遺影の向こう側
家族とは、安らげる場所だと信じていた。
父は穏やかで、母は誰よりも優しい。祖父は地域の人々から慕われ、いつも家族の真ん中で笑っていた。そんな日常は、そんな祖父が亡くなった日を境に、少しずつ形を変えていく。
父方の祖母は、母を何度も呼び出し、何気ない一言で人を傷つけ、自分では気づかないまま家族の時間を奪っていった。母は何も言い返さず、父は見て見ぬふりをし、私はただ、その光景を見つめることしかできなかった。
これは、祖母を責めるための物語ではない。
「家族だから」
この言葉の中で、誰かが我慢し続けることは本当に当たり前なのか。誰かを思いやるとは、どういうことなのか。祖父が守っていたものは何だったのか。そして私は、この家族の中で何を受け継ぎ、何を受け継がないと決めたのか。
これは、一人の孫娘(二十四歳)が見つめ続けた家族の記録であり、過去を責めるためではなく、未来を選ぶために綴った一冊である。
【目次】
序章 あの日から
第一章 昼前の着信
第二章 見て見ぬふり
第三章 母の背中
第四章 「家族だから」
第五章 世間体というもの
第六章 善意という名の押しつけ
第七章 祖父という人
第八章 遺影を連れて
第九章 気持ちの問題
第十章 言えなかった言葉
第十一章 それでも家族
終章 受け継ぐもの
【第一章 静かに壊れる春】
祖父が亡くなってから、私たち家族の日常は少しずつ変わっていった。
それは何か大きな出来事があったわけではない。朝起きて、朝食を食べ、父は仕事へ行き、私は大学へ向かう。母は洗濯をし、掃除をし、買い物へ行き、夕食の準備をする。見た目は何一つ変わらない。
けれど、その日常には必ず一つの出来事が入り込むようになった。
昼前になると、母の携帯電話が鳴る。画面を見る母は、小さく息をつきながら電話に出る。
「はい、お義母さん」
母は祖母と話すときだけ、少しだけ声の調子が変わる。
「ええ」
「分かりました」
「今から伺います」
「はい、失礼します」
電話は数分で終わる。母は静かにエプロンを外し、財布を持って立ち上がる。
「おばあちゃんから?」
私が尋ねると、母は笑顔を作った。
「電球を替えてほしいそうなの」
またか、と思った。
電球。テレビの配線。棚の上の荷物。料理を作ったから取りに来て。庭を見てほしい。理由は毎回違う。けれど、不思議なほど電話は母が一番忙しい時間に掛かってくる。
祖母は、両親が結婚するとき母に言ったそうだ。
「仕事なんてしなくていいのよ。専業主婦になりなさい」
その言葉どおり、母は専業主婦になった。
そして祖母は、「専業主婦は暇」という考えを、ずっと変えなかった。
家にいるのだから時間はある。昼食の支度を止めても大丈夫。夕食の準備はあとでできる。そんなふうに思っていたのだろう。
でも、家事は終わりがない。洗濯物を畳めば掃除があり、掃除が終われば買い物があり、買い物が終われば食事の支度が待っている。
「暇」な時間など、一度も見たことがなかった。
それでも母は断らない。
「今から伺います」
その一言だけを残して家を出る。
「今日はすぐ帰ってくる?」
私が聞くと、母は困ったように笑う。
「用事はすぐ終わると思うよ」
実際、用事『は』すぐ終わる。
電球を替えるだけなら五分。荷物を動かすだけなら十分。
でも、母が帰ってくるのは決まって夕方だった。
「遅かったね」
そう声を掛けると、母は買い物袋を置きながら苦笑いを浮かべる。
「話が長くなっちゃって」
「また?」
「うん」
祖母は母を引き留める。
近所の話。テレビで見た話。親戚の話。最近あった出来事。そして、その合間に母への小さな嫌味が混じる。
母は何も言い返さない。
「そうなんですね」
「そうでしたか」
「はい」
相づちを打ちながら話を聞き続ける。
それが終わる頃には、何時間も経っている。
母は決して気の弱い人ではない。
昔から家族のためなら自分が我慢する人だった。空気を読んで、その場を丸く収めることを選ぶ。
祖母にも同じだった。言い返せば、もっと面倒になる。それが分かっているからこそ、黙って受け止める。
私はそんな母を見ながら育った。
土日になると、祖母の電話は父にも掛かってくる。
「ちょっと来て」
「これ動かして」
「テレビがおかしいの」
父は「またか」と言いながらも車を出す。
私も何度か一緒について行った。
祖母にとって、私たち家族はいつでも動ける存在だった。
自分が時間を持て余している日は、きっとみんなも暇なのだろう。そんなふうに考えていたのかもしれない。
私たち家族は祖父が生前オーナーをしていたマンションの一室に住まわせてもらっている。両親にはその負い目もあったのだろう。
だから両親は、「今日は行けません」とは言わなかった。言えなかったのかもしれない。
