ムルダの手記 前編
あの日、旦那様に呼ばれ話を伺った時、目の前が真っ暗になった気がしました。
私が手塩にかけて育てたガイエス坊ちゃまが、事も有ろうに他国のご令嬢、しかも国外追放された第三級犯罪者に心を奪われているかも知れないと言われたのです。
引く手あまたの剣聖であるお坊ちゃまが、王女殿下すら袖にしたお坊ちゃまが・・・・なぜ、その様な女性に気を引かれてしまうのか!?私の育て方が間違っていたのでしょうか・・・。
呆然とする私に、旦那様より事の真相と、ご令嬢の思惑を調べる様にとの指示が下され、坊ちゃまが、そのご令嬢の為に、面倒を見る侍女を貸して欲しいと言って来ている事を伺い、承りました。
ラジェット家では、お子様毎に乳母が付きます。私は、幸運な事にガイエス坊ちゃまの乳母として雇われました。
ガイエスぼっちゃまのお母様は、坊ちゃまが2歳に成る前に亡くなられてしまいました。元々体の強い方では無かったのですが、その年の流行病にかかりあっけなく逝かれてしまったのです。それからは私がお母様の分まで、乳母として愛情を注いで育てて来ました。
お母様譲りの銀色の髪とキラキラ光るアメジストの瞳。幼い頃から人目を引く可愛らしい容姿をしており、お茶会へ行くと、必ず周りには人が集まって来ました。その上、6歳になり神殿で魔力検査を受け、剣聖と神託が降りた時には、第三子であるガイエスぼっちゃまへ、娘が家を継ぐ上位貴族から婚約の打診が殺到し、毎日大変な思いをしたのを覚えています。
ドルガノ様は、別段どこかと繋がりを求めても居なかった為、子供達と相性のいい者を探したいと、兄上二人同様に色々なお茶会へ参加させて、様子を見ていました。
実直な長男は直ぐに相性のいいご令嬢を見つけ婚約致しましたし、次男は、口が上手く多数のご令嬢を翻弄しつつ、紆余曲折ありましたが、気に入ったご令嬢と婚約を為さいました。しかし、ガイエスぼっちゃまだけはいつまで経っても意中の相手を見つける事が出来ずにいらっしゃいました。
そうしている内に、毎回のお茶会でガイエス坊ちゃまへアプローチを続けていた王女殿下がしびれを切らし、王命をちらつかせてガイエスぼっちゃまに婚約を迫りましたが、意に染まない婚約を受け入れるくらいなら、国を捨てると言い出しました。荷物を纏めだした息子を必死に引き留めたドルガノ様が、王と王女に命懸けで婚約の辞退を申し出たそうです。
その頃、ノイルス王太子殿下と友好を深めていた次男のクレイブ様が、こっそりとガイエス様の状況をノイルス王太子殿下に伝え、王に進言をしていただいたようです。王も国唯一の剣聖を国外へ流出するのは得策では無いと思い直し、婚約の話は取り下げと成ったのだそうです。
それ程までにも頑なだったガイエス坊ちゃまを、どの様にしてウイスタル国のエリンと言うお嬢様が絡め捕ったのか?もしくは、何か異国の媚薬や魅了の魔法・魔道具・呪いを使ったのか?いえ、それよりも何よりも、本当にガイエス坊ちゃまがエリン様を想っているのか!?全身全霊をかけ調べるつもりで、お屋敷から厳選した最高の侍女達を連れて、私は、ガイエス坊ちゃまの邸宅へと乗り込んだのでした。
◇◇◇◇
エリン様との初顔合わせは、全く意図したものとは違いました。
前日、ガイエスぼっちゃまがお戻りに成り、エリン様の状態を伺い血の気が引きました。
楽しそうに話すガイエス坊ちゃまの言葉に、私は速攻、連れて来た侍女達に客間を快適な状態にする様に指示し、使用人へ以前、ガイエス坊ちゃまがエリン様にローブを買い与えた店へ、エリン様用の体を締め付けない柔らかな室内着を数着、素材やデザインを幾つか書き止め、買い求めに走らせました。
その後で、とくとくとガイエス坊ちゃまに女性の扱い方を話して聞かせ、明日、街へ連れ出そうとしている坊ちゃまに自宅へ連れ帰る様に言い含めました。
翌日、途方に暮れた顔のガイエス坊ちゃまに横抱きされて現れたエリン様を見た時には心臓が止まる思いでした。
私は、侍女達と共に、意識が朦朧としているエリン様に申し訳ない気持ちで一杯に成りながら、お風呂のお世話をし、疲れを取るマッサージを行う事にしました。
昨日、一日中乗りなれない馬に乗せられて、連れ回されたのです、多少なりとも怪我をしているだろうと、治癒魔法を持たない私達で、どう治療したものか悩んでいたのですが、不思議な事に、私が恐れていた怪我がエリン様の体には一つも有りませんでした。坊ちゃまが連れて来る時に聖魔法で治療したのでしょうか?
