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罪荷  作者: 糸月名
姿なき狙撃手
7/23

狙撃の師


ジープの荷台で揺られた。晴れた気候が気持ちよかったが、テント状の庇によって日光の恩恵に与ることはない。近くには湿地があり、晴れた日は湿気が飛んで、地面がひび割れるのだ。そのため、風が吹くとその粒子が飛んで、如何せん砂が多い。目に入って、涙の多い日になりそうだった。


「次の目標はマット・レイノルズ。アンタの師匠だって? 強いのか?」


ヌァザの捕獲作戦で後方支援に回っていたヴェーラが女性らしくない粗野な雰囲気で声をかけてきた。

マットはアメリカ中部の州立森林保護区で九八人の民間人を殺害した。この男は退役軍人で、私が『罪荷降ろし』という部隊に所属する前の上司のような男だ。狙撃に置いて私よりはるかに腕が立つ。戦うことなど考えたくもなかった。現実をあまり認めたくない私は頷いて返事をする。


「名前を聞いて驚いた」

「誰でも犯罪者になる可能性を秘めてんだぞ。親兄弟でも殺す覚悟をしておくべきだ。驚くのは覚悟が弱い証拠だよ」


身寄りのない私には実に羨ましくもある話だった。だが、ヴェーラの言っていることは間違いないのだ。いつかはこういう日が来ることは覚悟しておくべきだった。それでも、覚悟なんかしていない私は悪くない。


「最後に会った時、マットは一三〇を超えていた」

「身長が?」

「年齢が」


その言葉を聞いて、ヘルメット越しのヴェーラの表情が翳る。からかわれていると思っているのだろう。そもそも生きていることが何かの間違いだ。少なくとも情報の間違いであってほしい。


「ベトナム戦争と湾岸戦争に参加したらしい」

「法螺話はいいよ、興味ない」


私が話していることは法螺ではない。間違いなく、マットは歳相応の老人だった。伝記本を読み漁り、猟を生きがいにしていた。作戦前のブリーフィングでは一五五歳になるという記録があったのを覚えている。二度の冷戦を唯一経験しているロートルだ。


「私は外帰りだ。もっとましな情報寄越せよ」


ブリーフィングを受ける間もなく送り出されたヴェーラは少し不機嫌だった。私の生でもあるが、私は悪くない。


「狙撃兵だ。州立の森林保護区で人を撃ってるらしい。今朝見つかった死体で九六人だ」

「多いな」

「ほとんどが死体をハイエナやクマに喰われていたらしい。だから事故で処理されていたが、二日前見つかった死体の死因が銃弾だった」


死体の処理に検死解剖は要らない。見つけられた状況で判断され事件性が無いと判断されれば、そのまま埋葬される。何よりも森林保護区には感圧板や監視カメラが無く、詳しい状況が分からないことも発見が遅れた原因だ。


「なら死体の数は概算か。もっと増えるかもな」

「次はこっちかもな」

「縁起でもないこと言うなよ」


その時だった。舗装された道が終わって、ダートな道が始まった。石ころや段差をタイヤが踏むたびに尻が硬いに代へ叩きつけられる。


「降りる頃にはケツが茹でられたエビみたいに真っ赤だな」


うんざりだ。アレックスが死んで以来、ヴェーラとはよく組んだ。その都度アレックスみたいにベラベラと喋る。ジョークが大味すぎて私には合わない。

露骨に嫌そうな顔をしているとヴェーラが肘で小突いてきた。


「お前が仏頂面だからだ。私だって寂しいんだよ。相棒だぞ、構え」

「アレックスの飼ってた犬みたいだぞヴェーラ」

「褒めてるのか? 貶してるのか? 後者だったら肘じゃなくて銃で殴るからな」


肩を竦めたら後頭部を殴られた。痛む打撲痕を手でさすり、たんこぶができていないことを確認する。


「それで、老いた狙撃兵はお前の師匠なんだろ? どんな人間だった?」

「酷かったよ。罠や銃で動物の取り方を教えられた。雪山でね」

「………………」ヴェーラが目を細めた。「立ち入り禁止区域か?」


私は頷いた。気候変動によってアラスカとカナダの間に発生した永久凍土。マットはそこに私有地を持っていた。冬の間そこを生き抜いた。両親が死ぬまで冬の世界は暖かい暖炉と、ふかふかのベッドだけだった。雪を固めて投げつけあったり、雪だるまと作るだけがすべてだと思っていた。

