変わっていく日常 1
教会へ戻り、いつもの朝を迎えました。
朝の奉仕活動は、殆ど教壇を丁寧に掃除する事が主な仕事と成っていました。それ以外は、他のシスター達が掃除しています。いつか、その中に加わることが出来ると良いなと思いつつ、一人での作業は続いていました。
アキから朝食を受け取り、部屋へ戻ると久しぶりに青い小鳥がベットの上をちょこちょこと歩いています。
「まあ、お久しぶりですね」
私は、机の上にトレイを置くと、直ぐに青い小鳥用の餌入れを机の空ている所に配置しました。すると、餌入れ近くの机の端に飛んで来ます。私は、ちらりと鳥の餌に目をやりますが、多分食べる事はなさそうと思い、私のお皿からパンや葉物野菜を千切って餌入れへ幾つか入れました。果物もフォークで小さめに切って入れます。水入れには、水差しから水を注ぎ入れて、私も椅子に座り直しました。
「さあ、どうぞ召し上がれ」
いつも周りから面倒を見て貰いすぎている私ですが、この青い小鳥だけは、私が面倒を見ていると自負しています。
久々の為か、青い小鳥は少し机の上を行ったり来たりして、餌入れに少しづつしか近寄って来ません。
私は、素知らぬ振りをして、朝食をゆっくりとした動作で脅かさない様に食べ始めました。気が付かれない様にチラチラと青い小鳥を見ていると、やっと餌入れに近づき葉物野菜を啄み初めました。
食べ終わると、少し落ち着いたのか、餌入れを飛び越えてこちらへと近寄って来ました。私が、そっと手を伸ばすとと遠慮がちに近寄って来て、私の指に頭を擦り付けます。
小鳥ってこういう動作をするものだったかしら?と少し不思議には思いましたが、温もりを指先に感じて私は、思わずふふっと笑ってしまいました。
「可愛い。貴方と友達だって誰かに自慢したいのに、誰も居ない時にしか来てくれないのね。残念だわ」
私の方からも、指で数回頭を撫でてやると、突然すっと身を引き窓から飛び立ってしまいました。名残惜しく窓を見詰めていると、大扉の開く音がします。時計を見ると、仕事の時間には少し早い様です。どうしたのだろうと扉を見詰めると、ノックをして入って来たのはキハラ様でした。
「おはようございます。エリン様」
「おはようございます。キハラ様」
いつもよりも早い訪問に驚いていると、キハラ様は楽しそうに微笑んで、いつもの椅子に座られました。
「本日は、ドルガノ様より依頼があったとダスガン様より指示を受けまして、これからそちらへお連れする為に参りました」
「はい?」
「一日掛かるそうなので、きちんと司教様の許可も頂いていますから、ご安心下さい。あ、服も私服に着替えて頂きたいので、選びますね」
「はい」
早速、ドルガノ様からの要請が有ったのですね。いそいそとクローゼットを開けたキハラ様が、本日着て行く服を考えて下さっています。
「エリン様、服増えてますね」
「ええ、ガイエス様が邸宅用にと、幾つか服をご用意して下さっていて、ガイエス様のお屋敷から戻りますと、服が違ってしまいますの」
「・・・なるほど、では今日はこれにしましょう」
キハラ様が出して下さった服は、紺を基調とした少しシックな感じの服でした。着替えるのを手伝って頂きながら私は疑問を口にしました。
「どこへ行くのですか?」
「すみません!前もってお話が無かったので、何の準備も出来なかったですよね。ですが、きっとエリン様なら大丈夫です。気負わずに行きましょう」
・・・気負っているのはキハラ様の様です。意味が分からず首を傾げていると、私の髪に金と銀の紐を左右から絡めて編み込み、後ろで纏めると薄紫の花びらを模した髪留めを嵌めてくれました。
「やっぱり似合いますね!この間、街を歩いていたら、エリン様に似合いそうな髪留めが有ったのでセットで買い求めておいたんです」
「あ、ありがとうございます。あの、おいくらですか?」
「お気になさらず、市民が買う安価な髪留めです。私の自己満足ですから」
「ですが、今までも色々と頂いていて申し訳ないです」
「・・・そうですか?」
キハラ様は少し考えると、何かいい事が思いついたのか表情をした後、少し頬を赤らめながら言いました。
「それでは、私の結婚式に参列して頂けませんか?本当ならミール領へもご招待したいのですが、流石にミール領は遠すぎて出かける許可が下りません。王都で行う式だけでも、如何でしょうか?」
「その様な事でお礼に成るのでしょうか?いえ、それよりも私は犯罪者です・・・。祝い事に参加してもよろしいのでしょうか?」
