第6章 12
「リート君を行かせてよかったの?」
「ハルアたちといる方がずっと安全だ」
「モリたちはどこにいるのかしら?」
「さあ。現実と夢の狭間にでも引っかかっているのかもしれない。ぜひとも会いに行ってやらないと」
「罠かも……ううん、絶対に罠だわ。あのアミールたちもいるかもしれないのよ」
「君がいれば上手くいく」
オグマは表情一つ変えずにそう言った。
ずるい、もう何も言えなくなる。その言葉の意味も考えないまま、わたしは再び歩き出したオグマについていった。
だけど、わたしは何も武器なんか持ってない。もしここでモリと出会っても__なんの戦いの準備も__
「ノール姉さん!」
あれ? 何か聞こえた?
「オグマさん? 誰か近くにいる?」
「いない」
さっきから景色は何も変わらない。わたしたちの他誰もいない。だけどさっき確かに、あの聞き覚えのある声が……。
「この空間にはいない。だが、より現実に近づいていけば……」
不意に、オグマがわたしの肩を抱いて引き寄せた。
「よく見ておいで。なかなか見られる光景じゃない」
だんだん周りの景色が透き通ってきた。代わりに見慣れた夜の畑や家の様子が現れ、幻想的な星の世界の名残に重なっていく。オルバだ。帰ってきたんだ。少しずつ姿を現す村は、見慣れない異郷のように思えた。
「動くな」
オグマが囁いた。動いちゃいない。誰かがそこに立っている。ランプを持った、ほっそりとした少女。下ろした長い髪が夜風に揺れた。
「__そこにいたのね。ノール姉さん」
モリは愛らしい笑顔を向けた。もう騙されない。
「ジャネスは?」
オグマが尋ねた。
「もうすぐ来るわよ」
それから、モリは怒りの表情を浮かべて近づいてきた。
「ひどくない? あんたが宵空をアミール・イラスに渡したせいで、困ったことになったわ。アミールは母さんとガイールに騙されたって激怒してる」
オグマは微笑んだ。
「それが何故俺のせいになる?」
「鳥の王国は、ガイールたちが宵空を持っているからってあたしたちと手を組んだのよ。それなのに別のところから宵空が出てきたら……」
ガイールという魔術師に少し同情した。なんたって伯父さんだ。
「安心するがいい。あの時の宵空は偽物だ。本物はガイールが持っているんだな?」
「あっ」
モリが一瞬固まった。しくじった! 顔がそう言っていた。
「それさえ分かればいいんだ」
オグマはわたしの肩を抱いたまま。
「君もさっさとああいう連中とは離れたほうがいい。それじゃあ」
「待って! あんたから「鳥の王国」に言って。あいつら相当頭にきてる」
モリは震えていた。さっきのリートのように。
「このままだとあたし、あいつらに殺される……」
「だったら逃げればいい」
「無理! あいつらの怖さを知らないんでしょ。逃げてもきっとどこまでも追いかけてくるわ。昔ベガ家の人たちを殺したのはあいつらなのよ」
「今行動を起こせば、しばらくは追ってこないかもしれない……宵空に夢中だからな。だから早く逃げ出した方がいいというんだ。あのジャネスだってろくなもんじゃない。どこの母親が、娘にこんな汚れ仕事をさせる? 本当に君の未来や幸せを考えているといえるのか? リートに忌まわしい魔法をかけ監禁したのはは本当に心からやりたかったことなのか? 縁を切れ。必要なら俺が逃げるのに手を貸してやる」
モリはしばらく黙っていたけれど、じわりじわりと目が赤くなっていく。ようやく次に出した声には涙の塊が混ざっていた。
「本当に? 本当に守ってくれる?」
「君がそう望むのなら。__それと、リートに謝るなら」
モリが口を開きかけた、その瞬間に別の誰かが隣に出現した。
横を向いてモリが小さくつぶやいた。
「__母さん」
「待たせたね、モリや。オグマを追い詰めたのかい?」
ちっとも追い詰めてない。だけどモリは曖昧にうなずくだけだった。
「こんばんは、ジャネス。「鳥の王国」とは仲良くやっているのか?」
「あんたこそ、坊やを抱っこしていなくていいのかい?」
ジャネスはオグマをせせら笑う。どこからその余裕が出てくるんだろう。オグマが怒っているのは火を見るより明らかなのに。
「あの坊や、ちょっと松明を顔に近づけてやっただけで、子うさぎみたいにぴくぴくしていておかしいったらなかった! あんたの目の前で見せてやりたかったよ」
「それには及ばない」
素っ気ない返し。
「ねえ、魔物の洞窟に逃げたって本当かい? あそこでなら、いくらでもリートの代わりを手に入れられるだろうね!」
「くだらないじょうだんをいっているひまがあればじぶんをしんぱいしたらどうだ」
オグマは一言一言をゆっくり区切って言った。モリが身を縮める。
「自分の心配? 必要ないね。「鳥の王国」もガイールもあたしらの強力な後ろ盾だもの!」
わたしはその時、オグマがさっきの話をもう一度するのだと思った。だけど彼は、顔をしかめてこう言っただけだった。
「そうかい、じゃあせいぜい仲良くするんだな」
思わずわたしはオグマに耳打ちした。
「教えてあげなくていいの?」
「娘には伝えた。それで十分だろ」
「でも……」
見ている間だけでも、ジャネスはモリを鋭く小さな声でなじっている。モリは黙ってうなだれているだけだ。とても娘の言うことを聞くような母親には思えなかった。
「娘の言うことを聞かない女は俺の言うことも聞かない」
そしてオグマは声を張り上げる。
「さあ、邪魔だ邪魔だ。どこにでも失せろ」
「おっと、そうはいかないね。あたしらの狙いは……」
「この子か?」
のどにひんやりとした感触が走る。わたしは目だけを動かした。どうして?
オグマがわたしに短剣を突きつけていた。切っ先が当たっている。痛くはないけど、もし動いたら。
「何の真似?」
最初に言葉を発したのはジャネスだった。オグマが答える。
「近づいたらこの子を殺す」
「お前にそんなこと、出来るはずがない!」
「出来ないことなど何もない」
だけど、オグマがわたしを捕まえる手は優しい。力を抜いた。わたしはオグマさんを信じてる。
「ガイールにもイラスにも伝えろ。決着がつく時まで、この子は俺の手の中にある」
ジャネスは顔を歪めた。そして、それ以上何も言わずに走って逃げてしまった。モリはちらりとこっちに視線をよこした後、母親を追いかけていった。




