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罪荷  作者: 糸月名
姿なき狙撃手
8/23

読みあい


私とヴェーラは風に靡くススキの動きに合わせて移動をする。十時の方向にマットがいる。そうして移動を続けてはや半日。ジープは漏れたオイルが排熱弾に触れ、炎上していた。それでもこれだけ離れればサーモが使える。


「隠された」


当たり前だが見える位置に銃の熱や人の熱は無い。衛星からの映像も重ねあわせてみたが、湿地のススキなどが揺れる度に、衛星から送られてくるマップ画像とのラグでエラーが吐き出される。

辺りは暗くなり始め夜の帳が降ろされる。虫やカエルの鳴き声が耳に届き始めた。湿地の夜は昼間に比べ気温が下がる。蒸発していた水分は湿気になって私たちの身体に汗のように浮かぶ。

そろそろだ。

思考していた。つかの間、静寂。それをいくつもの破裂音が引き裂いた。ジープに放置していったサブマシンガンの弾丸が過熱され、中の火薬が破裂した音だ。

この暗がりの中だ。この音には絶対に反応を示すはずだ。次の熱反応は決して見逃さない。私の目の前のススキが不自然に揺れた。そしてさらに横転するジープ。マットが撃った! しかし、熱反応も音も無い。銃自体に特殊な塗装を施して空気の層をつくり、断熱している。

それでも、光と空気中にのこった熱は防げない。ススキにも赤く熱の反応が残っている。そのラインをたどった先にマットはいる。

銃口を向け、勝負に出る。

いくつもの銃声。私に続いてヴェーラも引き金を絞る。

跳ねた。銃弾が金属に当たり熱反応の放物線を描く。その場所を私たちは見逃さない。マガジンの中身が無くなるまで撃ち尽くした。

暗視視界に切り替えて視界を拡大する。死体は確認できないが、銃は見つけた。木と岩の間にワイヤーを張り、そこにがっちりと固定されている。予想通り、断熱塗装が施してあった。マットめ、厄介なものを。

息を吐く。

半日もの間張り詰めていた緊張の糸がほぐれ、疲労が押し寄せる。帰って酒でも煽りたい気分だ。


「帰るか」

「いきなり立つなよ。立ちくらみでふらふらするぞ」

「あ、もっと早く言えよ。う、生理みた――」


ズダァァァン。

湿地帯に銃声が響いた。偶然よろめいたヴェーラを狙った弾丸はチョッキに守られた肩を叩いた。ヴェーラはそのまま錐揉み回転して地面に倒れる。


「おいウソだろ!?」


今の位置、もしヴェーラがそのまま普通に立っていたら脇から侵入した弾丸は心臓に達して絶命していた。掛け値なしの即死。立ち上がってから一秒もないときにそんなことができるのはマットを覗いて他にいない。

緩んでいた緊張の糸が一気に張り詰める。

遮蔽物が無く、視界を遮るものがススキしかない現状、とどまるのは危険だ。ヴェーラのチョッキを鷲掴みにしてそのままススキの草原へと駆け出す。それでも頭を上げなかったのは、マットがどれほど優秀なスナイパーであるか身を以って知っているためだ。

小さな丘の裏に回り、息を整える。

最初の狙撃の腕は間違いなくマットだった。あんな狙撃の腕を持つ人間が何人もいてたまるか。けれども姿は捉えられなかった。それは熱源から遠ざかるためだった。なら、二発目は? いくら反応を示すと言っても、居場所をばらす様な弾道で狙撃するのはマットらしくない。その気になれば揺れるススキの間を通して狙撃できる。

敵が複数人要ることも考えられるが、マットの協調性のなさを知る私は即座に可能性を棄却した。


「遠隔操作……」

「何がだ?」


ヴェーラは肩を脱臼していた。痛む肩を押さえながら、空気を求めて喘いでいた。


「マットの二発目の対戦車ライフルだ。たぶん遠隔操作で撃ったんだ。認めたくはないが、マットは動いている」

「ッケ、仮定から間違ってたのか。それ以上に、遠隔操作なんて軍の試作装備じゃねえか。鹵獲される心配があるからって禁止されただろ。どっから持ってきたんだ」

「分からない。でも嬉しい誤算が一つ。お前だヴェーラ。マットはさっきの一撃でお前を殺す気だった撃ち漏らさなかったら、あそこに身を隠した」


その場所は考えられるカバーポイントの二番目に近い位置だ。一番近い場所はルートが読まれやすく、移動している間に撃たれるだろう。だからこその二番目。しかし、二番目には目を凝らさなくては分からない、踏み固められた跡がある。


