第2章 2
結局何のために来たんだろう。嫌がらせに近い無視と悪口を言うため? 良い根性してるわ。
扉は開けっ放しだ。黒々と灯りのない空間が広がっている。
どうせ誰からも省みられていないのなら、同じこと。ここを出ない約束なんて誰ともしていないものね。
かちんかちんにこわばった足をそおっと動かす。思わず叫びたくなる痺れが脚いっぱいに広がった。自由が利く手でランプを握る。きっと必要になるだろう。しびれがある程度消えるのを待って(じっさい、かなり時間がかかった)、外の空間に裸足で踏み出した。足の裏はひんやりとしている。よかった、べちょっともざらっともしていない。
視界はすこぶる悪い。手元の灯りでも一寸かせいぜい三寸先までしか照らせない。今はまだ夜? すぐそばに誰かが隠れてそうで怖い。
声が聞こえる方向へ、文字通り闇雲に進んでいった。途中で、段差の大きい階段を降りた。なかなか声の主は近くならない。別の明かりだってどこにもない。あの人たち、こんな暗いところで何やってるんだろう?
不意に、さっきの声が耳に飛び込んできた。
「……はもうすぐ来るよ。大丈夫」
あいつだ。すぐ近くにいる。わたしはとっさに身をかがめ、ランプを脚の裏に隠した。居場所を知られるのがちょっと嫌だったの。
しゃくり上げる女の声が時々混ざる。
「うん、うん。そんなことには決してならないよ、安心して」
青年が優しく慰めている。
「君を危険な目には遭わせない、僕が約束する。ね?」
なんだか……むずがゆい空気を感じるわ。
ほんの出来心で、明かりを目の前にかざした。ぼんやりと見える二人分の影は……やっぱり! 妙齢の男女が抱き合ってる! うわわ、見ちゃった聞いちゃった。
慌てて明かりを引っ込めた。気づかれてないかしら? 相変わらず青年は甘い言葉をささやいている。女の人はだんだん落ち着いてきたみたい。
もう沢山。部屋に戻ろうとして、はたと気がついた。何で戻る必要があるの?
どうせ、もうどっちに行けばいいかも忘れちゃったし、周囲は真っ暗だし。どこに行ったって同じじゃない? 盗賊の根城だろうが魔法使いの手の中だろうが、まずいことになったら逃げればいいだけだわ。
来た方向とは反対に、わたしは歩き出した。だんだん二人の声が遠のいていく。完全に何も聞こえなくなった時、足は自然に止まった。
胸がきゅっと締まる。
この先、誰にも会えないかもしれない。闇雲に歩いてきたから、もう元いた部屋に帰ることはとうていできやしない。ランプの油が切れて真っ暗な中にたった一人で取り残されたら? ここが、もし……もし、明るい朝がきても分からない場所だったら?
頭がおかしくなってしまう。
助けてくれる人はいない。策だってない。それが途方もなく恐ろしいことだと今やっと気がついた。
それでも、呟いてみた。
「助けて」
返事はない。当たり前だ。誰が聞いてるというの?
「誰か!」
あらん限りの大声を出してみたけれど、空しく闇に吸い込まれてはい、おしまい。じわりと手の中に汗が滲んだ。
「誰も……いないの」
なんて馬鹿なことをしたんだろう。あのまま部屋を出なければよかった。そうしたら、あの青年が戻ってきてくれたかもしれないのに。たった一人の手がかりだったのに。でも、何もかも後の祭りだ。