第五話 柚陽からの××なお願い
翌日、朝八時二〇分頃。摂蔭女子中学部三年二組の教室にて、ヤスミンと柚陽はいつものようにおしゃべりし合っていた。
「サオちん、職場体験活動は楽しくやれてるみたいやね」
「うん、学校へは行かないから参加出来るみたい。わたしもすごく嬉しかったよ。彩織さんが少しでも成長してくれて。今日も彩織さんは図書館に、あとたぬゑお婆さんも、開発者さんのもとへメンテナンスに行ってて戻るのは夕方。桜子お姉さんは神高の芸術鑑賞会で市民会館へ行ってて、昼までで終わりだって」
「それってつまり、昼から夕方までは桜子姉さんしか寮にいないってことやん」
「梅乃はいるけどね」
「チャンスーッ!」
柚陽は突然大声で叫び、ガッツポーズも取った。
「びっくりしたぁ」
ヤスミンは目を丸くする。
「ねえ、今日の帰り寮寄っていい? 桜子姉さんに折り入って相談事があるねん」
「どんなの?」
ヤスミンは怪訝な表情で尋ねと、柚陽は囁くような声で耳打ちした。
「……そっ、そっ、そんなことを、頼むの? ダッ、ダッ、ダメよ」
ヤスミンは頬をカァァァァァッと赤らめる。
「お願いヤスミス」
「でっ、でもぉ……」
「うちの将来がかかっとうねん」
柚陽は上目遣いで要求する。
「……分かったわ。でも、桜子お姉さん承諾してくれるかなぁ? さすがに怒られそう」
※
ともあれ放課後、午後三時頃。ヤスミンは柚陽を連れて鶫風寮へ。
「こんにちはーっ、桜子姉さん。お久し振りぃっ!」
「あっ、えっと、確か、あなたは、ヤスミンちゃんのお友達の、柚陽ちゃんだっけ?」
「ご名答。覚えてくれててめっちゃ嬉しいわ~♪」
満面の笑みでそう言うと柚陽は、桜子の手をぎゅっと握り締めて来た。
「あっ、あのう……」
桜子はドキッとなる。
「桜子お姉さん、柚陽から、お願いしたいことがあるんだって」
ヤスミンはちょっぴり俯き加減で、照れくさそうに伝えた。
「えっ、何?」
桜子が問うと、
「あの……そのう……桜子姉さん、ヌッ、ヌードモデルに、なって下さい!」
柚陽は面と向かって、やや躊躇しながらも大きな声でお願いした。
「えっ!?」
桜子は目を丸くし、口をあんぐりと開けた。
「あの、すみません。ちょっと頼み辛いことを言ってしまって」
柚陽は頭を深々と下げた。
「あっ、あの、ちゅっ、中学生に、ヌードデッサンは、あまりに早過ぎるんじゃないかな?」
桜子は早口調で御もっともな意見を述べてみる。
「桜子姉さん、うち、美大を目指してるんです。中学生のうちからこういったことに取り組んでおかないと、ライバル達に差をつけられちゃうんです。数学と英語は、うちらの学校では中三から高校課程を習ってるんですよ。だから早過ぎることはないと思うねんっ!」
柚陽は桜子の目を見つめながら、強く主張した。
「その、数学や英語とは違って、ヌードデッサンは、その、なんて言うか……健全性というか……えっと……」
桜子は何か理由を付けて断ろうとするが、言葉に詰まってしまった。
「桜子お姉さん、わたしからもお願いします。桜子お姉さんが今、ヌードモデルになることによって、柚陽のデッサン力がさらに向上し、美大に合格し、ゆくゆくは世界的に有名な画家さんになったら、社会貢献になりますよ。桜子お姉さんも絵を趣味にされているので、柚陽の気持ちはよく分かるでしょう?」
ヤスミンはきりっとした表情でお願いする。
「……分かった。やってあげる」
桜子は社会貢献という言葉に押され、しぶしぶ引き受けてしまった。
三人はロビーからヤスミンのお部屋へ。
ヤスミンは柚陽に指示されるまま座卓を隅の方へ動かし、学習机の椅子を引っ張り出して、中央付近に置いた。
「では桜子姉さん、脱いで下さい!」
柚陽は期待の眼差しで桜子を見つめる。
「女の子同士だけど、すっごく恥ずかしいよ」
