第十話
『ごめん、ごめんね、キメラのお姉ちゃん』
小さな小さな少女の声が聞こえる。
『私が、弱いからっ。私の、せいでっ』
苦しそうに喘ぐ声。それを、彼女は否定しようとして、すでに、声が出ないことに気づく。
喉は潰され、手足もほとんど動かない。翼も折れ、耳だって随分と聞こえづらい。それなのに、彼女は、少女のために動こうとして、唐突に腹を蹴り上げられて、一瞬息を詰まらせる。
『やめてっ! もうっ、キメラのお姉ちゃんをいじめないで!!』
彼女は、少女を守りたくて、少女も彼女を守りたかった。しかし、二人を取り巻く環境は、それを許してはくれない。必死に伸ばし続けた手は、誰にも届かない。
酷く冷たい世界で唯一の温もりを、彼女は、守れなかったと、声なき声で嘆き続けた。
「……」
「目が覚めたようですね」
「目が覚めたみたいだな」
そこに居たのは、無表情の性別不詳な双子。黒に近い紺の髪に、紺色の瞳。十代後半に見える、一目で双子と分かるほどに似た二人は、小さな檻に囚われたキメラへ感情のない瞳を向ける。
ビクリと怯えの表情を見せて、その場から離れようとするキメラは、ジャラリという音を聞いて、初めて手足の枷に気づいたらしい。
ますます青ざめて怯えるキメラの姿に、双子は首をかしげる。
「怖がっていますね」
「怯えてるようだ」
キメラに感情などない。そのはずだったが、目の前のキメラはあまりにも人に近い姿で、あまりにも感情豊かに見える。
「ですが、あり得ません」
「あぁ、あり得ない」
それでも、双子はキメラに感情があるなど認めはしなかった。ただただ、キメラを感情の灯らない瞳で見るのみ。
「私達は、役目を果たすのみ」
「そう、役目を果たそう」
その直後、キメラが閉じ込められている檻に、電流が流され、キメラは声なき声で叫ぶ。
何度も何度も流されるそれに、キメラの動きがほとんどなくなった頃、ようやくそれは止む。
「意識はある」
「抵抗はできない」
そう、それこそが、双子が求めていたキメラの状態。その状態に追い込むことこそが、双子の役目。
小さな痙攣を続けるだけのキメラの様子に、今は無害だと判断したのか、双子はそれぞれ、檻の端へ手をかけると、そのままガラガラと引きずって移動する。キメラが入れられた檻は、あらかじめ台車に載せられていたため、双子は苦もなく意識を朦朧とさせるキメラを運び出すことができた。
そうして……キメラはその大舞台へと、強制的に連れ出されていた。
場所は変わって、王の執務室。そこには、国王代理のフィスカと、風の将のパーシー、それにプラスして、二人の男が居た。
一人は、栗色の癖っ毛に栗色の瞳を持った、パーシーやフィスカよりも少し背の高い男。もう一人は、夕陽のように鮮やかなオレンジの髪と瞳を持つ長身の男。二人はそれぞれ、大地の将と炎の将であり、パーシーの同僚という立場だった。
「あのキメラを発見したのは僕だよ。たまたま、パーシーの部屋に用があって入ったんだけど、その時に見つけて、攻撃したんだ。……部屋を壊したのは、ごめん」
「いや、それは、まぁ、仕方ないだろ」
パーシーに謝る大地の将、マディン・レプス。ただ、そのマディンの瞳は今は落ち着いているものの、キメラを前にすれば殺意に満ち溢れるだろう。マディンは、たった一人の妹をキメラに殺された被害者でもあるのだから。
「なぜ、パーシーの部屋に……?」
「それは……」
ただただ不思議そうに尋ねるのは、炎の将、アシュレー・ローダス。彼の言葉に答えを探しあぐねるパーシーへ、今度はフィスカが口を挟む。
「悪魔が意図的に誘導したとして、パーシーの部屋だったのは、パーシーを狙ったからかもしれませんね」
実際は違うと知っていながらも、さらりと嘘を吐くフィスカ。しかし現状、こうでもしなければ、パーシーが危険な状態にさらされかねないのだ。フィスカが必死に嘘を吐くのは、仕方のないことではあった。
「まぁ、その可能性が高いよね。でも、まさかキメラを気絶させることができるとは思わなかったよ。自爆する危険性もあったのに、パーシーはもうちょっと慎重に行動すべきだったんじゃないかな?」
「……悪い」
実際、あのキメラが気絶ごときで自爆をしているのであれば、パーシーは今、この世に居ない。この城に帰り着く前に死んでいたに違いないのだ。
反論らしい反論もせずに謝罪するパーシーへ、マディンは何かを感じ取ったのか、パーシーをじっと見つめて、次にフィスカへと視線を向ける。
ちなみに、フィスカのお説教は、長く、心を抉ることで有名だったりもする。そのため……。
「……まぁ、しっかり叱られたみたいだから、これ以上言うのはやめておくよ」
都合良く勘違いしたマディンに、パーシーはうつむいたまま、何も反応をしなかった。
「フィスカ。キメラの生態解明をするとのことだったが……?」
「はい、ですが、悪趣味な連中が待ったをかけまして、恐らく、この後、大会議場でお披露目でしょうね」
そんなフィスカの言葉に、パーシーは小さく拳を握り締める。
「お披露目、ね。僕としては、さっさと殺したいところだけど、そういうわけにもいかないんだよね」
「えぇ、わたくしでは、どうにも……」
穏やかな表情ながらも物騒なことを告げるマディンに、フィスカは重々しくうなずく。
国王代理という立場のフィスカでは、できないことも多い。そして、今のキメラの状況も、フィスカの望むものではなかった。もちろん、パーシーの望みでもあり得ない。
「そう……まぁでも、キメラを殺す時は僕も呼んでよ。あらゆる苦痛を味わわせて、ジワジワと殺してやるから」
たった一人の妹。たった一人の肉親を殺されたマディンの憎しみは、とても深い。瞳に影を落とすマディンに対して、誰もが口を閉ざす。当時のマディンの嘆きを知っているからこそ、マディンの憎しみを否定することはできなかった。
「悪魔の情報に関してはどうだ?」
「そちらは現在、調査中です」
その後も、様々な情報を交換して、四人はじっと、その時を待つ。そして……。
「失礼いたします。国王代理フィスカ・シャルロット様、及び、将の方々は、これより、大会議場へご案内させていただきます」
ようやく、その時は訪れた。