私は大学の課題をしていても、「今日はまた呼ばれたんだな」と分かるようになっていた。
母がいない昼食。夕方になってようやく帰ってくる母。その姿は、私の中でいつしか当たり前の景色になっていた。
でも、本当は当たり前ではなかった。祖父が生きていた頃には、こんなことはなかったのだから。
今になって思う。祖父は祖母を止めていたのではない。
私たち家族の時間を、守ってくれていたのだ。
【第二章 見て見ぬふり】
父は優しい人だ。
少なくとも、私にとってはそうだった。怒鳴られた記憶はほとんどないし、何かを頭ごなしに否定されたこともない。休日には一緒に映画を観に行くこともあったし、私が困っていれば、自分にできる範囲で手を貸してくれる。
だから私は父のことが嫌いではない。むしろ、家族として大好きだった。
それでも、ずっと心のどこかに引っ掛かっていることがある。
父は、家の中で起きていることに、あまり関心を向けない人だった。
仕事から帰ると、自分の部屋へ行き、机の上に広げたプラモデルと向き合う。ニッパーやヤスリを並べ、一つひとつ丁寧に組み立てていく姿を見るたび、「本当に好きなんだな」と思った。
好きなことに夢中になれるのは、決して悪いことではない。むしろ素敵なことだと思う。私にも似た部分があるから。
でも、その時間の裏側で、母がどんな毎日を送っているのかを、父はあまり見ようとはしていなかった。
母の携帯電話が鳴る。
「はい、お義母さん」
祖母からの電話だと分かると、父は「ふぅん」と一言返すだけだった。
母が夕方になって疲れた顔で帰ってきても、「おかえり」と声を掛けるだけで、「今日は長かったね」や「大丈夫?」という言葉を聞いた記憶はほとんどない。
ある日の夕食だった。
祖母の家から帰ってきた母は、いつもより少し遅れて食卓についた。私は母の表情を見ただけで、疲れていることが分かった。
父はテレビを見ながら食事を続けている。
私は思い切って尋ねた。
「お母さん、今日は何だったの?」
「スマホの操作が分からなかったんだって。」
母は笑いながら答えた。
「それだけ?」
「それだけだよ。」
私は父の方を向いて言った。
「お父さんが休みの日に行ったらいいんじゃないの。自分の実家だし」
父は箸を止めることもなく、「はいはい」とだけ返した。その一言で会話は終わった。
父に悪気はなかったのだと思う。祖母が困っても母が行ける。それで解決する。
父の中では、それだけのことだったのだろう。
でも、私には違って見えていた。
母が祖母の家へ行くたびに、その日の予定はすべて崩れる。洗濯の続きも、買い物も、昼食も、夕食の支度も、すべて後回しになる。
父は、その事実を知らなかったのではない。きっと、考えたことがなかったのだ。
土日になると、祖母は父にも用事を頼む。けれど不思議なことに、電話は父ではなく母の携帯へ掛かってくることが多かった。
「○○にちょっと来てって伝えて」
「棚を動かして」
「ちょっと留守にするからペットの様子を見に来て」
いつも母を通して父を呼ぶ。
父は面倒そうな表情を浮かべながらも出掛けていき、帰宅すると「疲れた」とこぼすことはあっても、不満を口にすることはほとんどなかった。
それが親孝行だと思っていたのかもしれない。
その気持ちは私にも分かる。祖母は父の母親だ。困っているなら助けたい。その思いまで否定するつもりはない。
でも、そのたびに私は考えてしまう。
母は、誰が助けるのだろう。
祖母を支える人はいる。父もいる。私もいる。
でも、母が疲れているとき、その母を支える人は誰なのだろう。
父は悪い人ではない。優しい人だ。
けれど、優しさは気づかなければ届かない。
家族を大切に思っていても、見ようとしなければ、その思いは相手に伝わらないのだ。
私は父を嫌いにはなれなかった。だからこそ、少しだけ寂しかった。もう少しだけ母を見てほしかった。もう少しだけ家族の日常に目を向けてほしかった。
それだけで、母はほんの少しでも救われていたのではないかと、今でも思っている。
【第三章 母の背中】
母は昔から我慢強い人だった。
感情的になって怒鳴ることはなく、誰かと口論している姿も見たことがない。嫌なことがあっても、一度飲み込んでから言葉を選ぶ。そんな穏やかな人だった。
だから祖母とも、正面からぶつかることはなかった。祖母の前では、いつも柔らかな笑顔を浮かべている。
でも私は知っている。その笑顔が、心からの笑顔ではないことを。
祖母の家から帰ってきた母は、決まって少しだけ疲れた表情をしていた。
玄関で靴を脱ぎ、大きく息をつく。それでも居間へ入る頃には、いつもの母に戻っている。
「ごめんね、お腹空いたでしょう」
そう言って、休む間もなく台所へ向かう。祖母の家で何時間過ごしていても、そのあと横になることはなかった。
