妄執の王太子
グルナードがシスルと甘い生活を送るようになって少し経った頃、王太子とアネモネが正式に結婚すると発表がなされた。
その話を聞いた時にグルナードは不安になったが、シスルの方は至って平然と過ごしている。
やはりシスルの言う通り、あの婚約破棄騒動は王太子の一方的な思い込みから起こしたものだったのかと安堵しつつも、彼女を好きになり過ぎてしまったグルナードの不安は完全には消えなかった。
そんなある日、いつものようにシスルとお茶を飲もうとグルナードが席に着くと、茶器を手にした彼女が窓の外を見るなり顔を顰めたように見えた。
それに嫌な引っ掛かりを覚えて、グルナードが立ち上がり窓の方へ向かうと、まるで遮るようにシスルが慌てて立ちはだかる。
「ど、どうしました?」
「外に誰がいる?」
「だ、誰も、誰もおりませんわ!」
明らかに様子がおかしいシスルを押しのけ外を覗くと、ふと木立に金色の何かが隠れたように見えて、グルナードは部屋を飛び出した。
部屋で叫ぶシスルの声を振り払うように階段を駆け下りながらも、窓の外の木立に隠れた金色が王太子の金髪のようだった気がして、嫌な汗が湧き出て眩暈が襲う。
信じたくない。信じられない。
シスルを深く愛してゆく内に、嫉妬から探らせた貴族学園での王太子とのやり取りが頭を過ぎった。
話によれば二人は適切な距離は取りつつも本当に恋人同士のようだったという。
結婚当初とは違い、心を通い合わせた今では王太子を無碍にできなかったというシスルの言葉を信じているが、仲睦まじい二人を想像するだけで腸が煮えくり返りそうになったことは事実で、相手が王太子でなく今が戦時中であれば、どさくさに紛れて手にかけていたかもしれない。
その憎い相手がシスルにまだ恋慕して、ここまでやってきているかもしれないのだ。
そしてそのことを隠すようなシスルの様子に胸がざわつく。
(まさか二人は本当は想い合っていて、今までも自分の目を盗んでこうして見つめ合っていたのか? 逢瀬をしていたのではないか? 俺のことを騙していたのか?)
嫉妬からシスルを疑う感情まで芽生えてきて、グルナードはガシャンっと乱暴に門扉を開けると、そこにはグルナードが案じた通り王太子ミムラスが小さな白い花束を手に幽鬼のような表情で木立の影に突っ立っていた。
式典の時に着用する礼服ではなくラフなシャツとスラックス姿のミムラスの金髪は乱れ、端正だった顔は窶れ両目は落ち窪んでいる。
手に持っている花束も豪華な物ではなく、いかにもその辺で摘んできた野花をリボンでとめただけのみすぼらしい品だった。
婚約破棄騒動からたった半年しか経っていないのに随分と様変わりしてしまったミムラスに、彼のシスルへの愛の深さを知ったグルナードだったが今更現れても彼女を返す気などさらさらない。
しかし相手は王太子のため手を出すわけにはいかず、睨みつけて威嚇するしかないグルナードの後方から小さな声が聞こえた。
「ミムラス殿下……どうして」
放たれた言葉にハッとして後ろを振り返れば、グルナードを追いかけてきたのであろうシスルが息を切らして呆然と立ち尽くしている。
その瑠璃色の瞳にミムラスを映したくなくて、グルナードは二人の間に立ちはだかったが、それより早く王太子が歓喜の声をあげた。
「シスル、やっと会えた……」
幽鬼のような表情から一転、ギラギラしたような瞳に変わったミムラスは木立の影から出てくると、手にした花束を差し出して言い放つ。
「ブラックサレナ将軍、シスルを返してくれ。シスル、君の憂いは取り払ったから、だから私と一緒に行こう。シスルが好きだと言っていたシロツメクサの花束も用意したんだ」
シスルへ向かって花束を差し出しながらフラフラと近づいてくるミムラスは、返せと言いつつもグルナードの返答は求めていないようで脇をすり抜けてゆく。
(もし花束をシスルが受けとったら? 俺の妻になりたいと言っていた言葉が嘘だったとしたら?)
