オルケイア国 上陸
朝食を終え、船室で寛いでいると周りが騒がしくなって来た。船が接岸したのだ。
「エリン様、私達は一般客が全員降りてから降りるので、時間があります」
「はい」
「エリン様の洋服は私のバックに入れて行きますね」
「ありがとうございます」
王宮の侍女のお仕着せしか持たない私は、今日の服もキハラ様の服を借りている。持ち物の無い私に気を使ってキハラ様が、私の唯一の服をご自身のバックに入れてくれると言ってくれた。
本当は、アイテムボックスが有るけれど、秘密なのでお願いしている。
キハラ様は、多分軍用のリュックサックだと思うが、ぱんぱんに荷物が入っている。重そうだ。
船内の窓から外を見ていると、どんどん人がタラップを降りて行っている。
船の後方が騒がしくなって来た。きっとジェズガを陸揚しているのだろう。
人々が大きな荷物を抱えて、乗合馬車へとどんどん吸い込まれて行く。迎えの馬車に入る人もいる、きっと貴族か、もしくは大店の平民だろう。暫くすると、殆どの人が居なくなってしまった。
しかし、船の後方の騒ぎは未だに続いている。ふと見ると、先程からずっと止まっていた黒塗りの頑丈そうな馬車が重々しく船の前に止まった。その後ろに騎士服を着た人が2人、馬に乗って付いて来る。
コンコンコンとドアをノックする音がした。
「はい!」
キハラ様が扉を開けると、ダスガン様とガイエス様が、たいして荷物が入って無さそうなリュックサックを背負って立っていた。
「迎えが到着しました。行きましょうか」
「はい」
私は、立ち上がり、船室から出ると、ダスガン様の後を付いていく。その後ろをガイエス様とキハラ様が付いて来た。
思った通り、船を降りると黒塗りの馬車の近くに立っていた4人の騎士がダスガン様へ近づき胸に手を当てて敬礼した。
『ダスガン様!お待ちしていました』
『お迎えご苦労。こちらが、エリン殿だ』
ダスガン様は、体一つ分避けて、私が見える様にしてくれた。
『お初にお目にかかります。エリンと申します。よろしくお願いいたします』
この挨拶が正しいのか分からなかったけれど、紹介を受けた以上は挨拶しなければと膝を少し落として頭を下げる。
迎えに来た4人の騎士は、お互いにちらちらと視線を投げかけた後に、胸に手を当てて会釈してくれた。
『エリン殿から奥へどうぞ』
『ありがとうございます』
私は、馬車のタラップの前まで行くと、習慣とは恐ろしいもので無意識に手を出してしまった。恥ずかしくなりそっと手を降ろそうとした時、その手を掬うようにして誰かの手が触れた。
驚いて横を見るとガイエス様だった。あまりにも意外な人だったので、まじまじと見てしまう。
『奥の右側へどうぞ』
『ありがとうございます』
言われるまま乗ると、続いてガイエス様も乗り込み、私の前に座った。続いてダスガン様がガイエス様の隣に座り、キハラ様が私の隣に座った。何故か妙に狼狽えている4人の騎士は、馬車の扉を閉じると各々の位置に着いたようだ。
ダスガン様が、馬車の中から御者側の小窓を開けて指示を出す。
『最初は、役所へ向かってくれ』
『はい!』
先頭は制服を着た人が馬に乗り走り、その後を馬車、最後を制服を着た人が馬に乗って付いて来る。
「カーテンを開けるか?景色を見ながら行くのもいいぞ」
「はい、見たいです」
走り出した馬車の中で、いつもはあまり話さないガイエス様が声を掛けてくれた。私の言葉に、横にあった紐を引っ張りカーテンを開けてくれる。そこに立派な鉄格子が嵌っていて、ちょっと驚いたが外を見るのにそこまで気には成らない。
「・・・護送車だからな」
「はい。でも景色はよく見えますから」
ガイエス様の方が驚いていたようで、逆に気を使わせてしまったみたいだ。
海沿いの道を抜け、広い農地を横に見ながら走り、雑木林を抜けて漸く都市に近づいて来た。王都の前には城壁があり、門の前で市民は並んで順番を待っていたが、私達は別の軍用の入り口から入った。
