19話「休日、魔界へ遊びに行きます その1」
「ご主人様、朝ですよー……」
ダコさんに布団の上から体を両手でゆすられて、私は目を覚ましました。
「……んぅ?」
まぶたを半開きにして見えたのは、私を見下ろすダコさんの姿でした。
いつものボサボサで寝癖がすごい髪ではなく、しっかり整えられたメイドらしいお姿です。
「あれ、珍しいですね……。何かあったのですか?」
私が聞くと、
「昨日、ツキナ様とご主人様からお叱りを受けて、そのあとさらにオウマ様にも咎められて、どっと疲れてしまいました。なので、反省している最中です……」
ダコさんは不満気にそう言いました。
まさか、私の知らないところで、さらに怒られていたとは……。
私も怒った内の一人ですし、全面的にダコさんが悪いとはいえ、少し同情してしまいます。
口調も直しているみたいですし、見直さなければなりませんね。
「そうなんですね。これからも、頑張って働いてください。応援してます!」
「ハイ。アリガトウゴザイマス。ちっ……」
「……」
本質的に人は変わらないみたいです。
そうですよね。あのダコさんですものね……。
「それじゃあ、食堂に向かいましょうか。今日は休みなんで、ゆっくりでいいですよー……」
「あ、はい……」
私は、疲れでぐったりとした体を、伸びをして起こします。
少し軽くなった体を、ベッドから降ろして立ち上がり、そのまま部屋の外へと出て歩き出しました。
目指すは食堂です。
(それにしても、筋肉痛がひどいですね……)
昨日は、初めてツキナ様による訓練の指導を受けました。訓練内容は、力の加減を覚えることです。
私は、魔蝕計画によって人間離れした力を手に入れたので、元がこんなのもあって、力の調整がうまくできません。
普通に魔法を使えば、傷害罪もしくは傷害致死罪に問われることになるでしょう。
なので、ツキナ様の厳しい指導を受けて、私はひたすら力の加減を練習しました。
その際、腕に力を込めたりと精神を研ぎ澄ませて体を酷使したので、この有様です。
今日が学校でなくて本当に良かったです。
ちなみに、訓練の結果のほうは、一日目というのもあって、まったく進展はありませんでした。
せめて、この二日間でうっかり殺してしまわないようになりたいです。
さて、そうこう考えているうちに、食堂にたどり着きました。
食堂には、いつも通りオウマ様や魔王軍幹部の方々が座っています。
いつも私がたどり着く頃にはいるので、皆さんとても朝が早いのですね。
定位置の椅子に座って、いただきますの合図で食事は始まります。
「いただきます」
朝食は、ご飯に鮭に味噌汁など、バランスの良い料理でした。
というか、いつもバランスの良い料理です。健康面に気を遣っているのでしょうか。
(美味しいです……)
食事を楽しんでいると、
「ねえ! アヤミちゃんは今日休みだったよね?」
元気な声で、ニオ様が話しかけてきました。
あまりに元気すぎて、今にもツノが動物の耳のようにパタパタと動きそうです。
当然、動きませんが。
「はい。何かご予定でもございますか?」
「いや、とくに無いんだけどね? もし良かったら、魔界の案内がしたいなーって思って」
「魔界……ですか……」
そういえば、ダコさんから聞いたくらいで、まだ詳しくは知らないですね。
一体どんなところなのでしょうか。イメージという名の偏見では、治安が悪くてろくに出歩けない雰囲気がしそうです。
もちろん、イメージや第一印象だけで物事を決めるのが良くないことだとは分かっているのですが、感情がどうしてもそれを拒んでしまいます。
(側にはニオ様がついていますし、そんなもしものことは早々起こらないのでしょうけど……)
私が思い悩んでいると、
「あ、嫌ならべつに構わないんだけどね。ただし、絶対に安全は保証するから! そこは安心して」
無理強いはしないと言ってくれました。
その上で、私が悩んでいた安全性についてもしっかりアピールしています。
ここまで私のことを考えてくれているのですから、やはり行くべきでしょうか。
せっかく異世界という新天地に来ているのに、こんなところで億劫になるのもおかしな話ですしね……。
「ふむ……。であれば、案内をお願いしてもよろしいでしょうか?」
「うん! ありがとう」
とんとん拍子で話が決まりました。今日の予定は、魔界の散歩と訓練です。
不安は残ります。しかしそれ以上に、まだ見たことのない世界を見たいという好奇心と、人間界と魔界を行き来できるという謎の特別感から、私はワクワクしていました。
どんな街並みで、どんな種族の方々がいるのでしょう。
せっかく、人生で二度と来れないであろう異世界に来たのですから、全力で楽しみましょう。
「あ、そうそう。アヤミちゃんの好きなうどん屋があるから、そこに食べに行こっか」
「うどん?!」
「何て食いつきの良さ……」
楽しみが増えました。魔界の散歩にうどん。
