ムルダの手記 中編
「イオーク。私が聞きたい事は分かっていますね?」
イオークは、頭を上げると先程とは打って変わって真剣な顔に成った。
「確か貴方は、国王から、褒賞として坊ちゃまがこの屋敷を頂いた時に、この屋敷付きの執事として来ましたね。という事は、直接の雇い主は坊ちゃまでは無いですね?」
「はい。私は国より派遣されております」
「なる程、国が出す給料では少なすぎると思っていらっしゃるのですね」
「え?」
坊ちゃまが何も言わない事を良い事に、商人から賄賂を受け取って、必要もない洋服やガーデンルームを作らせて私腹を肥やしているのでしょう。
「ああ見えて、坊ちゃまは人が良いのです。あまり坊ちゃまを悲しませるような事はしないで欲しいものです」
「どういう事でしょうか?」
イオークはじっと私を見詰めてくる。精悍な顔付きだが、まだ30代前半の若造だ。突然、剣聖様の執事として、自分よりも年の若い主人に仕える事に成り、些か気分を害していたのかも知れない。
坊ちゃまが、この屋敷を褒賞として授与され聖魔法を使う剣聖として独立を果たしたのは18歳の時だった。
6歳で聖魔法の属性を持ち剣聖であると分かると、直ぐに国より魔道剣術の指南役があてがわれた。聖魔法を使っての剣術を教えられるものは居なかったが、炎の魔法や氷の魔法を使っての剣術が使える一流の者を指南役としたのだ。しかし、いずれも剣豪ではあるが剣聖では無かったため、あっという間に坊ちゃまへ教える事が無くなってしまい、お役御免と成ってしまった。
13歳の頃には、学園での勉強が疎かに成らない程度に、騎士団からの要請を受けて、手強い魔物退治にも参加するようになった。
けれど、どれだけの功績をあげても、周りの大人達から子供扱いを受けて、坊ちゃまはとても不満だったようだ。
それも有ってか、どこで買い付けたのか変化の魔道具を使って、成人した平民の剣士に成りすまし、魔法を封印して剣のみで、週末に冒険を繰り返していたそうだ。
私達がその事実に気が付いた時には、『冒険者ガイ』は既にAランクにまで成っていた。その時のガイエス坊ちゃまは15歳くらいだったでしょうか。
発覚して直ぐにドルガノ様が、冒険者ギルドのギルド長に面会を申し入れ、身分詐称をしての冒険者登録を、秘密裏に抹消をしようとしたのですが、その頃には『冒険者ガイ』は、かなりの有名人だった為、闇に葬る事すらも出来ない状態になっていました。
身分詐称は、貴族にとっては重大な問題でしたが、脛に傷を持つ者達をも受け入れる冒険者ギルドとしては大した問題では無かったらしく、それどころかS級を目指せる冒険者が在籍する事は喜ばしいと、そのまま登録の継続を許可されてしまったそうなのです。
実践でメキメキと腕を上げて行った坊ちゃまは、18歳で貴族院を卒業する時に、国王より、今までの功績を称え、剣聖の称号と屋敷一式を与えられ、所属と言う訳では無いのですが、試験を受ける事も無く、第一騎士団の客分として名を連ねられる事と成りました。
お屋敷は、執事もメイドも使用人も全て国が用意しており、身一つで住み替えが出来てしまう状態でした。
坊ちゃまに不服は無かったようで、さっさと荷物を纏めて与えられた屋敷へ出て行かれてしまった時は、私は心にぽっかり穴が開いたような気持になったのを覚えております。
その時から、ずっとこの執事が坊ちゃまの面倒を見て下さっていると考えれば、お礼を言わなければならないと思いますが、優しいお坊ちゃまに付け込んで、私腹を肥やしていたのであれば、話は別です。
「商人から受け取っている賄賂が如何ほどなのかは聞くのは止めましょう。ですが・・・・!」
「おっお待ち下さい!何の話をしていらっしゃいますか?」
途端に慌てだしたイオークが、私を驚いた顔で見つめて来ました。
「商人から賄賂などと、私はその様な物は頂いておりません!それに国からの報酬についても十分に頂いています。不満はございません!」
「では、なぜ坊ちゃまをあのように唆すのですか!?」
「唆す・・・そのような事は・・・・しているかも、知れませんが・・・・」
否定をしようとして、少し考えるとイオークは認める言葉を続けた。やはり唆しているのだ!
「ですが、これは私が国から承った仕事の一環でございます」
余裕の笑みを湛えて、こちらを見るイオークに私は開いた口がふさがりませんでした。一体どんな仕事を国から承っているのでしょうか?