だけど、氷点下四〇℃の世界はそんな私に容赦なく襲い掛かる。生きるためには殺すしかなかった。スコープのない銃でヘラジカを撃ち、火を絶えず焚き続けた。夜はほとんど眠らず、日の上る昼の間だけ行動する。凍死、餓死、あるいは動物のエサになる。全ての恐怖と戦いながら生きるしかなかった。辛かったけど、あの経験は私の中で生きている。


「左手の小指が凍りつくくらい寒かった。壊死して切り落としたよ。再生治療で指は戻ったけど、あれは怖かった」

「指が欠けても痛みはあるっていう話は聞くけどどうなんだ?」

「ファントムペインのことか。あったよ。幻肢痛って言うよりは幻肢感覚って感じだな。根元から切ったけど、曲げた感覚があるんだ。だけどしばらくは強く拳が握れなかった。それとは違う後遺症もあって、日が上るまで眠れなくって、暖かくなるとようやく安心して眠りについた。それでも三時間以上は絶対に眠れなかった。悪夢で目が覚めるんだ」


ますますヴェーラの顔が曇る。


「クレイジーだ。その時から罪荷を抱えなおしていたんじゃないのか?」

「その時は切り取ってすらいない。というか、役所はマットが死んだものと思っていたんだ。雪山で指が凍った子供を抱えて病院に現れて初めて生きてることが分かったらしい」


死亡が確認されない人間が世の中に一〇〇万人以上もいると言われている。そういう人間は年齢だけがそのまま加算され、法的には失踪とも死亡とも書かれない。


「その子供って言うのはお前か。どうなってんだ。超監視社会なんて風刺されてる割に細かい部分が杜撰だな」

「杜撰でも社会は回るからな。余計なところに金を回したくないんだろ」


齢一三〇などギネス記録を軽く超えている。そんな人体の許容限界地まで生きる人間が存在していることがおかしい。当時の私にとってマットはただの厳しい里親だったが、世間は相当騒いだ。それが嫌でさらに山にこもりがちになったのは良かったのか悪かったのか。


「ここからは直感的な話をする。子供のころに見たマットは既に足腰が悪かった」

「ぴんぴんしてたら化け物だな」

「今は歩けるとはあんまり思わない。思いたくない。マットは勲章をいくつも取った英雄だ。足腰やれてない状態だったらまず張り合えない。そもそもの狙撃技術だって勝てない。鹿を雪山で見失わない技術とスタミナが当時は残ってた。もし、今も健在なら絶対に無理。一帯を封鎖して放置、老衰を待つのが安泰だ。それに、足がつぶれているのなら間違いなくアンブッシュだ。狙撃戦になる」


支給品の迷彩には腕に端末が備え付けられている。そこには任務の情報や事件の細かなデータがまとめられている。この情報がまた詳しくて諜報部の人間には頭が上がらない。

装備の端末を操作してヴェーラと私の視界に周辺の地図が表示される。そこにはキルマークがいくつもついており、外側を囲った円があった。


「この赤くマッピングされた円はおそらくマットの狙撃範囲だ。半径は二キロ。間違いなく狙撃だ。アンブッシュポイントから見つけた人間を次々と射殺している。しかもハイキングコースだったり、シーズンには一部鹿撃ちも許可してる地域だ。獲物がたくさん入ってくるわけだ。これを見る限りマットは動いていない」


「ほんとうに足が悪いのか?」

「分からない。治療記録も目撃情報も何もない。体内に埋め込まれた情報送信用のチップも六か月前に充電切れだ。足跡が辿れない」

「動けるならどこで仕掛ける?」

「湿地帯。狙撃には向いていないが、トラップを多用してくる。居場所を隠しつつ、衛星からのマッピングも雨や風なんかで葦やススキが邪魔して詳しい地形が把握できない。熱探知も泥で隠せる」


