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作者: 壱

 俺の住んでいるところは美しい。草花の揺れる音が溢れ、雲は遥か彼方の地平線を目指し空の旅路を謳歌している。本当にいいところだ。最初ひとりでここに来たときは心細くてたまらなかったが、今となってはここが俺の骨を埋める場所だと確信している。もし今まで生きてきて遭遇した最大の奇跡は何かと聞かれたら迷わず、どこをモデルにしても美しい絵画なりうるようなこの牧場に、何もせずただ飯を食らいながら住めていることだと答える。

 しかしどんな楽園でも慣れてきたら、不満が出てくる。多分俺の不満は、ここに住んでるやつ全員が思っていることだ。あぁ、また臭う。爽やかな風に乗って流れてくるこの臭い、糞尿を腐らせたような野郎の臭い。

 おい、くっせぇんだよ

 この楽園を地獄に変えているぶくぶく太った、ふざけた野郎にここにいる奴らの総意をぶつける。しかし野郎はこちらを見もせずに、木陰で明後日の方を見ている。ムカつくやつだ。

 あいつらがここに来たときはみんなすごい顔してたよ。俺らとは全く肌の色も体のでかさも顔も、何もかもが違う、そんな奴らが異臭を俺たちの楽園に振り撒いてたら、そりゃ歓迎なんかできないぜ。

もちろん始めのうちは俺だって優しくしてたぜ。でもよ、何言ったってこっち見つめてよくわかんないこと喋ってるの。不気味じゃねえか?しかも、鼻が腐り落ちそうそうなほど臭い。それでも我慢して接したよ、楽園のムードを崩さないためにさ。臭いに関しても、お風呂入れてないのかい、くらいに留めていたけど、あいつ話しかけるたびに不思議そうな顔で俺の事見ながら、お得意のお口パクパクだ。不気味さもあたけど、だんだん腹が立ってきてくっせぇとかお前のせいで全部台無しだとか暴力的な言葉をぶつけるようになった。

 言葉が強くなるにつれてあいつは何も喋らなくなって、仕舞には今みたいに無視するようになった。よくわかんねえ言葉を話されるもムカついたが、無視されるのもそれはそれでムカつく。

 何をしたって結局ここを台無しにしている時点で、野郎が非難されないことはねぇんだ。さっさともう一匹みたくここからいなくなってほしいぜ。

 ***

 初めてぼくがお母さんとここに来た時、先にいた住民たちの反応は好奇心と嫌悪感が入り混じっていた。多分ぼくらが彼らを初めて見たように、彼らもぼくらの存在を初めて知ったのかもしれない。でも初めて見る彼らが本当に怖かった。体は大きいし、一生懸命何か話しかけてきてくれるけど、何を言っているかは全然わかんない。

 知らないことだらけの場所だったけど、前に住んでいたところに比べたら、数百倍マシだ。むしろ素敵なところさ。

 前に住んでいたところは、すごく汚くてうす暗い場所だった。それにとっても狭くてお母さんとも別の部屋で寝てたんだ。ぼくの部屋は角っこで、隣はおじさん。夜になるとびっくりするくらい大きないびきをかく人だったから、いっつも夜遅くまで眠れなかった。周りはとっても暗くて、いびきしか聞こえない。お母さんの寝息も聞こえない。すごく心細かったよ。

 だから優しいそうな背高のっぽのおじさんが、ぼくたち家族をここに連れてきてくれたときは本当に嬉しかったよ。

 わからないことだらけの場所でも、景色がいいしご飯もおいしい。なにより、お母さんと一緒に居られるのが一番楽しかった。

 一番幸せなときだったと思うよ。

 だけど、いつだったかな、お母さんがいなくなったんだ。太陽の光で目が覚めたから、いつもみたいに朝に弱いお母さんを起こそうとしたらどこにもいないんだ。先に起きたと思って、寝床から出て牧場の方まで見たけどいなかった。もしかしたら、奥の方まで散歩に行ったのかもしれないって、冒険気分で探してみたけど、どこまで行っても緑が一面に広がるだけで、お母さんは見当たらなかった。

 戻ってもお母さんはいなくて、ぼくのお母さんみなかった?って誰に聞いても、聞き取れない言葉で話すばっかり。お母さんのいない牧場はただ広いだけの牢屋みたいだったよ。

 だけどひとりだけ喋ってはくれなかったけど、ぼくが声をかけると顎で遠くに山が見える方の草原を指してくれる住民がいた。すっごく嬉しくて何度も何度もお礼を言って、そっちの方を探しに行ったけどやっぱり草原が続くだけ。

