予期せぬ2日目
その日の朝は、習慣で目を覚ましたものの、体を動かすのも辛かった。
それでも、今日はどうしても出かけたいと必死に上半身を起こした。途端に体中に痛みが走る。馬の上で落ちない様に必死に掴まっていたから、全身が筋肉痛で、慣れない乗馬にお尻の皮がむけてしまっていた。
昨日は、アキの顔を見た途端に意識を失ってしまったので、多分、アキがベットに連れて行ってくれたのだろう。
私は下着姿だった。冒険服は全部脱がされており、それは机の上に丸まって置かれていた。アキらしい。くすりと笑いつつも、その笑う動作に体中が痛みを訴える。
そう言えば、私は自分に偽聖魔法を使った事が無い。使えるだろうか?私は、自分の体全体に偽聖魔法を掛けた。すると、お尻の痛みも筋肉痛もどんどん治まり痛みが消えて行った。私はホッとしてベットを降りようとして眩暈を起こし、ベットに再び倒れ込んだ。怪我は治ったが、さっきよりも体力を消耗してしまっていた。
先ほどは、上半身を起こすことくらいなら何とも無かったのに、今はそれすらも辛い。
「今更ですが、私、体力を付けなければいけませんね」
小さくため息を付くと、両手で必死に体を起こしていく。早くしないとガイエス様が迎えにいらっしゃるのだ。待たせる訳には行かない。時間をかけて必死にベットを降りると、直ぐ近くにあるドレッサーの椅子に腰かけた。顔を上げて鏡を見ると、勉強に明け暮れて2日程まんじりともし無かった時の様な顔だった。私はホッとした。これくらいならお化粧で誤魔化せるはず。
一息つくと私は立ち上がる。体の痛みは全て取り除いたので、後は体力だけ。ふら付きながらもクローゼットを開けて、着て行こうと思っていた黄色のワンピースを取り出す。これに合わせてキハラ様が、黄色地にオレンジのラインが入ったリボンを買ってくれていた。靴下もクリーム色の物が有る筈、引き出しを開けるのにはしゃがまないといけないのが辛い。でも、辛いのは一時の事、頑張らなきゃとしゃがむとそのまま座り込んでしまった。
はしたないけど、引き出しから靴下を取り出すのが簡単になった。そこでハッとして、ついつい周りを見回した後に下着も新しい物を取り出した。見るまで頭が回らなかった自分が恥ずかしくて一人で赤く成ってしまった。
なんとか全部着替え終わると椅子に座る。そして少しだけと机に突っ伏してしまった。
「エリン!エリン大丈夫か?」
耳元で誰かの声が遠くから聞こえて来た。ぼーっとした頭で周りを見回すと、目の前にしゃがんでこちらを心配そうに見るアキが居た。
「エリン、ガイエス様が迎えに来たけど、今日は外出するのは止めようか?」
アキの言葉に私は慌てた。
「い・・・いいえ、行きます」
どちらかと言えば、行きたくなかったのは昨日、今日はガイエス様とのお出かけだ。出かけたい。ふらふらと立ち上がった私を、アキが支えながら、私を困った顔で見ている。
「今の状態で、街中を歩けそう?」
「歩けます」
私は、変な歩き方に成らないように気を付け乍ら、必死にアキの前を歩いた。
「それならいいけど・・・侯爵様からのお誘いを断る訳にはいかないもんな。けど、今日はなるべく早く返して貰いなね」
「はい」
私は必死に笑顔を作り歩いた。
「お待たせしました」
「ああ。エリ・・・・ン」
私を待っていたガイエス様が私を見て口籠った。私、自分で化粧をしたのですが、上手く出来ていなかったでしょうか?