夕飯を作り、洗濯物を取り込み、お風呂の準備をする。母にとって、それが当たり前の日常だったのだろう。
私は何度も声を掛けた。
「少し休んだら?」
「今日は出前でもいいじゃん」
そのたびに母は笑って答える。
「大丈夫だよ」
その「大丈夫」という言葉が、私は昔から不思議だった。本当に大丈夫なときも使うし、大丈夫ではないときにも使う。
だから私は、その言葉を素直に信じられなくなっていた。
母には妹がいた。
生まれつき持病があり、小さい頃から家族みんなで支えてきたと聞いている。
母はきっと、その頃から自分のことを後回しにすることが当たり前になっていたのだと思う。
困っている人がいたら、自分が我慢する。その方が丸く収まる。
そんな生き方が、いつの間にか母の中に根付いていたのかもしれない。
だから祖母に対しても同じだった。祖母が困っているなら、自分が行く。祖母が話したいなら、最後まで話を聞く。自分が少し我慢すれば済むことだから。そんなふうに考えていたのだろう。
私は、その優しさを心から尊敬している。でも同時に、その優しさが母自身を苦しめているようにも見えていた。優しい人ほど、損をしてしまう。そんな場面を私は何度も見てきたからだ。
ある日、母が祖母の家から持ち帰った袋を食卓の上に置いた。
「お義母さんが持って帰りなって」
中には祖母が作ったおかずが入っていた。
「いただきます」
そう言って母は何事もなかったように食卓へ並べる。祖母からどんな言葉を掛けられたのか、私は聞かなかった。聞けば母はきっと、「そんなことないよ。」と笑うことが分かっていたからだ。
母は昔から、人の悪口を言わない。傷ついていても、相手を責めることはしない。
だからこそ思う。母が何も言わないからといって、何も無かったわけではない。母が笑っているからといって、傷ついていないわけでもない。
子どもの頃の私は、笑っている人は幸せなのだと思っていた。でも大人になるにつれ、そうではないことを知った。
笑顔は、ときに周りの人を安心させるために作るものでもあるのだ。私は母の笑顔が好きだ。だからこそ、その笑顔が無理をして作られたものではなく、心からの笑顔であってほしいと願っていた。
けれど、その願いは祖父が亡くなってから、少しずつ遠ざかっていったように思う。
それでも母は今日も笑う。家族のために。誰かを安心させるために。
その背中を見ながら私は、人に優しくあることの強さと、その優しさに甘えてはいけないことを、少しずつ学んでいった。
【第四章 「家族だから」】
祖母はよく言う。
「家族なんだから」
その言葉を聞くたび、私は少しだけ複雑な気持ちになった。
家族だから助け合う。それは分かる。私もそう思う。困っている人がいたら手を差し伸べるのは当たり前だと思っている。でも、助け合うことと、一方だけが我慢し続けることは違う。
祖母の言う「家族だから」は、いつも祖母の都合で使われているように感じた。
「家族なんだから来てくれるでしょう」
「家族なんだから、このくらい頼んでもいいでしょう」
そんな言葉を口にすることはなかった。けれど、その考えは行動の端々から伝わってきた。
ある日の昼前。また母の携帯電話が鳴る。
「はい、お義母さん」
母はいつものように電話に出る。
「ええ」
「分かりました」
電話を切ると、私の方を見て少し困ったように笑った。
「どうしたの」
「お昼ご飯を作ったから取りに来てって」
私は思わず聞き返した。
「作ったから取りに来て?」
「うん」
「届けてくれるわけじゃないんだ」
母は苦笑いを浮かべるだけだった。
車で十分ほどの距離とはいえ、取りに行く時間があるなら、その間に家で昼食を作ることもできる。私はそんなことを考えてしまった。それでも母は出掛けていく。
「行ってきます」
その背中を見送りながら、私は何とも言えない気持ちになった。
祖母は、自分で作った料理をよく持たせてくれた。ありがたいと思うこともあった。でも、その一方で、首をかしげるようなことも少なくなかった。
「これ、人からいただいたんだけど」
そう言って袋を差し出す。母が受け取ろうとすると、祖母は続ける。
「人が作ったものなんて食べたくないから、あなたたち食べて」
母は一瞬だけ表情を止めた。それでもすぐに笑顔に戻る。
「ありがとうございます」
帰りの車の中で、その話題になることはなかった。母は何も言わない。私も何も聞かなかった。聞けば、母はきっと祖母をかばうからだ。
「悪気はないのよ」
そう言うと分かっていた。
祖母は、人の気持ちを考えられない人なのかもしれない。そんなことを思うようになったのは、この頃からだった。
誰かが時間を使って料理を作る。その気持ちよりも、「私は食べたくない」が先に来る。そして、その言葉を相手の前で口にできてしまう。