うどんという目的のためなら、どんな手段も厭いません。
初めからうどん屋の話を出してくれているなら、安全性がどうであれ即決していました。
ああ、最高です。食事をしながら、食事に思いを馳せています。
思考がぽっちゃりさんな気がしますが、そんなことは知りません。
うどんのためなら太れます。幸せ太りです。
(うどん……うどん……)
魔界風うどんはどのような味なのでしょうか。
私は心を躍らせて、うどんを啜るかのごとく、味噌汁を啜りました。
魔界へ出かけるのは、この一時間後のことです。
* * *
食事をした後。私は、歯磨きや洗顔など準備を整えていきました。
髪は、いつものバードテール(カントリースタイル)に結びます。
服に関しては、制服とパジャマしか無かったのですが、この数日間で用意されていたみたいで、クローゼットにたくさん服がかけられていました。
「色んな系統の服がありますね……」
地味なものもあれば、派手なものもあります。
私の性格上、あまり派手なものは着たくないので、今回は白の半袖Tシャツに、黒のキャミソールワンピースを着ることにしました。
もし、魔界風うどんがカレーうどんのように、服に飛び散るとまずいものだと困りますが、そのときは名誉の傷だと思うことにします。
つまり、諦めます。
肩にかけやすい丁度いいサイズの鞄には、水筒やハンカチ、タオルなどの最低限のものを詰めます。
財布などに関しては、そもそもお金を持っていませんし、人間界と魔界では通貨が違う可能性があるので、たとえ持っていても意味は無いでしょう。
準備が整ったら、扉の前で佇むダコさんにそのことを報告します。
「準備が終わりました。そろそろ、出ようと思います」
「そうですか。気を付けてくださいねー……」
ダコさんが扉を開いたので、私は外に出ます。
ちなみに、今回ダコさんはついてきません。ニオ様が案内役兼護衛役ということで、ついていく必要がないと彼女自身が判断したからです。
一応、
「ついてきてくれると安心するのですが……」
そう提案しましたが、
「嫌です」
一瞬で却下されました。どうやら、ダコさんは意味の無いことを極端に嫌うようです。
彼女の場合は意味のあることも嫌いますが……。
しばらく歩いて、玄関前に着きました。
玄関には、すでにニオ様が待っていて、
「おっ、かわいいね。それじゃあ行こうか!」
そう一言かけてくれました。
いよいよ出発です。
「お気おーつ……」
ダコさんの雑な見送りを受けて、私達は外へと出ました。
外に広がっていたのは、不気味な庭でした。
曇天模様で雰囲気は暗く、本来であれば鮮やかな新緑が、不気味で風に揺られています。
玄関から門までは50メートルほどあって、整備された石畳が一直線に伸びていました。
「……」
今回は、目的地が学校では無いため、ニホドリム国近くの森には転送されません。
なので、いつも扉の先に広がっているのはこの陰鬱な景色なのですが、まるでお化け屋敷にいるみたいで、少し怖いです。
「ニオ様……魔王領に晴れる日はこないのでしょうか?」
思ったことをそのまま聞くと、
「うーん……そうだね。もちろん、晴れる日もあるんだけど、私達を含め魔族が体から邪気を放っているから、自然とその影響で天気は曇ることが多いね」
「へえ……」
ニオ様からそう返ってきました。
この不穏な空気にも、しっかり理由があるそうです。まさか、そんな二酸化炭素の排出による地球温暖化〜、みたいな理由だとは思っていませんでしたが。
歩いていると、門までたどり着きました。
門の外には二人の門番が立っていて、
「街に出かけるから、開けてくれない?」
「はっ! 承知しました」
ニオ様の一言ですぐに動き、門を開けてくれました。
私とニオ様は門の外に出ます。
「──魔王城って、崖の上に立っていたんですね……」
門の外は、草木の生えない地面が、岩が続いていて、100メートルほど先で途切れています。
街というので、てっきりすぐに住宅街などが見えるのかと思いましたが、そんなことはありませんでした。
「うん。ちょっとだけ前まで行こうか」
私とニオ様は、崖の手前まで行きます。
崖から見えたのは、光り輝く街の姿でした。
「わあ……」
辺りが暗いためか、街全体に明かりが灯っていて、とても活気があります。
環境音とも言える住人の声が、微かに聞こえてきます。お祭りみたいです。
「この崖を、というより山を下ったら、魔界に着くようになってるんだ」
「魔王城が魔界から離れているのには、何か理由が?」
「先代魔王様の考えらしいよ。もっとも、なぜそうしたのかは誰にも分からないけどね」
「ほう……」
ずっとオウマ様が初代魔王様だと思っていましたが、先代の魔王様がいらっしゃったそうです。
世襲制なのでしょうか。ちょっと気になってきました。
またの機会に聞いてみることにしましょう。
それから私達は、魔界へ行くために山を下り始めました。