「あの足元、トラップがある。たぶんワイヤーで吊るされてた。しかもあの木は水を吸い過ぎて根が朽ちてる。中身もスカスカで、弾を貫通するぞ。最悪だ」


マットの抜け目なさには嫌気が刺す。それでもヴェーラが生き残ったことで、私たちは何とか活路を見出した。


「距離は音の遅れからして多分九〇〇だ」

「先に私の肩を治せ。まだ撃てる」


ヴェーラの肩の脱臼を添え木もせず、強引に押し込む。鈍い音と共に、動くようになった肩を気遣いながらヴェーラは背中を掻いた。


「クッソ、AMSが痛い。邪魔すぎる」


AMS――Auto Mental Stability――は今まで私も要らない意味で世話になってきたもので、精神状態に呼応して電気を流してくれる。


「思った。だから外してきた」

「羨ましい……」


忌々しそうにつぶやくヴェーラなどどこ吹く風。私は早々にマットとの決着をつけなくてはならない。水筒の中の水を飲み下し、喉を潤す。

一帯を爆撃するのが最も速いがアメリカの保護区でそれは赦されないだろう。


「長期戦になるぞ」





そこから丸一日、お互いに動けなかった。しかし変化があった。雨が降り、体温を下げる。持ってきた携帯食料などタカが知れている。それでも動かずに体力を温存し続けた。

マットにとって私たちがこの丘に逃げるのは予想外であり、撃ちあうためにはアンブッシュ場所を変えるしかない。だからこその膠着。

私とヴェーラは身体を寄せ合って、なるべく体温が下がるのを抑えた。静謐な空間だった。聞こえるのは虫と、時折沼の底から顔を出す蛇が泥を蠢く音。そして私たちの息。さらに耳を積ませばススキ科の植物がカサカサと揺れた。そこに不自然な音が混じらないかを警戒し続けた。





さらに翌日。

この日も雨は止まない。雨で体力が異様なほど削られた。それは寝てないことと、命がけの状況であることが背中を押している。これ以上待っていても埒が明かない。私は動くことにした。おそらくそれはマットも同じだ。一人で行動している以上、マットの体力はさらに削られている。相手もここで勝負に出るはずだ。

格上の同業者相手にどこまでやれるかは正直なところ私には読めない。この先の展開も。だからと言って逃げ続けるわけには行かない。

小さな丘から風にたなびくススキに合わせて銃を出す。銃のスコープはどこから覗いても、銃口の延長線上を見るように工夫が施してある。そうやって周りの情報を抜き出す。どうやっても、見えるのは遠くの木々と、近くのカバーポイント。マットがここを狙うとしたらどうするか考える。

私なら遠くの木から出るのを待つ。木の下なら雨をある程度凌げるし、盾にも使える。だからこそ、そこは選ばない。この程度の読みはマットには必ず破られる。現に、その視界の先で動きがあった。人影のようなものが動いた。マットなら、立ち上がるようなことは絶対にしない。つまり、トラップだと私は読む。

次の思考はあそこを狙った私を打ち殺すならどこで構えるか。即ち、大きく回り込んだ私の正面。ただし、これにも落とし穴が存在する。私とヴェーラはそんな近くまでまわってくる敵を見逃しはしない。何よりも進化したヒューマンセンシング技術によって機能拡張された目が一定サイズ以上の動体を捕らえるからだ。

ならば、二つの狙撃ポイントの中間点。狙いを済ませる。ッそれに応じて私はヘルメットを外した。丘の撓みに身を隠し、頭を地面に押し付ける。狙撃中の横にヘルメットを置いて、マットを狙う。そこに現れるという保証はないが、二つの地点から隠れて狙撃ができるこの位置はマットと勝負するには好立地だ。

ジッと息をのんで待った。


あまりの恐怖にほとんど瞬きができなかった。目は乾き、息はドブのようなにおいになっている。玉のような汗が浮かび、雨で流される。地獄のような三時間を耐えきった。

そしてスコープの奥に地を這うシルエットが頭を覗かせる。

サイトの中心へと合わせ、引き金に指を掛けた。これで、長かったマットとの戦いが終わる。引き金を絞った。

返す刀で銃弾が隣にあったヘルメットを吹き飛ばした。

銃声と弾のラグはゼロ。それどころか丘の向こうから銃声が聞こえた。すぐ近くに居る。銃声が反響したが、発信源は特定できた。つまり、先ほど撃ち抜いたものは遠隔操作された武器だ。飛ばされたヘルメットを見れば方向も分かった。半歩前に出れば目が合うはずだ。わずか六メートルの位置二スナイパーが三人も犇めいている。狙撃戦の距離ではない。