桜子はヤスミンの方にちらっと視線を送った。
「桜子お姉さん、わたしは目を逸らしてますから、全然気にしなくていいですよ」
ヤスミンは地学の学習参考書を眺めながら伝える。
「じゃ、脱ぐね」
桜子はまず上着から脱ぎ、ブラジャーも外して上半身裸となる。続いて靴下とスカートを脱いだ。
「……お風呂の時はそう感じなかったけど、この場所で素っ裸になるのは、すごく恥ずかしいよぉ」
そして、ショーツも脱いで、すっぽんぽん姿に。
「桜子お姉さんの裸、めっちゃ美しいです」
柚陽は頬をほんのり赤らめながら伝えた。
「あっ、それは、どうも」
桜子はぎこちない動きでソファの方へ歩み寄る。
「裸のマハのようなポーズをとって下さい」
「こっ、こう?」
柚陽から頼まれると桜子はソファに横たわり、腕で輪っかの形を作り、両掌を後頭部に添えた。
「そうです。素晴らしいです。桜子姉さんのおっぱい、うちと比べて柔らかそうで触り心地良さそうでいいですね」
柚陽はまじまじと、桜子のきれいな裸体を眺める。
「あのう、なるべく早く描き終えてね」
桜子は気まずそうにお願いした。
「はい。うち、桜子姉さんを、一生懸命デッサンします!」
柚陽は畳の上で体育座りをし、スケッチブックを太ももの上に置くと、休まず4B鉛筆を手に取り、桜子のヌード姿を描写し始めた。
今このお部屋には、シャカシャカと鉛筆が紙の上を動く音だけが聞こえてくる。
ヤスミンは高校地学の参考書を黙読していた。
「あの、まだかな?」
柚陽が描き始めてから十分ほどのち、桜子は尋ねてみる。
「まだまだです!」
柚陽は真剣な眼差しで返答した。その直後、
「ただいまーっ!」
玄関から、千景の声が聞こえて来た。
「ちっ、千景さん!?」
「幸岡先輩、もう帰って来ちゃった?」
「あの、こんな所を見られたら、非常に、まずいんじゃ?」
三人は当然のように焦る。
「あそこに、隠れましょう」
ヤスミンは焦り気味に小声で指示を出した。
三人は忍者のようにすり足抜き足差し足で動き、押入れの中に隠れる。
ストーブやこたつなどが仕舞われていて畳一畳ほどしかないスペースに、全裸の桜子と着衣の二人が密着してしまった。
「「「……」」」
三人はじーっと声を殺す。
「あれえ? 梅ちゃん以外誰もいないの? 桜子ちゃんもいないようだし、中学部は授業早く終わってたからヤスミンちゃんもう帰ってると思ったんだけど。お買い物へ行ったのかな? でも、靴はあったし……展望台かな? まあいいや、梅ちゃんをお散歩へ連れて行こうっと」
千景は通学鞄をソファの上に置き、ダイニングテーブル椅子の上にいた梅乃を両手で抱え込み、また外へ出て行った。
「……千景さん行ったみたいね。というかわたしまで隠れる必要は無かったような……」
ヤスミンはふと気付いた。
「二階へ上がって来なくて助かったね、桜子姉さん」
柚陽はくすくす笑っていた。
「あの、柚陽ちゃん。失礼なことを言って申し訳ないんだけど、重たくて……」
「あっ! 桜子姉さん、ごめんなさい。馬乗りになっちゃって。うちのがきっと体重重いよね。すぐに退きます。ありゃ、退こうにも思うように動けへんわ~。すまんねぇ桜子姉さん」
「桜子お姉さん、柚陽が多大なご迷惑かけてごめんね。すぐに開けるので」
一番襖寄りにいたヤスミンが押入れの戸を勢いよく引いた。明るい光が差し込んでくる。
ヤスミンが最初に外へ出た。
「んっしょ」
続いて柚陽が中腰になろうとした瞬間、
「きゃっ!」
ヤスミンは思わず凝視してしまう。
「きゃわっ」
柚陽はバランスを崩し、桜子の下半身の恥ずかしい箇所にしっかり手を添えてしまっていたのだ。
「うひゃぁっ! はっ、早くのいて!」
桜子の頬はますます赤くなってしまう。
「すみません桜子姉さん、とてもデリケートな部分に触れてしまい、申し訳ございませんでした。わざとじゃないんです」
