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第10話

 「記憶……戻……い」


 「それ……は」



 まぶたが重い。外で誰かの話し声が聞こえる。だけど目を開ける気力も、起きようとする気もない。


 眠くて眠くて、このまま消えてしまいそうな。


 あの時も、こんなふうだった。

























※ ※ ※

 「ねーむーいー」



 少女は机に突っ伏していた。机の上には山積みになった資料があり、それらは床へも散らばっていた。


 少女の顔には墨で塗られたかと思うほどの隈があり、長い髪は乱れていたが、少女の美しさが損なわれることは無かった。


 顔を上げて仕事がどれほど残っているのか確認すると、絶望に打ちひしがれる。再び机に伏せた後、呻き声を上げる。



 「もうっ、私がこの国唯一の姫だからってこんなに仕事を押し付けるなー。 何で国王の分までやらないといけないの?」



 怒りに任せて机を叩く。

 この国の国王は形だけとして、国民や貴族の間で暗黙の了解があった。

 ここ数日は城に帰ってきて居らず、城下町で夜に沢山の女性と歩き回っていると目撃情報、もとい苦情が寄せられる。


 その苦情を処理するのもこの姫なのだ。


 故にもう三徹はしている。最近ベットで眠った記憶がない。


 でも、姫を助けるものは誰もいない。


 王族だからと、一人の少女に全てを押し付けていた。



 泣いても喚いても、誰も彼女を助けようとはしない。なのに彼女を冷遇する。


 廊下を歩けば、彼女の耳に届くように噂をして、使用人は主を見下す。婚約者は別の女と歩く。


 姫がこうして身を粉にして働いているときも。


 人々は姫を恐れ見下す。魔法が人よりも上手いというだけで。

 そのせいか姫は人に優しくしないし話しかけない。一言で言うなら、ひどく事務的だ。だからこう呼ばれる。


 ー冷徹の魔女とー


 魔女は誰もいない離れでペンを走らせる手を忙しなく動かしていた。



 「これ終わらないよ……」



 ひっそりとため息を吐く。東の空はすでに白んでいて、朝日が少し漏れ出していた。



 「んん、待てよ。一人で終わらないなら人数をふやせばいいだ!」



 世紀の大発見をしたように、先ほどまで死んだ魚の目をしていた姫は、好奇心いっぱいにかがやいている。


 人は疲れると、頭の回路が壊れてしまう。


 善は急げと、姫は椅子から勢いよく立ち上がり、床の資料を踏み分けて、部屋の本棚へと向かった。



 「えーと、人間は役に立たないし、かといって動物に頼むも……」



 独り言をぶつぶつ呟きながら、本の表紙に目を送った。三番目の本棚へ差し掛かったとき、声を上げた。



 「これだっ!」



 彼女が手にしているのは本、というか絵本。誰もが両親に小さい頃読んでもらっただろう。[おともだちとなかよし]という題名の絵本。



 「独りぼっちの女の子が、おともだちを魔法で呼び出して仲良くするっていう話だよね。二人は親友になるんだけど、人間の女の子が先に死んじゃって……懐かしいなぁ、小さい頃お父さんとお母さんに読んでもらったっけ」



 懐かしさに浸ると同時に、視界が滲みかけてきた。絵本の表紙にシミをいくつもつくる。



 「あれ? 何でだろう……もう、あの時の二人はいないのに」



 絞り出すように声を発する。声は少しくぐもっている。しばらくそうしてうずくまっていた。

 袖で目元をゴシゴシと擦る。真っ赤になってしまったが、涙は止まった。

 



 「……あいつらなんかのために泣かないって決めたんだから……よしっ!」



 悲しい気持ちを切り替えて頬を叩いた。再び机に戻り、引き出しを開けてチョークを取り出す。

 その後床にしゃがんで資料を掻き分ける。なんとか寝れるくらいのスペースを作った。



 「よしっ! 魔法陣にすればいいかな?」


 