「少し、ご説明を差し上げても宜しいでしょうか?」
すっかり落ち着きを取り戻したイオークは、言葉を続けた。
「私は、この屋敷にてガイエス様が快適にお過ごしいただけるように努めております」
それは私達も同じです。メイドとしての心得として習っている。これは執事でも使用人でも同じ事でしょう。
「その上で、国より無理はしなくても良いが、出来る限りのサポートをして欲しいとの要請を受けた事が有ります」
どうしてなのか、先程迄の真剣な表情が崩れ、少し頬を染めると口元がにやついています。国からの要請で、なぜこのような表情になるのでしょうか?
「ガイエス様の奥方探しでございます」
・・・・。
「要請を受けた時は、私も何を言っているのだろうと思いました。貴族の婚姻です。家同士で決めてしまえばいいのです。その旨を伝えると、王女殿下との顛末を聞かされました。はっきり言って驚きました」
そ・・・そうですね。一般的に驚くところですよね。私もラジェット家が長いので、当たり前の様な気がしていましたが、普通は考えられない顛末ですわね。
「とは言え、国宝級の剣聖様です。ガイエス様が気に入れば、どこのご令嬢であろうとも輿入れして来るだろうと気楽に考えておりました。なのに!なのにですよ?」
イオークの顔が苦悶に歪みました。私は、少しだけ申し訳ない気持ちになりました。
「パーティのお誘い、夜会のお誘い、お茶会のお誘い。次から次へと招待状は舞い込みます。しかし、参加する事の少ない事。しかも、お誘いを受けても単独参加です!幾度となく、届いている釣書や、熱いお手紙を頂いているお嬢様の中で、ガイエス様に合いそうな格式や年齢、絵姿を見て、進言をどれだけしたか!」
でしょうね。私も、ぼっちゃまをパーティへ送り出す時に、毎回頭を悩ませていました。
「信じられない程、難易度の高い要請だったと後から気が付きました」
「も・・・申し訳ございません」
思わず謝らずには居られませんでした。
「いいえ、私も仕事を受ける前に、もっときちんとガイエス様の人となりを調べるべきだったのです。この国で唯一無二の剣聖様の執事に成れると、二言返事で受けてしまった私が悪かったのです。ですが、私は、後悔はしておりません!必ずこの任務を果たして見せるつもりです!」
おお!ラジェット家ですら、多少坊ちゃまの結婚から目を逸らすムードが有る中、何と心強い言葉でしょうか!
「ガイエス様に、お勧めしたご令嬢は既に50名は超えております。どのご令嬢も却下の一言でございました」
言葉も有りません。ラジェット家では、ご令嬢を勧めるという事はしておりませんでした。きっと坊ちゃまも新鮮に感じた事でしょう。ですが、やはり断っていらっしゃったのですね。
「それが、あの日を境に変わったのでございます」
イオークが両手を握りしめ、勝ち誇った様な笑顔を見せた。
「お出かけに成った時は、兄上様に巻き込まれたと渋々荷造りをして出かけたと言うのに、予定よりも早く、しかも女性を含むお客人連れでお戻りに成られたのです。この時はまだ、私も珍しい事があるものだと思っただけでございました。しかし、そこから大きくガイエス様が変わって行ったのです」
「どの様に?」
これこそ、私の知りたかった事です。私は身を乗り出してイオークの話に耳を傾けました。
「最初に驚いたのは、あれ程女性に興味を見せなかったガイエス様が、女性のお客人にお風呂を勧めて、自分達は、タオルで体を拭いていました。しかも、女性の客人がお風呂から上がって来る頃には、食事の用意をして欲しいと、一人は食が細いので、胃に優しい食べ物を頼むと仰られたのです。今までのガイエス様からは考えられない行動でした」
「まあ!」
「とは言え、1週間もの船旅だった為、気を使われただけかも知れないと思っていたのですが、その後、何故か女性物のローブが納品されました。取り合えず受け取り、仕事から戻られたガイエス様に、報告しますと、あのガイエス様が真っ赤になって、必要になるかも知れないから買ったと取り繕っているのです。私は驚きました。あれ程女性に興味を示さなかった方が、一人の女性の為に必死にしなくてもいい言い訳をしているのです。これが恋で無くて何だと言うのでしょうか!」
「おお!」
「しかし、お名前を伺った瞬間、私は困惑せずには居られませんでした」
イオークの先ほどまでの勢いはどこかへ消えてしまいました。そう、その女性が第三級犯罪者だと分かったからなのですね。分かります。私も困惑しておりますから。
「私は注意深くガイエス様を観察して居りました。しかし、その後、ご自身からエリン様の事について話す事は有りませんでした。その為、やはり仕事の一環としての事だったのだろうかと思い始めていた時、また商会の方が、いらっしゃったのです。来訪が有ると聞いていなかった為、お引き取り願おうとしていたところへ、ガイエス様が戻られて、どうやら騎士団の方へご連絡をした上で、商会の方はいらっしゃったそうなのです」
「それで、あのクローゼットの中の服を全て購入したという事ですか?」
「はい。殆ど商会の方の言いなりでした」
「お止めしなかったのですか?」
「はい。私もどう判断したらいいのか困ってしまい、出来ませんでした」
「貴方ほどの執事がどうして?」
「それは・・・あまりにも、ガイエス様が楽しそうだったからです。商会の方の誘導が見事だった事も有りますが、それ以上に、これはお嬢様に似合いそうだとか、この様な服が有るとは知らなかった等と、商会の方から説明を受けられて、本当に楽しそうでした。市民の服なので、金額もドレス1着を買うよりも安く、これくらいの散財なら偶には良いのかも知れないと思ってしまいました」
イオークの言葉には、坊ちゃまへの友愛を感じます。主人思いの良い執事なのかも知れません。
「しかし、その後、別の請求書が届きました。エリン様の部屋の内装替えをした代金でした」
「あ、ええ、聞いています」
「私は驚愕と共に閃きました。この短い期間でガイエス様から、これだけのお金を巻き上げる事が出来るお嬢様です。これはチャンスでは無いかと!」
ええ!?どうしてそういう結論に!?驚いてイオークを見ると、初めに見た時と同じにやにや顔に成っています。やはり罪の告白だったのでしょうか?