もし私がその料理を作った人だったら。そう考えるだけで胸が痛くなった。
私は人の顔色をうかがう性格ではない。思ったことが顔に出ることもある。だから祖母の前では、できるだけ口数を少なくしていた。余計なことを言えば、母が困る。そんなことが何度もあったからだ。
家族だから。
この言葉は、本来なら安心できる言葉のはずだ。帰る場所があること。助けてくれる人がいること。それが家族だと私は思っている。
でも祖母にとっての「家族」は、少し意味が違っていたように思う。
頼れる人。動いてくれる人。自分の話を聞いてくれる人。そんな存在だったのかもしれない。
私は祖母のことを理解しようとしたこともあった。祖父を亡くし、一人になった寂しさは、私には想像しきれない。だから電話が増えたことも、誰かと話したかったのだろうと思っていた。
でも、それだけでは説明できないことが、少しずつ増えていった。
「寂しいから」といって相手の都合を考えなくていい訳では無い。
【第五章 世間体というもの】
祖母は「人からどう見られるか」をとても気にする人だった。
「そんなことしたら周りから変な目で見られるわよ」
この言葉を何度聞いたことだろう。
私が好きなアーティストのライブへ行く話をしたときも。グッズを買った話をしたときも。イベントへ出掛ける話をしたときも。祖母は決まってそう言った。
「そんな変な事にお金使って」
私は笑って聞き流した。祖母に何を言っても、お互いの考えが変わることはないと分かっていたからだ。
でも心の中では思っていた。
「おばあちゃんには一切迷惑を掛けていないのに」
好きな音楽を聴くこと。好きな人を応援すること。それは誰かを傷つけることではない。
晴れて大学を卒業し、社会人になった今。自分が稼いだお金を自分の好きなように使い、自分の時間を存分に楽しんでいる。
それだけのことなのに。
祖母は「世間」をよく口にした。
「あの人がこう言っていた」
「近所の人に見られるでしょう」
「恥ずかしいと思わないの」
まるで「世間」が絶対的な物差しであるかのようだった。
けれど、不思議なことがあった。
祖母の家へ行くたび、近所の人と立ち話をしている姿を、私はほとんど見たことがない。
祖父が生きていた頃は違った。
散歩へ出れば、「先生、こんにちは」と声が掛かる。祖父は誰とでも楽しそうに話していた。祖母もその隣で笑っていた。
祖父が亡くなってからは、その光景を見なくなった。もちろん、私が見ていないだけなのかもしれない。
それでも、「世間」をあれほど気にする祖母が、実際には少しずつ周囲との距離を広げているように見えた。
私はその理由を考えたことがある。
祖母は、自分の話をすることが好きだった。相手の話を聞くよりも、自分の話を聞いてほしい人だった。
そして、思ったことをそのまま口にする。
悪気があるわけではないのだと思う。でも、言われた相手がどう感じるかまでは考えない。
それが少しずつ、人との距離を生んでいたのかもしれない。
私は祖母を見ながら、「言葉」は怖いものだと知った。
刃物のように鋭い言葉だけが、人を傷つけるわけではない。
何気なく口にした一言。本人は覚えてもいないような言葉。そんな言葉が、相手の心には長く残ることがある。
だから私は、人と話すときはできるだけ言葉を選びたいと思うようになった。祖母を反面教師にした、という言い方は少し冷たいかもしれない。
それでも、祖母を見て学んだことは確かにある。
「言葉は、その人そのものを映す」
そしてもう一つ。
「世間体を守ること」と、「人から信頼されること」は、決して同じではないということだった。
【第六章 善意という名の押しつけ】
祖母は昔から、何かを人に渡すことが好きだった。
料理だったり、お菓子だったり、家にある日用品だったり。一見すると、とても親切な人に見える。実際、周りからそう思われていたこともあった。
でも、私は少し違う印象を持っていた。
祖母から何かを渡されるとき、その多くには一言添えられていた。
「これ、もらい物なんだけど」
「これ、うちは使わないから」
「これ、人が作ったものだから食べたくないの」
その言葉を聞くたび、私は複雑な気持ちになった。
本当に相手のことを思って渡しているのだろうか。それとも、自分にとって不要になったものを処分しているだけなのだろうか。
もちろん、祖母に悪気はなかったのだと思う。だからこそ、余計に難しかった。
その日も、祖母はちらし寿司を持たせてくれた。
「食べてね」
母は笑顔で受け取る。
「ありがとうございます」
帰宅して食卓に並べると、母が箸を止めた。
「どうしたの」
私が尋ねると、母は小さなものをつまみ上げた。
銀色の小さくて丸いもの。なんと『ボタン電池』だった。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