 絵本を片手に床へ模様を描く。描き進める内に、絵本の絵から遠ざかってしまった。なんというか、歪んでいる。


 完成品に顔を歪めるのも一瞬で、すぐに明るくする。



 「まぁ、魔法陣が多少下手でも……大切なのは呪文。うん」



 立ち上がり、絵本をめくる。三ページ目。女の子がおともだちを呼ぶシーン。



 「えーと、『おともだちがほしい』か、あー」



 生ぬるい顔を浮かべる。欲しいのは友達ではない、仕事が出来るパートナー。それに、この年でその言葉は流石に恥ずかしい。



 「オリジナルでいっか」



 だいぶ大雑把になってきた。疲れがもう限界なのか、しっかり立てずにフラフラと足元がおぼつかない。


 最後の気力を振り絞り、大きく息を吸う。



 『この世を統べるものよ。護るものよ。我の前に姿を現せ』



 その瞬間、


 

 「え」



 魔法陣が強く輝き出した。部屋の資料が宙に舞い、風を起こしていた。とても三徹の体で耐えられるものではない。


 光の先には人影が二つ。



 「えっ? ここどこ」


 「人間界か。まさか私たちを呼べるものがいるとは」



 白く染まる視界で見えたのは、人間離れした容姿の黒髪の従者。それと、もふもふの耳を生やした女の子。


 もう一度言おう。


 とても三徹の体で耐えられるものではない。



 「え? 人間の女の子だっ!」


 「あなた、大丈夫ですか!?」



 二人が焦りながら私を介抱してくれたことを知るのは、目が覚めてから。西の空はとうに白んでいた。























※ ※ ※

 「姫、そろそろ休んでください」


 「えー、まだ仕事が……」


 「それについては私でもできますので」



 黒髪の従者、アルガスは私を執務室から追い出すように誘導する。だがこの誘惑に乗ってはいけない。



 「待ってよっ! たったこれだけで休憩できるっておかしいよ。前まではこれの二倍は……」


 「前までがおかしいんです。今日でもう二日分はやったでしょう」


 「それは……」



 こんなやりとりはもう日常茶飯事になっていた。私が召喚してからというもの、仕事がいつもの五倍も早くなった。

 なんとアルガスは悪魔らしい。だから早いのか。すごい!


 それからというもの、主となった私のために働いてくれている。


 彼によれば、高位種というものを召喚したのは私が初めてらしい。



 「……これは仕事をを回してくる宰相をどうにかしなければ」


 「へ?」


 

 なんかやばいことを言っていた気がする。悪魔らしいと言えばその一言で片付く。人外らしいと言えばもう一人、それは



 「ひめー! ただいまぁ!」


  

 灰色の尻尾をご機嫌に揺らしながら入ってきたのはレア。所々服に赤いシミを作っている。



 「おかえり、レア。ところでそのシミ……」


 

 私が言い淀んでいると、今思い出したかのように、ぱぁっと顔を輝かせてまくしたてた。



 「そうなのっ! あのねあのね……」


 「レーア」


 「ヒッ」



 レアが全身の毛を逆立てて震えた。かという私も震えている。そんな目をして睨まないで。それで人を殺せるよ!


 私たちの様子を見てため息を吐く。



 「……レアは姫と一緒に寝てください。姫はまだ寝ようとしませんから」


 「むむむ、そうなのひめ?」


 「そ、それはぁ……」



 レアは否定しない私の反応に頬を膨らませる。



 「ちゃんと寝ないとダメだよ。ぼくもひめの体心配だもん」


 「うぅ……」


 うるうるとした目でお願いされたら断れない。

 私が折れるのは早かった。



 「では早く寝てください。おやすみなさいませ」



 アルダスに執務室から追い出される。おやすみーと、レアの声が人気のない廊下に響く。 


 ご飯は三食、毎日寝れるし残業もない。

 かわいい狼と頼れる悪魔との生活は案外楽しい。

 私を蔑む声はいつしか聞こえなくなっていた。


 毎日が新鮮で、明日が来ることが嬉しい。



 こんな何気ない日々が永遠に続くと思っていた。

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