「今まで、女性の為にお金や時間を使う等考えもしなかったガイエス様です。そのガイエス様が、一人の女性により変わろうとしているのです!これは人生経験です。例え、エリン様に騙されてしまったとしても、最終的なお金の管理は私がしています。ある一定度は大目に見ましょう。女性とはお金のかかる生き物です。それも含めて愛おしさを知って頂ければ、ガイエス様が奥方を迎える未来が見えてきます」
「・・・はぁ。そうなのでしょうか?」
「そうです!私は漸くガイエス様の奥方様探しの糸口を見つけたのです!今後は、ムルダ様やご実家の協力も必要と成りますので、よろしくお願いします」
私は簡単に頷くことが出来ませんでした。
「・・・一つきいても宜しいでしょうか?」
「はい」
「エリン様とはどういう方なのでしょうか?」
次の瞬間、イオークは素に戻った。
「存じません。私もお会いするのは今回で2回目ですし、まだ直接お話をした事が有りませんので」
「え・・・・」
「着目すべき点はそこでは無いのです!ガイエス様の行動なのです!」
私は、呆れて溜息も出ませんでした。
「協力するかどうかは、エリン様を見極めてからにさせて頂きます」
「勿論です。私も、エリン様を見極めたいと思っておりますから。実際の所、ガイエス様は剣聖としての地位を頂いておりますが、保有している領地も有りません。貴族と認められては居りますが、決まった爵位も有りません。国家としては、ガイエス様を手放したくない様ですので、ご結婚を機に爵位を与えるつもりなのでしょう」
ああ、成程と思った。どこかの家へ入り婿には居るならその爵位で良し。嫁を取るなら、それまでの功績にに見合う爵位を与えて囲い込むつもりなのだろう。
「それにしても、ガーデンルーム等と、よくお坊ちゃまが思いついたものですね」
「いいえ、思いついたのは私です」
「え?」
「エリン様を、素晴らしい薬師に育てるにはどうしたらいいのか調べる様にと言付かりましたので、無い知恵を振り絞りご提案いたしました」
「・・・そうでしたか。しかし、未婚の男性の屋敷へ頻繁に、未婚の女性が来ると言うのは外聞が悪くはありませんか?その内に悪い噂になってしまうのでは?」
「そう!そこなのです!」
どこなのでしょう?また、あのにやにやした嫌な顔に成りました。
「仰る通り、現在の状況は宜しくありません。今後の事を考えますと、エリン様がこの屋敷に通う正当な理由付けが必要なのです。その為、是非とも、ご実家のお力をお借りしたいと思うのです」
「どういう事でしょうか?」
「今回、ムルダ様は、実家よりこの屋敷へ侍女を連れて参られましたね」
「ええ」
「エリン様もその内の一人という事にしていただけませんか?」
なる程、エリン様を見極める為に、旦那様より派遣された私達ですが、それを逆手に取ってエリン様の隠れ蓑にしたいと言うのですね。坊ちゃまの事を考えると、変な噂になるよりもその方が幾分ましかとも思いました。
それなら次週のお迎えも坊ちゃまでは無く、私が同僚を迎えに行けますし、その際に教会でのエリン様の様子も調べる事が出来ますわね。
「それくらいなら構いません」
「助かります」
「その代わりと言っては何ですが、ガーデンルームや花壇の設置も関わらせていただきますね」
「ええ、願っても無い事です」
満足のいく取引だったのでしょう、イオークは礼満面の笑みで礼をした。