母が食べる前に気づいたからよかった。もし飲み込んでいたら……そう考えるだけで背筋が寒くなった。
もちろん、祖母が故意に入れたとは思っていない。料理を作る途中で、何かの拍子に入ってしまったのだろう。そう考えるのが自然だ。
でも、私はあの日初めて思った。
「人に渡すものなら、最後まで責任を持ってほしい」
善意だけでは足りない。「渡したから終わり」ではない。
相手が安心して受け取れるところまでが、本当の思いやりなのだと思う。
母は祖母に何も言わなかった。責めることもしなかった。波風を立てたくなかったのだろう。
でも私は違った。
「私がおばあちゃんに直接注意するよ」
私がそう言うと、母は首を横に振り
「余計ややこしくなるから」
と言って私を止める。
私の胸の奥に、小さな恐怖と嫌悪感が残った。
そして祖母から何かをもらうたび、無意識に中を確認するようになった。それは祖母を疑っているからではない。安心したかったからだ。
家族だから。信じたいから。
だからこそ、確認しなければならない現実が、少しだけ悲しかった。
【第七章 祖父という人】
そんな祖母にも、一人だけ言葉を和らげられる人がいた。
祖父。
祖父は祖母を否定することなく、誰かが傷つきそうになると、そっと間に入った。
当時の私は、それがどれほど大きな存在だったのか気づいていなかった。
祖父が亡くなって初めて、その静かな優しさが家族を支えていたことを知ることになる。
祖父は、元市議会議員だった。
子どもの頃の私は、「市議会議員」がどんな仕事なのかよく分かっていなかった。ただ、祖父と一緒に歩くと、いろいろな人から声を掛けられる。
「先生、お久しぶりです」
「お元気でしたか」
「この前はありがとうございました」
祖父はそのたびに足を止め、相手の目を見て話をした。急いでいるような素振りは見せなかった。話が終わると、必ず笑顔で手を振って別れる。当時の私は子どもながらに、「祖父はたくさんの人に好かれているんだな」と思っていた。
祖父は誰に対しても穏やかだった。家族にも、近所の人にも。感情的に怒る姿を見た記憶はほとんどない。
誰かが失敗をしても、まず責めることはしなかった。
「大丈夫か」
その一言が先だった。
祖父の周りには、いつも人がいた。祖父自身が人を集めようとしていたわけではない。自然と人が集まってくる。そんな人だった。
祖母も、祖父が隣にいるときは今ほど刺々しくなかった。もちろん、思ったことを口にする性格は昔からだったのだろう。それでも祖父は、祖母の言葉が行き過ぎそうになると、静かに話題を変えた。
「まあ、その話はそのくらいにしよう」
「そういえば、この前ーー……」
祖父がそう言うだけで、その場の空気は和らいだ。
祖父は祖母を怒鳴ることも、頭ごなしに否定することもなかった。祖母の性格を一番理解していたのは、祖父だったのかもしれない。だからこそ、止め方も知っていた。
祖母は祖父のことを心から愛していた。今でも出掛けるときは、小さな遺影を鞄に入れて持ち歩いている。旅行へ行くときも。食事へ行くときも。祖父はいつも一緒だった。
その姿を見るたび、祖母の祖父への愛情は本物なのだと思う。
だから私は、不思議だった。
祖父をあれほど大切に思っていた祖母が、祖父が大切にしていた人たちを、どうして大切にできなかったのだろう。
祖父は、人を思いやる人だった。
祖母は、自分の思いを優先する人である。
長い夫婦生活の中で、その違いは祖父が受け止めていたのだろう。
祖父がいる間は、それでよかった。でも、その均衡は永遠ではなかった。
祖父が亡くなると、祖母を止める人はいなくなった。家族に向けられる言葉は少しずつ鋭くなり、電話の回数は増え、母は以前より長い時間を祖母の家で過ごすようになった。
きっと祖父は家族を守ろうとしていたのだろう。
それは大げさなことではない。誰かを叱ることでも、力で抑えつけることでもない。
誰かが傷つきそうになったときに、そっと間へ入る。その小さな積み重ねが、家族の日常を守っていた。
祖父がいなくなって初めて、その存在の大きさを知った。人は失ってから、その人が支えていたものの多さに気づく。
私にとって祖父は、そんな人だった。
【第八章 遺影を連れて】
先程も少し話に出てきたように、祖父が亡くなってからというもの、祖母は出掛けるたびに小さな遺影を持ち歩くようになった。
最初に見たとき、私は胸が締めつけられた。写真立てに収まるほど小さな祖父の写真。それを大切そうに鞄へ入れる祖母の姿は、本当に祖父を愛していた人そのものだった。
食事へ行くときも。旅行へ行くときも。親戚の集まりへ行くときも。祖父はいつも祖母と一緒だった。
「おじいちゃんも連れてきたの」
