ムルダの手記 後編
イオークとの話の翌日、一旦私は侍女を置いて、ラジェット家へと戻りました。
ドルガノ様にイオークとの話を伝え、エリン様の更生の一環として、週末エリン様を侍女見習いとしてラジェット家へ受け入れる様、騎士団と教会へ働きかけをしていただけるかをお伺いする為に。実際は坊ちゃまの屋敷で預かる事になるのですが、表向きはラジェット家の屋敷に来ている事にするのです。
ドルガノ様はイオークの話に目を白黒させていましたが、クレイブ様がかなり乗り気で同意して下さいました。勿論、その間、私がエリン様の侍女として目を光らせ、何かあれば直ぐにご報告致しますと伝え、しぶしぶご納得頂いたのでございます。
決まるや否や速攻クレイブ様が騎士団と教会へ打診をし、週末のみラジェット家での侍女見習いの許可を取り付けていらっしゃいました。信じられない程の早業でございました。私は、坊ちゃまの屋敷へ戻り、この話をイオークに伝えると、クレイブ様の評価がイオークの中でかなり上がったようでした。
◇◇◇◇
この件は2回目の害獣退治には間に合わず、『冒険者ガイ』様は、エリン様を教会へ送って戻っていらっしゃいました。今回は、明日私達が、教会へエリン様を迎えに行く事にし、来週以降は坊ちゃまの邸宅へ連れて戻って頂く様伝えると、流石に激しく動揺されておりました。
しかし、それはエリン様にリカバリーの必要性が有るからだと伝えると、ご納得され、しかも少し嬉しそうにも見えました。私は、イオークの計略に嵌って行くようで悔しくもあり、坊ちゃまの姿に微笑ましくもありました。
戻られた坊ちゃまからバスケットを渡されて、私は重さに違和感を感じました。
開けてみると、何故か半分以上残っており、困惑してお坊ちゃまに伺うと、朝食しか食べていないと仰るのです。巨大害獣も殆ど現れなくなったと伺っていたので、今日は朝昼晩の分を作って入れて置きました。勿論、狩る害獣が居なくて、街へ戻り食事をしたのであれば問題はございません。
しかし、どちらへ行かれたのか伺うと、坊ちゃまは首を振って、マジックバックからとんでもない魔法契約書を私達に見せたのです。
そこには、【私、ガイはエリンの事をエリン以外の人に話す事を禁じます。万が一、エリンの事をエリン以外の人に話そうと試みた場合は、それを断念するまで息が出来なくなる】と書かれていたのです。何故か得意げに見せる坊ちゃまに頭が痛くなりました。
しかし、これは平民が使う簡易魔法契約書です。私は直ぐ使用人に紙と筆を用意させて、坊ちゃまの前に置きました。
坊ちゃまは少し嫌がったのですが、私の気迫に負けたのか筆を取りました。
そう、この簡易魔法契約書には抜け道が有るのです。ここに書かれているのは言っては成らない。つまり、書くなら良いのです。流石に坊ちゃまも、騎士団へ報告が出来なくならない様にとは思ったのですね。しかし、なぜエリン様とその様な魔法契約を取り交わさなければいけないのかが不思議です。もしそれがエリン様の信頼を得る為にした事であるならば、お坊ちゃまはかなりエリン様に心酔していると言えます。それとも・・・別に何かあるのでしょうか?
そうして紙に書かれた内容を読んだ私は、再び頭を抱えました。エリン様と朝食を取り薬草の採取をするまでは良かったのですが、帰りに他の冒険者を助け、馬を失い怪我をしている冒険者達を馬に乗せ、馬車乗り場まで2時間程、エリン様と歩いたと、思ったより時間が掛かり、昼食と夜食を取る時間が無く、教会まで馬を走らせ、意識の殆ど無いエリン様をアキに預けて帰ったとあったのです。
翌日、教会へは私がエリン様を迎えに行く事に致しました。数名の侍女を伴って。
仰々しく成らない様に、家紋の無い馬車で教会へ向かいました。連絡は伝わっていた為、エリン様の監視者は直ぐに中へ入れてくれました。
アキ殿から昨日のエリン様の状態を伺うと、殆ど意識の無い状態だったので、直ぐにベットへ寝かせたとの事でした。鍵のかかった大きな扉を入ると、幾つかの部屋のドアが有り、アキ殿が示す部屋の扉を私は開けました。
眼下に広がった部屋は、紛れもなく上位貴族のご令嬢の部屋でした。私達が驚いて固まっていると、横からアキ殿が「凄いでしょ?ガイエス様渾身の部屋なんだ」と笑い、持ち場へ戻って行きました。坊ちゃまやり過ぎです!