私は、少し違和感を覚えましたが、お風呂も体力を使うので、手早く洗い、脱衣所に用意したベットで、直ぐにマッサージを施す事にしました。
気持ち良さそうにうとうとし始めるその様子を見ながら、私は、優しく声を掛けます。夢うつつでの会話は、警戒心がとても緩く成ります。本心を聞き出すのにとても有効なのです。
「昨日はお疲れ様でした」
「・・・いえ・・・」
力の無いうつろな声でした。
「異国へ来て、まさかこの様な事をしなければ成らないとは思われませんでしたでしょう?」
暫く待ったが、答えはありませんでした。完全に眠られてしまっては困るので、答えやすそうな質問に切り替える事にします。
「オルケイア国は気に入りましたか?」
「・・ええ、とても・・・皆様には良くしていただいています」
「それはようございました」
打ち身などが有るかも知れないので、丁寧に力を入れ過ぎないようにしてマッサージを続けました。
「エリン様をこんなに疲れさせた張本人を、きちんと叱っておきましたからね。冒険に慣れていない淑女に対する対応を、今後はきちんと学んでもらわないといけませんからね」
すると、明確な答えは無かったけれど、エリン様の口からふふふ・・・と小さな笑い声が聞こえた。少なくとも、エリン様にとって、昨日の冒険はそこまで嫌な事では無かったようです。
「国を出て、まだそれ程の日にちも経っていないのに大変な事ばかりでしたね。オルケイア国・・・いえ、この国の人々は好きに成れそうですか?」
「ええ・・・キハラ様にはとても良くしていただいています」
ふむ。旦那様から聞いた、エリン様がこの国で生活し易い様にサポートを任されている女性騎士の事ですね。
「ダスガン様も、アキも私を気にかけてくれているのが分かりますし・・・・」
その言葉に嘘は無かった。ーーーしかし、暫く待っても坊ちゃまの名前が出てこなかった。
「ガイエス様も、エリン様をとても気にかけていますよ」
口元がふわりと弧を描き、穏やかな笑みを浮かべた。
「・・・・嬉しい」
この言葉にも嘘は無さそうだ。しかし、そこに恋心が有るかまでは分からなかった。
「本当なら、今日はエリン様が街に慣れる様にと連れて行きたいところが色々あったみたいですよ?」
「・・・・行きたいです」
口元の笑みは消える事が無く、うっすらと頬が上気している。これはマッサージのせいなのか、ガイエス様を想ってなのかは分からなかったが本心のようだった。
「次のお休みこそ、ガイエス様に街へ連れて行って貰いましょうね」
「・・・・はい・・・楽しみです」
溢れる笑みに、期待感の籠った言葉には嘘はみじんも無く、15歳の少女の恋愛への憧れを感じさせる甘さが有った。私は、態と思わせぶりな声色で聞いてみた。
「お二人で出かけるのは初めてですか?」
少し唇を開いたけれども、声は出せず、そのままキュッと唇が閉じられるた。けれどもはにかんだ笑みは消えず、小さく頷いた。邪気がまるで感じられない受け答えに、私は好感を持ちました。しかし、それはそれ、これはこれです。
「ガイエス様をどう思われますか?」
少し直球で聞いてみました。
