第3話 専属メイド宣言
夏休み明け最初のチャイムは鳴り止んでいる。
そのため、廊下には生徒の姿も先生の姿も見当たらない。
大理石なのかなんなのかよくわからない造りの廊下を、上履きという名の赤色便所スリッパで歩く。一応、学年別で色分けされており、2年は赤色と定められている。1つ上は青色、1つ下は緑色なのだが、何色になってもこの上履きは便所スリッパと呼ぶに相応しいだろう。
そんなスリッパなのに、どうして生徒会長の大平有希が履くとどこぞのハイブランドに見えるのだろうか。こいつは物を美しくする特殊能力でも備わっているのだろうか。自分と同じ上履きとは思えない彼女のスリッパを見ながら素直に連行される。
長い銀髪が靡くごとに甘い香りが漂い、ミツバチのように彼女の甘い蜜に惹かれてやって来たのは生徒会室であった。
3階にある我が教室から4階に一室にある生徒会室までは歩いて数秒。ここには特別教室が並ぶので、夏休み明けのこの時間にいる生徒や先生は3階と同じでいない。というか、この時間からこんなところにいるのは怪しい。むしろ、俺と大平がいるのは、第三者から見れば不審な行動と捉えられるかもしれない。
そんなことは到底思ってもいないのか、大平は慣れた手つきでポケットから鍵を取り出すと、生徒会室のドアを開けた。
ガラガラと建付けの悪そうな音を出しながら生徒会室のドアが全開になる。
ここへ来るのは初めてだ。俺は生徒会の役員でもなければ立候補すらしたこともない一般生徒。そんな奴が生徒会室に用事なんて皆無だろうし、俺みたいな生徒は多いはずだ。中々のレア体験をしていると思いながら、「入ってください」とめちゃくちゃ丁寧な看守みたいな彼女の指示に従い生徒会室へと足を踏み入れる。
中学生の時に、友達が生徒会に入っていたため、その応援演説を経験したことがあり、中学の生徒会室というのには入ったことがある。その時は雑に長椅子が置かれていただけだったが、高校の生徒会室はちょっとだけ様子が違った。
応接室みたいに、ソファーが2つ向き合ってあり、その中央にはセンターテーブルがある。
その隣には、デスクが3つ三角形に向かい合っている。その向こうに1人用にしては大きなデスク。そこに社長でも座っているのかと思わせる高級そうな椅子がある。
3つのデスクは副生徒会長。書記。会計。そして大きなデスクは生徒会長と簡単に予想できる。
生徒会長のデスクであろう上には、山積みの紙の資料が綺麗に置かれているのだが、何枚か風で飛んだみたいで、数枚床に落ちているのが見えた。
カチャリ。
ふと後ろから鍵のかかる音が聞こえてくる。
おいおい。どうして鍵なんてかけるんだよ。
そんな質問を投げる前に、ゴクリと生唾を飲んでしまう。
質問するよりも自分の身にこれからなにが起こるかの心配をしてしまっている。
俺はこれからどうなってしまうのだろうか。
クラスメイトで生徒会長、別名、妖精女王の大平有希とはあまり会話をしたことはない。彼女は常に忙しそうにしているし、容姿の圧倒的格差により声をかけるのも躊躇ってしまう。美人と仲良くしたくないと言えばウソになるが、別に無理してまで仲良くする必要性は感じない。彼女からしても、俺はただの一般生徒であり同じ趣味や志を持った人間だとは認識していないだろうから喋りかけてくることはなかった。
そんな彼女が夏休み明けの一発目に声をかけてくるということは、確実に夏休みのメイド服でのビラ配りの件だろう。
我が校では、特別な理由を除きアルバイトは禁止だ。特別に許可されたとしても過激なアルバイトはだめである。
メイド喫茶のアルバイトが過激なのかどうかは人それぞれの意見があるだろうが、学校側からすれば過激と判断されるだろう。
バレたらアルバイトはやめさせられるだろうし、停学は確実になるだろう。
それでもバイトをしているのであればなにかのっぴきならない事情があるのだろうが、彼女の事情にそこまで興味はない。
ただ、俺は彼女がメイド服でバイトをしているということを知ってしまった。
口封じ。
それが今から彼女の取る行動に間違いはないだろう。
「守神くん……」
ゆっくり、ゆっくりと歩み寄ってくる。かと思ったら、そのまま俺の横を通り過ぎて、デスク近くに落ちている書類を拾い上げると、山積みの書類の上に置いた。
「は、はい……」
夏休みを終えたと言っても、太陽はまだまだサンサンと降り注いでいる。窓越しの太陽を浴びながら大平はゆっくりと振り返ってくる。
怖い。一体、今からなにが行われるのか。
相手は人気の生徒会長。敵なしの彼女に脅されでもしたら、断るのは不可能に近いだろう。
「お願いします!」
勢いよく放たれた言葉と同時に、勢いよく彼女は頭を下げた。
「どうか! メイド喫茶のバイトのことは内密にしてください!」
最敬礼で言われる彼女からのお願いに、「へ……」と呆気に取られて固まってしまう。
やたらと下からものを申してくるもんだから、頭が物事を理解するのに少しだけ時間がかかった。