部屋は概ね綺麗でしたが、昨日着ていたと思われる冒険者の服が丸められて机の上に置かれていました。毛足の長い上質の絨毯の上を進み、侍女に冒険者の服を持ち帰るよう伝え、私は唯一有ったクローゼットを開きました。中には、この部屋に似つかわしくないシスターの制服と庶民の安物の服やバックや靴が並んでいました。
今日着る服を侍女に指示をしてから、私は、ベットの中でぐっすり寝ているエリン様に声を掛けました。何度か声を掛けるとエリン様がうっすらと瞳を開きました。何度見てもドキリとさせられるオッドアイです。
「ムル・・・ダ様?」
「エリン様、お迎えに上がりました。起き上がれますか?」
何度か瞬き、エリン様はゆっくり体を起こそうとしました。私は直ぐに背中を支えて手伝ったのです。
「申し訳ございません。私、寝過ごしてしまいました」
「いいえ、お疲れのところを起こしてしまい申し訳ございません」
人助けをしたのは良い行いですが、その為にエリン様を朝食のみで2時間近く歩かせたのです。体力の無いエリン様が起きれなくて当然です。
「エリン様、失礼いたします」
私は、侍女に用意させたホットタオルでエリン様の顔を手早く拭き、塩水で嗽をして貰った。私の指示通りに機械的に動くエリン様に、館から持って来たジュースの入った瓶をコップに移して手渡した。
「これから移動するにも体力は必要です。甘いジュースです。力が湧きますよ」
「・・・ありがとうございます」
コップに1/3しか入れなかったのは、昨日の朝ご飯から何も食べていない胃を驚かさない為だ。
「美味しい」
ほんのり頬に赤みが差して、嬉しそうに微笑む。所作も美しく上品なお嬢様だと再確認しました。猫を被っているにしても何にしても、今のところ、私のエリン様の感触は概ね良好なままでした。
「さあ、お着替えをして館へ戻りましょう。ガイエス様も首を長くしてお待ちですよ」
「はい」
エリン様がベットを降りようと足を延ばしたが、その足がぷるぷる震えている。表情を見ると決死の覚悟が伺えた。限度を知らない坊ちゃまと、限界まで頑張るエリン様は最悪の相性かも知れません。
「そのままお座りに成っていて下さい。お着替えは私共でさせて頂きます」
「あ、でも平民は自分でするものだと・・・」
「平民でも、体調が悪い時は人を頼るものです。おかしなことではありませんよ」
「ありがとうございます」
少しホッとした顔をして、エリン様は、私共に全てを任せて下さった。着替えを済ませると、おぼつかない足取りで部屋を出ると、アキ殿に夕刻にはお届けするとお伝えし、教会を後にしたのでした。
◇◇◇◇
屋敷へ着くと、直ぐに談話室へお通しし、柔らかなソファーを勧めた。
私は、直ぐに坊ちゃまが部屋から飛び出して来るのでは無いかと思っていたので、私はエリン様に、お茶の用意をすると伝えて退席し、坊ちゃまを探しました。
すると、執務室にその姿が有りました。
「イオーク。エリン様をお連れしたのだけど坊ちゃまは何をされているのでしょうか?」
「ああ、明日、提出予定の書類が出来上がっていないと仰っていましたので、それが終わるまでは執務室からは出しません」
・・・二人をくっつけたかったのでは無いのですか?喉元迄出かかった言葉をぐっと飲み込み私はイザークを見上げた。
「初めての恋に浮かれて、仕事を蔑ろにする事は許されないのですよ」
「・・・恋かどうかは分かりませんが、仕事は優先ですわね。分かりました。エリン様には事情をお伝えしお待ちいただく事に致します」
「お昼頃までには済ませると仰っていましたので、それまではご自由にお寛ぎ頂ければと思います。ああ、薬草や薬事の本もありますので、よろしければ談話室へお持ちしましょうか?」
「お願いします」
「はい」
恭しく礼をするこの腹黒執事に、エリン様を急かして連れて来てしまった私の気持ちが分かるのでしょうか!全く。
私は、エリン様にお詫びしなければと、直ぐに取って返した。談話室に戻ると、既にお茶とお茶菓子が用意されていた。私はエリン様の右横に立ち頭を下げた。
「エリン様、申し訳ありません。ガイエス様は今お仕事中で、お昼頃には来れるとの事です」
「そうでしたか。お仕事頑張って下さいとお伝え下さい」
