第十三話
大会議場に居る面々の行動は迅速だった。将はもちろんのこと、元老院のメンバーも多少の戦闘の心得はある。だからこそ、彼らは一斉に、キメラから距離を取ろうと動きかけた。
……しかし、実際にキメラから距離を取れた者は誰一人として存在しなかった。
キメラの絶叫の直後に起こったのは、凄まじい魔力による威圧と、地面の急速冷凍。それによって、キメラを拘束していた枷や檻は粉々に砕けて飛び散り、その場に居た者達はあまりにも強大過ぎる魔力を前に足を止め、そのまま凍りついた地面に足を縫い留められる。
「……」
誰も、動けない。誰も、声すら発することができない。それほどに、キメラが放つ魔力は異様で、将は無事でも、元老院の中でも弱い面々はほぼ意識を飛ばしている。
この場から逃げなければならないと、誰もが考え、それができそうにない事実に絶望の表情を浮かべる中、ふいに、キメラの絶叫が止む。
しん、と静まり返った大会議場。恐怖と混乱で満ちたその場所で、ペタリ、と足音が一つ、響く。
拘束から逃れたキメラの、小さな小さな足音。大きな大きな破滅の足音にも聞こえるであろうそれに、将達ですら、声を上げられない様子で固まっている。
ペタリ、ペタリ、と裸足のままのそれが迫りくる。
ペタリ、ペタリと続く足音は、ただ一人の場所へと向かっているようで、自然と、意識がはっきりしている者達は、彼へと視線を向ける。
「っ…………」
ペタリ、と音を立て、そのまま立ち止まるキメラ。翼も耳も力なく垂れている状態ながら、その威圧感は欠片たりとも加減されることはない。
「……て……」
キメラの前に立つのは、地面に縫いつけられたように動きを止めているのは、マディンだった。キメラへの憎しみを持つマディンは、キメラのあまりの力に息を呑みながら、それでも、うつむくキメラを睨みつける。
「……る……けて……」
ただ、そのキメラが何かを話している、という現状に、マディンはどうしてもそのまま攻撃に移ることができなかった。いや、そうでなくとも、抑え込んでいる恐怖心で魔法が暴走しかねないため、何もできなかったのかもしれないが、このまま魔法を使っても、周囲に被害が出るかもしれないと考えると、何もできなかったのだろう。
「べるの、おに……ん……けて……」
「……えっ?」
ただ、その態度は、キメラが話す言葉の意味を、断片的にでも捉えた後には、急激に変化した。
「べる、の……おに、ちゃん……べる、たすけ……て……」
小さく、小さく懇願するその声。その言葉。それを理解した直後、マディンの心にあった恐怖心は、全て吹き飛んだ。
「ど、いう……どういうことだっ! なぜ、お前がベルを知ってる!! お前が殺したのかっ!?」
そんな怒声に、周囲は青ざめるものの、それをマディンが認識することはない。それほどに、マディンの心は乱れていたのだから。
怒りに満ちた表情で魔力を練るマディンに、キメラはようやく顔を上げる。
「ベルの、おにいちゃん、ベル、たすけてっ!!」
「っ!?」
そして、キメラのその表情に、マディンは絶句した。
「べる、たすけて! わたし、じゃ、めっ、だか、らっ」
キメラは、涙を流して、懸命に懇願していた。他でもない、ベルの兄であるマディンに、ベルを助けてほしいと、自分ではダメなのだと、何度も、何度も繰り返す。
「ベルは……ベル、は、無事、なのかい?」
マディンとて、キメラがこんな言葉を紡ぐ理由を理解してなどいない。それでも、希望だけが、マディンの心に芽生える。
「ぶじ、ない、からっ、たすけ、て! べる、おにちゃん、なら、たしゅける、ゆった!」
片言でも、どうにか理解できる内容に、マディンはさらに問いただそうとして、迫る魔力へ、咄嗟に防御結界を張る。
「っ、なぜっ! 防ぐのですかっ! そいつは、キメラですぞっ!!」
火球で攻撃してきたのは、先程キメラの檻を蹴って、腰を抜かして、ついでにキメラの絶叫による影響で檻の残骸が直撃して、軽く意識を失っていた男。ガタガタと震えながらも必死に攻撃するその有様は、勇気があるというより、無謀でしかない。
「そ、そうだ! キメラの言葉になど、耳を貸す必要はないっ!」
「こ、殺せ! そんな、危険物、殺してしまえっ!!」
しかし、それに触発されてか、震えながらも口だけを動かす者も現れる。ただし……。
「る、たすけて!」
キメラは、そんな存在など見えていないかのように、ただただマディンへと懇願を続ける。その様子に、マディンはようやく、キメラをまともに見る。
「……分かった。必ず、助ける」
どこにベルが居るのか、どんな状況なのかも分からないのに、マディンは、そう断言する。そして、キメラにとって、それは大切な合図でもあったらしい。キメラは、その言葉を聞き届けた直後、その手を掲げた。