「私は気にしません、と言うより気に成りません。それよりも私の門出に成る日を一緒に祝っていただけるだけで嬉しいです」
「ありがとうございます。お相手やご家族の皆様からもご了承頂けるのであれば、喜んで伺います」
「ありがとうございます!嬉しいです!」
本当に嬉しそうなキハラ様の姿にほっこりしながら、私達は部屋を出ました。
裏門には、騎士団の馬車が用意されており、アキの見送りを受けて乗り込むといつもとは違う方向へと走り出したのでした。
馬車の中は、キハラ様と二人です。徐にキハラ様が、ナップザックを開くと、少し眉を顰めつつ、幾つかの本を取り出しました。
「着くまでに少し時間が有ります。見ますか?」
私は何の事か分からず首を傾げて、キハラ様の手元を見ました。そこには、幾つかの教科書らしきものが見えます。
「今日は、多分国語と数学と歴史・・・我が国の歴史なのでエリン様には難しいかも知れませんね。けれど、中等部の知識で受けられる試験の筈なので、歴史だけ読まれると良いかもしれません」
「・・・私は何かの試験を受けるのですか?」
「そうみたいです。私もはっきりとは聞かされていないのですが、本日向かうところは、エイステット学園です。この国には幾つか学校が有りますが、その中でもこの学園は、貴族として生きていく為の最高の知識を習得したと認められるので、この国の上位貴族であれば、誰もが卒業したい学校です。勿論、能力が高く試験に受かれば下位貴族や平民も通えます。その後、知識を伸ばしたい者や武力を伸ばしたい者達は、学院の専門学科へと進学しますし、仕事に就く者、結婚する者色々です」
「そうなんですね」
ウイスタル国で、私も入学するはずだった学園が有った。そこと同じような処なのですね。
「私が推測するに、編入試験では無いかと思います。エリン様の年齢でしたら、本来は高等学部で勉強をしている歳ですから。エリン様ならきっと合格間違いないです!私もここの卒業生ですから、エリン様は私の後輩に成るかも知れませんね」
「そうなのですね」
にっこり笑って仰って下さったキハラ様に、私は少し戸惑いつつ微笑みました。
ウイスタル国では、既に家庭教師からファイラス学園の上級学部で習う勉強は終わらせていました。上級学部へ入ったら、王太子妃として、ウイスタル国の口外出来ないであろう内部についての勉強が始まる筈でしたので。それを知る前だったからこそ、国外追放が可能だったとも言えます。
とは言え、今更上級学部の勉強をする為に学園へ入学しても・・・。それならば、その時間を、薬師に成る為の勉強の時間に当てたいと思わずには居られませんでした。
けれども今の私は、まだ監視下に有るのです。皆様の仰られる事を真摯に受け止め、私に害意が無い事を証明しなければ成らないのでしょう。出来る限り頑張らなければと、私は自身を鼓舞し、キハラ様より渡された教科書をパラパラと捲ります。その間も馬車は静かに目的地へと進んで行ったのでした。
「到着したようです」
馬車が門を潜り、停留所へと止まりました。キハラ様は素早く教科書をナップザックへと戻し先に馬車を降りられます。後に続く私に手を貸して下さったので、難なく馬車を降りる事が出来ました。
「こちらです」
時間が早いのでしょう。生徒の姿が遠くにちらりほらりと見えます。こちらは職員の通用口だったようで、入り口で教師らしき男性が3名待っていらっしゃいました。
「お待たせしました。第一騎士団所属 キハラ・ミールです。こちらが、エリン様です」
「エリンと申します。よろしくお願い致します」
キハラ様が騎士の礼を取ったので、私はシスターの礼をしました。
「これはご丁寧にありがとうございます。私はアーガオーリと申します。私は監督をさせて頂きます。今回の試験官はこちらの二人です。右側からウエス・バルガリアとダッカです」
年配の男性が紹介をしてくれました。ウエス様とダッカ様は軽く会釈をして下さいました。
「では、こちらへどうぞ」
アーガオーリ様が歩き出すと、直ぐにキハラ様が私を促して続きます。その後をウエス様とダッカ様が、私達を挟むようにして移動を開始しました。
学校はどこも同じですね。長い廊下と階段の組み合わせです。入ってすぐの階段を2階分上がり、直ぐの教室へと通されました。
「こちらの席へどうぞ」
「はい」
ダッカ様が、机の上にペンとインク壺が置かれている席へと案内してくれました。キハラ様は入り口で立っていらっしゃいます。入った奥の窓際の席にアーガオーリ様が座り、教壇の前に立つウエス様に頷きました。