祖母はそう言って、少し誇らしげに遺影を見せることがあった。
その姿を見るたび、私は「本当に好きだったんだな」と思っていた。
祖父を失った悲しみは、きっと私なんかには想像できない。何十年も一緒に暮らした人を失うこと。朝起きても隣にいない。食卓にもいない。「ただいま」と言っても返事がない。その寂しさは、言葉では表せないほど大きかったのだろう。
だから、遺影を持ち歩くことを私は否定しようとは思わない。それが祖母なりの、祖父と一緒に生きる方法だったのかもしれない。
ただ、少しずつ違和感を覚えるようにもなった。
祖母は人前で祖父の話をよくするようになった。
「私は主人を亡くして一人なの」
「毎日寂しくて」
「主人がいた頃はね」
もちろん、それは本当のことだ。
でも、その話は誰かを思い出して懐かしむというより、自分の悲しさを伝えるための言葉になっているように聞こえることがあった。
祖母の口から語られる祖父は、いつも祖母を中心にした話だった。
「主人は私を大切にしてくれた」
「主人がいなくなって私は苦労している」
「私は可哀想でしょう」
そんな言葉を聞くたび、私は心のどこかで立ち止まってしまう。祖父は、本当にそんなことを望んでいただろうか。
祖父は生前、自分のことを語る人ではなかった。誰かを立て、誰かを気遣い、自分は一歩下がる。そんな人だった。
だからこそ、祖父の名前が「可哀想な私」を語るために使われているように感じて少しだけ切なくなった。
祖母は祖父を愛していた。それは疑いようがない。
でも、人を愛することと、その人の思いを受け継ぐことは、同じではないのかもしれない。
祖父が大切にしていたのは、人とのつながりだった。家族も。近所の人も。友人も。誰に対しても誠実に接していた。
祖父の遺影を抱きながら、その祖父が守ってきたものを少しずつ壊してしまっていることに、祖母は気づいているだろうか。
私は今でも分からない。もしかしたら、気づく余裕もないほど悲しかったのかもしれない。
それでも私は思う。
亡くなった人は、遺影の中だけにいるわけではない。その人が生きている間に残した優しさや言葉や生き方もまた、その人の一部なのだ。
祖父を思い出すたび、私の頭に浮かぶのは遺影ではない。
誰かに笑いかけるあの穏やかな表情。「大丈夫か」と声を掛けるあの優しい声。そして、家族が楽しく笑っていた、あの頃の食卓。
【第九章 気持ちの問題】
時は少し巻き戻り、二〇二〇年。祖父が亡くなる少し前の話。
世界は、新型コロナウイルスという未知の感染症に翻弄されていた。外へ出ることも、人と会うことも、当たり前ではなくなった。病院へ行くことさえ、簡単ではなかった。
母も、その影響を受けた一人だった。
最初は、よくある風邪だと思っていた。少し咳が出る。熱はない。そのうち治るだろうと、母も私たちも思っていた。けれど、咳だけがいつまでも治らない。
病院へ行こうにも、当時はどこも新型コロナウイルスへの対応に追われており、発熱や咳がある患者は、すぐには診てもらえない。
電話を掛けても、
「現在は受け入れが難しく……」
そんな返事が続いた。
そしてようやく診てもらえた頃には、母の症状は長引き、喘息を発症していた。
夜になると咳が止まらない。息を吸おうとしても、うまく吸えない。隣の部屋にいても聞こえる咳に、私は何度も目を覚ました。苦しそうに呼吸をする母を見ながら、何もできない自分がもどかしかった。
薬を飲み、吸入を続けても、すぐには良くならない。喘息は「治ったら終わり」の病気ではなく、末長く付き合っていかなければならないものになってしまった。
そして現在。場面は二〇二六年に戻り、祖母の家でその話になった。
母が少し咳き込みながら言う。
「まだ喘息がなかなか良くならなくて」
祖母は母の顔を見て、ためらうことなく言った。
「そんなの気持ちの問題なんだから、早く治しなさい」
その場の空気が止まった。
私は祖母の顔を見た。冗談を言っているようには見えない。本気でそう思っているのだと分かった。
母は少しだけ笑って、
「そうですね」
と答えた。
それ以上は何も言わなかった。私は何も言えなかった。
喘息は、気持ちで治る病気ではない。苦しくても息が吸えない。咳を止めたいと思っても止まらない。眠りたいのに眠れない夜が続くこともある。母は好きで喘息になったわけではない。新型コロナウイルスが流行し、すぐに医療へ繋がれなかった。その結果として残ってしまった病気だ。
それでも祖母は、それを「気持ちの問題」と言った。
あの日の私は、正直祖母に腹が立った。そしてとても悲しかった。
病気そのものではなく、病気で苦しんでいる人の気持ちを理解しようともしない。そのことが、何よりも悲しかった。
しかし母は祖母を責めない。帰り道でも、その話には触れなかった。きっと母は、「言っても仕方がない」と思ったのだろう。
