第二十四話
かろうじて声を出したシェラだったが、直後にゴホゴホと咳き込む。
しかし、それも無理はない。悪魔王との戦いの後、あまり時を経ずしてその肉体の時を止めたとはいえ、三日は眠っていた計算になるのだから。
「っ、起き上がれますか? ゆっくり、水を飲んでください」
そっとシェラの背に手を添えたフィスカが、近くに置いていた水差しの水をコップに注いで差し出す。
「……ありがとう。もう、大丈夫よ」
フィスカに言われた通り、ゆっくりと水を飲み干したシェラ。そして、シェラは隣のベッドに眠るレイラへと視線を向ける。
「レイ、ラ……?」
「っ、やっぱり、シェラがレイラの言う『お姉ちゃん』だったのか!?」
呆然と呟くシェラへと、パーシーは詰め寄るようにして声をあげる。
「……最初は違ったはずだけれど、最近は、そう、だったわね」
そんなわけの分からないことを告げたシェラは、そのままレイラの側へ向かおうとする。まだ万全には程遠い状態であろうとも、シェラはフラつきながらも、レイラの枕元へと立つ。
「…私は、レイラに幸せになってほしかったのに……」
その泣きそうな表情を見て、フィスカ達は沈痛な面持ちとなる。特に、パーシーは倒れてもおかしくないほどに青ざめている。
「レイラ、は……助かるんだよ、な……?」
「…………」
そこに返ってくるはずの言葉は、何も聞こえてはこない。ただただ、沈黙のみが室内を満たし、それが何よりも雄弁に、レイラの状態を語っていた。
「どうして、こんなことになったのかとか、レイラとの関係性は、とか……シェラに聞きたいことは色々あるけど、まずは食事を摂ってもらおう。良いだろう? フィスカ」
「……えぇ、すぐに、作ってきます」
レイラのことは心配ではあるものの、それでシェラを疎かにはできない。何よりも、レイラが命がけで助けたシェラを、このまま、また倒れさせるわけにはいかないのだから。
部屋に満ちた重々しい沈黙。それはフィスカが部屋を出て、料理をしている間だけでなく、料理を完成させて戻ってきてからも続いていた。
「ひとまずは、胃に優しいものを。食べたらそのまま、安静にしていてください」
「そう、ね」
ぎこちなく笑みを浮かべるフィスカに、シェラは酷く落ち込んだ様子でうなずく。
「………フィスカ、それは、アムの実かい?」
「っ、えぇ、ちょうど、厨房にあったので」
「アムの実……」
アムの実というのはオレンジ色のビー玉サイズの丸い木の実だ。鈴なりに実るそれを房ごと持ってきていたフィスカを見て、ついつい口を出したマディンだったが、アムの実を凝視するパーシーを前にそれがレイラの好物だったと思い出したらしく、沈黙する。
「ここに来て、初めてレイラにあげたのが、アムの実だったんだ……」
物珍しそうに、ただ、食べ物だと理解しているか怪しい様子のレイラを前に、パーシーは自分で一つ食べてみて、レイラの口に持っていって食べさせていた。その瞬間、レイラのうさ耳がピンと立って、直後に翼をパタパタと動かして喜んでいたことから、パーシーはレイラがこのアムの実が好物なのだと判断していたし、実際に、アムの実の名前を聞くだけで、レイラが喜んでいる光景はパーシー以外も目撃していた。
「レイラ。アムの実があるぞー」
泣きそうな顔で、レイラの側にアムの実を持ってくるパーシー。
そんなことを言ったところで、レイラが応えるわけもない。そう、全員が認識をしているようだったが、誰も、パーシーを止めようとはしなかった。
「早く起きないと、あたしが全部食べちゃうかもなー」
ふにふにとレイラの頬をつつくパーシー。それでも、当然レイラからの反応は得られない。ただ、フィスカ達はそっと目を逸らしたり、うつむいたりする。
「ほら、美味しい、ぞ……?」
アムの実を一粒だけ手にとって、そっと、固く閉じられたレイラの唇へと押しつける。
そんなことで、レイラが目覚めるわけがない。その、はずだったのだが……。
「っ!?」
眠っているはずのレイラの口が、パクリと開いて、アムの実は重力に従ってレイラの口の中へと落ちていく。
「えっ? あっ、レイラ?」
「パーシー? どうした?」
その瞬間まで目撃できていなかったパーシー以外の面々は、パーシーの様子がおかしいことに気づいて声をかける。そして、レイラへと視線を向けると、その口がモグモグとアムの実を食べているらしい状態を目撃するはめになり、全員が事態を理解できずに固まる。
「んん……ふゅ……? 口の中が、おいしーの……?」
そして、何やら寝ぼけているらしいレイラの言葉で、パーシーはレイラをギュッと抱き締め、フィスカは涙ぐみ、マディンは歓声をあげ、アシュレーはホッとした表情を見せる。
「レイ、ラ……? ほん、とうに……?」
ただ一人、まだ現実を正しく認識できていないシェラは呆然としていたが、それが安堵と喜びと怒りに変わるまで後数秒。
犠牲があるはずだった魂に作用する魔法は、本当の意味で成功していた。誰一人、悲しむ者を出すことなく国王を救ったレイラは、わけが分からないままに叱られ、泣かれ、抱き締められ……そうして、ようやく、平穏な夜を過ごすことになるのだった。




