第六話
門から正式に城へと戻ったパーシーが最初に向かったのは、王の執務室だった。
「今、戻った」
「パーシーっ。良かった! 本当に、無事で……」
パーシーを迎えたのは、パーシーとさほど年齢が変わらないように見える女性。いや、むしろ顔立ちはパーシーより幼く見えるが、実際、彼女はパーシーより二つ年上の二十歳だ。
深海を思わせる蒼の髪と瞳を持つ彼女の名は、フィスカ・シャルロット。このロザリアという国の国王代理を勤める貴族令嬢であり、水の将でもある。
パーシーが緑ならば、フィスカは青の隊服を身に纏って、ボロボロのパーシーが帰還してくれたことを心から喜んでいるようだ。
「悪い、結局、何も収穫はなかった」
実際のところ、ちゃっかりキメラを連れ帰っていたりはするのだが、今はそれを話すべきではないと判断したのか、パーシーは少しうつむきながらそう告げる。それに対して、フィスカはパーシーの前に来たかと思えば、ギュッとパーシーを抱き締める。
「そんなの、構いませんっ。わたくしは、パーシーまで失ってしまうのかとっ、ずっと、ずっと……」
三年前まで、フィスカは貴族令嬢であり水の将という立場でしかなかった。しかし、王が悪魔との戦いで、その肉体のみを残して目覚めないという事態になってからは、ずっと、王の代理として、必死に生きてきた。本来は、パーシー達とともに肩を並べて戦ってきたフィスカは、突如としてパーシー達へ命令を下す立場となったのだ。それは、まだ成人一年前の十七歳だったフィスカにとって、大きな重荷になっていたに違いない。
自分の命令で、大切な仲間が傷つく。そして、時には永遠に失ってしまう。それを理解しながらも、命じるその瞬間は王の代理として、それを表に出すわけにはいかない。現在のロザリアは、悪魔達に対して優勢にも劣勢にもなっていない。どうにか均衡を保つだけで精一杯の状況であり、何か一つでも狂えば、途端に危機的状況に陥りかねなかった。
「わ、悪い。……心配、かけたな……」
「いえ……わたくしが、命じたことです。謝らないでください」
小さく震えるフィスカは、そう言いながらもパーシーを離しはしない。それだけ、パーシーの任務は危険で、命の保証ができないものだったのだ。
しばらくして、フィスカが落ち着きを取り戻すと、パーシーは改めて告げた。
「風の将、パーシー・フェルス。ただいま帰還した」
「はい、おかえりなさい。パーシー。任務の詳細について、何か急ぎのものはありますか? なければ、今日は医務室に向かった後、しっかりと休みなさい」
一応、代理とはいえ、王と臣下という立場をとってみようとする二人だが、同僚としての意識が強く、また、この場に二人きりということもあって、完全に畏まった様子はない。
「あー、そう、だな。ちょっと、相談したいことはあるんだ。極力誰にも話さないでほしい内容で」
「相談ですか? 犬や猫を拾ってきたから飼いたいという話であれば、却下しますが」
少しおどけて言うフィスカに、パーシーは苦虫を噛み潰したような表情になる。なんせ、パーシーは野良犬や野良猫を拾ってきて、内緒で育ててはフィスカに叱り飛ばされる常習犯だ。しかも、今回拾ってきたモノは、その比ではないくらいに不味いものだという自覚もあるのだろう。
「いや、違う。……とりあえず、防音を頼む」
「? 分かりました」
何を言われるのか分からない様子のフィスカだったが、真剣な様子のパーシーに、机の方へ戻って黒い石を取り出すと、それを用いて防音結界を作動させる。
黒い石は、魔晶石と呼ばれるもので、魔法を込めていなければ透明な石だ。今回は、防音結界を付与した魔晶石によって、この場は完全なる防音状態となった。
「これでよろしいですか?」
「あぁ。その……色々と、覚悟して聞いてほしい」
これから話すのは、あまりにも重い話。それはフィスカにも伝わったのか、真剣な表情でうなずく。
「実は………………キメラを拾ったんだ」
「………………は?」
パーシーの一言に、フィスカは一時停止する。
「正確には、キメラに助けてもらって、居場所がないとのことだったから連れ帰った」
「………………」
いや、一時停止どころか、しばらく動く気配は見られない。それだけ、パーシーの暴露は凄まじい衝撃をフィスカに与えていた。
「それで、だな……今、あたしの部屋に、居るんだ」
「……はっ? え? えぇぇぇぇぇえぇぇえっ!!?」
気まずそうに告げるパーシーの言葉に、ようやく脳内処理が追いついた……というか、追いつかせたフィスカは、思いっきり叫ぶ。
「どういうことですかっ!?」
「い、いや、だから」
「キメラを!? 犬や猫じゃないんですよ!?」
「それは、分かって」
「あなたのしたことは、反逆と取られる行いなんですよ!?」
「……分かってる。でも、あたしは、あのキメラを『連れ帰らなきゃならない』と思ったんだ」
完全に取り乱していたフィスカがその動きを止めたのは、パーシーのその一言を聞いた瞬間だった。
「……それは、いつものもの、なんですか?」
「……あぁ、あたしの勘だ」
「そう、ですか……」
力なくうなだれるフィスカは、先程までの様子とは打って変わって、どこか諦めをにじませている。
パーシーが言った通り、キメラの保護に関して明確な理由があるわけではない。ただの勘。いや、状況を考えると、同情と言われてもおかしくはない。それでも、フィスカがそれを切り捨てられないのには、訳があった。
「パーシーの勘は、的中率が高過ぎます」
「まぁ、な。外した記憶は、全くない」
パーシーの勘は、今まで外れたことがない。その勘が働く瞬間はさほど多くはないものの、それでも、その通りに動くかどうかで、随分と結果が異なると、フィスカはこれまでの経験で十二分に理解していた。
「……分かりました。では、詳しく聞かせてください」
防音結界が張られた執務室で、パーシーは、キメラと出会ってからの経緯を全て、フィスカへと打ち明けたのだった。