第19話
「逃げろっ!!!」
「っ!!!」
アルガスの悲鳴に近い叫び声が耳を貫いた。その叫び声と同時に、辺りが夜の帷に包まれる。夜になったわけではない。憎悪や悪意を固めたようなものがドーム状に覆ったのだ。
なに、これ……。
恐怖で一歩も動けなかった。呼吸すら思うままにできず、ヒューヒューと喉から音が漏れる。
体の震えが止まらない。死んだのかと思うほど肌は氷のように冷たくなっていた。
「チッ……転移阻害の結界を張られたか。レア、気を引き締めろ。命に変えてでも姫達を守れ。私の補助も頼む」
「言われなくても分かってるよ! 死んでも守るに決まってるでしょ!」
「……そうだな」
アルガスの言葉にレアは大きく頷いた。
レアは私たちを元気つけるために明るく言ったのだろう。でも、自身の心情は隠せても足の震えまでは隠せていなかった。
なんで、なんで……
「っ、まって……」
「ひめ?」
服の裾を掴んで引っ張る。いかないでいかないで、そっちにだけは。
「っなんでそこまでするの……?」
命をかけてくれるの?
飲み込んだ言葉は口から出ることは無かった。レアたちのように、自分の命をいとも簡単に捨ててしまう光景を何度も見た。
祈りを込めてレアを見上げる。でも、私の使い魔は全部お見通しだった。
「だいじょうぶだから!」
「でもっ……」
「ひーめ」
唇にレアの人差し指が当たる。私が言おうとした言葉を咎めるように。たったそれだけで声が出なくなってしまう。
「ぼくだって死ぬつもりはないよ! それに、こんな奴にぼくらが負けると思う?」
「!」
こんな自信満々な顔で笑われたら、心配しているこっちがレアたちに失礼ではないか。
何とかまともに繕った顔で言葉を絞り出す。
「……思わない」
「でしょっ! ……ぼくだっておいていかれるの悲しいもん」
「……レア?」
横顔は影になっていて上手く見えない。けれどその声色が心を揺さぶった。
何が彼女をこんなにも痛めつけるのだろう。
『ライズ <パワー・スピード・ライフ>』
「ソーニャ!?」
その途端、温かい光が私達を包んだ。自然と力が漲ってくる。力が湧き上がってくる。この感覚は私にとって慣れたものだった。
隣に目を移すと、ソーニャが両膝をつき、祈るように手を合わせていた。
強化魔法を味方全員にかけてくれていたのだ。
理由が分からず戸惑っていると、祈る姿勢を崩さずに微笑んだ。
「フェリアは失うのが怖いんでしょー」
「あ……」
その言葉はすとんと胸の中に落ちた。
何で気づかなかったのだろう。死んでほしく無いし生きていてほしい。その想いは相手が大切だからだと思っていた。
けど、結局は自分が悲しくなるのが嫌なのだ。一人置いていかれるのが。
「そんなに死んでほしく無いなら、一緒に戦えばいいよー! アルガスさんとレアちゃんの二人だけで戦うのが心配ならね。だって……ここには四人の魔法使いがいるんだよー!!!」
「よにん……!」
何を勘違いしていた。そもそも、ただ守られるのは嫌いだ。死にたくないなら、生きていたいなら、守らないと。
一人笑って立ち上がる。
「ソーニャはそのまま後方支援を、レアと私はアルガスが隙を作った瞬間に畳み掛けるよ!」
「だめだよっ! ひめは大人しく……」
私の指示にレアが反発する。でも、こちらにもプライドがある。
「こんなのに私が負けるとでも?」
「ぐぅ……」
レアは私の言葉に反論できない。さっき自分が言ったことが返ってきただけだから。
耳をペタンと倒してしょげていたが、首をふるふると横に振る。
「……ひめと一緒にあいつ倒す! この戦いが終わったら、ひめと一緒にお昼寝するの!」
「レアっ!?」
叫んだがもう遅い。レアは目にも止まらない速度で黒フードの男へ向かったかと思うと、背後に回り、太ももに括り付けていたナイフを素早く投擲した。
「うぇ!?」
だがそのナイフが刺さることはなく、カランと音を立てて地面に落下した。