疲れている中、叩き起こされて連れて来られた様なものなのに、一切怒りの表情は見て取れなかった。心が広いのか、それとも、まさかの坊ちゃまに興味が無いのか・・・・。
「代わりと言っては何ですが、薬草や薬事の本がございます。それを読んでお待ちいただけますか?」
「まあ!それは願っても無い事です。ありがとうございます。私も、ガイエス様を見習って、しっかりとした知識を付け立派な薬師に成りたいです」
「恐れ入ります」
私は、他の侍女にエリン様を任せて、厨房で胃に優しい昼食を作る様指示をし、他の仕事を済ませると、昼よりも少し前に、談話室へ戻りました。イオークが持って来てくれたのでしょう。薬草や野草の辞典が3冊と薬事辞典が1冊机の上に置かれており、エリン様がそれを見ながら、何やら紙に筆を走らせていました。
お側に仕えていた侍女にそっと声を掛けると、私が出て行って直ぐに、イオークが現れ、本と紙と筆をエリン様へお渡しに成ったのだそうです。それからずっとエリン様は、机に向かったままなのだそうです。
コンコンっとドアをノックする音がして、坊ちゃまが扉から顔を覗かせました。
「遅くなって済まない。待たせたね」
「ガイエス様」
本から顔を上げたエリン様が、ゆっくりと立ち上がり、少し膝を落として挨拶をした。私は、朝の状態を知っているだけに、エリン様の足を心配しましたが、かなり回復した様でした。
「本をありがとうございます。とても参考になっております」
「ああ、いくつか良さそうなのを購入したんだ。他にも色々あったんだが、どれがいいのか分からなくてね。その内に、一緒に買いに行こう」
「ありがとうございます」
とても素敵なお話ですが、坊ちゃまがエリン様を動けなくしているのですが、分かっていらっしゃるのでしょうか?
「ムルダ。そろそろ昼食にしてくれ」
「畏まりました。用意が整いましたら参りますので、暫くこちらでお待ち下さい」
「分かった」
私は談話室から出る前に、侍女の一人にガイエス様のお茶の用意を言いつけました。ちらりと後ろを振り返り、エリン様の隣に座り、あまり知らないであろう薬草の話を始めた坊ちゃまを見る。前の席では無く、婚約者でもない女性の隣に座るのはどうかと思うが、甘さは少ないが、お二人の楽しそうな会話は聞いていて悪い気はしない。私はこの場を、侍女達に任せ、昼食の用意を急ぐことにしました。
昼食後、談話室に戻り、仕事が終わったガイエス様はそのまま居座ると、教会で聖女エナリス様にお会いした話や、「冒険者ガイ」との巨大害獣退治の話を楽しそうに聞いていました。自分の話を、他人の事としてエリン様から聞く気持ちは如何ほどのものなのかと気にはなりましたが、楽しそうなので知らない振りをして後ろに控えておりました。若い男女を一つの部屋に二人きりには出来ませんからね。
それから数時間経ち、エリン様をお預かりし、お風呂とマッサージを施し、夕食をお取りいただいてから、私が、教会まで馬車でお送りしました。
屋敷へ戻ると、イオークがまたあの嫌らしい笑顔で近づきて来て言うのです。
「エリン様が帰られた後、ガイエス様が、(この屋敷ってこんなに広かったかな)ってぼやいていましたよ!」
実に楽しそうです。けれども実は私もガイエス様と同じ事を感じていました。
「エリン様は不思議な方ですね。実は私もエリン様が教会へ戻ってしまわれて、なんだか寂しく感じております。まだお会いしてほんの数日だと言うのにおかしな話ですわね」
私が、柄にもなく本音を言ってしまうと、イオークの顔が苦笑いに変わりました。
「実は、私もです。ですが、まだまだ、エリン様の人となりをきちんと把握しませんと成りません。気を引き締めてお願いいたします」
「ええ、そうですわね」
私が言うべき言葉を言われてしまいました。
「さあ!これからガラスドームに庭の改装計画を勧めますよ!囲い込み必須ですからね!」
先程の言葉は何だったのでしょうか。とは言え、私も少し力を入れて改装計画に臨みたいと思います。全ては坊ちゃまの幸せな未来のために!・・・いえいえ、まずは見極める為にでしたわ。
ちょっと寄り道と思ったのですが、長い寄り道に成ってしまいました(笑)