柚陽が離れるや否や、
「……」
桜子は大慌てで上体を起こしてショーツを穿いた。
「あの、もふもふして、触り心地良かったです……少し、濡れてましたね」
柚陽は頬をほんのり赤らめて、てへっと笑う。
「柚陽、失礼よっ!」
ヤスミンは頬をカァァァッと火照らせる。
「めちゃくちゃ、恥ずかしいよぉ~」
桜子は頬を真っ赤にさせたまま悲しげな表情へ。
「大変申し訳ございません! 桜子姉さん、ちょっと揉んでしまい」
柚陽は土下座して謝罪して来た。
「ワタシは、その、あの……ぜっ、全然気にしてないから」
「お詫びにうちのヌードデッサン描かせてあげますっ!」
そう言って上着を脱ごうとした柚陽に、
「いや、いいからいいから」
桜子は当然のように困惑してしまう。
「柚陽、貴重なお時間を割いてヌードモデルをして下さった桜子お姉さんにこれ以上無礼なことしちゃダメッ!」
ヤスミンは顔を真っ赤に染めながらそう注意して、本棚にあった分厚い哺乳類の図鑑で柚陽の後頭部をバコォンッと叩く。
「いったぁ~っ、分かってまーすっ。すみません桜子姉さん。さっきのハプニングは、うちにとって一生忘れられない思い出になりそうです!」
柚陽はてへへっと笑って、どこか嬉しそうにこう伝える。
「いや、今すぐに忘れてね」
桜子は悲しげな表情でお願いした。
☆
「ほっ、ほな桜子姉さん、さようならーっ!」
玄関先にて柚陽は別れの挨拶を告げると、そそくさ鶫風寮をあとにした。
「あっ、あの、桜子お姉さん、わっ、わたし、微小時間しか見ていないので……」
ヤスミンは慌て気味に桜子を気遣う。
「あの、ヤスミンちゃん。そのことは、もう忘れよう」
桜子はげんなりする。彼女は今、穴があったら入りたい気分だった。
「そっ、そうですね。わっ、わたし、今から数学の公式や昆虫さんや日本の地名、新たにいっぱい覚えてさっきのことは忘れますから」
ヤスミンは自分のお部屋へ戻ろうと階段の方へ向かおうとした。
「ただいまーっ、新しく出来たお総菜屋さんで〝あわびステーキ〟買って来たよ。淡路島産のバター醤油が効いててすごく美味しいらしいよ。六個あるからみんなの分あるよ」
そこへ千景が帰って来た。ロビーに上がり紙袋をダイニングテーブルの上に置くと、テープを外して中から一個取り出す。
「「……」」
ヤスミンと桜子は俯き加減であった。
「あれぇ? どうかしたの?」
千景はあわびステーキを美味しそうにもぐもぐ頬張りながら、きょとんとした表情で二人に問いかける。
「なっ、なんでもないよ」
「ワタシも、同じく」
ヤスミンも桜子も千景から目を逸らしながら答えた。
「なんか変だよ、二人とも」
千景は当然のように疑問を浮かべる。
「ただいまぁー。今日はね、近くの幼稚園の子達が来てて、茉莉乃と絵本の読み聞かせしてあげたよ。みんなすごく喜んでくれてた♪ あと帰る途中、たぬゑお婆ちゃんといっしょになっちゃった」
「ただいま」
タイミング良く、彩織とたぬゑさんも帰って来た。
「たぬゑお婆ちゃん、阪神サウスアイランド王国のチケットを福引で当てて来たんだって」
彩織は嬉しそうに三人に伝えた。
十年ほど前に出来た、巨大プールにショッピングモールまで揃ってある近隣の大型複合アミューズメント施設だ。
「二等賞だったよ。ほら」
「お婆ちゃん、すごぉい!」
「とっても楽しみです♪ 特にプールはわたしが故郷にいた頃に訪れたことがあるログナー・バード・ブルマウを思い出すので」
たぬゑさんがチケットをかざすと、ヤスミンの表情にも笑顔が浮かんだ。先ほどのあの件から意識を切り替えることが出来たようだ。
「高校生二枚、中学生四枚の計六枚あるよ。茉莉乃ちゃんや柚陽ちゃんも誘ってみんなで行って来な」
「ワタシも、ですか?」
「もちろんだよ。桜子ちゃん、今度の日曜日に行こうね♪」




