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聖女の奇跡

「こちらはオルケイア国から、君の身元引受人として来てくれた方々だ」


 後ろからアズバル様の声がした。目の前まで来た50代くらいの男性が口火を切る。


「初めまして、エリン殿。私は、オルケイア国、第一騎士団長のダスガン・フレインと申します。後ろの者は、同騎士団のガイエス・ラジェッドとキラハ・ミールです。ウイスタル国からの要請により、我がオルケイア国は、貴方を受け入れる判断をしました。しかし、無条件でと言う訳には参りません。暫くの間は監視下に入っていただき、問題がないと判断されて初めて自由の身となれるとお考え下さい」


 短く刈り上げた黒髪に、余裕を伺わせる黒い瞳を細めてダスガン様は私を見た。 


「お手を煩わせ申し訳ございません。貴国では、貴国の法に則って生きていく所存でございます」


 右足を後ろに引き礼をして見せたが、した後に気が付いた。海外の要人と挨拶をする為の、貴族の礼の仕方だった事に。しかし、ダスガン様達は何の違和感もなく、胸に手を当てて礼を返して下さった。


「右手をお貸しいただけますか?」


 ダスガン様が左手をこちらに出したので、その上に私の右手を乗せた。すると、私の右手の甲に小さな魔法紙を被せ呪文を唱える。何が起きるのかと見ていると、手の甲に痛みもなく赤い〇が描かれ、紙は消えた。


「これは、我が国での罪人である証です。市民に対しての注意喚起での印でもある為、どこへ行っても、手の甲にこの印がある者は警戒されます。勿論、手袋を嵌めて隠すことは禁じられてはおりません。しかし、これを付けている限り、貴方がどこへ行かれても、我々には筒抜けだと思っていただいて結構です。」


 私は、そっと右手の赤い印を撫でてみるが、手に違和感は無かった。


「手続きが済み次第、私達は貴方を伴い帰国する予定です。船を使って、2日半程の旅となります。ご用意は出来ていますか?」

「はい。私は持っていくものは何もありませんのでいつでも大丈夫です」


 私が頷くと、ダスガン様はアズバル様へと視線を移した。


「一番早い便は、今から3時間後です。こちらの書類は事前にお渡ししていましたが、手続き書類は出来ていますか?」

「はい、こちらに」


 アズバル様は、別に置いてあった縦長の筒を取ると、ダスガン様に手渡した。


「本気で君はこの国を出ていくつもりなのか?後悔は無いのか!?二度と戻れないんだぞ!」


 静かに成り行きを見守っていると、ガーウィン王子が近づいて来て私を見下ろした。


「・・・後悔・・」


 ガーウィン王子の言葉を復唱しながら、ふと私は思い、聖女ルメリアに視線を向けた。すると聖女ルメリアは、物凄い憎悪の籠った瞳で私を睨んでいた。


「後悔と呼べるものではないのですが、ただ、最後に一つだけ聖女ルメリア様にお願いがあります」

「私?」


 皆の視線が自分に向いたのに気が付いた聖女ルメリアは、今更乍らに自愛の笑顔を作った。


「旅出つ貴方に祝福でも与えたらいいのかしら?」

「聞いていただけますか?」

「そうね、じゃあ、さっき言ってた3時間後の便で出国すると約束するならいいわよ」


 聖女ルメリアは満面の笑顔で言った。


「それは駄目だ!もう少し、エリンシアが物事をまともに考えられるようになる時間が必要だ!」

「まともに考えた結果です。変わる事はございません」


 ガーウィン王子に一瞥をくれると、私は聖女ルメリアに跪いた。一瞬、聖女ルメリアは驚いた表情をしたが、すぐに頬は紅潮し瞳を爛々(らんらん)と輝かせ、自身の勝利を確信していた。


