第6章 9
ハルアが舌打ちした。
「持ち場に戻れよ、脱走者」
「今は休憩時間だぜ。オレが勝手に決めただけだけど。お客さんがいるんだろ?」
黒と灰色の入り交じった短い髪の魔物は、わたしに向かって笑いかけた。
「よう、お嬢さん。また会えて嬉しいよ」
やっと思い出した。「犬のクレー?」
クレーはわおうと吠えて見せた。
「あの時はあんたのおかげで逃げ出せた。感謝してるぜ」
「あなた、魔物……だったのね」
オグマが怪訝そうにクレーとわたしを見比べている。
「昨日、暗闇の中から助け出してくれたのよ。犬の姿だったけど!」
クレーがにやりと笑い、尻尾をぶんぶん振った。
「犬の格好でも、男前だっただろ?」
もう、何も驚かない。
「でもあんな所で何をしていたの?」
クレーがちらりとハルアを見てから小声で答えた。
「ちょっと、出稼ぎにな。ほら、いろんな経験が魔法に生かされるって言うだろう?」
「それは人間の魔術師の話だ」
「いやね、魔物の側にも言えると思うんだよな。そもそも人間のために魔法を作ってんだから、人間の社会の勉強に行って何が悪い」
ハルアが咳払いした。
「で? いくら貰った?」
「それがさあ、銀貨一枚なんだよ! 全く人間どもは。ハルアよりケチだ」
「自業自得だ。地中で真面目に働け」
ハルアの方が立場が上みたい。
「大体の事情はクレーから聞いていた。出稼ぎの内容は頑なに白状しないけど、君が助け出してくれたんだってね」
「ううん、助けてもらったのはこっちだわ」
ところで、さっきから話題に上がっていた「クレー」はやっぱりこの人なのかしら。
ハルアは鼻を鳴らす。
「こいつはほんとにいい加減な奴でね。すぐ作業をさぼっては遊びに出かけちまう。変身が上手いからなお厄介で」
「遊びじゃない! 敵情視察さ」
「どこに敵がいるんだ。この間三日も泊まり込んでいたのは水売りの可愛いこちゃんの家だったじゃないか。魔術師でも占い師でもない」
「あれはな、金儲けの口を探してたんだよ」
「へえ? どんな?」
「いくらでも汲み放題の地下水があるだろ。あれを銅貨十枚以上で人間に売るんだ。儲かること間違いないぜ」
「井戸で溺れちまえ」
ハルアは口調こそ厳しいけれど、クレーにつられてにやにや笑ってしまっていた。
「一緒にいてもいいだろ?」
「その後で真面目に働くならね」
「そりゃもう、人間様のために誠心誠意尽くさせていただきますとも」
クレーはわたしに向かって優雅にお辞儀してみせた。
広い洞穴の中には更にいくつもの丸い穴が開いており、それぞれに魔物が二、三人ずつ集まっていた。色鮮やかな火を焚いている所もあれば、湧き出す泉に石を大量に浸している魔物もいる。一番風変わりなのは、何と言っても銀色の大きな網を広げてぱちぱち弾ける光の群れを捕まえようとしている魔物たちだ。あれは何をしてるんだろう?
わたしの視線の先に気がついたクレーが、側に寄ってきて囁いた。
「魔法を宝石に変えるにはまず、世界中のありとあらゆる美しいものを持って帰るんだ。例えば金木犀の香りや、夏の夕風とか、朝の太陽に照らされる前の草の露とかさ。それらはこの地下に来るとあんな風に逃げ回る光に変身する。そしたら絹糸を何重にもよった網で捕まえて光を留めたまま宝石にするんだ」
一つの部屋をそっとのぞくと、耳の大きな魔物がふわふわ動く光を金槌で叩いていた。
ハルアが説明してくれる。
「出来上がった宝石は、そのままだと魔力が強すぎる。だから澄んだ湧き水で冷やさないといけない。この過程を終えてやっと人間に売ることができる」
クレーが宝石を一つ見せてくれた。エメラルドだ。清らかな水に濡れて美しい光を放っていた。
「いいなあ。こんなきれいな物を毎日作っているの」
「羨ましい?」
正直にうなずく。
「確かに、宝石の形に仕上げていくのは楽しいよ。でも、人間にとって貴重な物を扱ってるだろ。その分厄介なもめ事が起きやすいんだよな」
「そうそう、屑石をごっそり盗まれたりな」
「あれはクレーが犯人じゃなかった?」
「濡れ衣だ」
わたしは言い合う二人に口を挟んだ。
「宵空を作ったのも、ひょっとしてあなたたち……?」
すると、ハルアとクレーの顔がさっと陰った。
「ああ。「宵空」と名づけたのも僕たちだ。赤い輝きは、日没前の西の空にそっくりだから。あれは良くも悪くも今までの中で一番魔力が強かった」
話ながらも案内されたのは、魔物が一人だけ退屈そうに座り込んでいる部屋だ。がらんとして、作りかけの宝石や魔法の火なんかも見当たらない。だけど壁いっぱいに奇怪な線画が走っている。促されるままに地べたに腰を下ろした。オグマはそこにいた魔物と内緒話を始めた。ハルアはそれを無視し、わたしに教えてくれた。
