ガラスドーム
いつもの時間に目が覚めました。
昨日は、冒険者ギルドへ寄ってからガイエス様の邸宅へ送って貰ったので、夕食の時間には間に合わなかった様で、侍女達に連れられて館に入る後ろで、ガイ様がムルダ様にお小言を頂いていました。
先にお風呂を頂いてからの夕食と成ったのですが、もしかしたらガイ様も同席されるのかしら?と思っていたのですが、いらっしゃる事は無く、この日は疲れも有って直ぐに就寝してしまいました。
本当は、ガイエス様と少しだけでもお話したかったのですけど、睡魔には勝てませんでした。
真っ暗な中、私は起き上がると、まるで待っていたかのようにモスキートカーテンが開かれました。
「「おはようございます、エリン様」」
「おはようございます」
昨日、私が早起きなのを知り、直ぐに対応をされるなんて、流石はラジェット家の侍女です。
「まだ日も開けません。もう少しお休みいただいても宜しいかと思われますが?」
「ありがとうございます。ですが、出来る限り日課は変えたくないので起きます」
今まで、この邸宅でお世話に成っている時は、眠り続けていたのに、今更でお恥ずかしいです。けれども、昨日はそこまで体力を削られなかったので、普通に目覚めることが出来ました。
「畏まりました。ではお支度をお手伝い致します」
「ありがとうございます」
顔を洗って、服を着替え用意してくれたお茶を飲みながら夜明けを待つ事にしました。侍女はどちらか一人が必ず部屋に待機してくれています。
私は、昨日持ち帰った薬草を小分けにしたかったのですが、土がついているので部屋を汚す訳にもいかず、静かに薬草辞典と私のメモ帳を見比べて、どの様に配分しようかと頭を悩ませました。
暫くすると、夜が開けたらしく残ってくれていたマナ様が、カーテンを開けて、光の魔道具を消してくれました。
サエラ様が戻られると、私は朝食の為に、食事をする広間へと案内されます。昨日と同じく、ガイエス様は新聞を読んでいらっしゃいました。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
昨日と同じ席に座ると、ガイエス様の指示で食事が配膳されます。私はちらりとムルダ様を目で探すと直ぐ近くにいらっしゃいました。
今日の食事はクロワッサンとスープ。そしてメインのお皿には香草入りのウインナー3本が真ん中にドンッと置かれています。その周りを野菜や色とりどりのカットされた果物が並んでいて綺麗です。昨日の事も有るので、お腹いっぱいに成ってからウインナーを食べるのは正直辛いです。初めに食しましょうと身構えました。
「エリン 無理はしなくていいからね」
決死の覚悟で食事を始めようとした事を気が付かれてしまったようで、ガイエス様が微笑みながら声を掛けて下さいました。私は恥ずかしくて頬が熱くなりました。初めの頃から比べると、ガイエス様の笑顔を見る機会が多くなった気がします。それが私に向けられていると思うと少しこそばゆいです。
「はい。ありがとうございます」
「そうですよ、エリン様。その内に無理なく食べられる様になりますからね」
にこにこと斜め後ろから声を掛けて下さるムルダ様のお言葉に、この覚悟は緩める事は許されない様です。ガイエス様を見ると、困ったような顔で微笑んで下さっていました。私は、昨日のサンドイッチを思い出して、ウインナーと果物を小口に切り、野菜にウインナーと果物を巻いて一口サイズにするとぱくりと食べました。
ふわりと香る香草と、果物の甘酸っぱさがウインナーの肉肉しさをまろやかにしてくれて食べやすく、どんどん食べ勧める事が出来ました。
食事と言う戦いを終え、食後のお茶を頂いていると、ガイエス様が急にソワソワしだしました。
「エリン」
「はい」
私が、カップをソーサーに戻すと、ガイエス様もお茶を置きました。
「私はエリンが薬師に成る為のサポートをしたいと思っている」
「ありがとうございます」