1時間半くらいはかかったろうか、やっと王都の役所へと到着した。馬車は役所の裏に止められ、今度は、ダスガン様が私に手を貸して下さり下車し、私達は市役所へと入って行った。その間も、なぜか迎えに来てくれた4人の騎士達の挙動不審は続いている。
私が首を傾げていると、キハラ様が近寄って来て耳元で言った。
「本来なら、手を紐で結んだり腰を紐で結んで、その紐を私達が持って移動するんです。それが無いので驚いているんですよ」
「まあ、そうだったんですね。今からでもしますか?」
「不要だ」
こそこそキハラ様と二人で話していたのに、横からガイエス様が割り込んで来た。本当にどうしてしまったのか?初めから比べるとよく話をしてくれる。
私とキハラ様は、お互いの顔を見合わせてくすくすと笑った。
通された部屋には、細かい細工が施された木製の仕事机を前に座っている40代後半くらいの男性と、左奥にある接客用の革製のソファーに腰を下ろしている50代半ばの男性がいた。
40代後半の男性が、ダスガン様に言った。
『通訳が必要だな』
『いいえ、エリン殿は既にオルケイア語を習得されていましたので、問題なく会話が出来ます』
少し驚いたような顔で、部屋にいたお二人の視線が私に注がれる。
私は、目上の方に自ら話しかけるのは失礼なので、膝を少し曲げ頭を下げた。
『ああ、君がエリン君だね。初めまして、私はこの王都エイケルーラの市長を務めている、リカルド・クリンダーです。さあ、こちらへどうぞ』
仕事机に座っていた40代の男性は立ち上がると、人好きのする笑顔で、自分の机の前の椅子をすすめて来た。
『お初にお目にかかります。私はエリンと申します。本日はお忙しい中お時間を頂きありがとうございます』
静かに礼をして、勧められた椅子に座る。すると、リカルド様も椅子に座り直した。
私の横をダスガン様が通り抜け、アズバル様から受け取った書類の入った箱をリカルド様に手渡す。
『書類一式受取って参りました。お納め下さい』
『ありがとう、手続きが終わったら呼ぶので、君達は退室するように』
『畏まりました』
少し不安になってダスガン様を見ると、ダスガン様も私を見てにっこり笑って下さると、部屋の中のお二方へ礼をし皆を連れて出て行った。こんなにも何度も年配の知らない方とお話をするのは、初めてで、緊張の連続だけど、自分で選んだ道なので、今は歯を食いしばって頑張る時だと、私は思い直した。
受け取った書類に一通り目を通すと、リカルド様は、ソファーに座っている方にそれを渡し、席へ戻って来た。左側でカサリと書類をめくる音がする。
『それでは、エリン君、まずはようこそ!オルケイア国へ。諸手を挙げて歓迎と言う訳には行かないが、我々は貴方を受け入れる事に決定した。伺う罪状は悪質かつ狡猾な悪事だが、君はまだ未成年、15歳だ。やり直しの利く年齢だと思っている。これからの人生を真っ当に生きる為に、フルメリア教会で司祭様や神官様、聖女様やシスターから人の道を学んで欲しい。約束できるかな?』
『はい。全身全霊を掛けて、この国の法に則り、正しき道を進んでゆく所存でございます』
リカルド様は、私の眼をじっと見たまま少し不思議そうな顔をした。
『君の罪状だが、婚約者の愛人に危害を加え、あまつさえ殺そうとしたんだよね?』
『あ・・・愛人・・でご・・・ございますか?』
その様な言葉で考えた事が無かったので、頬が熱くなり狼狽えて、復唱する部分を間違えてしまいました。聖女ルメリアをその様な言葉に例える方は今まで居りませんでしたので。
『失礼。聖女ルメリアに対してという事です』
『はい』
もう結論の出ている罪状です。ここで翻しても意味がありません。私は、国外追放を望んで受け入れたのですから、全て受け入れましょう。私は背筋を伸ばし胸を張り、はっきりと頷いた。
『ふむ。その年齢で、中々凄い事をしていますね。市井には良く行かれていたのですか?』
『いいえ、一度も伺った事はございません』
『・・・そうですか、では、聖女ルメリアの殺人依頼はどの様にして行ったのですか?』
考えた事も有りませんでした。もし、私が出来る事で考えるなら?