「宵空はね、願いの叶う石を作ろうと思って、人間の切なる願望ばかりを集めて固めてみたんだ。あの頃はほんのちょっぴり魔力を残した宝石を作るのが流行っていたからね。僕らだって誰かの役に立つ物を地上に届けたかった。実際、宵空より前に完成したいくつかの宝石は病を癒やす力や心地よい夢を見せる力があった。だけど、宵空の場合は魔力の制御に失敗した……。異様に魔力が強く、そして強い自我を残した……まるで女王様のような宝石が誕生した」
わがままで、気性が荒く、及ぼす被害は壊滅的。気まぐれで強欲、無邪気でそれでいて原則に忠実。ハルアとクレーは「宵空」という宝石のことをそう語った。まるで生きた女の子の話のように。
「しかも清水で魔力を落とす前に馬鹿な奴が盗み出してしまった。そして案の定、地上で荒ぶっている」
おそるおそる聞いてみる。
「持ち主に呪いをかけたのは、あなたたち魔物?」
「まさか!」
クレーが大声で言い返す。「そんな風に吹聴されていたのは知ってるぜ。だがオレたちは人間に呪いをかけたりしない。宵空の恐ろしさを知らないお馬鹿さんが不用心にいじくり回したせいで、不幸が降ってきただけだ」
「あの言い伝えは本当なの? __死んだ人をよみがえらせるって」
魔物の二人はうなずいた。「僕はこの目で確かめさせてもらった」
「オレは話を聞いた。自分の娘を生贄に捧げた男から」
その時、不思議な感覚を覚えた。目の前のハルアとクレーは、見た目はわたしよりも小さな子どもに見える。こうしてしゃべっていてもオグマよりも早く打ち解けられた。だけどそれはわたしの思い違いで、二人は確実に百年も二百年も生きているんだ。そしてきっと、わたしが死んだ後も同じような顔をして宝石を作り続けるんだ。(その頃には、宵空の件は落着してるかしら?)
かなわない、と思った。勝てない。能力も経験も何もかもが違う。絶対に敵に回しちゃいけない人たちだ。だけど今こうして出会うことが出来たのは幸運なんだとも思う。
「オグマ。君は宵空を僕らに返すと約束したね。手に入れるめどはたっているのかい?」
「漠然とだが、見当はついている」
「オグマさん……ほんとに?」
「何故疑う!」
むっとされた。「ごめんなさい。だけど、また偽物を用意するのかと思って」
「大地の子相手にそんなまやかしがきくか」
オグマは壁の線に目を向けた。
「宵空は行方不明と言われているが、おそらく、ある魔術師が持っている」
「どうしてそう言える?」
「地図を見張っている大地の子から教えてもらった。十四年前に、最後に宵空が目撃された場所での魔術師の動きを。近年ではずっと同じ人間がそことアマンドラを行き来している」
ハルアが顔をしかめた。
「話が見えないんだけど?」
「順を追って話そうか。十四年前、俺はアマンドラでベガ家の当主ラバンと共に宵空を守っていた。だが、ある男の奇襲にあって宵空を奪われ、取り返すために男の隠れ家に潜入した。それがここだ」
オグマが線画の一点を指さした。つられて凝視したけど、よく分からない。
「これ、何の絵なの?」
「ああ、これこそがアマンドラ・ルートさ」
ハルアは幼い顔をほころばせて語る。
「その道のりを行く者はとかげよりも密やかで、鷹よりも速い__いわば魔法の通路さ。渋滞を防ぐために魔物と魔術師だけが使えるようにしてある上、通っている間は姿が透明になる。通行料はとらないし、少しの間なら隠れ家としても使えるんだ。速く移動するための翼もヒレもない我々大地の子が開発したのさ」
「ここの地図はアマンドラ周辺の通路を網羅している。それに、通路を誰が通ったか目で確かめることができる。今アマンドラに走る通路は、あの「鳥の王国」どもに見張られているようだ。各駅にずっと同じ印がとどまっている」
わたしたちの会話に口を挟まず壁の地図を見つめていた魔物が、振り返ってうなずく。
「この人はもう何十年も地図の見張りをしているのだそうだ。ここ十年余りの魔術師の動きを教えてくれた」
ってことは……誰がどこを通ったか、全部覚えてるの!?
「気が遠くなりそう……」
「そうでもないよ」
魔物が呟いた。
「大事なことは紙に書き取っているし、この仕事のおかげで他のことはしなくていい。僕には合ってる」
「オレには絶対無理だな」
そう言ったクレーを、その魔物が鼻で笑う。
「クレーはそうだろうな」
「なんだって?」
「はいはい、やめやめ。ともかく、君も知ったからにはよく覚えておくといいよ。正しい通り方さえ守れば誰だって通れるからね」
地図を睨んでいるうちに、記憶に引っかかるものがあった。
「その地図って、紙に書いてたりもする?」
「ああ。動きはしないが、地図の写しは大抵の魔術師が持ってる」
じゃあ、あの文字のない地図は。宝石の在処なんかじゃなかったんだ。何だかちょっとがっかり。




