第11話 裁定の日
「裁定を言い渡す」
国王の声が、玉座の間に響いた。
三日間、長かった。眠れなかった。ユリウスは眠れたのだろうか。昨夜、最後の法律文書を確認した時、彼の目の下に隈があった。でも眼鏡の奥の目は鋭かった。
玉座の間には貴族が詰めかけている。社交界の全員がここにいるのではないか。壁際に立つ令嬢たち。柱の影に控える文官たち。そして中央に、王太子レクシス。聖女リリアーナ。宰相ゲルハルト。三人が並んでいる。
組合員は私の後ろに立っている。マリアンヌ、テレーゼ、ニーナ、カティア、イリス。そしてユリウスが右隣に。
「第一に。過去四回の断罪について」
国王が羊皮紙を広げた。
「提出された証拠を精査した結果、四件すべてにおいて、被告への事前通知の欠如、罪状の根拠不明、弁明機会の不付与が認められた。王族の裁定における正当な手続きを著しく欠いたものとして、四件の断罪を無効とする」
無効。
玉座の間がざわめいた。マリアンヌの手が私の袖に触れた。小さく震えている。
「第二に。聖女リリアーナ・セレストについて」
リリアーナの顔が上がった。白い。あの完璧な微笑みは、もうどこにもない。
「四件の断罪の起点となった密告が、事実に基づかない讒言であったことが複数の証拠により認定された。加えて、他国使者への不正な接触、没収財産の私的な流用が認められた」
国王が一呼吸置いた。
「聖女リリアーナ・セレストを宮廷から追放する」
リリアーナが膝をついた。泣いていない。泣く演技をする余裕もなくなっている。唇が動いている。何かを言おうとしているが、声にならない。
庶民出身の少女が、貴族社会で生き延びるために身につけたすべての武器が、この瞬間に剥がされた。完璧な微笑み、計算された涙、絶妙なタイミングの「ごめんなさい」。どれも、もう通用しない。
同情はしない。でも。あの人にも、最初は本当の涙があったのだろうか。貴族に蔑まれた日の、本物の涙が。それがいつから武器に変わったのか、本人にもわからなくなっているのかもしれない。
「第三に。宰相ゲルハルト・フォン・ヴァイスについて」
老宰相の表情は変わらない。三十年間、この国を回してきた男の矜持か。あるいは。もう覚悟を決めていたのか。
「断罪の黙認、没収財産の仲介および一部着服が認められた。宰相職を即日解任する」
ゲルハルトが静かに頭を下げた。何も言わなかった。
「第四に。王太子レクシス・フォン・アストレアについて」
レクシスが背筋を伸ばした。あの光った目はもうない。代わりにあるのは、自分の過ちを知った人間の目だ。
「四件の不当な断罪を行った責任を問い、王位継承権を一時停止する。辺境での見習い期間を命じる」
継承権の停止。王太子にとって、それは実質的な追放だ。
玉座の間の沈黙が長かった。
「最後に」
国王が立ち上がった。
「『令嬢の断罪』なる慣行を、本日をもって廃止する。今後、貴族の身分に影響を及ぼすいかなる裁定も、法的手続きを経ずに行うことを禁ずる勅令を発布する」
制度が変わった。
私が求めていたもの。過去を正すことではなく、未来を変えること。「もう二度と理不尽な断罪が起きない」という制度。
組合員の誰かが。
カティアだ。
小さく声を漏らした。ニーナが隣で泣いている。テレーゼは腕を組んだまま目を閉じていた。イリスの隣で、護衛獣が小さく鳴いた。マリアンヌが私の手を握った。冷たい手だった。でも力がこもっていた。
前世のニュースなら速報テロップが出る。『王太子、継承権停止。聖女、宮廷追放。宰相、解任』。視聴率、取れるだろうな。
何を考えているのだ、こんな時に。
でも、そういう下らないことを考えられるということは、たぶん、大丈夫だということだ。
◇
裁定の後。玉座の間を出て、回廊を歩いていた。
レクシスがすれ違いざま、足を止めた。
「……フェルゼン嬢」
「はい」
「ありがとう」
それだけ言って、去っていった。背中が小さく見えた。辺境に向かう男の背中。剣術で鍛えた広い肩が、今日は重そうだ。
ありがとう、と言われるとは思わなかった。謝罪ではなく感謝。
何に対する感謝なのか、今はわからない。止めてくれてありがとう、なのか。目を覚まさせてくれてありがとう、なのか。
いつかわかる日が来るのかもしれない。来なくてもいい。
回廊の窓から外を見た。冬薔薇が一輪、中庭の石壁の隅で咲いていた。深い赤。血の色ではない。冬を越えた花の色だ。この花は断罪の季節の花だ。来年の冬、もう断罪はない。冬薔薇は、ただの冬の花に戻る。
◇
全てが終わった後。
丸テーブルに戻った。組合員は帰り、部屋は静かだ。蜜蝋の燭台の火が揺れている。
ユリウスがいた。帰っていなかった。
テーブルの上に紅茶が二つ。湯気が立っている。
「……淹れてくれたの?」
「冷めるぞ」
座った。紅茶を一口飲んだ。蜂蜜入り。いつも私のカップにだけ蜂蜜を入れているのは知っていた。顧問としての義務、とでも言うのだろうか。
ユリウスが眼鏡を外した。拭かない。テーブルの上に置いた。
「……組合が解散しても、俺の顧問契約は解除しないでくれ」
カップを持つ指の感覚がなくなった。熱いはずの陶器の温度がわからない。
え。え? 今なんて。
「……え?」
「法的に言えば。いや、法的には関係ない。ただ——」
ユリウスの声が詰まった。この人の声が詰まるのを初めて聞いた。法廷弁論で百人の前でも淀まない声が。
「君の隣で書類を作る時間が、なくなるのは困る」
法律用語が一つも入っていない。ユリウスの言葉から法律が抜けたのは、あの時効の夜以来二回目だ。
眼鏡をかけていない顔は、思ったより若かった。二十三歳。法律の天才で、人嫌いで、紅茶に蜂蜜を入れるのが上手い人。深夜の書斎で隣に座っている時だけ、少しだけ声が柔らかくなる人。
「……顧問料、値上げしますよ」
泣きながら笑っていた。自分でもどっちの顔をしているのかわからない。前世では「仕事の関係」が終わった後に残る感情の名前を知らなかった。今世では——知っている。知っているけど、言葉にするのはまだ怖い。
「……構わない」
ユリウスが、テーブルの上に置いたままの眼鏡に手を伸ばした。掛け直そうとして、やめた。
「……今日くらいは、このままでいい」
眼鏡のないユリウスは、少しだけ笑っているように見えた。二十三歳の、ただの青年に見えた。
二人分の紅茶の湯気が、蜜蝋の光の中で混ざった。