ヴェーラに視線で合図を送る。その意図に気付いているのかいないのかわかりにくく、頷いた。これで丘を挟んで挟み撃ちの形になる。

視線を一瞬だけ、遠ざけられればいい。

予め、ススキの高さぎりぎりで中腰になっていたヴェーラは立ちくらみのラグから解放される。

狙撃銃を投げる。慣性そのままにその撃ち抜かれた銃が、空中で回転する。

次はマズルフラッシュまで捉えた。

ハンドガンを手に走りだす。ヴェーラも光見たはずだ。いくつもの弾丸が交錯する。立ち上がって見た光景はススキの中から銃身の一部が覗く狙撃銃。そこにマットの姿は無い。ヴェーラも引き金を引いて、狙撃銃を射抜いた。

同時に立ち上がる人影は私の真横――胸から抜いたナイフを横薙に刺突する。その腕を止める枯れ木のような腕。未だ姿を目視で確認できていない。けれども、分かる。間違いなくマットだ。

銃口を向けるが私の身体を盾にするように背後に回るマット。伊達に戦争を生き抜いたわけではない。


「ヴェーラ」


真っ先には反応したのはマットだ。私の背中を突き飛ばして距離を取ろうとしたはずだ。強い負荷が背中に掛かる。

逃がさん。

背中、肩、ひじ、手首。全ての可動域をフル活用して振り向きざまにナイフで切りつける。それでやれるとは思わなかった。けれども、止められるとも思わなかった。

マットはナイフの刃を素手に掴んでいた。滲み出る血液と、今にも千切れそうな枯れた指。それでも姿が私の目に映らない。きっちりと私の背後へと老いた痩躯を隠している。


「甘いぞ若造」


皺枯れた声に懐かしさすら覚えるよ、マット。


「言っただろう。ナイフは柄の詰まったものを使えと。重さが足りん。だから指も切り落とせんのだ」

「そうだったなっ」


軸足を中心に踵でマットの泥まみれのブーツをそこから救い上げるようにして……払えない。重く、硬い。老人の体躯から創造できる重さではない。


「駆け引きが甘いと言ったんだ若造」

「電筋義体か……」

「五〇年前の技術も馬鹿に出来んだろう」


次の瞬間。何が起きたのか理解できなかった。気付けば天地がひっくり返って地面に背中から叩きつけられた。同時に手からナイフがもぎ取られる。それでも左手に握ったハンドガンは離さなかった。銃口を向けて引き金を絞る。四回で気づいた。

マットは右足を盾に、すべての銃弾が弾き落とされていた。弾丸で破れた服の下から黒い金属の足が覗く。

日差しによってマットの顔は影となり、その表情は、盾に使った膝によって伺うことも叶わない。

丘の上のヴェーラから容赦のない銃撃を受けるマット。千切れかけた指の残る左手を盾に銃撃を凌ぎ切った。代わりに左手は弾丸によって解体され宙空を舞う。そのまま地面に倒れ込み薄の中へ風と共に姿を消した。

ここまでマットの近接戦闘能力が高いとは思わなかった。この距離で戦い続けても勝てない。本当は未知の技術は使いたくないけど、今は躊躇っている場合じゃない。


「OSシステム起動」


拡張(Over)感覚(Senses)システム。人間は私たちが思っている以上に多くの情報を受け取っている。同時に匂いや音、視覚に至るまで、人間が知らずのうちに捨てている情報は多いということになる。それをうまく拾ったのが《予感》だ。施策技術だが、捨てるはずの情報から本人も気づかない予兆をデータ化して視覚に表示する技術だ。

生きてきた経験から風に揺れるススキの動きを脳は予測する。けれども、実際に違う動きをしても人間の脳は異常だと認識しない。だがOSシステムはその異常を認識する。予測との大きな誤差を視覚で表示した。その道筋がマットの通ったルートだ。

いくつもの銃弾を移動先へと叩きこむ。金属音が聞こえた。身体を狙ったつもりだったが、おそらく試作の技術故にムラがあるのだと考察する。予測よりも奥をマットが走っていたから、銃弾は義足に当たった。