真っ暗な闇に放り出されたような感覚に陥り、嫉妬と疑心で混乱するグルナードは動けない。だが……。
「……いや」
ふと微かに聞こえた拒否を示した震える声がシスルのものだと認識した時、グルナードの迷いは消えた。
「俺のシスルは渡さない!」
今にもシスルを捕えようとしていたミムラスの腕を咄嗟に掴んで引き離す。
腕を掴まれたことに驚愕の表情を浮かべたミムラスだったが激しい抵抗を見せ、二人は揉み合い絡み合い、グルナードが王太子を組み敷いた所で腹部に鈍い痛みが走った。
突然の衝撃にグルナードは腹部を手で押さえる。
一方抑えつけられていた力が弱まりミムラスは膝立ちで起き上がるも、その表情は虚ろで前身は細かく震えていた。
「グルナード将軍!」
悲鳴のようなシスルの声に、肩で息を吐きながらグルナードが手を伸ばすも、その手からはポタポタと赤い液体が滴り落ちる。同時に遅れてやってきた腹部の激痛に耐えかねて前のめりで倒れこんだ。
「いや、いや! 死なないでグルナード将軍!」
駆け付けたシスルがグルナードの掌を両手で抱きしめ、その手と胸を真っ赤に染める。
「私を置いていかないで。やっと貴方の妻になれたのに、私達これからなのに……グルナード将軍!」
どくどくと血を流すグルナードに縋り付きながら必死に言葉をかけるシスルに、血塗れのナイフと花束を手に持ち呆然と膝立ちをしたままのミムラスの顔が歪んでゆく。
「な……んで? なんで? 私は意に沿わぬ結婚を強いられた君を助けようとして……それなのに、なんでそんな奴に縋り付くんだ……?」
「私はそんなこと望んでいません! それよりも、誰か! 誰か、お願い! グルナード将軍を助けて!」
着ていたドレスの裾を破りグルナードの止血をしながら叫ぶシスルの声に、次々と周囲に人が集まってきても、ミムラスの瞳は虚ろに彷徨い、表情は困惑の色を隠せない。
「ねえ、シスル……私を見て……こっちを見てよ……早く一緒に行こう? さぁ、私の手をとって……」
「私、王太子殿下と一緒になんて行きません! このままグルナード将軍が助からなかったら一生お恨み申し上げます」
「シスル! ……まさか私を愛していると言ったのは嘘だったのか? 生涯私だけだと、私のことだけを愛してゆくと言ってくれたではないか!」
絶望と憤怒を狂気の籠った瞳にのせて、血のついたナイフを握りしめたままシスルへ近づこうとするミムラスに周囲の人々が悲鳴をあげた時、衛兵の到着を告げる笛が鳴り響く。
「……シスル!」
「そこまでです」
尚もシスルを振り向かせようと名前を呼んだミムラスの声は、駆け付けた衛兵によって遮られ身柄を拘束された。
だがミムラスはナイフを取り上げられ両腕を掴まれても諦めきれないのか、尚も絶叫する。
「何故だ、シスル! シスルのためにやったのに! 私を見捨てないで! 君を愛しているんだ! シスル! もう一度私を愛していると言ってくれ! シスル! シスル!」
名前を連呼し続けるミムラスだったが、その間もシスルは救護隊に応急処置されるグルナードに付きっきりで、一瞥をくれることもない。
やがてどんなに叫んでも振り返らない愛しい人の拒絶の姿に、ぷっつりと糸が切れたように項垂れると、ずっと握りしめていた花束がポトリと地面に落下する。
衛兵たちに連行されたミムラスが去った後には、人々に踏みつぶされて無残な姿になったシロツメクサの残骸だけが取り残されていた。