつけた。
今度こそ、戻ってこないよね?
そう願いながらコンピュータが立ち上がるのを待つ。
空調の切れた部屋は少し肌寒く、さっきまでの緊張と、夜の学校のような不気味な雰囲気の部屋とが相まって、思わず身震いをする。
ディスプレイがログイン画面を表示する。私はなんの疑問も持たず、そのままログインしようとして・・・そこで初めて気がついた。
そういえば、パスワード・・・いるんだった・・・。
淡い光を放つディスプレイは、その無機的な明かりで無慈悲な文字を映し出す。パスワードを入力してください、と。
私はあきらめてシャットダウンさせると、席を立った。
ここは落ち込むのじゃなくて、始めはログインしてあったことを喜ぶべきだ。そう頭を切り替えて仮眠室へと戻る。
結局収穫は、識人が隣の施設ー第一研究所だっけ?ーにいるって分かったことくらいか。それでも、大きな一歩だ。
黒の下に着た男性用コートを隠すために、もう一度白衣を着る。これで監視カメラに映るのは、黒いフード付きコートを着た男性だ。
私はベッドに潜ると、口元まで布団を引き上げた。そのまま、目をつぶる。
シキが第一研究所にいることは分かった。あとは、どうやって会いに行くか、だけ。
悶々と布団の中で考えを巡らせる。いっそ皆にぶちまけてしまえば堂々と会いにいけるのではないか、そんなことも考えてしまう。
あれ、そういえば有詩さんも第一研究所に所属してるって書いてあったよね。ってことはもしかして、シキのこと知ってたの?知ってて隠していたの?あれだけ親身に相談に乗ってくれたのに・・・
決して信用しては駄目。そう言った有詩さんの表情が、頭の中で蘇る。
有詩さん・・・
どうすれば良いのか、どうするべきなのか、全然分からない。
ゆっくりと意識がまどろんでいく。
いいや、考えるのは明日にしよう。何食わぬ顔で起きて、皆に挨拶して、一旦部屋に戻ってからゆっくり・・・
コンピュータが発するもの悲しげなうめき声や、キーボードを打つ軽やかな音が消えた部屋は、隣で安らかに眠っている。
それを起こさないよう、電子鍵の仕切りもなしに隣接しているこの部屋は、静寂のみが存在を許されたような、そんな禁忌を内包している。
無音という音楽の鳴り響く中、私は溶けるように眠りについた。