初めてのお出かけ ニ日目 2
ウサギはぴょんぴょん跳ねると思っていたのですが、角ウサギは地を這う様に走って来ます。キハラ様のスピードも負けてはいません。しかし、あのスピードに私が対応出来るかと言うと疑問です。
「エリン様!」
やっと言葉が分かるくらい近くなりました。私は微笑みながら立ち止まりキハラ様を待ちます。
「走って!逃げて下さい!!エリン様!!」
キハラ様は追われていたのですね。弱りました。逃げろと言われてもどこへ行けば良いのやら、今までは護衛の騎士がいたので、騎士が示すところへ移動すれば良かったのですが・・・。あ、キハラ様も騎士でした。
「どちらへ行けばよろしいでしょうか?」
キハラ様にお伺いを立ててみます。
「あっち!もと来た道です!!急いで!!」
キハラ様が指差した先は、先程来た道です。私は頷くと走り出します。・・・ですが、いつもの事ですがとても遅いです。歩行補助が付いていてるのでいつよりは早いと思うのですが、それでもとても角ウサギのスピードから逃れる事が出来るとは思えません。
キハラ様の方を見ると、角ウサギがキハラ様を追うのを止めて私の方へ走って来ているのが見えます。どこかで同じ事が有った気がしました。そうジェズガの時も、私、ロックオンされました。
「エリン様ぁ~!!」
完全に私一人を追い始めた角ウサギは、物凄いスピードで私に追いついて来ます。頭を下ろし、角を私に向けて走って来るのです。あの角に刺されたら、きっと私は・・・・。2回目の死の恐怖を感じました。私は必死に走ったのですが足が縺れて転んでしまいました。恐る恐る振り返ると土埃を上げて角ウサギが迫ってきています。恐怖に目を閉じると、近くでドガンドカンドガガガガ・・・と音が聞こえました。
驚いて目を開けると、一気に私の体の中に黄色の魔力が流れ込んできて、私の力に干渉しました。ハッと顔を上げると、キハラ様の魔法でした。いくつも砕けた黄色い魔法の欠片が周りに飛び散っており、少しづつ消えていきます。その中でも厚い黄色の塊が、角ウサギの角に刺されてひび割れつつも私を守ってくれていました。
キハラ様を見ると、後方で呪文を唱えています。その瞳は私に動けと語り掛けているようでした。
私は、立ち上がりもと来た道へと必死に走りました。しかし、きっとキハラ様の壁が壊れたらまた、私を追ってくるでしょう。今逃げたとしてもどれだけの距離が稼げるのか・・・・。
ふと、私は先程の箱を思い出しました。マジックバックから箱を取り出すと、走りながら開けます。殆ど同時にパリンとキハラ様の壁が割れる音がしました。私は必死に赤色の玉を握り、振り返ると投げつけました。しかし、相手も見ずに投げた赤玉は、ウサギの手前に落ち爆発し砂埃があがりました。
赤では視界が悪くなってしまって駄目です。多分、角ウサギも私を見失っただろうとは思いますが、私も逃げ道が、分からなくなってしまいました。
砂埃が収まるまで動けなくなった私は、箱の中から黄色の玉を取り出し、目を凝らしてあたりを見回します。砂埃が落ち着いて来ると、角ウサギは、既にかなりの近さに見えました。慌ててその角に向かって黄色の玉を投げつけます。今度は上手く角に当たり黄色の煙が角ウサギに纏わりつき、角ウサギが突然弛緩しパタリと倒れ、足を真っ直ぐ延ばしてピクピクしています。
「上出来です!」
キハラ様の声が左側から聞こえました。顔を上げるとキハラ様が左側から手を伸ばして走って来ます。
「こちらへ!シビレ玉は一定の時間しか効きません。今の内に逃げましょう!」
「はい」
私は、箱からもう一つ黄色の玉を取り出しつつ、キハラ様の方へ走りました。茸を取る為にかなり奥へ来てしまったので、どう考えても、私の足ではもと来た道まで戻るのは物理的に無理だと思い、キハラ様と合流する事にしました。多分キハラ様も同じ考えで手を伸ばしたのでしょう。
合流する寸前でキハラ様は止まり、また呪文を唱え始めました。すると直ぐに黄色の魔力が私に向かって流れてきて、私を包み、私の力と融合します。
「防御力の強化を掛けました。少しは役に立つでしょう」
