侯爵令嬢の拒絶と、ベルガモットの残り香
令嬢たちとの楽しい会話で弾んでいたテラスの空気が、一瞬で凍りついた。
「——おやめなさい。見苦しいですわ」
取り巻きを引き連れて現れたのは、侯爵令嬢ベアトリス。彼女は扇子で口元を隠し、蔑むような視線をキャロラインへと向けた。
「ベアトリス様……」
「たかが平民の焼いた菓子一つで、高貴な身分を忘れてはしゃぎ回るなんて。ハウスベリーさん、貴女、自分が何をしにここへ来ているか分かっていますの? ここは社交の場、物乞いの場ではありませんわ」
「そんな……物乞いだなんて……っ」
キャロラインは籠を握りしめた。楽しかったはずのクッキーの香りが、今はひどく場違いなものに感じられる。周囲の令嬢たちも、ベアトリスの威圧感に気圧され、さっきまでの笑顔を消して俯いてしまった。
「ベアトリス、言葉が過ぎるぞ」
背後から、低く硬い声が響いた。ベアトリスの兄、ヴィクターだ。彼は鉄仮面のような無表情で妹を窘めたが、ベアトリスはさらに顔を険しくした。
「お兄様は黙っていてください。……行きましょう、皆様。こんな安っぽい香りが漂う場所に長居する必要はありませんわ。わたくしたちの品位まで疑われてしまいますもの」
ベアトリスたちが去った後、テラスには重苦しい沈黙だけが残された。
ニナが心配そうに駆け寄ったが、キャロラインは小さく首を振った。
「ごめんなさい、ニナさん。少し……風に当たってきます」
逃げるように中庭の奥、大きな木の下までやってきたキャロライン。
自分の指先に残る甘い香りが、今は情けなくて、おばあさまの万年筆をカバン越しにぎゅっと抱きしめた。
「……そんなに泣きそうな顔をして、どうしたんだい?」
ふわりと、あの爽やかなベルガモットの香りが鼻先をくすぐった。
顔を上げると、そこには生徒会の腕章を巻いたエリオットが、木漏れ日の中に立っていた。
「エリオット様……。あの、生徒会のお仕事は……?」
「今終わったところだよ。それより、君のせっかくのクッキーが泣いているみたいだけど」
エリオットは隣に腰を下ろすと、キャロラインの籠から、ベアトリスが「安っぽい」と切り捨てたクッキーを一つつまみ上げ、迷いなく口にした。
「あ……っ!」
「……うん、やっぱり美味しい。君は、全員に好かれようとして無理をしているんじゃないかな」
エリオットは、エメラルドグリーンの瞳でまっすぐにキャロラインを見つめた。
「学園という場所は、どうしても身分の壁がついて回る。けれど、僕にとってはこの味も、君の努力も、他の誰が持ってきた高級菓子よりずっと価値があるんだ。……だから、そんなに悲しまないで。僕には、これが『特別』だって分かっているから」
「エリオット様……」
「僕が全部食べてあげてもいいけれど、それは流石に独り占めが過ぎるかな?」
彼は悪戯っぽく微笑み、キャロラインの頭を軽く撫でた。
その手の温もりと、ベルガモットの香りに包まれて、キャロラインの胸の痛みは、いつの間にか熱い鼓動へと変わっていた。