「・・・聖魔法が使える剣聖様を、初めて見ました・・・・優しい方だと思います。判断力がとても速くて・・・・私は、親の言う事に、ただ従っていましたので・・・・これから・・・・自分で決断を・・・・していかないと・・・・出来るのか・・・・不安で・・・・」
意識が朦朧としているので、回答が途中から今後の不安に変わっていました。
「何かを決断する時に、困ったらガイエス様に相談すればよろしいでは有りませんか」
逸れた話を無理やりガイエス様に戻してみる。
「・・・いいえ、今の私は平民です。それも犯罪歴のある・・・・・近い将来、ガイエス様のお声を聴くことも叶わなくなるでしょう」
15歳の少女とは言え、流石は元侯爵令嬢です。立場をきちんと理解している様でした。逆に言えば、それを打破する方法も理解しているとも考えられます。
「では、平民で無く成れば良いのではありませんか?どこかの貴族へ養子縁組するとか」
小狡い提案をすると、エリン様が小さな声で笑った。
「・・・それはあり得ませんわ。だってわたく・・・し・・・・」
エリン様の顔を覗き込むと、小さな寝息が聞こえてきました。途端にエリン様の体から力が抜けて行き、どうやら眠ってしまったようでした。養子縁組は無いと言った後の言葉は、何を言おうとしたのでしょうか?完全に意識を手放してしまったエリン様に私は、そのまま暫くマッサージを続けたのでした。
◇◇◇◇
エリン様に室内着を着せ、客間のベットに寝かせると、侍女達を残し私はガイエス様の執務室へと向かった。
ノックをして入出の許可を頂くと、ガイエス様は、机に向かいエリン様の事と巨大害獣の事についての報告書を書いている最中だった。
「ムルダ!エリンの様子はどうだ?」
私の方を見る視線とその声は、明らかに心配しているのが滲みでいてた。
「とてもお疲れのご様子です。今は客間に寝かせて来ました。目が覚めるまでは寝かせてあげた方が良いでしょう」
「そうか・・・」
残念そうな声を出したガイエス様が、今日も一日連れ回す気だったことが分かった。
一般女性ときちんと関わって来てなかったガイエス様は、エリン様も女性騎士達と同じくらいの体力が有ると思っているらしい。本日初めてエリン様に会った私ですら、一般女性よりもエリン様は体力が乏しいと分かるのに、それに全く気が付く事が出来ないガイエス様に、私は頭を抱えた。
いやしかし、その前に旦那様からの依頼を済ませてしまいましょう。
「坊ちゃま。一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「何?」
「エリン様をお連れした客室ですが、クローゼットの中身は、全てエリン様の為にご用意した物でしょうか?大量の女性物の服と冒険者の服が入っておりましたが?」
「あ・・・・いや、あれは、エリンが選んだ冒険者の服以外の服も念の為に買っておいたんだ。そしたら、採寸した店から、エリンに似合いそうな洋服があると店主が持って来るようになって・・・」
「買ってしまったと」
「有って困る物でも無いからな」
明後日の方を見るガイエス様の言葉には嘘は無さそうだ、無さそうだけれども、服は30着以上有った。あれではもう客室では無く、エリン様の部屋と言っても過言ではないのではないでしょうか?