「お待たせしました」
アキが、ガイエス様に騎士の礼を取りつつ、私を横目で見た。私は、頑張りますと言う気持ちで頷くと、ガイエス様の方へ歩いて行く。するとガイエス様が隣まで来てくれて、腕を私に差し出してくれた。私は、今日は止めようと言われなかった事にホッとしてその腕に掴まった。
「じゃあ、エリンを借りて行くよ」
「はい、お気を付けていってらっしゃいませ」
「行ってきます」
教会の裏門を出ると、目の前にはガイエス様の馬車が待っていた。今回も帰して乗合馬車に成るのかな?と思っていたら、御者がさっと扉を開けた。私は、どうしたものかとガイエス様を見上げると、ガイエス様が言った。
「今日は、家の馬車で行こう。実は今日の予定は既に決めてあるんだ」
「・・・はい」
キハラ様が聞いたら怒りそうだけれど、今日の私は乗合馬車で無くてホッとしていた。私は勧められるままに馬車に乗ると、二人きりなのにガイエス様は私の隣に座った。不思議に思って見上げると、なぜかガイエス様が困ったような表情で私を見ている。
「着くまで少し眠るといいよ」
いつになく優しい声に私は、座った事も有ってまたぼんやりとしてきた。反対側の腕で私を自分の方へ引き寄せたガイエス様が、もう一度言った。
「着いたら起こすから、眠ってエリン」
私は、自分が何か答えたのかすら分からない内に眠りに落ちていた。
次に目が覚めたのは、体がふわふわと浮いている様な気がしたから。眠い目をこじ開けると、私はガイエス様にお姫様抱っこされて、そのままどこかの屋敷の中を移動していた。
「ガイエス様?」
「ああ、目が覚めたかい?」
「ここは?」
「私の屋敷だ」
ぼんやりした頭で周りを見回すと、見覚えがあった。
「昨日は大変だったと聞いてる。今日は実家からメイド達を呼び寄せてあるから、ゆっくりするといい」
「え?」
私は、どういう事か分からず、ぼんやりガイエス様を見ていたら、目的の扉の前に立ったガイエス様が、扉を開けた、年配のメイドに何かを言うと、私を下ろしてくれた。
「じゃあ、エリンを頼む」
「畏まりました」
辛うじて立っている私を、その年配のメイドが扉の中へ誘っていく。一歩中へ入った途端に、そこがどこか分かった。お風呂だった。
ガイエス様を振り返ろうとしたが、中にいた別のメイドが直ぐに扉を閉じてしまった。
「あの・・・」
お風呂にはとても入りたかったが、今の状態で入るのは無理があった。困っていると、わらわらとどこに居たのか、メイド達が4人も現れ、実に手際よく私は洋服を脱がされてしまった。
「足元にお気を付け下さい」
年配のメイドが私の手を取り風呂場へと向かう。以前来た時と違い、2人のメイドが風呂場まで一緒に入って来た。侯爵家に居た時は、メイド達に体を拭いて貰っていたから慣れている事ではあるけれど、今の私は平民の筈。この様な待遇を受けていいのかと悩んだ。
「エリン様。昨日はとてもお疲れだったでしょう?今日は、私達がきちんとそのリカバリーをさせて頂きます。ご安心下さね」
年配のメイドが指揮を執って私を頭の先から足の指先まで、洗ってくれる。もう一人のメイドが、私を後ろから洗いながら、何度も意識が朦朧としてしまう私を抱き止めてくれていた。
「全く、昨日ぼちゃまから連絡を貰った時は、呆れましたよ。冒険初心者の淑女を、こんなになる迄連れ回すS級冒険者なんて、禄でもありません!」
ガイ様の事を言っているのかしら?ガイエス様は昨日の事を知っていらっしゃったのね。アキが伝えてくれていたのかしら?