「では、これから試験を始めたいと思います」
「畏まりました」
久しぶりの試験です。このところ全く勉強をしていなかったので少し不安ですが、キハラ様より見せて頂いた歴史の教科書は、家庭教師から習ってた内容と合致していたので、何とかなるかも知れません。
ウエス様は教壇の中から出した用紙をダッカ様に渡すと、ダッカ様が私の元へお持ちに成り、裏にして机の上に置き、ウエス様の方へ戻られました。
「持ち時間は50分です。開始!」
ウエス様の言葉に、私は試験問題を表にしました。キハラ様の仰っていた通り、国語です。内容は中等部の問題なので簡単です。私は全て記入し終わると、2回見直しをしてペンを置きました。
「まだ30分程しか経っていませんがいいのですか?」
「はい」
ウエス様が問いかけて下さったので、私は頷きました。すると、ウエス様の指示でダッカ様が、解答用紙を回収し、次の問題を机の上に置いてくれました。回収した私の解答用紙は、アーガオーリ様へと渡されます。試験はキハラ様の仰るように3教科でした。
「いったん休憩とします。ただし、勝手に校内を歩かれては困りますので、ここで休憩を取って下さい。後ろにお茶の用意が有ります」
「畏まりました」
私がウエス様の言葉に頷くと、戸口付近に立っていたキハラ様が後ろへと向かいお茶を入れると私の所へ戻っていらっしゃいました。
「エリン様、お疲れ様です」
「ありがとうございます」
キハラ様はお盆の上にソーサーに乗せたティーカップとスプーンに、3つの小さな壺を私の机の上に置いて下さいました。
「これは、アフル、ブルルリー、蜂蜜です。お好きなジャムを入れてお飲みください」
「まぁ、ありがとうございます」
3つの壺を手で上品に示して説明をしてくれます。色が違い、細やかな細工の施された壺の口には少し凹みがあり、そこから小さなスプーンが差し込まれていました。けれども、ティーカップは1つしかありません。
「キハラ様もご一緒されませんか?」
「はい!是非」
私が言うと、嬉しそうにキハラ様は微笑み、頷きました。直ぐに後ろへ戻ると4つのティーカップにお茶を注ぐと、アーガオーリ様の元へ集まっている3名の為に、3つのティーカップをサーブし、残りの一つを持って私の元へと戻っていらっしゃいました。キハラ様はとても気の付く方です。
「エリン様はどれを入れますか?」
「そうですね、アフルのジャムはとても好きなのでこれにします」
「いい香りですよね。私は蜂蜜にしようと思います。なにから取られた蜂蜜なのかで味が少し違うんです。なので、出される蜂蜜は必ず試す事にしています」
「そうなのですね。面白いですわ」
私達がお茶に入れるジャム談義をしている側で、小さすぎて内容迄は聞こえないのですが、試験官さん達のひそひそ声が聞こえてきます。すると、ダッカ様が頷き、教室を出て行かれました。何か問題が有ったのだろうかと不安に成りましたが、直ぐにダッカ様が少し多めの用紙を持って戻っていらっしゃいました。
「そろそろ休憩を終わって次の試験を始めても宜しいでしょうか?」
ウエス様が教壇へ戻り、私達へと声を掛けて下さいました。すると直ぐにキハラ様が、私の机の上のお茶セットをお盆に乗せて後ろへと行かれます。
「はい。よろしくお願いいたします」
私が頭を下げると、先程と同じように試験が始まりました。それが終わると、お昼休憩ですと言われたのですが、この部屋から出る許可は下りず、用意された食事をキハラ様と取りました。その間、試験官さん達も先程と同じ場所で食事を取り乍ら、何かヒソヒソとお話をされています。
どう考えても私の事なので、気に成ってしまいます。食事が終わると、ウエス様が部屋を出て行き、また用紙を持って戻っていらっしゃいました。
「キハラ殿、少し良いだろうか?」
「はい」
キハラ様は、私に目配せをするとウエス様の方へ向かわれました。4人で少しヒソヒソとお話をされると、キハラ様は頷き、私の方へ戻って来ました。
「エリン様、この後も試験が続くのですが、思ったよりも遅くなりそうです。終わったら街で夜ご飯を食べてから教会へ帰る事に成ります。宜しいでしょうか?」
「はい」
勿論、異存は有りません。私は出来る限りの事をするだけです。それに、街で夜ご飯を食べるのは久々で、少し楽しみでもあります。私は少しワクワクしながら、残りの試験を受けたのでした。