相手も同じ考察をしてで、ルートがまっすぐこちらへと変更された。

上手くいかない状況に私は思わず歯噛みした。それでも次は外さない。この距離で身長を違えるはずがない。まっすぐ一発の銃弾がススキの壁から飛び出したマットの眼球を抉った。

この時初めてマットの顔を見た私は、あの頃と何も変わっていないことに安堵し、同時に闘志が消えていない残った瞳に畏れを懐く。

宙に舞う眼球はつぶれていて、ヒビ割れていた。義眼。

身体のどこまでを機械に置き換えたのか。私の知らない一面だった。だからと言って私もマットも止まらない。止まればここまで殺しあったことを否定することになる。

目を穿った次の弾丸が銃口から飛び出す前にマットは私に肉薄し、銃身を残った手でつかんで逸らす。次の瞬間、予測線が私を貫いた。それを見て回避が間に合わないと判断した私は前へと踏み出した。リスクを伴う判断だったが、決して間違いじゃなかった。

マットと額を叩きつけ合い、動きが止まる。見える白い歯は全てがインプラントで差し替えられていた。老化にも耐えうる歯で、おそらくは私の喉笛を噛み千切るつもりだったに違いない。


「動きが変わった」


全て知られている。本当にこの老人の相手は嫌になる。


「こんな無茶をするとは思わなかったよ、マット」

「それはこっちのセリフだ」


ただの自慢か、自意識過剰なだけだったらどれだけよかったセリフか。実力が伴うからこそ、マットは強い。


「一人なら逃げてたよ」


私の真横を銃弾が貫く。ヴェーラだ。しかし、私の視界に予測はなかった。つまり、視界に写らないものは予測できないということか。使えないな。思わず零しかけたが、顔に出すことすら堪えた。


「腕はそこそこだ。儂なら一発で撃ち抜く」


そんな分かりきったことを言われても私は困惑してしまう。同時にその顔に影が射したように感じた。


「なぜこんなことを?」


罪荷を抱えなおした人間に幾度となく聞いてきた言葉だ。マットに聞くことになるとは思っていなかった。


「迷ったさ。こんなことが正しいとは一度たりとも思ったことはない。それでも、儂は戦場でしか生きられない。どうやっても時代の流れに取り残される。人間は一〇〇年も生きるもんじゃない。今は、死に場所を探している」


驚いた。今までは、誰もが喜々として犯罪を肯定した。それが必要であると言わなかった。可能性があったから、思いついたから、できたから。生物を創った男も、銀行ごと盗んだ女も、虐殺をおこなわせた男も。

その差は明確な違和感となって私に襲い掛かった。


「死ぬことこそが、今の目的だ。自殺も考えたが、共に戦い、散っていた戦友を思うと、そんなことできなかった。戦場で死ぬことが兵士の務めだ」


死にたい。そんな動機で多くの人々が殺された。


「守る務めはどうした?」

「祖国への義理は果たした。しかし、祖国は兵士へ何を送った。鉛球だ。戦場だ。奉仕を受けた覚えなど私にはないぞ。いくつの死体が帰らなかったと思う? 熱い砂の埋めく砂漠の下に、血の通わない冷たい雪の下に今も存在している。挙句脳を切り取って危険思想を排除すると言っている。それが今の市民の義務だと言った。ふざけるな。儂らが戦ったのはこんな未来の為じゃない。新たな火種が生まれ、再び冷戦がはじまったのが良い証拠だ」


泣きそうな声だ。初めてマットの本心を聞いた気がする。


「何で引き取った?」

「儂を殺せるのは儂が育てたお前だけだ。多くの犯罪者を救ってきたお前だからこそ、儂を殺せる」


マットはそう言うが、私からしたら法螺話もいいところだ。マットと同じ技術を与えられ、同じ感を数年過ごしたとしても、そこには絶対的な越えられない壁がある。経験の壁だ。狙撃手はそのやり口と危険性の高さから捕虜にされることはまずない。一世紀以上、その技術によって生き延びてきた怪物に、私は勝てるヴィジョンが浮かばない。


「犯罪者を救う? 殺してきたんだぞ」

「いいや、救ってきたんだ。この世界じゃなければ、お前が殺してきたのは犯罪者じゃなかったはずだ。それでも殺すという選択肢を迫られたお前たちは仕方なく殺してきたのかもしれない。本心すら分からないはずだ。だが儂はそうは思わん。お前たちは時代の被害者を救ってきたと信じている」