キハラ様に追いつき、私は体中で息をしながら頷いた。もう、言葉を話すのも辛いのです。そんな姿にキハラ様が悲しそうな顔をした。
「突然、走り回されて辛いと思いますが、まだまだ走って貰います。いいですね?」
私は、頷くしかなかった。キハラ様が、ご自分用の木箱から長い棒の赤(緊急を要する救難信号)を取り出し、空に向けて下についていた紐を引っ張る。すると、真っ赤な煙が空に打ちあがった。それをポイっと投げると、煙はそのまま出続けていた。
「誰か、来てくれるといいのだけれど」
小さな声でキハラ様が言った。箱の中を見ると、既に長い棒以外は無かった。
「エリン様、私の魔法は補助魔法しか無いです」
「はい」
息が整ってきた私は、私をじっと見るキハラ様の表情が怖かった。
「ですから武器は剣のみです。いつもの小さな角ウサギなら簡単に倒せるのですが・・・あれは一体何なんでしょうね」
キハラ様が視線を横に向けた。私も大きな角ウサギに視線を向けます。
「エリン様はこのまま出口まで頑張って走って下さい。絶対に後ろを振り返らず、出来る限りの速さで走って下さい」
私が、角ウサギからキハラ様へ視線を戻すと、先程と同じ怖い顔に成っていました。
「私に出来るのは時間稼ぎくらいしかないかも知れません。それでも、出来る限り稼ぎますから、エリン様は逃げる事だけを考えて下さい。いいですね?」
私は、首を横に振ります。
「いえ、ご一緒に・・・」
「駄目です!私は騎士ですから、こう言う事には慣れています。エリン様は助かる事だけを考えて力一杯走って下さい」
「そんなの・・・嫌です!」
「聞き分けて下さい!エリン様。私は騎士なのです、騎士は市民を守る為に存在します。私の存在理由を奪わないで下さい」
「私は犯罪者です!守って貰う必要はございません!」
「いいえ、何を言っているんですか、エリン様も、私の大切なオルケイア国の市民です。きちんと市民カード持ってるじゃないですか」
私は洋服の内側に入れている市民カードを服の上から触った。
「ですが・・・・」
「エリン様!危ない!」
私が俯き、性懲りもなく呟こうとした時、キハラ様に物凄い勢いで突き飛ばされた。私に覆いかぶさったキハラ様が、素早く立ち上がり、私を引き起こすとトンと背中を押した。
「行って!」
語気の強い声に私は、押されるままに走り出した。もう押し問答している時間など無いのだと、押された背中の温もりに私は唇を噛みしめて走った。後ろからはキハラ様の気合の入った声と剣の当たる音が聞こえる。思ったよりも剣が当たる音が何度も聞こえるので、もしかしたら優勢なのかも知れないと、少し思い直した時だった。
「きゃああぁぁぁぁ~!」
キハラ様の絶叫が上がった。私は、つい後ろを振り返ってしまった。その視線の先で、キハラ様の体が大な弧を描き、右側へ吹き飛んでいく。尚も、角ウサギはキハラ様を追いかけている。
キハラ様の体が、草の上を何度かバウンドして横にごろごろ転がった。
「ひっ」
しかし、キハラ様は体を必死に起こし、転がっても持ち続けていた剣を自分の目の前に翳し、左手で剣の下を抑えると、角ウサギの角を剣の上で滑らせ身を庇う。しかし、それ以上に巨体のウサギの体に、キハラ様は再度吹き飛ばされてしまった。しかも私の方へ。
「キハラ様!」
このままでは、キハラ様は確実に角ウサギに殺されてしまう。何が出来る訳でもないのに、私は、キハラ様に駆け寄っていた。
「エ・・・リン・・さま・・・どうして」
「ご・・ごめんなさい」
ここまでして助けようとしてくれたのに、私はその気持ちを汲むことが出来ず謝る事しか出来なかった。それでも、このままキハラ様を一人残していくなど考えられなかった。
「もう・・・・これだから・・・お嬢様は」
キハラ様は、苦しいだろうに必死に上半身を起こした。右足が上手く動かないようだ。折れているのかも知れない。しかし、それを感じさせない様にして、私を角ウサギから守ろうとする。しかし、当の角ウサギは、再度私を見つけて、目標を私に定めていた。
(ジェズガといい角ウサギといい、なぜ私を追いかけて来るの?)