 だからぼくは今日も草原が見えるこの木の下で待ち続けるんだ。あぁ、また誰かが何か言っている。でもぼくには関係ないや。だって何言ってるかわかんないんだもん。

 淋しいよお母さん。早く帰ってこなきゃお母さんの声、忘れちゃいそうだよ。

 ***

 おい、奇跡が起きたぜ。あの臭いがしないんだよ、というより野郎がいなくなったんだ。

 日課の散歩のときに、あいつが勝手に占領していたあの木の近くまで行ったんだ。そしたら、示し合わせたみたく風が吹いて、俺は野郎の臭いがまた俺の身体に入ると思って憂鬱になったんだが、どんなに風が吹いても俺の身体に鳥肌が走らなかった。まさかな、と思って木の下まで行ったら、あいついなかったんだよ。

 一回喜んだ後に、実はいました、なんてオチだと数倍腹が立つから、牧場をくまなく探したけどやっぱり野郎はいなかった。

 牧場を歩き回った後、ようやく地獄が終わった喜びを噛みしめることができた。ああ、これでまた楽園の生活が戻ってくる。でもよ、野郎を探しているときに気が付いたんだが、仲間の数が減っている気がする。具体的な数字は分からないけれど、確実に数は減っている。そういえば、いつも寝床で喧嘩している奴らの声をいつの間に聞かなくなったし、一緒に野郎の悪口言ってたやつもしばらく会っていない。何があったんだ?

 まあ、とりあえず、楽園から悪魔が消えたことを素直に喜ぼう。

 ん?オーナーのじじいが何か言ってやがる。ちょっと行ってみるか。

 ***

 ぼくは今、始めて見る物体の背中に乗ってどこかを走っている

 乗りたくなかったけど優しかったおじさんが、ものすごい顔でぼくのお尻を蹴ってきたから怖くなってしぶしぶ乗ったんだ。ぼくのほかにあそこの住人もいる。

 彼らとは相変わらず言葉が通じない。でも、多分今ぼくと彼らは初めて同じ感情を抱いていると思う。未知のものの前では、ぼくらはみんな等しくいられるみたい。

 この、走っている生き物かどうかも分からないものの背中には、大きな四角い箱が乗っかていて、壁には隙間が丁度ぼくの目線の高さにあいている。隙間から見える景色には、灰色がたくさん並んでいた。ぼくがあそこで見てきた山よりも、背の大きい灰色のやつは生きているんだろうか、生きていたらどんな風にご飯を食べたり寝たりするんだろう。どれだけ好奇心を向けて観察しようとしても、それらはひと呼吸の間に遠くへ行ってしまう。ものすごくむず痒い。

 あれ、景色が変わらなくなった、箱の入り口が開いている。

 あ、おじさんがまた怖い顔している。蹴られたら嫌だな、早く降りよう。ここも前住んでたとこみたく、綺麗な場所だといいな。

 ***

 痛ってぇ、あのくそじじい、俺のこと蹴りやがって。

 しかしなんだこの箱は。知らねえ奴らがたくさんいて狭苦しいし、乗り込むために開いていたとこがいつの間にか壁になっている。おまけに動いてるみたいだ。

 どうにか出る方法を探さないとな。壁には胸の高さ辺りに隙間があるが、頭を下げないと覗けないな。おい、どけよ、お前ら。邪魔だよ。ったく本当に窮屈な場所だぜ。

 ・・・おいおいおい、なんだよこれ、山か?木か?大きさはそれくらいあるけど全然緑じゃない、あの命を感じる色とはまるで真逆だ。不安な色だ、生命を感じられない乾いている不安な色。この箱から逃げ出したところで、どうなる?あの色の中に前のような楽園は存在するのか?いや、ない。ここで逃げるなんてのは得策じゃない。どうすればいいんだ。

 お、止まったぞ。壁も開いている。とりあえず周りの奴らについていって、様子を見ながら逃げ出す機会を探ろう。

 ***

 ついて来たが、狭苦しい檻にまた閉じ込められた。あのじじい、いったい何がしたいんだ。

 おい。じじい!俺をこっから出せよ!ん?なんだその手に持ってるやつ、なんでそれを向けてくる、なんなんだ、それ。おい、さっさと・・・

 ***

 「ねぇ、おかあさん、あいびきにくってなぁに?」

 「合い挽き肉は、牛さんと豚さんのお肉を混ぜたお肉のことよ」

 「そうなんだ!じゃ、きょうのよるごはんは、あいびきにくでハンバーグつくって!」

 「いいわね、じゃお肉をこねるお手伝いたのもうかしら」

 「うん、がんばる!」

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