「ですが、洋服だけ増えて行くと言うのはどういうものでしょうか・・・」
なぜか、ガイエス様の後ろに控えていた執事が会話に入って来た。
「髪飾りや靴、バック、ネックレスや指輪等装飾品も一通り揃えておいた方がよろしいのでは無いでしょうか?」
「そうか?」
「そうですとも、この際ですからドレスも新調しましょう!有って困る物ではないですから!」
「そ・・・そうなのかな?」
どういうつもりなのか、執事はノリノリでガイエス様を唆している。まさか、商会と裏で繋がり、坊ちゃまからお金をだまし取っているのでしょうか?ですが、それなら私が居るところで話すのは得策では無いでしょう。私が厳しい視線を執事に向けましたが、素知らぬ振りで話を続けています。
「それと、庭に新しく作るガーデンルームと新しく植える予定の薬草を相談したいと庭師と設計士が申しておりましたので、来週ご面会の時間を決めて置きました」
「ああ、ありがとう」
まるで当たり前の様に話しているが、今まであまり庭について気にして居なかった坊ちゃまが、庭に手を入れる?しかも、坊ちゃまに似つかわしくないガーデンルームに薬草?これは・・・・。
「ぼ・・・坊ちゃま?その・・・私、少し付いていけてないのですが?どれもエリン様の為に、屋敷に手を入れている様にしか聞こえないのですが・・・?」
「いや?違うよ?その方が住み易そうだと思っただけだよ?」
誰にとって住み易いのでしょうか?と言い募りそうになるのを堪えていると、坊ちゃまの後ろでにやにや笑っている執事の顔にはしっかりとエリン様仕様と書いて有りました。
「それなら別に、髪飾りやアクセサリーなどは不要かと・・・」
「そうだ!ムルダが言ってくれなければ、エリンの室内着を用意することも出来ていなかった。ありがとう」
「い・・・いえ」
「お金ならいくらかかっても構わないから、他に必要な物が有ったらムルダの采配で構わない。なんでも用意してくれ!」
「い・・・いえいえ、少々お待ち下さい」
坊ちゃまが不思議そうな顔をしてこちらを見ている。その後ろで、涼しげな顔で執事が笑っていた。
「ガイエス様は、エリン様をどうしたいのですか?」
「え?どうするも何も、エリンがこの国で生きやすい様にしてやりたいんだ」
「そのお気持ちには同感ですが、その為に坊ちゃまの屋敷を作り替えていく必要は無いかと思われますが?」
「あ・・・そうだよね。本当であれば、俺がエリンに家を買って上げられたら良かったんだけれども。流石にそこまでの資産が無くてね」
いえ、ガーデンルームを新設するくらいのお金が有れば、庶民の家くらい買えますでしょうに。きっと坊ちゃまが仰っているのは、貴族の邸宅という事なのでしょう。
「イオークに相談したら、教会から市井での生活許可が下りた時に、突然市井へエリンを放り出すよりも、まずは近い処で見守って上げた方がいいって言われてね。納得したんだ。それとエリンは薬師に成りたいそうだから、研究が出来る場所を与えてあげるのも支援の一つに成る。だから、ガーデンルームと薬草の花壇を作って提供をしようと思ったんだ」
「素晴らしいお考えです!」
ワザとらしく両手で拍手をする執事を睨んだ。
「ムルダ様、ガイエス様の御心をお察し下さい。犯罪を犯してしまったとは言え、まだ15歳の少女です。更生は出来ます。その力に成りたいと仰っているのです。剣聖として尊いお考えではありませんか!」
「そうだよ、ムルダ!きっとエリンを更生させて見せる。その為になら、俺は出来る限りの事がしたいんだ!」
仰っている言葉に嘘は無いと思う。そうは思うが・・・イオークの言葉には胡散臭さがした。良くも悪くも純粋培養のお坊ちゃまをイオークは、どうするつもりなのか。
「・・・お気持ちは承ります。エリン様が目覚めましたら、お呼びいたしますので、もう暫くお待ち下さい」
「あ、うん。済まないね。あんなにエリンに体力が無いとは思わなくて、つい連れ回し過ぎた」
少し、しゅんと成った坊ちゃまは、幼い頃を彷彿させて可愛いと思ってしまう。親ばか・・いえ乳母ばかでしょうか。
そう、一部の者しか知らないが、S級冒険者のガイとは、坊ちゃまが学生時代に、魔法を使わずにどこまで戦えるか試したいと、姿見を変える変化の魔道具を使い、本人とは似ても似つかぬ見た目にし、魔力の無い平民として登録したもう一つの姿だった。
坊ちゃまはそれにより剣技にも磨きがかかり、我が国、唯一無二の剣聖としてどんどん名を揚げて行ったのだ。
「坊ちゃま、少しイオークをお借りしても良いでしょうか?」
「ああ、いいよ」
坊ちゃまが二つ返事で了承をして下さったのを見て、少しイオークが渋い顔をした。それを無視して、私はイオークに退室を促し、二人で部屋を出る。そのまま、先に有る広間へと移動した。
素直に付いて来たイオークは、二人きりになると、恭しく頭を下げた。
「イオーク。私が聞きたい事は分かっていますね?」
イオークは、頭を上げると先程とは打って変わって真剣な顔に成った。