目の前で、キハラ様が呪文と唱え始めた。体から黄色い魔力があふれ出し、角ウサギの前に壁を何個も作る。私に見える魔力は、どうやら角ウサギにも見えないらしく、こちらを睨み、鼻息を荒くすると、前足で何度も土を掘り返し、突然走り出した。
案の定、キハラ様の防御壁にぶち当たり、一瞬ひるんだが再度突進してくる。何度も繰り返し、キハラ様の張った防護壁を1枚づつ壊して近づいて来る。
キハラ様の背中にしがみついていた私にキハラ様の体重が圧し掛かって来る。驚いてキハラ様を見ると、殆ど目が開いていない、必死に口元は呪文を唱え続けているが、既に意識が朦朧としているのが分かった。
私は、先程キハラ様から流れ込んで来た黄色の魔力と類似している自分の魔力を引っ張り出すと、キハラ様の魔力に絡めて一緒に防護壁を作る。しかし、キハラ様の防護壁は柔らかく角ウサギが何度も体当たりをするとどんどん壊れて行ってしまう。これでは、持たないと思った最中、キハラ様の声が途切れた。
途中から私も防護壁を張っていたので、防護壁はそのまま残っている。
「だ・・・れか、・・・・エリ・・・ンさ・・ま・・・を助け・・・て」
キハラ様は、小さく呟くと私の腕の中で意識を失った。重くなったキハラ様の体をギュッと抱きしめて前を向くと、私の張ったキハラ様の防護壁も、同じような強度の為次々と壊されていく。このままでは、時間の問題だった。
最後の一枚が壊された時、私は咄嗟に偽白い魔法を角ウサギの前に発動した。これも突き崩すつもりだったのだろう、力一杯に体当たりをした角ウサギは、物凄い勢いではじかれて倒れた。
私はキハラ様と角ウサギを交互に見つめた。しかしキハラ様は全く動かず、角ウサギは、ゆっくりと立ち上がり、頭を数回振ると、私の方へ再度体を向け、突進して来る。知能が低いのだろう、迂回して攻める事を考えないようだ。
偽白い魔法の強度はかなり高い。何度も何度も体当たりを繰り返しているが、ヒビすら入らない。それでも、目の前で息を荒げ、赤い目を吊り上げて突進してくる巨大な角ウサギの姿は恐ろしいものだった。
(ど・・どうしよう?私、攻撃魔法は持っていないし、このまま偽魔力が尽きてしまったらどうなるの?)
キハラ様の唇は真っ蒼になっていて、状態が悪い事が見て取れる。このまま、魔力が尽きるまで頑張って、もし角ウサギが根負けして逃げて行ったとしても、その時にキハラ様は大丈夫なのだろうか?
私は、寒気を覚えて体を震わせた。流石に、偽白い魔法を使っている時に、偽聖魔法を同時に使う事は出来ない。
ふと、ジェズガの時の事を思い出した。私は偽白い魔法をジェズガのイカ墨の出口に展開して蓋をした。そう、蓋以上の大きさにはしなかったが、もし、あれを体の内側で体以上の大きさで展開をしたら?もしかしたら倒せたのだろうか?
角ウサギにも鼻が有る。そこから偽白い魔法を送り込んで、体の内側で展開する事が出来るのかも知れない?どうなるのか分からないけど・・・・。
私は言い知れない恐怖に震えた。角ウサギを私が殺す?倒す?討伐する?
・・・・命を奪うの?私が?体の震えが激しく成って行く。キハラ様の体を支えていたのが、今は縋り付いている。怖くて。
命を奪う事が怖くて。とても偽善的な話だ。だって、私達はいつだって何かの動物や植物を食べている。それは食事と言う言葉を使っているけれど、実際は、誰かが私達の為に、動物や植物を殺しているのだ。私が手を掛けていないからと言って、私は殺していないなんて言える訳がない。けれど、実際に行うのは・・・・。
「・・・怖い。怖いの」
腕の中で、まだかすかに息をしているキハラ様を助ける為には、私はこの恐怖と戦わないといけない。それが分かっているのに、私には命を奪う覚悟が出来ない。私は、意識の無いキハラ様に縋り付き己の不甲斐なさに涙が溢れた。
「た・・・・たす・・けて。助けて下さい!誰でもいいから、お願いします。助けて下さい!!」
私は、キハラ様を助けて欲しいのか、それとも自分を助けて欲しいのか分からないままに、必死に叫んでいた。
「ああ、分かった。今助ける」
その力強い声は遠くから、私の耳に落ちて来た。