彼女は生徒にも先生にも人気の生徒会長。
『前見たことを誰かに喋った場合、あなたを消します』くらいのセリフが飛んでくるのを覚悟していたのだが、杞憂に終わったみたいだ。
「メイド喫茶のバイトをやめるわけにはいきません。どうか、どうか内密にお願いします」
「ええっと……」
改めてのお願いに戸惑いの態度しか示すことができない。
しかしだ。
夏休み明けの一発目に別室でお願いをしているんだ。そもそも忘れていたくらいだし答えは決まっていた。
「ああ。誰にも言うつもりはない」
誰だって秘め事くらいはある。それがバレたら辛いだろうし、バレたら誰かにバラされると心配になるのもわかる。
彼女はこの数日間、俺が誰かに言っていないのか心配になっていたことだろう。その気持ちを汲んで優しく、丁寧に、簡潔に言ってあげた、つもりだった。
「安心してくれよ」
優しさをマシマシして言った一言だったが。
「──ません……」
「ん?」
「信用できません!」
次の瞬間、顔面を息の当たる距離まで詰められて、上目遣いで見てくる。その瞳には不安という感情が浮かんで見えた。
「そうやって甘い声で安心させたところでバラすつもりですよね!? そうなんですよね!?」
「いや、ちょ、ちかっ!」
あああぁぁぁ。良い匂いしゅりゅぅぅ。女の子特有の匂いがしゅりゅうぅぅ。
独特の甘い匂いと、生徒会室の冷房のついていない蒸した空気が相まって、頭がボーっとなってしまう。
「なんですか!? なにが要求ですか!? 言ってください! さぁ、さぁ、さぁ!」
「まてまてまて」
どうどうどうと、暴れ馬を落ち着かせるように彼女へ言ってやると、ハッとした彼女が俺と間合いをとる。
「す、すみません。つい取り乱してしまいまして」
「いえ……。ご馳走様です」
あの匂いだけでご飯3杯はいけるな。彼女の匂いを加湿器にいれて部屋に充満させたいって言ったら、殺されるだろうな。
「とりあえずだ。俺はあんたがメイド喫茶でビラ配りしてたことは誰にも言うつもりはないし、言ったところでなにのメリットもない」
「わかりません。そのことで私を強請る可能性もあります」
「そんな悪質なことするかよ」
「守神くんは、男の人は信用できません」
「どないせぇっちゅうねん」
不利、有利ってわけではないが、客観的にみてこちらの方が有利のはずなのに、どうして俺が押されている感じになっているんだよ。
こちらが困っていると、なにか閃いたのか大平が手に胸を置いて言い放つ。
「なんでも言う事を聞きます」
エロ漫画でありそうなセリフをいとも簡単に言ってきやがった。
え? 今、なんでもって言った? 言ったよね? それって、大平の汗をもらって加湿器で充満させても良いってこと?
「なんでもって言われてもな」
しかしそこは童貞高校生。変態的思考を具現化することはできずに、模範的なモブみたいな回答をしてしまい、エロ展開へ繋げれる道を自らシャットダウンさせてしまった。
俺のばか。二度とないチャンスを無駄にしやがった。
「そうしないと納得できません! 等価交換です! なんでも言うこと聞く代わりに、メイド喫茶のバイトのことは秘密にしてください」
「さっきから言ってるけど、誰にも言わないっての」
「だめです! 絶対です! 生徒会長命令です!」
職権乱用の使い方下手すぎる。
しかし参ったな。冷静ではないにしろ、この生徒会長様は頷かないと納得できないだろう。この場合、俺の性癖を全面に押し出しても良いかもしれないが、それこそこちらの秘密は明らかになり学校にいずらくなるやもしれない。それは避けたいところだ。
どうしたものか……。
手を顎にもっていき、軽く考えてみる。
なんでも……。メイド喫茶のバイト……。
そこで安直なことを思いついてしまった。
「なら、俺の専属メイドになってくれよ」
こちらの要望に時が止まった。
なんでもって言ってくるから簡単に思いつた欲望を適当に言語化したのが間違いであった。
俺はなにを言っているのだ。
「なんちゃって……」
しかし、1度発した言葉というのは引っ込むことができない。すでに俺のセリフは大平の脳内に刻まれてしまい、消すことは不可能。消しゴム機能のない俺の発言に引いているように見えるのは気のせいではないだろう。
「わかりました」
「あへ?」
いま……わかりました、って言った?
「私は今日から守神くん専属メイドになります」
彼女は自分の胸に手を置いて、凛とした表情でかっこよく言い放つ。
まるで忠誠を誓う騎士のような雰囲気。
「これで交渉成立ですね」
「ガチ?」
「ガチ中のガチです。これでもし、守神くんが約束を破ったら……」
「破ったら……」
「ピリオドって意味、知ってますよね?」
終わり。つまり、俺の人生を終わらす気だわこの人。
「では、これからよろしくお願いしますね。ご主人様♪」
専属メイドになった生徒会長、別名、妖精女王の大平有希は可憐な笑顔で俺へ言ってくれる。しかし、その目が笑ってないのは誰の目にも明白であった。