第三十五話
「お姉ちゃんに連絡……それとも、もう一度『ネズミ達の狂乱』……?」
じっと森を見つめながら考えていたレイラは、しばらくすると考えが纏まったのか、一つうなずく。
「お姉ちゃんに、連絡しておくの」
完全に垂れ下がったうさ耳は、レイラのショックを如実に表している。しかし、ひとまずは決めた方針のために、レイラは再びシェラへと連絡を取ろうとして……そのうさ耳をピクリと動かす。
「………?」
スッとうさ耳を持ち上げて、レイラはそのままじっと何かを聞き取る。
「ふゆ?」
よく分からない、といった表情で首をかしげたレイラ。しかし、どうやら、レイラの中で優先順位が変わってしまったらしい。
翼を大きく広げて、バサリと羽ばたくと、レイラはその場所へ……何かの音の発生源へと向かう。
「……これ、は……?」
ものの数秒で音源へと移動したレイラは、地面に下りて、それを前に応えがあるはずのない問いを口にする。
レイラの目の前にあるもの。それは、白く、小さな生き物。ただし、その体は血に塗れ、今にも命を終わらせてしまいそうなもの。
「……何かは知らないけど、あなたは生きたい?」
ちょうど成猫くらいのサイズのそれは、長い首と尾、そして、翼を持つ。
そんな正体不明の生き物を前にして、レイラはガラス玉のように何も映さない瞳で問いかける。
「ヴヴッ……」
小さく、小さく唸る生き物。かろうじて開けたのであろうその瞳は、美しい青で、ともすればレイラ自身にも噛みつこうとしている、必死に生きようとしている意思の強い瞳だった。
「『水晶宮の癒やし』」
本来、弱肉強食のこの森で、生き物の治療など無意味でしかない。しかも、弱い生き物を治療したところで、すぐに別の生き物の餌食になるのは明らかだった。それでも、レイラは躊躇いなく魔術を行使した。
「ピュッ」
ギクリ、と体を強張らせ、目を閉じたソレは、レイラの魔力を前に怯え……その直後、全身の痛みが引いたことに気づいたらしく、恐る恐る、目を開ける。
「傷はこれで良いの。でも、血の匂いはきっとメッだから……」
不思議そうに首を持ち上げ、翼をパタパタさせてみる生き物の前で、レイラはそっと手のひらを上に向けて呟く。
「『水球』」
それは、先程レイラが小屋をずぶ濡れにしたのと同じ魔術。しかし、その時とは違い、その手のひらの上に現れた水の玉は、生き物のサイズとあまり変わらないくらいのものだった。
「ピュッ!」
「ふゆ!?」
と、その水を見た生き物は、一気にその水に駆け寄って、ペロペロとレイラの手の上に浮くそれを舐める。
「……お水、飲みたかったの?」
一応、魔術で生み出した水を飲むことは可能だ。ただ、魔術で生み出されたものは、総じて本人や本人に似通った魔力を持つ者以外には不味いという欠点がある。
それを知っているらしいレイラは、生き物を止めようかとも考えたようだったが、生き物が大人しく水を飲む姿に諦める。
「ほんとーは、これであなたの体を洗う予定だったの」
そう言いながらも、その手から水の玉を消すことなく、じっと生き物が満足するのを待つレイラは、ようやく飲み終わったらしい生き物の体にそっと水の玉を近づける。すると……。
「ふゆ……もしかして、私の言葉、分かってた??」
生き物は自分から、その短い四つの足で水の玉の中に体を浸してフリフリと動く。
「ピュッ!」
レイラを見て、元気良く返事をするソレは、きっと、何もかもを理解しているのだろうとレイラに判断させるに十分だったらしい。
「手を入れて、洗うの。だから、じっとしててほしいの」
そう頼めば、自力で汚れを落とそうとしていた生き物は大人しく動きを止め、じっとレイラを見つめる。
「えっと、痛かったら教えてほしいの」
「ピュッ!」
そっと、割れ物を扱うような手付きで、レイラはその生き物の汚れを取り払っていく。水の玉が赤く濁れば、再び新しい水の玉を生成して、丁寧に丁寧に、生き物へと接する。
「ふゆっ、きれいになったの!」
「ピューッ!」
レイラに合わせて嬉しそうな声をあげる生き物。それを見て、レイラは一瞬動きを止めて、頭を横に振る。
「この子にも、家族が居るはずなのっ。まずは、そっちを探さなきゃなのっ!」
その時、レイラの頭に過ぎったのは、シェラへの報告か、それともこの生き物を飼いたいという衝動か……。いずれにせよ、レイラの次の行動は決まったらしく、綺麗になった生き物を抱き上げようとしたところで……。
「ギュオォォォォオッ!!!」
上空から、凄まじい咆哮が響き渡った。




