life 2〔ただの村人、神獣を見初める〕
月末月初という言葉がある。
簡潔にどういう事柄を指して言うのかというと、月の終わりと月の初め――だ。
※
「我は月の狼マーナガルムの子。名高い村人というのは、キサマのコトか……?」
ヤッベぇ、何これ。
洗濯しようと玄関の扉を開けたら、家の前にスッゲぇデカい犬が居たんですが。
思わず洗濯カゴを落としちゃったんですけど。
「……、――何故なにも答えぬ……?」
ェ、私の家よりデカくないか犬。
「えっと……、我は月の狼マーナガルムの子。名高い村人というのは」
「それはもう聞きました」
「……では、何故なにも言わぬ……?」
「――……正直驚きました」
途端にスンスンと鼻を動かす、巨大な獣。
「……、――……スマヌ」
超恥ずかしいんですけど。
…
とりあえず履き直し、じゃなくて仕切り直す。
場所は川の傍、要するに私は洗濯をしながらでの会話だ。
「先は悪かった」
まるで服従を示す様に頭を下げる、そのモフモフとした頭部に是非触りたい。
しかし我慢だ。
「……いいえ、お気になさらず。――で、用件は何ですか?」
さすがに神獣みたいな生き物が来た事はこれまでになかったので、ややビビり中です。
「あぁ、――我が父マーナガルムは言った。古来より我ら月の狼は人と寄り添う期間を経て神獣になると……」
「へェ――じゃぁアナタのお父さんも、そうしたのですか?」
「遠い昔に、神の巫女と呼ばれる者に従して世界を旅した。と聞いた」
……神の巫女。なんか二重表現に思えなくもないが。
「いいですね、世界を旅するって」
是非行ってみたいものだが。自分には無縁の事柄と、断言出来る。
「そうか。では我と共に、世界を見て回る旅に行かぬか?」
なぬ。――イヤ。
「……せっかくのお誘いですけれど、私には無理なので、お断りします……」
「どういうコトだ……?」
はぁ。――説明する前から、溜め息が出る。
「私、この村からは出れないんです。村人なので……」
本当クソ仕様です。
「神の縛りか……。ならば試してみよう」
ェ。――ぁ、ちょッ。
「行くぞ、人の子よ」
イヤ待て、ァ――。ちなみにもう成人しとるわーっ。
月光の様な発光色、そのモフりんラブな毛並みに乗せられて来たのは村の境界線。
ここは村の出入口たる正面玄関。と言っても、木製の柵が在るだけの曖昧な線引き点。
「――よし、着いたぞ」
頼んだ記憶は全く無いが、ヨイショとシルク滑りに地へと降り立ち一応の礼を口にする。
ちいとばかり吸った礼と思えば、悪くはない。が、だ。
「……で、何をするのですか?」
「ここから外へ出てみろ」
ェ。――いや、だから。
「出れませんよ……」
「何故だ?」
「見えない壁に阻まれます……、やって見せてもいいですが」
「ならばやって見せろ」
何て言うか、ずっと命令形なんだよなぁ。
まあ怖いから従いますけどね、っと。
――ふぎゅ。
久しぶりだったので鼻先が少し潰れた。
「ふむ……、境地の楔だな……」
さっきは神の縛りだとかって、言ってたような……?
「――領域を定めるのは村の内外で間違いないか?」
「そうですね……、村の外へ行こうとすると今みたいに私は進めなくなります」
「村を囲む形で存在する結界か、我には感じる事も出来ぬが……」
まあ村人じゃないので。人でも無いけど。
「村人の女、我がこの境界を破壊しソナタを解放した暁には、外界へと赴き広き世界に出立すると誓うか……?」
さっきは人の子って。――人称も変わってるし。
と細かい事を気にしても相手は人語話す、獣だしで納得スルーし。
「――……出来れば」
「フン、我を彷徨の時期と侮るな。この身は月の狼マーナガルムの」
いやアンタまだ成人しとらんのんかーい。
…
――という流れで、シュンと一蹴し空高く跳び上がった神話な獣が何処かに行った後、私は日課に戻る。
先ずは洗濯の続き、終えて郵便物を確認し、朝食。
今朝は先日の贈り物の中から貴族がこぞって好むと言われる最高級のリンゴジャムを使う。これまた巷で大人気の食パンの上に果肉ゴロゴロのジャムを塗り、角切りチーズに黒胡椒、あとはささっとトーストすれば私オリジナルのごきげんな時間が一杯のモーニング珈琲から始まるのだ。
――マジ最高だぜ。
すると家が、というかは地面が振動した……?
心当たりは――ある。
けど見に行く気は全くない。
どうせ結果は同じ事。
私がどれだけこの村と共に生きてきた事か、想像できておるまい。
そんな破壊なコトで出られるのなら、私はとうの昔に、こんな小さな村内からは出れていたんだよ……。
…
――結局その日の内に神獣もとい月狼が戻って来ることはなかった。
その代わりに昼夜問わず一定間隔で村全体が振動していた、所為で寝不足兼蹌踉とした足取りで玄関扉を開ける。と――。
「ッハ……スマヌ、我の力ではこの領域を縛る楔を破壊することは適わなかった……」
――家の前に肩で息をする状態の狼が居た。
「ちょっと待ってて」
…
まったく。あれからずっと、何をしていたのかは知らないが、月光色の毛が垂れ下がる程に全身は汗だく。他に仕方も分からないので桶に水を溜めて布を濡らし、何度も繰り返し獣の体表を拭う。
しかし本当にデケェ犬だな。
――リアル〇ァルコン。
あとスッゴい気持ちよさそうに見えるもんだから勢いでモフモフしたくなってきたぞ。
てなところで理性を保ちつつ作業は終了。ソレを察したのか、犬も緩やかに動き出す。
「村人の子よ、礼を言う」
その呼称だと若干意味も変わってきますがな。
「……――私の名前は、アヤネです」
「アヤネ、か。良い名だ」
「ワ――狼さんは……?」
「我が名は月の狼マーナガルムの子、モーンガータ」
モーンガ……。
「長いので、モンちゃんでイイですか?」
「モっモンちゃん……ッ、モンちゃんだと……!」
ヤァバな発言しちゃった……?
高ぶる感情が要因か、全身の体毛が逆立ちブルブルと震えている。
――焦る、と次の瞬間。
「……許そう。月狼の名に相応しいとは思わぬが、言わずと知れた者の授ける渾名であれば、容認せざるを得まい……」
私、ただの村人なんですが。
「――ァ、アヤネよ」
「はい? 何ですか」
ちょっと照れながら言ってる感じがチョベリホットよ。
「我は一度、産まれし地――月狼の里に戻る。そして楔を破壊する術を得、再びソナタを唆す為に参る。良いか?」
「特に問題はありませんけど……」
「分かった。それではまた会おう、アヤネ――」
おお……。
――遥か彼方へとひとっ跳び、瞬く間に巨大な狼の体が早朝の陽に照らされて輝く地平の向こうで景色にほのめく。
すると交代で。
「あの、ここは――何て村ですか……?」
「……――ここはラクサの村、です」
「そうですか! ありがとうございますっ、――では!」
ではじゃねぇ。
いい加減に村の看板をちゃんと見てから来いやあ。
ただの村人、神獣を見初める/了