でも私は忘れられなかった。人は、経験したことのない苦しみを想像することは難しい。それでも、想像しようとすることはできる。
「大丈夫」ではなく、「つらいね」「少しでも楽になるといいね」
その一言だけで、救われることもある。祖母のあの言葉は、今でも私の心に残っている。
そして同時に、私は心に決めた。
誰かの痛みを、自分の物差しだけで測る人にはならないと。
【第十章 言えなかった言葉】
私は昔から、言い返すことが苦手だった。
間違っていると思っても、その場では黙ってしまう。口論になるくらいなら、自分が我慢した方が早い。そんなふうに考えてしまう性格だった。
そしてそれは祖母に対しても同じだった。
「そうじゃないよ」
そう一言返せば済むような場面は、何度もあった。
「推し活なんて、周りから変な目で見られるわよ」
そう言われたときも、
「そんなことない」
その一言が言えなかった。言っても無駄だと思っていた。
祖母は、自分が正しいと信じている人なので、私が何を言っても考えは変わらない。そう思うと、自然と口を閉じてしまうのだ。
それは母も同じだった。祖母に何かを言い返す姿を見たことがほとんどない。私はそんな母を見て育った。
だから、誰かとぶつからない方法を覚えてしまったのかもしれない。
でも、大人になって気づいたことがある。
我慢することと、優しいことは違う。黙ることと、相手を思いやることも違う。あの頃の私は、その違いが分からなかった。空気を乱さないことが一番だと思っていた。それが家族のためだと信じていた。
けれど、本当にそうだったのだろうか。
誰か一人だけが我慢し続けることで成り立つ関係は、果たして健全と言えるのだろうか。
今なら少しだけ違う答えを出せる。相手を大切にすることと、自分を大切にすることは、どちらか一方ではない。その二つは、きっと両立できるものなのだ。
もちろん、今でも祖母に面と向かって言い返す勇気はない。それは性格なのかもしれない。でも、心の中で「違う」と思えるようになった。
それだけでも、昔の私とは少し違う。
祖母は私にたくさんのことを教えた。
人を傷つける言葉とは何か。相手の時間を尊重することの大切さ。善意にも責任があること。そして、自分の価値観を人へ押しつけないこと。
といっても、どれも祖母が教えようとして教えてくれたわけではない。私が祖母を見て、自分で学んだこと。
だから私は、祖母のようにはなりたくない。誰かの時間を当たり前に奪う人にはなりたくない。誰かの好きなものを否定する人にはなりたくない。誰かが笑っているからといって、「大丈夫なんだ」と決めつける人にもなりたくない。
祖母との日々は、決して楽しい思い出ばかりではない。それでも、あの日々があったからこそ、私は今の自分になった。
そう思える日が来たことだけは、少しだけ救いなのかもしれない。
【第十二章 それでも家族】
「家族って何だろう」
そんなことを考えるようになったのは、いつ頃からだっただろう。
子どもの頃の私は、家族はいつも味方だと思っていた。困ったときは助け合って、嬉しいことがあれば一緒に笑う。それが当たり前だと思っていた。もちろん、今でもその考えは変わらない。
両親は私にとって、かけがえのない存在だ。祖父もそうだった。家族という言葉を聞くと、最初に思い浮かぶのは、穏やかな食卓の風景だ。
だからこそ、祖母の存在は私の中で少し特別だった。
嫌いかと聞かれれば、簡単に「嫌い」とは答えられない。かといって好きかと聞かれれば、それも違う。もっと複雑な感情だった。
祖母は父を産み、育てた人だ。その父がいたから、私は生まれた。そのことに感謝する気持ちはある。
一方で、母が祖母の言葉に傷ついてきた姿も見てきた。祖母の都合で予定を変え、何時間も話を聞き、疲れた顔で帰ってくる母の背中も知っている。
その二つの気持ちは、私の中でずっと共存していた。
祖母を一人の人間として見れば、寂しさや不安を抱えながら生きている人だったのだと思う。
祖父を亡くし、一人暮らしになり、話し相手も少なくなった。
だから家族に頼った。
その気持ちは理解できる。
でも、理解できることと、受け入れられることは違う。
寂しいからといって、誰かの時間を奪っていい理由にはならない。
悲しいからといって、誰かを傷つけていい理由にもならない。
私はそう思う。家族だからこそ、甘えてしまうことはある。遠慮がなくなることもある。
でも、その遠慮のなさに支えられている人がいることも、忘れてはいけないのだと思う。
私はこの家で育って、多くのことを学んだ。
優しさとは何か。思いやりとは何か。そして、人との適切な距離とは何か。それは教科書では学べないことばかりだった。
祖母との出来事を思い出すたび、今でも心がざわつくことがある。
