第三十一話
レイラが目を覚ましたのは、暗い暗い、小部屋の中だった。
「………ぅ……っ!?」
かろうじて大きな声をあげずに済んだレイラは、後ろ手で枷を嵌められ、足は当然、その翼にも鎖による拘束が施されていた。
鉄とは異なり、仄かに青を纏うその金属は、キメラであっても容易に壊すことはできないミスリル製だ。
(わ、たし……悪魔に、捕まった、の……?)
この拘束の方法にとても覚えのあるらしいレイラは、床に横たわったまま青ざめる。
悪魔の存在は、レイラのトラウマそのもの。レイラの瞳が恐怖に歪むのも当然で――――。
(……パーシー達を襲った、悪魔に……?)
否、その瞳は、確かに起き抜けこそ恐怖に染まったものの、今は静かな怒りに満ちている。
(ロウグを殺して、キメラにして、道具のように扱っていた、悪魔に……?)
悪魔に囚われていた間のレイラの心の傷は深い。そのはずではあるのだが、それ以上に、レイラの心は別のものを重視する。
(お姉ちゃんの、敵……。悪魔さえ居なければ、お姉ちゃんが傷つくこともない……)
それは、身内に対する深い情。一度は暴走したレイラだったが、今は、その気配を感じられはしない。ただただ、静かにその怒りを燻らせる。
『ねぇ? どーしてあのキメラを殺さないのぉ? あんなの、イラナイでしょ?』
『分かっておりませんな。良いですか? もしかしたら、あれは指名手配中のキメラかもしれないのでしてな? 生け捕りにすれば、報奨がもらえるはずなのですよ』
『指名手配ぃ? あんな弱っちいキメラがぁ?』
『えぇ、ただ、確認はせねばなりませんからな。それが終わり次第、迎えの者に引き渡すとしましょう』
そんな時、レイラの耳に入ってきたのは悪魔達の会話。
(指名手配……? 悪魔に指名手配されるキメラって……? ううん、それが私のことかどうかは、今はどうでも良いの!)
悪魔がキメラを指名手配することがあるという事実だけでも、レイラにとっては驚きだったのだろう。しかし、レイラはそれをどうでも良いことだと断じて、そっと目を閉じる。
《……お姉ちゃん》
《っ、レイラ!?》
レイラが行ったのは、魂の繋がりを利用した通信。当然その相手はシェラであり、レイラからの連絡を待ちわびていたシェラは、すぐにその名前を呼ぶ。
《お姉ちゃん、今、私、悪魔に捕まってるの》
《えぇ、状況はパーシーから聞いたわ! できれば、すぐにでも救出に《だいじょーぶなの!》は?》
シェラの言葉を遮って応えたレイラ。その目は未だ閉じられており、その表情は窺えないが、レイラに迷いはなかった。
《悪魔は殲滅しておくの! だから、パーシー達に『待ってて』ってゆっておいて!》
《は? ちょっ、レイラっ、そうじゃなく《それじゃあね!》》
そう、伝えたいことだけを伝えて通話を終えたレイラは、目を開けて、その金属がミスリルであることをしっかりと目で確かめた直後。
激しい音を立てて、枷を、鎖を、引き千切った。
『『っ!?』』
当然、その音は悪魔にも届く。しかし、普通のキメラならば、ミスリルでの拘束から抜け出すことなどできない。悪魔達とて、レイラが目を覚まして暴れ出したくらいの認識しかなかったに違いない。
「やぁ、お目覚めですかな゛っ!!?」
暗がりの中、ガチャリと扉を開けたあのヒョロリとした悪魔は、レイラの状態を正しく認識する前に殴り飛ばされる。……それはもう、建物の壁を突き破り、外に飛ばされるレベルの力で飛んでいく。
「ヤト!? ちょっ、なんでキメラが拘束解いてんの!?」
ダグと呼ばれていた悪魔は、吹き飛ばされたヤトという悪魔を見て、次にレイラの状態を確認して悲鳴のごとき声をあげる。
「お姉ちゃんのために、死んで?」
ともすれば、ヤンデレのように聞こえる言葉を平然と放ったレイラは、そのままダグへと襲いかかる。
瞬きの間にダグの目前へと現れたレイラは、その拳をダグの顔に叩き込もうと振るう。しかし、ダグもそれに感づいたのか、それともただの反射か、ガードのために両肘を曲げて、拳と顔の間へと滑り込ませ――――。
ガァァアンッ! と、明らかに生身の肉体同士が打ち合ったとは思えない音が響き渡る。そして、ダグはそのガードした姿勢のまま、一メートルほど圧されるが、どうにか耐え抜いたようだった。
「? あっ、大地の属性なの」
レイラの言う通り、ダグが持つのは大地の魔力。それによって、体の防御力を高めていた。ただし……。
「ぐ、ぁ……」
防御力を貫通する力と相対した時、その代償は凄まじい。
岩のように、あるいは、金属のように全身を固くする能力。そんな能力を持っていたダグの両腕は、レイラの攻撃に耐えきれず、バラバラに砕け散る。血の一滴も噴き出すことなく、ただただ、最初から生身の存在ではないかのように砕けた。
「ぐ……ばけ、ものめ……」
ただ、血が出ていなくとも痛みはあるらしい。ダグは、レイラへと鋭い殺気を向けながら、あまりの痛みに顔を歪めていた。
「ふゆ、化け物でも良いの。悪魔を殺せるなら」
そう告げるレイラは、場違いにも微笑みを浮かべ……次にダグの後方から放たれた黒い玉を、迷いなく目の前で破壊して見せた。
「無駄なの」
レイラが黒い玉を破壊したことに、誰よりも動揺したのは、またしても顔が……いや、今度は顔面を陥没させたヤトだった。
「私の役目は、悪魔の殲滅。そうしたら、きっと、お姉ちゃんも喜んでくれるのっ!」
そう、無邪気に言ったレイラは、そのまま、体勢を立て直して、拳を放つダグを迎え撃った。