「何をして欲しいのかしら?」


 私は、ゆっくりと立ち上がり左頬全体に付けていたガーゼを剥した。


「ひっ!」


 聖女ルメリアが悲鳴を上げ後ずさる。周りの人達も私の顔を見て青褪め、目を逸らす者すらいた。

 兄から受けた風魔法は、鋭い刃となり、私の眉の上から左目を通り、左頬全体を切っていた。その為、切られた後をジグザグに縫合された歪な傷跡と、左の眼球を失った私の眼はぽっかりと口を開けている状態だった。


「これから異国で生活するに当たり、ずっとガーゼを付けている事は出来ません」


 私が一歩、聖女ルメリアに近づくと、顔を(しか)めた聖女ルメリアは一歩下がった。


「無くなった眼球なんて、いくら私でも再生なんて出来ないわよ!」

「はい、それは望んではいません。この顔に斜めに走る傷跡を、少しでも小さく出来ないでしょうか?」

「傷跡?・・・でも、傷を受けて2週間以上経ってしまっているのよね?・・・無理・・・」


 難色を示す聖女ルメリアの横で、瞳をキラキラと輝かせたガーウィン王子が呟くように言った。


「聖女の奇跡を、私は見る事が出来るのか?」


 驚いてガーウィン王子を見た聖女ルメリアは、あまりに期待値の高い表情に焦っていた。


「出来る限りで良いのです。少しでも小さくなってくれたらと思っているだけですので」

「大丈夫だ!エリンシア!彼女は巷の聖女とは一線を画している。ルメリアなら君のその傷もたちまちのうちに治してしまうよ!」


 私とガーウィン王子の言葉に、酷く動揺した聖女ルメリアだったが、ここまで言われて引っ込みが付かなくなったようだった。


「ま・・・まあね。100年に1度現れるかどうかと言われた私だもの、出来ない事なんて無いわ!」


 彼女の動揺を見る限りでは、あまり期待出来そうにないと、内心ガッカリしたが、本当に少しでも傷の範囲が小さくなってくれれば、眼帯で生活出来るかも知れない。そう期待するしか無かった。


「そうだ!王宮内の神殿に、前聖女様が使われたと言われている杖が保管されていた筈だ、それを持って来てくれ!あれが有ればもっと凄い奇跡を見る事が出来るかも知れない!」


 ガーウィン王子の言葉に、騎士団長はアズバル様を見た。するとアズバル様が静かに頷き、それを見て取った騎士団長は、ガーウィン王子に恭しく礼をすると出て行った。

 その間も、ガーウィン王子が聖女ルメリアへの過大な期待を孕んだ話を続け、二人きりの世界を作っている。

 ふと兄を見ると、私の顔を見る事が出来ず俯いていた。父も全く私の方を見ていない。

 期待なんてしていなかったけど、少しくらい心配しているような素振りを見せてくれても良いのではないかしら?私は、家庭教師から、気持ちが無くてもそういう素振りをする様に教わったわ。


 しばらくして騎士団長が、司祭様を伴って戻って来た。司祭様の手の中には、直径10cm程のクリーム色の魔石が埋め込まれた聖木と言われているラジの枝で作られた杖があった。


「ガーウィン王子様、騎士団長より聖女ルメリア様がこれから起こす奇跡の為に、前聖女様の杖を借り受けたいと伺い、持参して参りました」

「うむ、大儀である。それをこちらへ!」


 満面の笑みで迎えるガーウィン王子に、司祭様は少し難色を示しているようだった。


「伺ったところ、エリンシア様の顔の傷を治すと伺ったのですが、私共の神官が治療にあたり、ここまでしか治療が出来ませんでした。これ以上の治療は難しいかと思われますが・・・」

