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女の子と私

作者: 和草 風花


私は小さな植物園の入場ゲートに立つロボットで、その子は植物園の園長の孫でした。


私は植物園にやって来た人に「こんにちは」と言い、帰っていく人には「また来てね」と言って手を振るようにプログラムされていました。


自然と自分から発せられる音声に、私は何の疑問も抱かず、毎日を過ごしていました。




平凡な日々が2年ほど過ぎたある日、その子はやってきました。


小さくてよちよち歩きのその子は、毎朝園長と植物園に来て、夕方になると帰って行きました。


朝その子に「こんにちは」と言うと、いつも「こんちは。」と可愛らしい声であいさつを返してくれました。


入場ゲートから出てきたその子に「また来てね。」と言うと、いつも「うん。またあちた。」と言って手を振ってくれました。


少し大きくなると「明日もくるよ。いつも御苦労さま。」と言ってくれました。


私の声に返事をしてくれるのはいつもその子だけでした。


それだけでなく、その子は時々いろいろな話を私にしてくれたのです。


友達のこと、昨日見た虹のこと、植物園に今日咲いた花のこと・・・。


私は、返事をすることも、頷くことも、ほほ笑むことさえできないのに、その子はいつも笑顔で声をかけてくれました。




その子が園長に手をひかれながら植物園に来るようになってから4年ほどたったある日、その子は曇った表情をして独りで歩いてきました。


園長が病気になったと、その子は私に言いました。


1ヶ月程経った頃、2日間その子が来ないことがありました。3日目の夕方、その子は閉園時間を少し過ぎたころに私の前に立ちました。


「こんにちは。」私が言うと、その子はうつむいたまま、「来られなくてごめんね。」と震える声で言いました。


地面にぽたりと一粒の水が落ちました。驚いて彼女を見ると、彼女は眼を擦りました。細い手についた涙が夕日に反射して光りました。


その子の涙は後から後から頬を濡らし、しゃくり上げていたかと思うと、空を見上げてころころと大粒の涙を流して泣きました。


何時間も、彼女は大声をあげて泣きました。頬を転がる涙は、地面に小さな染みをいくつも作っていきました。


大きな悲しい泣き声は、いつの間にか降り出したにわか雨に混じって、私の耳に届きました。


私はそんな時どうすればいいのか、もちろんプログラムされていませんでした。


プログラムされていたのは、やって来た人に「こんにちは」ということ。


だから、私は泣き叫ぶその子に「こんにちは」と言うしかありませんでした。


その子は、私が「こんにちは」と言う度、私のお腹を小さな手で叩き、更に大きな声で泣きました。


彼女の母親が私の前で泣き疲れて寝ていた娘を見つけたのは3時間ほどしてからでした。


その子をおぶって帰るお母さんの背中に、私は「また来てね」とひどく明るい声で言ってしまいました。


母親は振り返りもせずに、静かに歩いて行きました。


ウィーン、ウィーンと音を立てて振られる手がひどく憎らしく思われました。


せめて今日彼女がいった「ごめんね」という言葉が言えたらどんなにいいだろうと、心底思いました。




でも、次の日、彼女は笑顔で私の前に現れ、私を大変驚かせました。


私は、昨日あんな場違いな言葉を贈ってしまったのに。


「こんにちは」と私が言うより先に彼女は声をかけてくれました。まるで昨日のことがうそのように。


それから数年間、いつも同じような毎日が続きました。


「こんにちは。」


「こんにちは。」


「また来てね。」


「うん、明日もくるよ。いつも御苦労さま。」




彼女はいつの日からか、だんだん痩せていきました。


どんどん細くなっていく彼女を見るたび、私の心は痛みました。


ある日、彼女は大きなカバンをもって私の前に立ちました。


「こんにちは。」


僕の声に、彼女はにっこりと笑って


「こんにちは。」


と言いました。


言いなれた、聞きなれた言葉だったのに、私にはなんだかひどく切ない言葉に聞こえました。


彼女は唐突に話し始めました。


「私のたった一つの願いを叶えることは、あなた以外のこの地球上の誰にもできないことなの。お願い、私のお願いを聞いて。」


私の記憶はそこでなくなりました。


 


