第8話 弁護人をお呼びしますね
冬の舞踏会には飽き飽きしていた。
断罪が始まるまでは。
クリスタル宮の大広間。蜜蝋の燭台が百本。銀木犀の香り。令嬢たちのドレスが揺れ、壮年の貴族たちが杯を傾けている。去年と同じ光景だ。音楽も同じ。ワインの銘柄も同じ。違うのは、今年はテーブルの下に三十枚の羊皮紙が隠れていること。
王太子レクシスが壇上に立った。あの光った目。正義を確信している目。
「イリス・フォン・シュヴァルツ。汝を、不忠の令嬢として断罪する」
ざわめき。扇が開く。ため息。去年と同じ反応。
だが今年は違う。
イリスが前に出た。十九歳。小柄だが背筋がまっすぐだ。魔獣調教師の手は小さいが、爪の間に獣の毛が挟まっている。護衛獣を撫でる手だ。
イリスが微笑んだ。
「弁護人をお呼びしますね」
大広間が凍った。王太子の表情が止まった。聖女が目を見開いた。貴族たちの杯が宙で停止した。
前世のドラマの法廷シーンと似ている。ただし、ドラマと違って台本は私が書いた。リハーサルなし、一発本番。
大広間の扉が開いた。
ユリウス・フォン・クライストが入ってくる。黒いコートに銀縁の眼鏡。手には羊皮紙の束。法律家の正装だ。その後ろに、マリアンヌ、テレーゼ、ニーナ、カティア。
四人の元・追放令嬢が続く。
そして私、エルザ・フォン・フェルゼン。組合長。
「王太子殿下」
ユリウスの声が大広間に響いた。法廷弁論用の、腹の底から出す声。王太子と同じ種類の訓練を受けた声だ。
「令嬢互助組合の法律顧問として、本断罪の法的手続きの不備を指摘し、一時停止を要求します」
「……何だと?」
レクシスの眉が寄った。怒りではない。困惑だ。断罪の場に「異議」が出ること自体、前例がない。
「王国法において、貴族の身分に影響を及ぼす裁定には、以下の手続きが必要です。第一に、被告への事前通知。第二に、罪状の明示と証拠の提示。第三に、被告の弁明の機会。第四に、中立の証人。殿下の断罪は、そのいずれも満たしていません」
大広間がざわめいた。貴族たちが顔を見合わせる。
法的手続き。この国では、断罪に法的手続きが必要だという発想自体が新しい。
壁際に立っていた老貴族が隣の男に何かを耳打ちしている。扇で口元を隠した令嬢たちの目が鋭くなっている。社交界の空気は敏感だ。力関係が動く気配を、この場にいる全員が嗅ぎ取っている。
「王太子の断罪は慣習だ。法的手続きなど——」
「慣習は法に優先しません。宰相閣下」
ゲルハルトが口を挟んだのを、ユリウスが切った。鋭い。宰相の目が一瞬細くなった。三十年間、この国の法律を自在に操ってきた男が、二十三歳の法律家に切られた。
「さらに、」
私の番だ。テーブルの下から羊皮紙を取り出す。
「過去四回の断罪について、聖女リリアーナ嬢の密告が起点となっていた事実を提示します」
テレーゼが一歩前に出た。スケッチを広げる。聖女が他国の使者に封筒を渡す夜の場面。宮廷画家の筆致は正確だ。人物の表情まで読み取れる。
「これは二年前の夜、宮殿の回廊で私が目撃した場面です。この目撃を理由に、私は断罪されました」
聖女リリアーナの顔色が変わった。白い。あの完璧な微笑みが消えている。唇が動いているが声になっていない。
「嘘よ! そんな、そんなことは、」
声が裏返った。これまで一度も裏返ったことのない、あの計算された声が。大広間の全員がそれを聞いた。
「マリアンヌ・フォン・ベルク。三年前に断罪。理由は結界に関する技術報告書の提出。報告書は王宮で握りつぶされました。写しがここにあります」
マリアンヌが報告書を掲げた。手が震えていない。三年間の重さを背負って、それでも震えていない。
「ニーナ・フォン・ヴァイデン。一年半前に断罪。南部の疫病を薬香で鎮圧した実績を、聖女が浄化魔法の手柄として横取りしました。成分分析書があります」
ニーナが一歩前に出た。声は小さいが、薬草の束を握る手は確かだ。
「カティア・フォン・ゾンネ。一年前に断罪。歌唱魔法に呪いが含まれるという聖女の讒言によるもの。魔法鑑定を行えば、呪いなど存在しないことは一目瞭然です」
カティアが。
歌った。短く、三小節だけ。大広間に響いた歌声は、聞いた人間の背筋を伸ばす力を持っていた。これが呪い? 馬鹿を言え。
歌が終わった後の沈黙が長かった。令嬢が一人、目頭を押さえている。壮年の騎士が口元を引き締めた。たった三小節で、大広間の空気が変わった。歌唱魔法とはこういうものだ。聖女の浄化魔法とは質が違う力。
大広間が沈黙した。
「パターンがあります」
私は言った。声が通った。前世の会議室で鍛えた声だ。百人の前で話すのは久しぶりだが、足の裏に床の冷たさがはっきりわかる。感覚が研ぎ澄まされている。声だけは通る。それでいい。
「聖女にとって不都合な事実を知る令嬢、不都合な能力を持つ令嬢が、順番に断罪されています。一人目は結界の専門家。二人目は不正の目撃者。三人目は医療の功績者。四人目は民衆の人気者。そして五人目。イリス・フォン・シュヴァルツは護衛獣の管理者です。護衛獣がいなくなれば、聖女は王宮内を自由に動ける」
証拠を並べた。テレーゼのスケッチ。マリアンヌの報告書。ニーナの成分分析書。カティアの歌。四つの証拠が一本の線で繋がっている。
聖女の唇が引きつっている。涙は出ない。あの完璧な涙が、出ない。
王太子レクシスが、初めて聖女から目を離した。
「……本当なのか、リリアーナ」
聖女は答えなかった。答えられなかった。
大広間のざわめきが、音の質を変えた。疑念。王太子の判断力に対する、初めての疑念。
ユリウスが私の方を見た。目線だけで。
計画通りか?
頷いた。計画通りだ。百人の貴族に囲まれた大広間で、ユリウスの目だけがやけに近く見えた。あの目が味方にいるという事実が、足の震えを止めている。
◇
舞踏会の後。大広間を出る時、聖女の声が背後で聞こえた。
「……許さない。全員、許さないわ」
振り返った。リリアーナの目から涙は消えていた。代わりに、初めて見る表情があった。庶民出身の少女が、貴族社会で生き延びるために身につけた、本物の殺意。
次の一手は、あちら側から来る。
馬車に乗り込んだ。隣にユリウスが座った。いつもより近い。暗い車内で、彼の横顔が街灯の光に一瞬だけ照らされた。
「……計画通りだった」
「ああ」
「ありがとう。あなたの弁論がなければ——」
「顧問としての義務だ」
また。その言い訳。
でも、ユリウスの肩が微かに上下していた。呼吸を整えている。——緊張していたのだ。あの堂々とした弁論の間、ずっと。




