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王太子が毎年悪役令嬢を断罪するので、令嬢六人で労働組合を結成しました  作者: 九葉(くずは)


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第4話 異議申し立て

 鵞ペンのインクが乾く前に、もう一度読み返す。三十七回目の推敲。あの世界の企画書より神経を使った。


 組合規約の最終版。ユリウスが第七条を全面的に書き直し、第十五条に判例の類推を三つ追加した。私の趣意書が骨組みだとすれば、ユリウスの修正が筋肉だ。法律の言葉には重さがある。正しい場所に正しい条文を置くだけで、紙の束が武器になる。


「……確認する。フェルゼン嬢」


 ユリウスが最終ページを閉じた。深夜だ。蜜蝋の燭台が三本目に入っている。別邸の書斎は二人分の体温で少しだけ暖かい。それでも深夜は冷える。ふと、肩に重みを感じた。ユリウスの上着だった。彼は何も言わず、書類に目を戻している。顧問としての義務、とでも言うのだろうか。寒かったのは事実だから、黙って受け取った。羊毛の匂いがした。テーブルの上は羊皮紙と法律書で埋まっていて、紅茶のカップを置く場所がない。ユリウスは自分のカップをインク壺の横に挟むようにして置いている。私のカップは床だ。前世のデスクワークを思い出す。締め切り前の深夜、デスクに物が溢れて飲み物を足元に置いた。あの頃と変わっていない。


「第七条、商業組合令の類推適用。先例はないが、条文上の禁止もない。法的に却下する根拠がない」


「はい」


「第十五条、法的代理権。これは通らない可能性がある。だが、申し立てること自体は可能だ」


「通らなくていい。申し立てたという事実が残ればいい」


 ユリウスの眉が動いた。


「……理由は?」


「前例です。たとえ却下されても、『令嬢が王太子の断罪に異議を申し立てた』という記録が王宮に残る。次に同じ申し立てをする人がいたら、それが参照される。前例は一つ目が一番重い」


 ユリウスが黙った。それからインク壺の横に置いてあった冷めきった紅茶を一口飲んだ。


「……君の論理構成は控訴審でも通用する」


「え?」


「いや。行くぞ」


 褒められた気がするが、よくわからない。控訴審って何。いや、この世界にも控訴審があるのか。あとで聞こう。



 王宮、中央省庁棟。受付窓口。


 前世の市役所と同じ匂いがする。紙とインクと、微かに埃。そして同じ目をした役人が座っている。「面倒な案件を持ち込むな」という目。洋の東西を問わず、異世界をまたいでも変わらないのか、あの目は。


「令嬢互助組合より、過去の断罪に対する異議申し立て書、および組合の法人設立届を提出いたします」


 役人が書類を受け取り、一枚目を見て顔をしかめ、二枚目で目を細め、三枚目で上司を呼んだ。


 三十分後、宰相ゲルハルト・フォン・ヴァイスの執務室に通された。


 宰相は思っていたより小柄な老人だった。だが目に油断がない。三十年間この国の内政を回してきた人間の目。書類を一枚ずつ、ゆっくりと読んでいる。


「……前例がないな」


「はい。ですから、これが前例になります」


 宰相の指が止まった。私の顔を見る。


「フェルゼン公爵の娘か」


「はい」


「父上はご存じで?」


「組合は私個人の活動です」


 嘘ではない。父には話していない。話せば止められる。


「……法的根拠が商業組合令の類推適用。かなり大胆な主張だ」


 ユリウスが一歩前に出た。


「宰相閣下。王国法において、商業組合令は『二名以上の者が共通の利益のために組織する団体』を対象としています。条文のどこにも『商業目的に限る』とは書かれていません。類推適用を却下する法的根拠をお示しいただけますか」


 宰相の目がユリウスに向いた。品定めする目。


「クライスト家の三男か。法学院の首席」


「元首席です」


「なぜ辺境にいる」


「法律に仕える場所を選んだだけです」


 宰相は書類に目を戻した。沈黙が長い。あの取引先で、決裁権を持つ人間が黙り込む時間に似ている。考えているのか、圧をかけているのか。両方だろう。


「受理はする」


 空気が動いた。


「ただし、異議申し立ての審議には三ヶ月をいただく。王国法に基づく正式な手続きだ。拙速な判断はしない」


「三ヶ月。承知しました」


 頭を下げる。膝の裏が冷たい。

 受理された。前例がない書類を、王宮が受理した。


 宰相の執務室を出る瞬間、背中に声がかかった。


「フェルゼン嬢」


 振り返る。


「王太子殿下は、この申し立てをお喜びにはならないだろう」


「存じております」


「……それでもやるのか」


「法律に従って行動しています。法律に従う者を止める権限は、宰相閣下にもないはずです」


 宰相の口元が、ほんの一瞬だけ歪んだ。笑みか、苛立ちか。どちらとも取れる表情だった。



 王宮の回廊を歩いていると、向こうから二人連れが来た。


 王太子レクシスと、聖女リリアーナ。


 すれ違う。レクシスは私に軽く頷いた。社交的な会釈。フェルゼン公爵家の令嬢として、最低限の礼は尽くす。だが目には興味がない。私は「まだ断罪されていない令嬢」の一人にすぎない。

 リリアーナは微笑んだ。あの完璧な微笑み。目元が優しく細まり、唇の両端が同じ高さに上がる。練習したのだろう。鏡の前で何度も。


 あの頃の営業部で、取引先の前だけ笑顔になる先輩がいた。あの人と同じ種類の笑顔だ。


 すれ違った後、リリアーナの香水が残った。甘い花の匂い。高価なものだ。庶民出身の聖女が、どこでこの香水を手に入れたのか。宮廷の予算か。あるいは。

 没収された令嬢の持ち物か。


 考えすぎだ。今は証拠がない。



 王宮を出た。冬の風が頬に当たる。息が白い。


「……受理されたな」


 ユリウスが隣を歩いている。普段より半歩距離が近い。


「受理されただけで、結果はこれからです」


「わかっている。だが、」


 ユリウスが眼鏡を押し上げた。


「『これが前例になります』か。あの一言で宰相の手が止まった。法律は条文の力だが、あの場を動かしたのは、条文じゃなかった」


 褒められている、のだろうか。ユリウスの言葉はいつも、どこまでが評価でどこからが分析なのかわからない。


「で、次の議題ですが」


「……もう次があるのか」


「五人目のイリスへの接触。王太子の婚約者ですから、正面からは行けない。社交界のサロンで偶然を装うのが一番——」


「法的に助言する」


「は?」


「イリス嬢への接触方法について、法的に問題がないかを助言する。顧問としての義務だ」


 ——それ、「一緒に行く」って意味だろうか。法律用語で同行を申し出る人を初めて見た。


「……ありがとうございます」


「礼はまだ早い」


 ユリウスが前を向いて歩き出した。背が高い。冬の王都の灰色の空を背景に、黒いコートの肩が揺れている。



 その夜。

 宰相ゲルハルトの執務室。


 彼は部下を呼び、一枚の指示書を渡した。


「あの組合の法的根拠を洗え。潰せる条文を見つけろ」


 部下が退出した後、宰相は窓の外を見た。雪が降り始めている。


 ——面倒な娘が出てきたものだ。

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