もう分かった。理解した。

だからこそ私はもう一度マットに問う。


「なぜこんなことをした? そんなふうに死んだ人間を悼むことができて、いろんな立場に立って見方ができるじゃないか。罪荷を抱えなおした人間の立場なんて考えたこともなかった。そんな優しいマットが、罪荷を捨ててすらいないアンタがなんでこんなことをしたんだ!」


電流を流すAMSを外したことを今ほど後悔した瞬間もない。犬歯を剥きだしにしてマットを睨み付ける私は、さらに後悔を重ねる。


「手術する医者が戦友のひ孫でな。良心に訴えた。罪悪感を植え付けて、手術を避けた。頭を開いて閉じた。それだけ。この傷の向こうにはお前と同じ可能性が詰まっている」


インプラントで置き換えられた歯が全て見える。マットが笑った。


「儂の本をすべてくれてやろう。最初はゲバラを読んでみろ。若くして死んだのに、実に分厚い内容だ。ゲバラになりたいとは思わんが、理想に生き、死んだ。生きざまはまさに憧れだ。感想は要らんぞ。どうせ、本を手にしたなら儂は死んでいるし、手にできないならお前は死んでいる」


殺す理由なんかない。私の部隊の名は《罪荷降ろし》だ。罪を捨てずに抱え続けた男を殺すことは私の仕事ではない。それでも、救いを求めるマットを殺さない選択肢は無いように思えた。


――十分、苦しんだ。もういいだろう? もういいよな。


私の右手を掴むマットをそのまま背負い上げて地面に叩きつける。しかし、マットは投げられる瞬間、私の軸足に自らの義足を引っかけて共に泥を纏った。

泥濘を這いまわるようにマウントを取り合う。こうも密着した混戦ではヴェーラも手出しができない。同時に私とマットのメッセージでもあった。

手を出すな、と。

右腕しかないのに、細い老人は私に退けを取らない。あまりの近さに銃という獲物を生かせない私に対し、片腕のマットは実に自由だ。

結局有利に相手どるには距離を取るしかない。マットの顔に肩を当ててひるませた後、突き飛ばす。地面を転がって距離を取った後、銃を向ける。その時、既にマットは立ち上がり私の眼前へと肉薄していた。

意地でも距離を取らせないつもりだ。

私はマットの肉体を撃つことを諦め走行する足を狙う。いくら弾丸が通らないと言っても、運動エネルギーは受け取るはずだ。そのまま足を泥にとられれば距離を取れる。

けれどもマットは一瞬ひるんだだけで止まらずに突っ込んできた。その速さに、足を差し込むのが精一杯で、その突進を靴底で受け止める。あまりの負荷に腰が爆発するかと思った。奥歯が砕けるほど噛みしめ、そのまま押し返す。電筋義体の出力を舐めていたら痛い目を見ることは既に分かっている。

押し返されたマットはよろけて大きくのけ反った。そこへ私は容赦無く照星を向ける。銃口を突きつけると、のけ反ったマットの上半身が戻る。

身体に九ミリの穴が空いたところでマットが止まるとは思えない。狙うなら頭だ。のこったマットの目と私の目が合う。

銃声が一つ。

けれども誰も死ななかった。銃弾が外れたわけでもない。マットが歯で銃弾を受け止めた。インプラントが砕け、いくつかは歯茎と骨を抉って取れたはずだ。それでも歴戦の英雄は死なず。


――これだからマットは‼


思わず笑みが浮いた。

弾丸を見切る辺り、もう片方の目は演算義眼だ。

それでも弾丸の衝撃がマットの首へ伝わったはずだ。その証拠と言わんばかりにススキへ倒れ込むマット。そのまま這うように移動して姿を消した。それでも、私の目には赤いラインが移動の軌跡として見えている。

急いで立ち上がり体制を整える。緩やかな円を描くように移動するマットをもう逃がさない。先ほどのミスから勘で照準を合わせ、撃つ。

当たった。ススキの壁から私のナイフが弾きだされた。移動先を予測できることを知って早々に対策をうってきたのだ。ナイフを投げて居場所を誤認させた。

銃口を構え直す隙も与えずにマットが突っ込んでくる。攻撃の予測戦が私の首を通過する。脹脛の付け根あたりが開き、一つの金属から削りだされたナイフが現れる。

追撃を避けることを捨て、銃を構え直す時間を稼ぐために真後ろへとんだ。刹那、私の目の前をナイフが通過する。ちょうどナイフを振り上げる形になったマットがそのまま突っ込んでくる。振り下ろせば、ヘルメットのない私は頭をかち割られる。

銃口を必死に戻した。

そして。

そして。

そして――。



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