第2話 亡霊の排気
帝国一号の初運行から数日後。
C62 2号機〈シロクニ〉は観光列車としての任務を順調にこなしていた。
今日は京都から福知山までの往復運転。朝の機関庫には、前回とは違う落ち着いた空気が流れている。
「ボイラー温度、正常。給水圧、安定」
機関助手席で計器を覗く鈴音が、短く報告する。
つばめはブレーキハンドルに手をかけ、視線をまっすぐ前へ向けた。
父・烈はホームの端から、その様子をじっと見守っていた。
発車の汽笛が高らかに鳴る。
観光客の歓声を背に、帝国一号はゆっくりと京都駅を後にした。
――だが、山間部に入ったあたりから、空気の色が変わる。
天候は晴れのはずなのに、トンネルの向こうから異様な黒煙が流れ込んでくるのが見えた。
「……先行列車はないはずだよな?」
つばめの眉がわずかに寄る。
鈴音は窓を開け、耳を澄ます――すると、遠くから機関車のドラフト音が聞こえた。
だが、それは現役機の軽快な響きではなく、金属がきしむような重苦しい音だった。
トンネルに差しかかった瞬間、視界が真っ黒に覆われる。
黒煙の中から、錆びついた巨大な影が浮かび上がった。
ボイラーの継ぎ目から蒸気が漏れ、ボロボロになった動輪が不気味に回る――それは、もうこの世に存在しないはずの蒸気機関車だった。
「止まれる……はずなのに、止まらなかった機関車……」
低く響く女の声が、機関室いっぱいにこだまする。
次の瞬間、その亡霊機関車の上に立つ人影が現れた。
長い黒髪を揺らし、白い和装を纏った女――朱鷺野鏡花。
「鉄の道が奪った命……その恨み、今こそ返す」
轟音とともに、亡霊機関車の排気が帝国一号に襲いかかる。
視界が白熱し、蒸気と火の粉が渦を巻く。
つばめは咄嗟にスロットルを絞り、鈴音は火床のダンパーを閉める。
車輪が悲鳴を上げ、列車は急制動に入った。
烈は後方の控え車から飛び降り、線路沿いを全力で走る。
「つばめ! 鈴音! 落ち着け!」
叫び声が黒煙に飲まれていく。
次の瞬間――亡霊の影は、煙の中へ溶けるように消えた。
残されたのは、不自然に焦げた線路と、車体のあちこちに付着した煤だけ。
「……今の、いったい……」
息を荒げるつばめに、烈は低く告げた。
「これは……ただの事故じゃない。蒸気帝国鐵道は、狙われている」
空を仰ぐと、遠くの山の上で白い影が一瞬だけ揺れた。
朱鷺野鏡花は、次の一撃の機会を待っている――そう確信できる気配だった。
そして、帝国一号は再び汽笛を鳴らし、ゆっくりと動き出した。
だが、その煙の向こうには、確かに亡霊の排気が混じっていた。
「――列車は、まだ誰も見たことのない領域へ向かう。」
C62 2号機・シロクニの白い蒸気は、
亡霊との遭遇を経て、どこか儚い輝きを帯びていた。
その影は、線路の上だけに留まらず、
まるで“境界”を越えてさまようように、
乗務員たちの心にも静かに入り込んでいく。
謎の女・朱鷺野鏡花が残した言葉。
それは、過去と未来を繋ぐ
白い影の足跡だったのかもしれない。
次回――
「白影、線路を越えて」
蒸気に宿る想いが、
運命のレールを揺らしはじめる。




