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王太子が毎年悪役令嬢を断罪するので、令嬢六人で労働組合を結成しました  作者: 九葉(くずは)


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3/12

第3話 法律顧問は辺境にいた

 あの上司が言っていた。「弁護士を雇え、話はそれからだ」と。

 異世界でもそれは変わらないらしい。


 辺境の町ノーヴァは、王都から馬車で三日の距離にある。石畳の道は半分が土に戻りかけていて、建物の壁は塩を含んだ海風で白く剥げている。港町だが活気は薄い。冬だからか、それともこの町自体がそうなのか。

 通りに面した小さな看板を見つけた。『クライスト法律相談所』。木彫りの看板の文字がかすれている。繁盛はしていなさそうだ。


 扉を押すと、紙とインクの匂いがした。

 壁一面の本棚。革表紙の法律書が天井まで詰まっている。あちらで見た六法全書より分厚い。しかも全部手書き。この世界の法律家、タフすぎないか。


 奥の机に男が一人。銀縁の眼鏡をかけた青年が、羊皮紙に鵞ペンを走らせている。二十代前半だろう。貴族の服ではない。だが姿勢がいい。教育を受けた人間の座り方だ。襟元がきちんと閉じている。几帳面な人間なのだと、なぜかそこに目が行った。


「あの、クライスト殿——」


「相談は午後からだ」


 顔も上げない。


「相談ではなく、依頼です。令嬢互助組合の法律顧問をお願いしたい」


 鵞ペンが止まった。ユリウス・フォン・クライストが、初めて顔を上げる。

 目が鋭い。弁論を叩き込まれた人間の目だ。王太子と同じ種類の鋭さだが、質が違う。あの人は「正義を振りかざす目」で、この人は「正義を疑う目」をしている。


「令嬢の互助組合? 何だそれは」


「互助組合です。六人の令嬢で結成しました。王太子の断罪を法的に阻止するための」


「……貴族の遊びに付き合う気はない」


 立ち上がりかけた椅子を引いて、再び鵞ペンを手に取る。

 あの頃の転職面接で門前払いされた時を思い出した。あの時も書類を見てもらえなかった。


「書類をお読みください。それだけです」


 テーブルの端に、趣意書を置いた。三十枚。インクの匂い付き。


 ユリウスはしばらく無視していた。三分。五分。私は立ったまま待った。あの頃の営業で、相手が折れるまで待つ技術は身につけている。


 八分後、ユリウスが舌打ちをして趣意書を手に取った。


 一枚目。表情が変わらない。

 五枚目。眉が微かに動いた。

 十枚目。鵞ペンを置いた。

 十五枚目。眼鏡を押し上げて、最初のページに戻った。


「……これを書いたのは君か?」


「はい」


「法学院で学んだ?」


「いいえ」


「ではどこで、」


「独学です」


 嘘ではない。前世で労働法を独学したのは本当だ。この世界の法律ではないが。


「第七条。商業組合令第三款の類推適用で令嬢互助組合の法人格を主張している。着想は面白い。だが根拠が弱い。先例がない」


「だから法律の専門家が必要なんです」


「第十二条。解散条件を明記している。……珍しいな。大抵の組織は解散条件を書かない」


「必要なくなったら解散する組織です。永続が目的じゃない」


「第十五条。組合員の権利保護に『法的代理権』を含めているが、王国法では貴族間の紛争に代理人制度がない。ここは創設的な主張になる」


「だから前例を作りたいんです。前例がないなら、私たちが前例になる」


 ユリウスが書類を裏返した。余白に鵞ペンで何かを書き込んでいる。修正案だ。読みながら同時に直している。


「……第二十条。組合費の使途に『法律顧問の報酬』が含まれているのは、私を雇うことが最初から計画に入っていたということか」


「王国最高の法学院を首席で卒業した法律家が辺境にいると聞いたので」


「誰に聞いた」


「テレーゼです。旅の絵師として各国を回る間に、あなたの名前を聞いたそうです。『王都の政治に嫌気がさして辺境に引っ込んだ天才がいる』と」


「天才ではない。嫌気がさしたのは事実だが」


 ユリウスが眼鏡を外した。拭き始める。

 考え込む時の癖だろうか。レンズは汚れていないように見えたが、丁寧に布でこすっている。


 沈黙が長い。

 窓の外で海鳥が鳴いた。本棚の革表紙がかすかにきしむ。海が近いせいで湿気があるのだろう。法律書を保管するには向いていない場所だ。それでもここを選んだということは、よほど王都が嫌だったのか。


「……天気、悪くなりそうですね」


 我ながら何を言っているのだ。雑談。苦手なのだ、雑談が。ずっと昔から。沈黙に耐えきれなくなると意味のないことを口走る。仕事の話なら何時間でもできるのに、「仕事以外」の言葉が出てこない。


 ユリウスは天気の話を完全に無視した。そこだけはあの頃の弁護士と同じだ。本題以外に興味がない人種。


「顧問料は先払いだ。月額金貨二枚。それと、この趣意書の第七条は書き直す。俺がやる」


「……引き受けてくれるんですか」


「引き受けるとは言っていない。法的に成立するかどうかを検証する。それが顧問の仕事だ」


 言い方。

 でも、口元が少しだけ緩んでいるのを見た。見間違いかもしれないが。


「それと」


 ユリウスが棚から一冊の法律書を引き抜いて、机に置いた。重い音がする。表紙には『王国貴族法典 第三巻 婚姻と裁定』。


「これを読め。全部だ。君の趣意書には王国法の知識が足りていない。着想はいいが、土台が甘い」


「……三日で読みます」


「三日で読めるなら認めてやる」


 挑戦的な目だった。でも嫌な感じはしない。あの上司が「やれるもんならやってみろ」と言う時の、あの突き放すような目とは違う。「やってみせろ」と言っている目だ。


「ありがとうございます、クライスト殿」


「礼は法的に成立してからにしろ。……それと、このインク。安物だな。にじむ。次からは鉄胆インクを使え。法的文書ににじみは許されない」


 インクの品質にまで口を出す法律家。変な人だ。



 帰りの馬車。窓の外は曇り空。天気の話は当たったらしい。


 変な人だった。でも、趣意書を読む目は本物だった。あの目で法律を読む人間が味方にいれば、書類の力は何倍にもなる。


 さて、次の問題だ。

 五人目の令嬢、イリス・フォン・シュヴァルツ。十九歳。魔獣調教師。

 ——今の王太子の婚約者。


 彼女をどうやって組合に引き入れるか。なにしろ、王太子の横にいる人間だ。近づくだけで目立つ。

 でも、断罪は来年の冬。あと十ヶ月。書類の準備だけでは足りない。イリスを味方につけなければ、「未来の断罪を防ぐ」という組合の存在意義が絵空事になる。


 馬車の車輪がきしむ。あちらなら電車で一時間の距離だが、この世界では三日。移動だけで一週間。——リモートワーク、この世界にも導入してくれないかな。

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