「大丈夫だ!聖女ルメリアが行う奇跡を、お前も見ていけばよい」


 司祭様は、ガーウィン王子から聖女ルメリアに視線を向け、その後に私の顔を見て息を飲んだ。


「畏まりました」


 司祭様はそれ以上は何も言わず、杖をガーウィン王子に渡し騎士団長の隣に控えた。

 ガーウィン王子はそれを満面の笑みで聖女ルメリアに手渡した。流石に聖女ルメリアの顔には焦りが浮かんでいた。

 聖女ルメリアは、手渡された杖をじっとみると、困り顔で司祭様を見た。しかし、司祭様は何も答える気は無いらしく素知らぬ振りをしている。

 

 私に近づいてきた聖女ルメリアが、杖を右手に持ち替えたり左手に持ち替えたりを何度かした後に、左手に決めたらしく、左手に持った杖をトンと床に立て、嫌そうな顔で右手を私に(かざ)した。

 私も、神妙な面持ちで両膝を付き、両手を胸の前で組み、顔を聖女ルメリアに向け、右目を閉じた。


「出来る限りの治療はするわ。でも、あまり期待しないで頂戴!」


 小声で私にだけ聞こえる様に言うと聖女ルメリアは呪文を唱え始めた。皆の視線が私達に集中しているのが分かる。聖女ルメリアの呪文が偶につっかえている。その度に、聖女ルメリアの右手から放出される聖魔法が途切れた。

 緊張しているのは分かるけど、全然傷口を癒せるほどの力を感じない。

 そっと薄目を開けてみると、聖魔法が放出されているのは右手だけで、折角ガーウィン王子が杖を持って来させてくれたのに、その杖からの力は全く無かった。杖をどちらの手に持つか悩んでいたくらいだもの、杖の使い方を知らないのかもしれない。私も知らないけどね。


 しばらくそのまま受けていたが、何の変化も見られなかった。周りの人達もざわめき始める。

 聖女ルメリアの声に苛立ちが混じり始めた。だが、その為か聖魔法の量が増え、私の体の奥底の何かと触れ合い、融合し消えた。

 私は、その融合し消えた先を探し、聖魔法に似たその力。体内を巡回している幾つかの力の中から選り分け引き寄せる。

 つい先ほど鎖から放たれたばかりの力達は、私の中をゆっくりと流れていて、それがどのようなモノなのか分からず、そのまま放置していたが、その中の一つが融合したのだ。

 聖魔法に近い力なのかもしれない。


 もう一度、右目を閉じ、感覚だけを追う。見えた流れを追うのは簡単だったが、この力をどう使えばいいのかが全く分からなかった。すると、選り分けた力の流れが、私の体から溢れ出ると、聖女メルリアが持つ杖の魔石に引き寄せられるように、ゆっくりと流れ込んでいった。

 はじめは全く動きを見せなかった杖だったが、少しずつゆっくりと魔石の中でその力は練り上げられ白銀の光を放ち始めた。

 周りから「おお!」と言う声が聞こえてきた。

 聖女ルメリアの表情にも驚きが伺えたが、それも一瞬の事で、自分の力だと疑わない聖女ルメリアは、発する呪文の音量を、どんどんと力強く大きく唱えていった。

 

 ある一定度まで魔石の中で練り上げられた力が、聖木ラジの枝から私に向かって溢れ出てきた、その軌跡はキラキラとした金粉を伴い具現化し、周りにいる人々にも目視出来た。


「おお!!なんという事だ!!この様な現象は初めて見ました」


 司祭様の震える声が聞こえる。調子づいてきた聖女ルメリアの声は、更に高らかと鳴り響く。

 私はそれに合わせて、自分の左頬の治療が出来ないかと、流れ込んで来る魔力と体の内側にある魔力を絡める様に傷に合わせて這わせる。

 二つの力は似て非なる物に感じた。前聖女様の残留聖魔法なのだろうか?

