第四話
そして、現在……。
「……あー、うん、これは、夢だったことと、なんか違う……」
パーシーは、自分より遥かに年下の幼女にしか見えないキメラにお姫様抱っこをされて、空の旅へと繰り出していた。
ちなみに、パーシーの夢は、想い人にお姫様抱っこされたいという、わりと乙女チックなものだったりする。
あの後、キメラはなぜか慌ててパーシーを抱き上げると、パーシーの認識が追いつく前に、さっさと飛び立ったのだ。もちろん、満腹状態のパーシーの負担はそれなりにあって……一応、虹を排出することだけは避けられた、とだけ言っておこう。
「ん? ここって、森の中心部か?」
永劫の森の中心部には、大きな泉がある。それを眼下に確認したパーシーは、どうやらキメラの目的地がそこであることに気づく。
そっと下降していったキメラは、泉の端で完全に地面に降り立つと……おもむろに、パーシーを投げた。
「っ!?」
バシャンッと水飛沫を上げて、泉に落ちるパーシー。キメラが落とした場所は、そこそこ深いので、当然のごとくパーシーはもがいて……。
「げほっ、ごほっ、な、何するんだっ」
無事に這い上がってきた。
将たる者が、泳げないなどということはない。普段ならばおかしくはないその光景。しかし、その姿にキメラはようやく、その瞳に浮かべていた心配の色を消す。代わりに浮かぶのは安堵のみ。
完全に這い上がって、ふらつきながらもキメラの前へと歩いたパーシーは、そこでようやく、己の状態に気づく。
「え……?」
深刻な魔力の枯渇で歩けなかったはずのパーシーが、今、多少のふらつきはあれど、しっかりと歩いている。何なら、泉の中で必死にもがけたことも本来はあり得ないことだ。
「……何を、したんだ?」
ただ、やはりキメラから返事が来ることはない。いくら可愛らしい幼女の姿をしていようとも、所詮はキメラ。言葉を発する力などないのだろうと、パーシーは納得して、自分の体を見下ろす。
「……ずぶ濡れだな」
その瞬間、キメラが硬直して、しばらくすると慌て出したため、パーシーは必死にキメラを宥めることとなったが……その際、慌て過ぎて二人一緒に泉に落ち、ずぶ濡れになるというハプニングがあったりした。とはいえ、そのおかげで場が収まったことも確かだった。
「あー、しばらく乾きそうにないな」
パーシーの服はまだしも、キメラの服は、辛うじて服の形態をとっているという状態のボロだったため、泉に落ちた衝撃で本格的に破れて着られない状態になっていた。
パーシーが持つ魔法の属性は風であったために、パーシーは自分の服を手早く乾かして、キメラへローブの方を渡してやろうとしたのだが、そのパーシーの視線は、体を隠すキメラの翼へと向けられている。
タップリと水を含んだそれは、本来の大きさも相まってかなり重そうだ。何度かキメラ自身も翼をブルブルと震わせたものの、ポタポタと水が滴る状態が続いている。
「ほら、とりあえず、体に巻き付けておけ。そのままじゃ寒いだろ?」
相手はキメラであり、人類最悪の敵だと分かっているはずのパーシーは、それでも、キメラへ乾いたローブを差し出しながらそんな言葉をかけていた。
巨大な翼で小さな体を包み込み、顔だけをちょこんと出していたキメラは、差し出されたローブとパーシーの顔とを交互に見て、明らかに困惑している様子。
「春夏の年の七月とはいえ、さすがに濡れたままじゃ風邪引くだろ? ……まぁ、もしかしたら、キメラはそんなことないのかもしれないけど、ほ、ほら、一応、あたしはお前に助けられたわけだから、遠慮するなっ」
話している途中で、人間とキメラを同列に扱うことに疑問を覚えたらしいパーシーだが、それでも、ローブを差し出す手を下ろしたりはしない。それを見て、キメラはオズオズと、真っ黒でところどころ焦げてしまっているローブを翼の隙間から手を出して受け取り、そのまま動きを止める。キメラは、明らかに、この後どうしたら良いのか分からないといった表情をしていた。
「……その、翼があるせいで難しいとは思うけどな、何もないよりはマシだと思うんだ」
翼のせいで、ローブをまともに着用することは叶わない。しかし、それでも、素っ裸よりはマシに決まっている。
パーシーの言葉に反応して、ようやく、ローブを翼の内側に入れたキメラは、しばらくゴソゴソとして、どうにか上手く巻き付けられたのか、そっと翼を広げる。
「……くっ、ボロいローブしかないのが悔やまれるっ」
オロオロとした様子で、それでもそっとローブを巻き付けた状態をパーシーにお披露目するキメラは、翼とうさ耳さえ除いてしまえば、とても可愛らしい幼女でしかない。いや、むしろ、翼とうさ耳すらもキメラの愛らしさを助長している。だから、パーシーに何かおかしな性癖があるとか、そういう趣味だとかいうわけではなく、きっと、ただ単に、可愛い女の子を着飾りたいという純粋な思いからの言葉だったのだろうが、キメラはただただキョトンとするばかり。
「いや、何でもない。それより、翼が乾いた後のことを考えないとな」
軽く咳払いをして、キメラの純粋そうな瞳から視線を逸したパーシーは、そんなことを宣う。
現実問題として、これからどうするのか、それが問題だった。
(あたしは、このまま帰還すれば良いだけだけど……)
情報を持ち帰れなかったのは惜しいが、助かったのであれば帰還しなければならない。それが、パーシーの揺るがぬ意思だ。しかし、そこで問題となるのはキメラの存在だった。
(まさか、連れ帰るわけにもいかないし……)
犬猫ではないのだから、拾ったなどという言い訳は通用しない。このままキメラをどうにか連れ帰ったとして、そこでキメラを待ち受けるのは激しい憎悪のみだと理解していた。
「お前、帰る場所はあるのか?」
このキメラが敵であるという認識を、パーシーはどうしてもできないでいた。それゆえの質問だったのだが……それは、キメラにとって地雷だったようだ。
ヒュッと息を呑んだキメラは、そのまま自分の体を抱き締めて、ガタガタと震え出したのだから。