『使いの者を出しました』
『ほほう。では、報酬のやり取りはどうされたのですか?』
私、お金を自分で払った事がありません。買い物は全て商人が館へ来て、品物を見せて貰い欲しい物を選んでいただけでしたから・・・。でも、両親が支払っていたらおかしいですわね。
そう言えば、学園でご令息様達が、特殊な清算方法があると話しているのを聞いた事があります。これはかなり信頼関係を築いていないと出来ない事だとも仰っていらっしゃっいました。これなら良いかもしれません。
『ツケでお願いいたしました』
『・・・ツケ?』
どうしたのでしょう?リカルド様が私の顔をまじまじと見つめてきます。
『初めからツケで依頼をしたのですか?』
『はい、私達はとても強い信頼関係で結ばれておりましたので』
『会った事もないのに?』
『はい。バズガイン侯爵家の信頼度は確かなものでございます』
そう!私個人ではなく、バズガイン侯爵家の信頼度で言ったら、問題は無いでしょう。きっと、あの断罪の広間で、お兄様もそう言うつもりだった筈。
『君一人の策略による罪だと聞いているのだが?』
『はい。私一人で努めました』
どうしたのでしょうか?リカルド様が渋い顔をしてこちらを見ています。
『依頼金はいくらでしたか?』
突然、左側のソファーに座っていらっしゃる方が話しかけて来ました。驚いてそちらを見ると、手元の書類をテーブルの上に置き、腕を組み私をじっと見ている。不思議とどこかで見た事がある気がします。
弱りました。買い物も品物を指差すだけで、金額を聞いた事が有りません。いくらが妥当でしょうか?
そう言えば、ガーウィン王子が私に下さった300ゼネガルは大金だと思います。それくらいならいいかも知れません。
『300ゼネガルでございます』
迷いなく伝えた金額に、お二方とも無反応です。きっとご納得いただけたのですわね。
『何回、依頼をしましたか?』
リカルド市長様が続けます。これは知っています。会場の皆様が仰っていました。毒殺・刺殺・事故の3回ですわ。沢山お願いしたものですわね。
『3回も依頼しました』
はっきりとお伝えすると、どうしてなのかお二方が視線を合わせて、首を捻っている。
『この書類には、12回とあるが?3回ですか?』
まあ、そんなに!お兄様盛りすぎですわ。でも、大丈夫です。私は、何かあった場合に王子をフォローする為の話法も家庭教師から教えて貰っています。
『正式な依頼は3回だったのですが、任務を遂行出来なかった皆様が、己の誇りの為に、複数回行われたのでしょう。結果としては失敗ではございましたが、皆様の努力は称賛に値するかと存じます』
私だって、勉強を覚えるのに、何度も何度も間違い、覚え直しをし正しい答えを身に付けて来ました。どのような事でも、同じです。私は、お二人に微笑みながら頷いて見せた。
『・・・まあ、そう言う事にしておきましょう』
少しお疲れの様で、蟀谷を抑えたリカルド市長が、書類束の中から魔法紙を取り出し、私の前に置いた。
『ここに、署名と血判を押して下さい』
『はい』
私は言われるがままに、平民としての名前を書き、血判を押した。
『これは仮登録です。18歳に成り、君の生活態度がオルケイア国で生活するに値すると認められたら、本登録をして貰います。君の努力を期待します』
『はい。ご期待に沿えるよう頑張りたいと存じます』
私は、椅子から立ちお二方に右足を少し曲げて、礼をした。すると、お二方とも会釈を返して下さいました。私、きちんと対処出来た気がします。
リカルド市長が机に置いてあった鈴を鳴らすと、後ろの扉が開き、私は部屋を退出すると様にと促されたのでした。