その一瞬の動揺を見逃すはずが無かった。男は後ろを振り向き、片手を掲げた。
まずいっ!? ゼロ距離で呪文を打つ気だ。流石のレアでもそれに耐えられるはずがない。
カバーも間に合わない。男は禍々しい靄をまとった腕をレアめがけて振り下ろす。
れ……
「何やってるんですか」
ドゴンッ
男は地面を抉って吹っ飛ばされた。一瞬のことだった。
レアの傍らには乱れた服を整えているアルガスがいた。
「わぁ! アルガスありがとうっ!」
「……姫達を守れと言ってたんですがね。なぜ戦いに参加しようとしてるんですか」
鋭い眼光で睨む。視線はレアに向けていたけど、言葉は私達にも投げられているようだ。咎める視線が刺すように痛い。でも、
「アルガスこそ、主人より先に死のうとするなんて……」
「死のうとはしてませんよ。私が不老不死ということ、忘れてませんか」
「?……あ」
断じて完全に忘れていた訳ではない。これでは私の勘違いで勝手に死んじゃうと思ってたみたいではないか。顔を両手で覆ってその場にうずくまる。やめて! そんな目で見ないでぇ……
「穴があったら入りたい……」
「これを倒してからにしてくださいっ」
何かに引っ張られたと思ったら、宙を舞っていた。
「あーるがすっ!? なにするの!?」
「おーけー……ないすきゃっち!」
ぐえっ。
お腹が強く圧迫される。どうやらレアに受け止められたらしい。未だ目が回って視界がかき混ぜられる。
「主人を投げるなんて……え……」
言葉が続くことはなかった。先程まで私がいた場所は地面が抉られ、隕石が落ちたようなクレーターができていた。
もし、あそこにそのまま居たら……。
考えうる最悪の状況を想像して身震いする。
「次、気絶させるので全力で攻撃してください。……これでラストチャンスになりますのでっ」
言い切らないうちに単独で足を走らせた。いや違う、横からレアが追いかけている。
二人は降り注ぐ弾幕を短剣や魔法で相殺し間合いを詰めていく。華麗に体を翻して避けていった。動きは目に見えないほど早く、魔法を捌いていることしか分からない。
ポタポタと鮮血が滴り落ちても、すぐさま淡い光が傷口を包む。三人が時間を稼いでいるうちに……。
目を閉じて意識を集中させる。頭の中でイメージを練って魔法陣を構築する。正確に、素早く。
「姫っ」
アルガスが叫ぶ。男は足の付け根を切られていて、赤い血が地面に滲んでいた。ナイフが幾つも刺さり、短剣からは血が滴り落ちていた。
機能を果たさなくなった足が黒い靄に包まれる。
回復する前に、皆んなが繋いだチャンスを無駄にはしない。
『シェードアイス』
魔法陣が輝きを増した。目も開けられないほどの閃光が溢れ出し、思わず目を瞑る。
ゆっくりと瞼を開くと、男が氷に閉ざされていた。
これで終わりではない。
『崩れろ』
私の命令を受け取って、氷が一瞬で激しい音を立て砕けた。辺りには肉塊を包んだ赤い氷が散らばった。
その瞬間、ドーム状に覆ってた結界は、霧が晴れるように消えていった。太陽の光が差し込んだ。雲一つない晴天だった。
「かった……」
安堵からきた疲れが波のように一気に押し寄せる。その疲労感に耐えきれず、ぺたんとその場に座り込む。
ソーニャは緊張の糸が切れたのか、倒れるように眠った。
レアは大の字になって寝転がっていた。
アルガスが疲れを感じさせない足取りでこちらへ向かって来た。
「……今の魔法は?」
「ひみつ!」
色々言わなければいけないことや、聞かなければいけないことがある。けれども……。
「っ……!」
隣に座ったアルガスにもたれかかった。微睡が私を襲う。
やらなければいけないことは明日の私に任せればいい。どんな恐怖に勝てても、睡魔だけには勝てなかった。
「先に死ぬな、なんて。姫が言えることでは無いんですけどね」
彼の呟きは、寝ている彼女に届くことはなかった。