「教会の部屋で、研究をしているそうだね」
「研究と言う程のものではありませんわ。薬の辞典を真似て薬を作ってみているだけです」
「アレンジもこの頃は加えているんだろう?」
「はい、徐々にでございます。まだまだ、どの様な効果が出るかも不明瞭ですわ」
「だが、教会の部屋では場所が狭くないか?」
「それは・・・」
まだまだ、始めたばかりで薬草も少しの種類しか手元にないので、大して手狭とは感じてはいませんでしたが、これからは薬草の種類も増やしたい。これはアイテムボックスで問題は無いと思われます。けれども、調合する為の機材や魔道具など、いろいろと手に入れて行かなければ成りません。一々アイテムボックスから出して使うのは大変かも知れません。
「良ければ、作業場を提供したいと思うんだがどうだろうか?」
「え?それはとてもありがたいのですが、そこまでして頂いては・・・・」
「取り合えず、見て貰ってもいいかな?」
ガイエス様は立ち上がると、周りの者達に視線で合図を送る。すると執事が恭しく礼を取ると、部屋のドアを開け、私達を促した。
「じゃあ、行こうか」
「は、はい」
私は困惑しながらも、流石に客間は汚せないから、納屋をお借りできるのかも知れないと思った。それなら、ガイ様と採取した薬草を乾燥させるのにいいかも知れない。私は立ち上がると、ガイエス様の後ろを付いて行きました。
廊下に出ると、左側へ歩き進め、今まで行った事の無い、屋敷の奥の方へと進みます。直ぐに階段が見え、そこを1階へと下りました。
「こっちだ」
ガイエス様が示した部屋は、階段を下りて直ぐの部屋でした。イオーク様が部屋の扉を開くと、ガイエス様が先に入り、その後に続きます。一歩部屋に入り私は驚きました。
入って正面は大きな窓が4つと、中庭へ続く観音開きの扉が有りました。前面から光が部屋の中へ差し込んでおり、とても明るく清潔に感じます。
部屋の左右には棚が造り付けで天井まで有り、右側の棚には薬草の本達が、ずらりと並び、左側の棚はまだ何も入っては居なかったが、作った薬や乾燥させた薬草を保管するのに良さそうです。幾つかの木箱が棚の前に置かれていて、その中には大小ある様ですが、コルク栓の付いた空の瓶が入っています。
右側の棚側には、広く重厚な執務机と椅子が置かれており、中央より少し左側で窓側には、寛げるようにふかふかのソファーのセットが置かれています。
まるでカリエラ様の作業部屋を二回りくらい大きくしたようなお部屋です。
私は目をぱちくりとしてガイエス様を見ました。
「どうだろう?気に入ったかな?」
「あ・・・素敵です!こんなに素敵な作業部屋だとは思いませんでした」
私は、ふらふらと執務机へと歩み、机の上に触れると温かみのある木の感触がします。椅子も革張りの重厚感が有り、とても薬師を目指すひよっ子が使って良いものには思えませんでした。私が呆然と机に見入っていると、隣からガイエス様の声がしました。
「それだけじゃないんだ。エリン、おいで」
私に向けられたガイエス様の手を無意識に取ると、そのまま引き寄せられるように歩きました。ガイエス様は、部屋の反対側に有るガラス扉へと私を誘います。すると直ぐに、侍女達が観音開きのガラス扉を外側に開きました。途端に部屋の中へ、木々から洩れるの新鮮な風と、花の香りが舞い込んで来ました。
開かれた先は中庭に続いており、左右と真ん中には石畳が敷かれていて、左右は、隣の部屋などにも続いている道でしたが、真ん中の石畳は少し幅が狭くなっており、両脇には花壇があり、石畳の行きつく先には、大きなガラスドームが有りました。
「これは・・・・」
私は、ガラスドームの前まで連れて来られ、見上げる程に大きな温室に瞳を瞬かせずには居られませんでした。
「ガイエス様、これをどうぞ」
後ろに控えていたイオーク様が、ガイエス様へ鍵を渡されました。それを受け取ると、ガイエス様が、ガラスドームの扉の鍵を開け、私を振り返りました。