気がついたのは夕方でした。彼女は朝と同じように私の前に立っていました。


「こんにちは。」


私は言いました。


「こんにちは」


彼女も言いました。


なんだかとても真面目な顔をしています。


「いつも、ありがとう。」


「こちらこそ、いつもありがとう。」


彼女はくすりと笑いました。その瞬間、私ははっと自分が彼女と話しているということに気がついたのです。


今までずっと願ってきたことが、気を失っているうちに叶ってしまったのです。


「気分はどう?」


彼女は心配そうに尋ねました。


「最高だよ。今まで『こんにちは』と『また来てね』しか言えなかったんだから。」


私はまだはっきりしきらない頭でしばらく考えてから、答えました。


彼女の黒い瞳には、やはりいつもの自分が映し出されていました。彼女はほのかに微笑んで、呟くように言いました。


「なんか、あなたの声を聞くと安心するんだよね。どんなことがあっても、いつもあなたは明るくあいさつしてくれるから。


なんか、ほっとするの。両親に怒られても、友達とけんかしても、あなたはいつも私に優しくしてくれた。」


「そんなことないよ。私は前に君にひどいことをしたんだ。」


彼女は静かに首を振りました。


「しかたないよ。あなたのせいじゃない。そうするようにしかプログラムされていなかったんだから。でも、もう大丈夫。」


彼女は私に静かに、そしてどこか寂しそうに微笑みました。


「さっき、あなたにお願いがあるって言ったでしょう。


私ね、もう明日からここに来られなくなるの。もし、昔の私みたいな人が来たら・・・。」


「大丈夫、だよ。」


彼女の顔が一瞬歪みました。


「ごめんね。こんなお願いして。」


「そんなことないよ。ありがとう。」


彼女の瞳からころころと涙がこぼれおちました。涙は地面に届くと、丸いしみを残してきえてしまいました。


「どうしたの?」


「なんでもないよ。」


彼女は目を擦ると、私の顔を真正面から見つめました。


「本当にごめんね。ありがとう。」


彼女はそう言うと、鞄をもってくるりと背を向けて歩き出しました。


その足取りはどこか頼りなげで、初めて私の前に現れた時の彼女を思い起こさせました。


私はウィーンウィーンと音をたてて手を振りました。


彼女はその音に気付いて振り返ると、「よろしくね」と言って、大きく手を振り返してくれました。


私はその夜、「明日から来られなくなる」という彼女の言葉や、流した涙の意味をずっと考えていました。




数日後の夕方、私の前に園長がたちました。


この園長は数年前に亡くなった園長の息子で、あの子の父親にあたります。


「こんにちは」


私が言うと驚いたことに、


「こんにちは」


と園長が返事をしてくれました。苦しそうに喉からしぼりだしたかのような、小さな声ではありましたが。


それからしばらくの沈黙の後、園長は涙を流し始めました。あの子の涙と同じ、大粒の涙を。


私は自分が考えていた最悪のことが起きたということを、園長の疲れ切った、泣き腫らした目から理解しました。


園長は涙をぬぐおうとはしませんでした。


地面にできるシミを、肩を震わせながら見つめていました。


「あの()は。」


園長は、ズッと小さい子のように鼻をすすりました。


そして、何か口の中で数言もごもごと呟くと、堪え切れなくなって大声で泣き始めました。


頬を転がる水は、地面に小さな染みをいくつも作っていきました。


私もできれば園長のように泣きたいと思いました。


でも、自分が大声で泣いてはいけないことを、私は知っていました。私はその時、自分がすべきことを知っていたのです。


ウィーンと音をたてて、私は体でたった一つ動く手を、広げました。


園長は私にすがりつくようにして、泣きました。私の固い、冷たい体に、水の玉がころころと流れました。


私は園長の背中を優しく叩きながら、ずっとだまっていました。


そうプログラムされたのかもしれません。


あるいはそうしたくてそうしていたのかもしれません。


いつも雨が降るとビニールをかけてくれたがっしりとした園長が、今日はひどく小さく感じられました。


あたりが薄暗くなったころ、園長は顔をあげました。


「ありがとう。」


「とんでもないです。お礼ならあの子に言ってください。」


「そうかもしれないね。でも、今は、君にいいたいんだ。ありがとう。」


「どういたしまして。」


園長の後ろ姿が私の視界から消える頃、私は自分の右目に水がたまっていて、頬をつーっと流れ落ちたことに気がつきました。


ですが、それが園長のものだったのか、自分のものだったのかは判断しかねました。


数日悩んだ末、あの子からの贈り物だったと思おうと決めました。




園長はそれきり二度と植物園にやってきませんでした。


どうやら、彼は退職し、新しく若い女性が園長となったようでした。


私は、あの子に出会う前のように、一人ぼっちになりました。


もう私の挨拶に返事を返してくれる人は誰もいませんでした。


こんなに寂しい気持ちになったのは、初めてでした。




彼女が私を自由にしてくれてから、もうずいぶん長いときが過ぎた様な気がします。


私は前の園長と話してから、誰とも口をきいてはいません。


私は気付いたのです。彼女が私を自由にしたのは、決して私の為ではないということに。


彼女はお父さんの為に、私を改造した。


だから、彼女は「ごめんね」と言ったのでしょう。


いったい、いつどうやって彼女が私の願いを知ったのか、私には見当もつきません。もしかしたら、知らなかったのかもしれません。


今となっては何もわかりはしませんが。


雨の足音が遠くから近付いてきて、あっという間に私を飲み込みました。


現在の園長は私にビニール袋をかぶせてはくれません。


お陰で私の体はさびだらけで、ひどく醜い姿になってしまいました。


突然空が光り、大きな雷が近くの木に落ちました。それにも私はびくともしません。もう慣れたのです。


私の口からため息が漏れました。


複雑な感情を外に追い出してしまいたかったのです。


これじゃあ、まるで人間みたいだもの。


それでも、私の中で、変な感情はどんどん大きくなっていきます。


どうして今日はこんな気分になるんだろう。いやだ。こんな自分。ロボットのはずなのに。


それでも私はどうすることもできなくて、ただ激しい雨に打たれて立っていました。


ふと、泣き声が聞こえました。


それは自分から出ているような気もするし、どこか遠くから聞こえてくるような気もしました。


風に打たれる木の音か、近くをごうごうと流れる川の音のような気もしました。


悲しいのか、怖いのか、嬉しいのか、そんなことも分からない、なんだか不思議な泣き声でした。


それは、私がロボットだからなのでしょうか。


自分の体を伝う水に、ふと元園長の涙が思い出されました。


明朝、雨はやみました。その日は珍しく園長が私の前にやってきました。ですが、私のスピーカーからは僅かな雑音さえ流れませんでした。


「この汚いロボット、さっさと引き取らせてちょうだい。」


「はい。」


作業服をまとった青年の手によって、私は不燃物用のトラックに積み込まれました。






ああ、そういえば、


植物園は昨日、閉園したんでしたっけ・・・。






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