だから私はこの出来事を書き残そうと思った。
誰かを責めるためではない。誰かに同情してほしいからでもない。
あの頃の私が見ていた景色を、忘れないために。
そして、同じような思いを抱えながら「家族だから」と言葉を飲み込んでいる誰かに、「そんな家族の形もある」と伝えたかったからだ。
家族は、近すぎるからこそ難しい。
近い存在だからこそ、優しさにも配慮にも、少しだけ意識が必要なのだと、私は今も思っている。
【終章 受け継ぐもの】
この随筆を書きながら、何度も手が止まった。思い出したくないこともあった。書きたくない出来事もあった。それでも最後まで書こうと思えたのは、祖母のことだけを書き残したかったわけではないからだ。私が残したかったのは、この家族で生きてきた時間だった。
祖母のことを思い返すと、今でも複雑な気持ちになる。正直に言えば、今後もなるべく会いたくない。きっと、この先もその気持ちがきれいに無くなることはないだろう。傷ついた記憶は、都合よく消えてはくれないから。
でも、その一方で思うこともある。祖母がいたからこそ、私は人の痛みに敏感になれた。祖母がいたからこそ、相手の時間を大切にしたいと思えるようになった。祖母がいたからこそ、自分の価値観を人へ押しつけることだけはしたくないと心に決めた。決して感謝しているという意味ではない。苦しかった経験から、自分なりの答えを見つけただけだ。
私は、母のような優しさを知っている。疲れていても笑顔を向ける強さ。誰かを思いやる温かさ。家族のために動き続ける、その背中。私はそんな母を誇りに思っている。父からは、穏やかに人と接する姿を学んだ。不器用ではあったけれど、家族を大切に思っていたことは知っている。
そして祖父からは、人を大切にするということを教わった。立場や肩書ではなく、一人ひとりを尊重すること。誰かが傷つきそうになったら、そっと間に入ること。相手の話を最後まで聞くこと。祖父は言葉で教えたのではない。生き方で教えてくれた。
私はこれから先、祖父のような立派な人間になれるかは分からない。母のような強さを持てるかも分からない。それでも、一つだけ決めていることがある。
それは、誰かの「当たり前」を、自分の「当たり前」にしないこと。
時間には、その人の人生が詰まっている。言葉には、その人の心が映る。だから私は、人の時間も、人の言葉も、大切にできる人でありたい。
祖父はもういない。母も父も、いつか年を重ねていく。私もまた、いつか誰かの家族になる日が来るのかもしれない。そのとき私は、この家で見てきたことを思い出すだろう。受け継ぐべきものと、受け継いではいけないもの。その二つを忘れないために、この随筆を綴った。
過去は変えられない。でも、未来は選ぶことができる。
私は祖母のようには生きない。私は祖父が守ろうとしていた優しさを、母が守り続けた思いやりを、私なりの形で受け継いでいきたい。
それが、この家族の中で育った私が、これから先を生きていくための答えで
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
この作品は小説ではなく、私自身の実体験を元に綴った随筆です。
もちろん、読みやすさを考えて構成や会話を整理した部分はありますが、そこに書いた感情は、当時の私が実際に感じていたものです。
書き始めた頃は、「こんなことを書いてもいいのだろうか」と何度も手が止まりました。
家族のことを書くというのは、想像していた以上に勇気のいることなのですね。
それでも書こうと思ったのは、祖母を悪者にしたかったからではありません。
母の優しさを残したかった。祖父が守っていた家族の姿を忘れたくなかった。そして、「家族だから」という理由だけで、自分の気持ちを押し殺している人が、決して一人ではないことを伝えたかったからです。
人は誰でも、長所と短所を持っています。
祖母にも、祖母なりの寂しさや苦しさがあるのだと思います。
それでも、寂しさは誰かを傷つけていい理由にはなりません。
そのことだけは、この本を書きながら何度も考え続けました。
私はこの経験を通して、受け継ぎたいものと、受け継ぎたくないもの、その両方に出会いました。
祖父の思いやり。母の優しさ。そして、自分の価値観だけで人を決めつけないこと。
これから先、私が誰かの家族になったとき、この本に書いた出来事を思い出す日が来るかもしれません。
そのときに私は、過去を繰り返すのではなく、過去から学んだ人でありたいと思っています。
もしこの一冊が、誰かにとって「家族とは何だろう」と考えるきっかけになったなら、これ以上嬉しいことはありません。
重複にはなりますが、最後まで読んでくださり本当にありがとうございました。




