表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/12

夕暮れの図書室と、ベルガモットの予感

午後の講義が終わり、ケイティは重い足取りで広大な図書室へと向かった。

Aクラスの授業は想像以上にレベルが高く、家庭教師に習ってきた貴族の子たちとの差を痛感して、少し自信を失いかけていたのだ。


(もっと勉強しなきゃ……おばあさまの万年筆に、恥じないように)


図書室は天井まで届く本棚が並び、古書特有の落ち着く香りに満ちていた。

ケイティは一番奥の窓際に面した静かな席を見つけた。そこは西日が差し込み、まるで別世界のような静寂に包まれている。


「……ふぅ」


一息ついて、ケイティはカバンから小さな紙包みを取り出した。

中に入っているのは、今朝焼いてきた自分用のバタークッキー。形は不揃いだけど、バターをたっぷり使った、家族と自分だけが知る特別な味だ。


(一口だけ……食べて、頑張ろう)


サクッ、と小さな音を立ててクッキーを頬張る。その時だった。


「……いい匂いだな」


低い、けれど鈴の音のように心地よい声が、すぐ近くで響いた。

驚いて顔を上げると、そこには昼間のランチルームで見かけた少年——エリオット・ヴァン・グランツが立っていた。


「あ……っ!」

驚いて飲み込もうとし、ケイティは盛大にむせてしまう。

「っ、げほっ、ごめんなさい、わ、私……!」


エリオットは驚いたように目を丸くしたが、すぐにふっと柔らかな笑みを浮かべた。

「驚かせてすまない。あまりにいい匂いがしたから、つい声をかけてしまったんだ」


彼は迷いなくケイティの隣に座ると、長い指先で自分の首元を緩めた。その瞬間、昼間に感じたあのベルガモットの香りが、ふわりとケイティを包み込む。


「……それは、何? 市販のものじゃないみたいだけど」

「あ、あの、これは……売り物ではなくて、わたしが自分用に焼いたバタークッキーで……」

「自分用? 贅沢だね。その香ばしさは、最高の材料と腕がないと出せないはずだ」


エリオットは少し疲れたように目を細め、ケイティの紙包みをじっと見つめた。

「……少し、分けてくれないか? 生徒会の仕事で頭を使いすぎて、甘いものに飢えているんだ」

「えっ! 次期公爵様が、こんな端っこのクッキーを……?」


驚く彼女に、エリオットは面白そうに片眉を上げた。

「僕を知ってる? ……エリオットでいいよ。今はただの、お腹を空かせた生徒だ」


彼はそう言うと、ケイティが差し出したクッキーを一口食べた。

「………………!」

一瞬、彼の動きが止まる。

「どう、でしょうか……?」


「……驚いたな。今まで食べたどんな高級菓子よりも、ずっと心が解ける味がする」


エリオットは満足そうに微笑むと、今度はケイティの顔をじっと覗き込んだ。

「君、名前は?」

「キャ、キャロラインです!……あ、でも、ケイティって……あわわ!」


緊張のあまり、またしても愛称が口をついて出てしまった。耳まで真っ赤にするケイティを見て、エリオットの瞳にいたずらっぽい光が宿る。


「ケイティ、か。可愛い名前だね。……じゃあ、ケイティ。このクッキーのことは、僕と君だけの秘密にしよう」


彼はそう言って、少しだけケイティの方へ身を寄せた。ベルガモットの香りと、クッキーの甘い匂いが混ざり合う。ケイティは、自分の心臓の音が図書室中に響いているのではないかと、生きた心地がしなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