 すると傷の端の方から温もりを感じた。それが何なのかは分からなかったが、痛みとは違う温かく優しく包み込むような、それでいて力強い力を感じる。

 どんどんとその力は傷口に沿って両端から這い上がり、瞳の近くで最大限の熱量と成る。

 苦しさは無く、何が起きているのか分からず不安だったが、前聖女様の聖魔法に求められるがままに、体内の魔力を集中させる。

 次々と魔力を魔石に吸い取られ、左目に感じていた熱量が薄らいで来る頃には、前聖女様の聖魔法の力を次第に感じなくなっていった。

 大量の魔力を吸い出され疲れ切った私は、一気に体から全ての力が抜けていく感じがして、そのまま床に崩れ落ちた。


「な・・・なんなんだこれは!!」

「凄い!!」

「神の力か!?」


 周りの人達の興奮した声が聞こえる。私は床に倒れたまま、ゆっくりと目を開けた。


「ああ、この様な奇跡に立ち会えるなど考えもしませんでした!!神よ!!感謝します」


 視界の端には、興奮した面持ちのガーウィン王子や司祭様達が、前聖女様の杖を持つ聖女ルメリアを取り囲んでいる。前聖女様の杖の魔石は未だに白銀の光を湛えていた。聖女ルメリアも頬を紅潮させ周りからの賛辞に満更でもない笑みを浮かべている。

 特にガーウィン王子は、聖女ルメリアを抱きしめて声高らかに言ったのだ。


「おお!貴方こそ私の唯一の人だ」


 大量の魔力を使い、疲れ切ってしまった私は、直ぐには立ち上がる事が出来ず、冷たい床の上に体を投げ出し、その姿をぼんやりと見ていた。聖女ルメリアを崇める父や兄の姿も見える。

 そっと手で左側の顔を触ると、傷跡も感じず、それどころか左目で手を見る事が出来た。


「治っ・・・た・・の?」

「その様ですね」


 私のすぐ側で声がした。


「目も・・・?」

「ええ、私が見えるならそうでしょうね」


 声の方へ視線を向けると、オルケイア国のダスガン様が片膝を付き、優しい笑顔で私を見下ろしていた。


 大変な治療だったと言うのに、まるで疲れを見せない聖女ルメリアに再び称賛の声が上がる。

 対して、皆の眼が冷たく私に降り注いだ。


「この様な奇跡を受けて、直ぐにお礼も言えないとは、全く嘆かわしい」

「しかもなんだその恰好は、床に寝転がるなどとは、淑女として恥ずかしくないのか?」


 矢継ぎ早に父と兄に罵倒され、私は必死に体を起こそうとした、すると直ぐにダスガン様が支えて下さる。


「ありがとうございます」


 私は、ダスガン様に支えられて立ち上がると、聖女ルメリアに向かって、カーテシーをする。


「聖女ルメリア様、私の為に()()()()を使って戴きありがとうございました。この感謝の気持ちを、私は一生涯忘れる事は無いでしょう」


 皆に持て囃され、すっかり上機嫌の聖女ルメリアは、私に杖を向けると言い放った。


「約束よ!さっさとこの国から出て行きなさい。そして二度と帰ってこないで頂戴!」


 私は恭しく礼をし、疲れ切った体に鞭打って振り返ると、オルケイア国の騎士達にも、同じく礼をした。

 すると、ダスガン様がアズバル様に向かって声をかける。


「では、3時間後の船で、出国したいと思いますがよろしいですか?」


 先ほどまで、必死に引き留めていたガーウィン王子が、隠しきれない興奮の中、にこやかに言った。


「ああ、そうしてくれ、永久にさようならだエリンシア」


 私は、もう一度振り返り、アズバル様やガーウィン王子、父や兄、そして聖女ルメリアをしっかりと見て、最後のカーテシーをする。


「はい、これにて今生のお別れでございます。皆様のご多幸を遠い異国の地でお祈り致します」


 私は、ダスガン様に連れられて広間を退出する。その間も、聖女ルメリアを称える皆の声が背後で途絶えることなく聞こえていた。




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