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王太子が毎年悪役令嬢を断罪するので、令嬢六人で労働組合を結成しました  作者: 九葉(くずは)


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第9話 王太子の弁明

 加害者が泣くのを見るのは初めてだった。いや、泣いてはいなかった。泣けないのだ、あの人は。


 舞踏会の法廷劇から数日。貴族社会は二分されていた。組合を支持する令嬢たちと、王太子を擁護する旧来の貴族たち。社交界のサロンではどちらの話題しか出ないらしい。テレーゼが情報を持ってきた。「あたしの絵より話題になってるわ。複雑な気分」と皮肉を言っていた。


 そんな中、予想外の訪問があった。


 王太子レクシスが、組合の丸テーブルに面会を求めてきたのだ。一人で。聖女を伴わずに。



 丸テーブルの向かい側に、王太子が座っている。

 この席に座ったのは組合員とユリウスだけだ。王太子の体格だと椅子が小さく見える。場違いな光景だった。金の刺繍が入った軍服に、磨いたオーク材の丸テーブル。組合の書類がテーブルの隅に積まれていて、王太子の肘が書類に触れるたびにかすかに紙が擦れる音がする。


「弁明の機会をくれ」


 開口一番、そう言った。目が赤い。眠れていないのだろう。頬がこけている。数日で人はここまで変わるのか。

 あの上司も、不正が発覚した翌日に同じ顔をしていた。権力を持った人間が「もしかして自分が間違っていたのでは」と気づいた瞬間の顔。


「お聞きします」


 私は座ったまま答えた。立ち上がらなかった。ここは王宮ではない。組合の会議室だ。


「……聖女を信じたかった」


 レクシスは手を膝の上で組んだ。手袋を外している。指が太い。剣を握る手だ。その指先が膝の布を掴んでいた。


「リリアーナは庶民の出だ。貴族に蔑まれながら、浄化魔法で民を救ってきた。あの子を守ることが——身分の壁を超える正義だと。本気で信じていた」


「聖女の密告を検証しなかったのは?」


「……信じたかったんだ」


 同じ言葉を繰り返した。声が小さい。


「聖女が『あの令嬢は危険です』と言えば、それを疑うことは聖女を疑うことになる。聖女を疑うことは、自分の判断を疑うことになる。だから、」


「だから検証しなかった」


「……ああ」


 私は黙った。あの上司もそうだった。「部下のことは信じていた」と言いながら、確認する手間を惜しんだ。信じることと、確認しないことは、違うのだ。信頼は怠惰の言い訳にはならない。


 でも、「信じたかった」という言葉に嘘はない。それだけはわかる。王太子の指先の強張りは演技ではない。演技ができるほど器用な人間ではない。あの光った目は正義を信じていた目であると同時に、聖女を信じたかった目でもあったのだ。


 あの上司と違う点がある。あの人は最後まで「自分は悪くない」と言った。この人は「信じたかった」と認めている。自分の弱さを、弱さとして差し出している。


 テーブルの組合員たちの反応が分かれた。カティアは椅子の背もたれに体重を預けて天井を見ている。怒りを抑えている顔だ。マリアンヌは目を伏せて紅茶のカップを見つめている。テレーゼは腕を組んだまま動かない。ニーナは手元の薬草の束を強く握っていた。イリスだけが、まっすぐ王太子を見ていた。元婚約者として。


「殿下」


 私は言った。


「謝罪は受け取りません」


 空気が張りつめた。


「でも、制度改革に協力してくれるなら、それは別の話です」


 レクシスが顔を上げた。


「……どういう意味だ」


「あなたの過去の判断を許すかどうかは、断罪された令嬢たち一人ひとりが決めることです。私が代わりに許すことはできない。でも、『今後の断罪に法的手続きを義務化する条例』に、王太子として賛同してくれるなら。それは個人の謝罪より、よほど意味がある」


 私情と制度を切り離す。あちらで学んだことだ。怒りで動くな。仕組みで動け。


 カティアが椅子を鳴らして立ち上がりかけた。マリアンヌが手で制した。


「……エルザ」


 カティアの声が低い。


「許すなんてありえない。あたしの歌を——」


「許すとは言っていない。制度の話をしているの」


「同じことだろ!」


「違う。許すかどうかはカティア、あなたが決めること。制度は全員のためのもの」


 テーブルが静まった。マリアンヌがゆっくりと口を開いた。


「……人は変われるかもしれない。変われないかもしれない。でもエルザの言う通り、制度は個人の気持ちとは別の話ね」


 ニーナが小さく頷いた。イリスは何も言わなかった。元婚約者として、言葉にできないものがあるのだろう。


 テレーゼが私を見た。


「組合長。あんた、よくやったわ」


「……あ、はい。で、次の議題なんですが」


「褒めてんのよ。受け取りなさい」


 受け取り方がわからない。前世でも褒められるのは苦手だった。「ありがとう」と言えばいいのはわかっている。わかっているのに出てこない。代わりに書類を一枚引き寄せて、次の計画を書き始めようとする。


「……素直に喜べばいいのに」とカティアが笑った。さっきの怒りはまだくすぶっているが、それとこれとは別らしい。こういうところがカティアの強さだ。



 王太子が帰った後。

 組合員も一人ずつ帰り、丸テーブルにはユリウスと二人だけが残った。


 蜜蝋の燭台の火が揺れている。紅茶を淹れてくれた。ユリウスが。いつものように無言で、私のカップだけ。


「……君は冷たいな」


 ユリウスが言った。


「冷たくないと、正しい判断ができない」


「正しい判断をすることと、君が傷つくことは、両立するんだ」


 手が止まった。紅茶のカップを持ち上げかけたまま。


 この人は、法律以外の言葉で私を見ている。


「大丈夫です」


「大丈夫かどうかは聞いていない」


 ユリウスは眼鏡を外さなかった。まっすぐにこちらを見ている。


「……ありがとうございます。ユリウス殿」


 名前で呼んだ。初めてではないが、「殿」をつけるのが自然になっていたのはいつからだろう。


 ユリウスは何も言わなかった。紅茶を一口飲んで、書類に目を戻した。でも、カップを置く音がいつもより静かだった。

 しばらくして、ユリウスの手がテーブルの上を滑った。書類を渡すふりをして、私の指先に触れた。一秒もなかった。触れて、離れた。

 ユリウスは眼鏡の奥で何食わぬ顔をしている。耳だけが赤い。

 指先がしばらく温かかった。

 書類を渡すふり。わかっている。この人は嘘が下手だ。法廷では百人を欺けるのに、テーブルの下では指先一つ隠せない。

 それが、どうしようもなく——いや。今はそういうことを考えている場合じゃない。



 翌日。テレーゼが駆け込んできた。


「悪い知らせ。宰相が国王に『組合を法的に解散させる方法』を進言しているそうよ。王宮の侍女経由の情報。確度は高い」


 時間がない。宰相は本気だ。三十年間この国を回してきた男が、全力で組合を潰しにかかっている。三ヶ月の時効で守りを固め、今度は組合そのものの法的根拠を攻める。


 ——だが、こちらも止まらない。証拠は揃っている。仲間もいる。あとは、どう使うか。

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