「気に入ると良いのだけれど」
ガイエス様に誘われて、私はガラスドームの中へと入りました。
そこには、大きな鉢に植えられた見た事もない色々な実をつけた木や、花壇にも薬草らしきものが沢山植えられていました、花壇の合間にはいくつもの道が作られており、ガラスドームの奥には広い作業台と、見た事の無い多分魔道具なのでしょう、大きな機材が幾つか配置されていました。
ふと上を見上げると、開閉式に成っているいくつもの小窓が上に向かって開いており、ガラスドーム内の温度の調節が出来る様に成っています。
「素敵です・・・」
私は、すっかり周りの方々を忘れてガラスドームの中を、植えられた木々や花、薬草を見て回りました。不思議な事に、作業台から少し離れたところに3名くらいは優に座れそうな横長のソファーが設置されていました。疲れた時に座れるようにでしょうか?それにしては大きすぎるような気もします。
「気に入って貰えたようだね」
真後ろから聞こえた声にハッとして振り返ると、ガイエス様が優しく微笑みながら私を見下ろしていました。私は感激に打ち震えながらも必死に自分を押し殺してお礼を言わなければと振り返りました。
「あ・・・ありがとうございます。私の為にこの様な・・・・」
そこまで言って、はたと思い直しました。私の為に作られたところでは無いのかも知れません。元々あったのでしょう。それを改良して下さった・・・であれば、やっぱり私の為にと言ってもいいのかしら?
今までの人生で、家格から傅かれる事は有っても、無償の好意を向けられる事が殆ど無く、それに対してうまく言葉が出てこない私に、ガイエス様は気にする事も無く頷いて先を促して下さいました。
「薬草に詳しい庭師を新たに雇った。珍しい薬草や、薬に使える木の実や花を調べて配置させたんだ。今後も、庭師が植物の面倒は見るから、エリンは好きに使っていい。ここの他にも薬草を栽培したい場合は、外の庭を好きに使ってもいい、庭師に行って貰えれば、対応するように言ってあるからね」
やはり、私の為に用意して下さったのですね。ガイエス様の後ろを見ると、イオーク様とムルダ様の後ろに、見慣れない壮年の男性が居ます。多分この方が庭師の方なのでしょう。私と視線が合うと、慌てた様に頭を下げられたので、私も会釈で返しました。
「ほら、エリン、奥の作業台へ行ってみるといいよ。作業台の高さが高過ぎたら、調整も出来るからね」
「はっはい」
再びガイエス様に手を取られて歩き出し、作業台や魔道具が並んでいる場所へと連れて行かれました。作業台の近くにも、休憩が出来る様にと皮張りのソファも有ります。見た事が無い魔道具はどう使ったらいいのか分からないのですが、それ以上に、駆け出しの薬師見習いには、贅沢過ぎる研究室(?)です。
私は、ガイエス様を見上げました。ガイエス様も少し興奮している様でいつもからは想像も出来ない程の笑顔で私を見下ろしていらっしゃいます。
「私・・・なんとお礼をお伝えしたらいいのか分かりません」
「礼は要らない。ここでエリンが今まで見た事が無いような薬を創薬してくれる事を楽しみにしているよ」
「は・・・はい!最大の努力で務めさせていただきます」
私は、敬意を込めてガイエス様へ礼をすると、ガイエス様は少し照れたように微笑んで下さいました。
「あの、ガイエス様」
「ん?」
「薬師に成る為の修行と言いますか、研究をするに当たりまして、今、キハラ様にお手伝いをお願いしております。ここにはキハラ様もお呼びして宜しいのでしょうか?」
「あ・・・そうだね。いいよ。それに週末と言わず、平日でも使いたい時にはいつでも使っていい。屋敷の者は皆既にエリンの事は分かっているから。何かあって私が不在の時であればイオークかムルダに相談するといいよ」
「ありがとうございます」
私は、キラキラと輝くガラスドームの中の見慣れない薬草や、木々を見回しながら、滋養強壮剤を完成させたら次は何を作ろうかと思いを馳せるのでした。