第四話
冷たくて、酷い臭いに満ちた場所。痛くて、苦しくて、ツラい場所。それが、ベルの中の記憶だった。
「起きたらね、私達は皆、閉じ込められていたの」
村を襲ったキメラに関する記憶を、ベルは持っていなかった。ただ、襲撃があったことだけは知っていて、いつの間にか意識を失い、目覚めたら牢屋に閉じ込められていたらしい。
牢屋に居たのは、村の人間全員と、傷つき、倒れたキメラのみ。
「皆ね、『キメラを殺さなきゃ』って言うの。それで、キメラのお姉ちゃん、皆にいっぱい、蹴られたり、叩かれたりしてた……」
なぜ、キメラまで一緒に牢屋に入れられていたのかは分からない。しかし、同じ牢屋に入れられたキメラは、村人達によって憎しみのはけ口として暴行を受けた。
「でも、本当に怖いのは、悪魔達」
悪魔。それは、人類共通の敵であり、キメラ達の主人。
姿形は人間にそっくりではあるものの、その顔には悪魔ごとに様々な黒い紋様が浮かび、必ず紫の瞳を持っている。性格は一様に残酷で、嗜虐性が高い。そして、キメラが居る、ということは、当然、その主人である悪魔だって存在するはずなのだ。
「悪魔達は、村の人達がするより、もっと酷く、お姉ちゃんを虐めたの」
それは、本来『虐める』程度の生易しい対応ではなかったのだろう。ベッドの布団をギュッと掴むベルは、その様子を思い出してか、しばらく震える。
「ベル、話したくないなら「ううん、話す」」
たまらず声をかけるマディンに、ベルは確固たる意思を持って、断言する。
「悪魔は、お姉ちゃんの優しい心を知ってて、それで、村の人達をお姉ちゃんに殺すように仕向けたの。どんなにお姉ちゃんが嫌がっても、悪魔達は、お姉ちゃんの選択で、皆が死んだように色々と酷いことを言ってた」
実際に、キメラが直接手を下すことはなかったらしいが、どちらかの命を選択しなければどちらも殺す、という内容の選択を幾度となく迫られて、キメラは泣きながら、それでも、少しでも救いがある方を選択しなければならなかったのだという。
悪魔に捕まったことのある人間の中でも、似たような状況に陥った者が居たため、その辺りの理解は、マディンでもできたらしい。暗い表情で、それでも、キメラを責めるような色を浮かべてはいなかった。
「いつも、傷ついて、いつも、動けないくせに、私達を守るために、キメラのお姉ちゃんは必死だった……」
牢屋の中で、キメラは自分以外の人間に危害が加わりそうになる度に、必死に声をあげて、時にはすでにボロボロでまともに動けないはずの折れた手を伸ばして、悪魔の注意を引きつけた。それが、どんなに勇気のある行動で、どんなに悲惨な末路を迎えるものなのか、悪魔の性質を知っていれば、容易く想像できるものだった。
「それでも、キメラのお姉ちゃんが全部守れるわけもなくて、村の人達は少しずつ、数を減らしたの。キメラのお姉ちゃんは、悪魔に喉を掴まれて何かをされたせいで、ほとんど声を出すこともなくなってて……でも、残った私達は、皆、キメラのお姉ちゃんの優しさを理解できてた、と思う」
ポロポロと零れ落ちる涙に、マディンはまた、話を止めようかと迷う素振りを見せたものの、今度はしっかりと拳を握ることで耐える。
「……誰が、残ってたんだい?」
「私と、ラドカおじいちゃんと、ダイドさん、メイナス君、リディアちゃんの五人。でも、結局、最後まで残ったのは、私だけだった。キメラのお姉ちゃんは、抵抗できないように捕まえられて、その目の前で、皆、殺された……」
ベルが話したメンバーは、マディンとも関わりの深かった面々でもある。その訃報に心を痛めている様子のマディンは、それでも、ベルの言葉を遮ることはない。
「最後、私の番になって、キメラのお姉ちゃんはすごく、暴れたの。多分、キメラのお姉ちゃんと一番仲良くなったのが私で、だから、キメラのお姉ちゃんの抵抗も酷かったんだと思う」
恐ろしかっただろうに、今も、震えが止まらない様子なのに、それでも、ベルは言葉を続ける。
「目の、前で……キメラのお姉ちゃんの、抵抗が、どんどん弱くなっていくの、見せられて……お姉ちゃんの体、全部、赤くなって、それでも、お姉ちゃんは、必死に、私を守ろうと、してくれて……」
それでも、最終的には、『呪いの魔剣』を突き立てられ、苦しみに悶えることとなる。
「そこからは、あまり、覚えてないの。でも、お姉ちゃんが、手を取ってくれた気がして……気づいたら、お兄ちゃんが居たの」
キメラは、『時間を止めて連れてきた』という内容の言葉を告げていた。となれば、その時に、ベルはそういう状態になったのだろうという想像だけはできたものの、なぜ、それを他の人間にも行ってくれなかったのかという思いを生まずにいられるか、というと、それは難しいものだったらしい。
「キメラは、どうして……いや、ベルが助かっただけでも、文句は言えないんだけど……」
そんな考えをする権利はないと、マディンは頭を振る。誰もが、全員を助けられる力を持つとは限らない。しかも、あのキメラはベルを助けた恩人でもある。そのような意識を向けること自体がキメラを傷つける行為だということを、マディンとて、理解はしていた。
そもそも、ベルの話では、キメラを暴行していた村人ですら、キメラは助けようとしていたように思えるのだ。それ以上を望む権利などない。
「お兄ちゃん、キメラのお姉ちゃんを、助けてあげて。キメラのお姉ちゃん、ずっと、ずっと、苦しいままなの。だから……」
「うん、分かったよ。ちゃんと助ける。だから、ゆっくり、手を離してごらん」
キツく布団の端を握っていたベルに、優しく告げるマディン。そこでようやく、ベルは自分が布団を強い力で握っていたことに気づいたらしく、言われた通り、ゆっくりと手を離す。
「喉のことも調べるし、あのキメラの安全に関する便宜も図るよ。だから、ベルはゆっくり休んで」
小さくうなずくベルを前に、マディンはその涙を取り出したハンカチで拭ってやる。軽く頭を撫でて、しばらくすると、その昂ぶった気持ちも落ち着いたのか、穏やかな表情へと変わっていく。
「おやすみ、ベル」
「おやすみ」
最愛の妹へ、額に口づけを贈ったマディンは、ベルが大人しくベッドに転がるのを見届けて、部屋を後にした。