「きちんと叱っておきましたからね」
ふふ。ガイ様怒られてしまったのですね。年配のメイドの言葉を聞いて、安心した私は体の力を抜いて成すがままに洗われた。その後は、脱衣所に残っていたメイドに渡されて、体を拭かれるとそこに置かれていた柔らかな敷物の上にうつ伏せに寝かされる。このままここで寝てもいいのかしら?とぼんやり思っていたら、メイド達がマッサージを始めてくれた。疲れ切っていた体にはとても心地良く、私はまた、意識を飛ばしてしまったのだった。
◇◇◇◇
次に目が覚めたのは、ふかふかの布団の中だった。薄暗い部屋の中でもぞもぞとしていると、近くに控えていたのだろう、年配のメイドが心配そうに私の顔を覗き込んで来た。
「お目覚めですか?まだ、寝ていても大丈夫ですよ」
とても優しい声で、私の髪を梳いてくれる。少しづつ意識がはっきりして来た。朝のあのぼんやりとした感じではなく、いつもの目覚め方だった。
その上でハッとした。私は、ガイエス様に連れられてガイエス様の家へ来て、お風呂に入ってそのまま眠っていたらしい。とんでもない迷惑を掛けてしまった事に気が付き、慌てて起き上がった。見るときちんと寝巻に着替えさせて貰っていた。しかも光沢が有って肌触りがとても良い上質の寝巻だ。
「も・・・申し訳ありません。私ったら眠ってしまったのですね」
「とんでもございません。少しはお疲れは取れましたでしょうか?」
年配のメイドは、私が上半身を起き上がらせるのに無理なくサポートしてくれて、背もたれに成るようにとクッションも当ててくれた。その上冷えない様にと肩にカーデガンも掛けてくれた。
朝とは違って、体の重い感じがすっきりとしていた。
「はい。皆様のおかげです。ありがとうございます」
頭を下げると、年配のメイドはとても優しそうな笑顔を向けてくれた。
「では、しばらくお待ちいただけますか?坊ちゃまを呼んできます」
「はい」
坊ちゃま?この館で、そう呼ばれる方はガイエス様以外に考えられない。もしかしたら、この年配のメイドは、ガイエス様の乳母だったのではないだろうか。
「エリン様、白湯でございます。ゆっくりとお飲みください」
年配のメイドが出て行ったが、まだ数人部屋にはメイドが居たらしく、一人のメイドが私に、カップを渡してくれた。
「ありがとうございます」
受け取った白湯をこくんと飲むと、体が水分を欲していた事に今更ながらに気が付いて、ごくごくと飲んでしまった。
「美味しい」
思わず言葉が漏れてしまった。はっとして横にいるメイドを見ると、嬉しそうに笑ってカップを受け取ってくれた。その殆ど同時くらいにノックの音と共に扉が開いた。
「エリン!目が覚めたか?」
「坊ちゃま!お客様の部屋へ入る時は、相手が答えてからと申しておりますでしょう」
ずかずかと入って来たガイエス様を後ろから年配のメイドが嗜める。とても近しい存在なのだと微笑ましく思った。
「申し訳ありません。私ったら、すっかり寝込んでいたのですね」
「いや、昨日が過酷過ぎたのだ、すまない」
「いいえ、ガイエス様が謝る事ではありません」
ガイエス様は責任感が強い方ですね、ガイ様はギルドからの依頼だと言っていたけれど、そのギルドへ依頼をしたのは国の筈。だから自分が謝らなければと思ってしまったんですね。
私のベットの横の椅子に座ると、ガイエス様がまじまじと私の顔を見る。
「な・・・何でしょうか?」
「顔色が良く成った。良かった」
え!?私きちんと化粧をしていた筈なのですが、上手く出来ていなかったのでしょうか!?
「お風呂ありがとうございます。皆様のおかげで元気になりました」
「ああ、本当に良かった。そろそろ夕刻になる。食事の用意をさせるが、何か食べたいものはあるか?」
「これと言って無いのですが、果物が好きです」
「分かった。果物も用意させよう」
「ありがとうございます」
なぜか、ガイエス様の後ろで、年配のメイドが嬉しそうに笑っている。
「お食事は、こちらにご用意しましょうか?お二人ならこちらでお取りしても問題ないかと思われます」
「ああ、そうだな。そうしてくれ」
「畏まりました」
年配のメイドが、他のメイドに指示すると、ガイエス様の後ろに戻って来た。定位置なのだろうか?