マットが使うのは市販の動物用の罠だけではない。ロープワークと自然を利用した圧殺、刺突、投石。ありとあらゆる罠が襲い掛かってくるだろう。マットは伊達にゲリラ戦を経験していない。

タイヤが泥を踏む音。湿地帯へ突入した。死体が見つかった場所はこの湿地帯を抜けた先だ。だけれども、私とヴェーラは酷く警戒した。普段のスクアッドよりもさらに少ないペア。連絡が無ければ新たに増援が来るが、今回は上層部がただの死にぞこない侮った結果だ。


「もうすぐミッション開始地点だ。気を引き締めろよヴェーラ」


ヴェーラは頷くだけ。さっきまで壊れたラジオのようにしゃべっていたのが嘘のように静かになる。私にとって仕事はしやすいがプライベートでは付き合いたくない人種だった。

湿地帯に入り尻の心配は無くなった。タイヤが沈み込みながら泥を跳ねて道を進む。泥くささが鼻を付く。ブラックバスを捌いたときの匂いだ。懐かしさと同時に疑問が浮かぶ。

なぜマットはこの湿地帯を選んだのだろう。こう言っては不謹慎だが、本当に誰かを狙撃するなら雪山の方が効率的だ。事前の準備が無ければ隠れにくく、足跡がついて追跡しやすい。私ならここは使わない。

そんな私の思考をかき乱すようにガラスの割れる音が響いた。同時に誰かの頭蓋が爆ぜ、脳漿が飛び散る。匂いは未だ届かない。それでもどんな香りがするのか、分かってしまう。


「運転手がやられたぞ‼」


ヴェーラの声で不意に我に返った。揺れるジープの中、沼地にタイヤが嵌るのを感じた。そのままハンドルを切ることもなく、泥に足を取られたジープは横転した。

背中の鈍い痛みは叩きつけられた衝撃によるモノだ。軽くせき込みながら辺りを見回す。頭を上げようとしたヴェーラの姿が。あわてて後頭部を掴み、無理やり地面に押さえつけた。


「頭上げんな。防弾ガラスが砕けてる。対戦車ライフルだ」


人間の頭が原型をとどめていない。


「タンク用じゃねぇか。人間狙撃するものじゃないだろ」

「戦時国際法に触れかねないからな」

「そういう意味じゃねえ」


マットの大凡の狙撃位置が分かった。銃声が聞こえなかったのは何かで対策をしているのか、あるいは聞こえないほど遠くで発砲したのか。

発砲の衝撃を殺せるように、岩か木に銃を固定しているはずだ。半径二キロと少し。熱感知で居場所を探れるはずだ。

だが、そんな期待はサーモの機能を使用した瞬間に打ち砕かれた。視界が白く発光し、思わず目を覆った。網膜に焼きついた光がチカチカと明滅する。莫大な熱量を排出する何かが近くにあったのだ。こうなったらしばらくサーモは使い物にならない。

仕方なく目視で確認すると、地面に埋まっていた対戦車ライフルの銃弾だった。赤熱して今にも溶け落ちそうだ。


「排熱弾」


装甲に潜り込んで熱で燃料に引火させる弾頭だ。こんなもので人間を狙う必要はない。もしかしたら装甲車を狙って運転手に当たったのかもしれない。だけど、あのマットだ。莫大な衝撃が掛かる大口径ライフルで狙撃することも不可能じゃない。

生唾を嚥下する。


「すぐにここから離れるぞ。邪魔なものは置いて行け。そのスポッター用の双眼鏡とかもいらない」

「単騎のスナイパーで大丈夫なのか?」

「相手は一人だ。着弾確認は一人でできる。さらにこっちはマットの正確な居場所を掴めてない。それならスポッターよりも走れる狙撃手が欲しい」


持ってきていたサブマシンガンを捨て、スナイパーライフルを手に持ったヴェーラを確認する。


「対戦車ライフルなんてものを持ち出してきた以上、ジープは盾にならない。風の吹く方向を確認してススキの中を移動しろ。絶対に上体を起こすな」


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