「本日は、平民としての大切な勉強の日でしたのに、申し訳ありませんでした」
「いや、全面的に非はこちらにある気にしないでくれ」
「あ、そう言えば、今日する事はもう決まっていると仰っていました。それも全く出来ず申し訳ありません」
「ああ、きちんと出来たから大丈夫だ」
「え?」
私がよく分からなくて首を傾げると、後ろに控えていた年配のメイドが答えてくれた。
「本日のご予定は、先日S級冒険者により消耗したエリン様を労う事でした。きちんと完了しております」
「え?」
「ムルダ!余計な事は言わなくていい」
私がガイエス様を見ると赤く成ってそっぽを向いている。ガイ様が行った無体を代わりにガイエス様が労って下さるなんて、本当にガイエス様は責任感がお強くてお優しい方なのですね。ただそれだけだと言うのに、私はとても嬉しくて頬が熱くなってしまいました。そんな私達を、なぜかムルダさんは満面の笑みで見ている。
ノックの音がして、ムルダさんが入るように指示を出すと、開いた扉から美味しそうな香りが部屋へと流れて来た。良く考えてみたら、本日初めての食事です。
「さあ、お二人とも席にお付き下さい」
ムルダさんの言葉に、ガイエス様が立ち上がると、私に手を差し出した。私はその手に掴まりながらベットを降りると、食事が用意されたテーブルへとエスコートされた。
寝巻ではあるが、きちんとした室内着でも有った為、見られるのは少し恥ずかしかったが、そのまま着席した。
「ゆっくり食べてくれ。帰りはきちんと送って行くから心配しなくていい」
「ありがとうございます」
向かい合わせに座ると、直ぐに給仕がグラスにジュースを注いでくれた。
並んだ食べ物はどれも美味しそうだった。
「エリン」
「はい?」
ゆっくり食べていると、困ったような顔でガイエス様が私を見ていた。
「今暫くは、冒険者ガイと一緒に害獣退治を継続して貰う事に成る」
「はい」
「すまないが、頑張って貰えるだろうか?」
ガイエス様も、巨大害獣が私を狙って出て来るらしい事が分かっているみたいだった。どうして私を狙ってくるのか意味不明だが、事実そうであれば、市民の安全の為にも私は頑張らなければと思う。
「はい。出来る限り頑張ります」
「ありがとう。勿論、その後のリカバリーは我が家でするから安心するといいよ」
ガイエス様が、ムルダ様に視線を送る。自然と私もムルダ様を見た。
「はい。お任せ下さいませ。本来であれば、害獣退治をしたその日のうちにリカバリーしたいところですが、エリン様は、まだ外泊は許されておりませんので、翌日、今日の様にこちらへ来ていただきたく思います」
「お気遣いありがとうございます」
私が頭を下げると、少しムルダ様は驚いている表情をしたが、直ぐににっこり笑って下さった。
「はい。メイド一同で頑張らせていただきますね」
私もにっこり笑って食事を続けた。
食後、少しだけ食休みをガイエス様と他愛無いおしゃべりをして過ごすと、先にガイエス様が馬車へ向かい、ムルダ様がメイド達を指揮して、私を元の服へ着替えさせてくれた。
帰りの馬車では、ガイエス様は前の席に座っており、少し寂しく思ったが、私のサポートにとムルダ様も馬車に乗っていた。
ムルダ様曰く、未婚の男女が二人きりは外聞が悪いのだそうだ。
私、先日はガイ様と二人きりでしたし、今日の馬車もガイエス様と二人きりでした。平民は問題が無かったはず。貴族であるガイエス様をおもんばかっての事ですね。自分のうかつさに申し訳なく思った。
教会へ着くと、心配してくれていたのだろうドアノッカーを叩いて直ぐにアキが迎えに来てくれた。現れたのがガイエス様だけではなくムルダもいたので、少し不思議そうな顔をしていた。
「では、また来週迎えに来る」
「はい。お待ちしています」
そういう意味では無いのだけれど、次の約束が有る事が嬉しく思ってしまう。私はムルダ様にも会釈をして部屋へと戻ったのだった。