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罪荷  作者: 糸月名
姿なき狙撃手
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幻覚

ここから第二部です


退職届を叩きつけようと思った休日。

疲れた脳みそは未だ休暇を求めてやまなかった。よく母が剥いてくれたリンゴを、同じように果物ナイフで細く長く皮を剥いでいく。私はさして好きではなかった。でも、母は死ぬまで私がリンゴを好きだったと思っていた筈だ。そう信じていたし、母の想いを嘘にしたくなかった私は今日もリンゴの皮を剥く。艶のいい赤い皮は、甘い香りがした。

数年以上続けるルーチンワークが心の平穏だった。世界は想像もつかないほど進化した。結果息苦しくなり続けている。二十数年しか生きていない私でさえそう感じた。それでも、このリンゴの皮を剥く感覚だけは何年も前から何も変わらないと、そしてこれからも不変でだと信じていた。


『また、リンゴの皮を剥いているのか?』


死んだはずのアレックスは良くこの家に遊びに来ては、そう声を掛けた。今はもういない。背中を預けた相棒が死んだというのに、心は平穏だけを求めて、悲しむことをやめた。


『昔みたいにウサギは作らないのか?』


アレックスが「子供っぽい」って言われてからやめたよ。


『そりゃ残念だ。俺は好きだったぞ。ウサギもリンゴも。可愛らしいところもあったのにな』


その可愛げは最初から存在しなかったよ。血まみれの手で作られたウサギは真っ赤だ。皮の色じゃなく、血の色で。それがかわいいか?


『今までならそうだったかも。でも今は子供の血で真っ赤だ」

助けるために必要だったんだよ。どうしても。

『その結果、俺はここに居る。お前とは違うこの場所に居る』


そうだ。横に立って呼びかけるアレックスは私の妄想だ。アレックスが死んでから毎日この瞬間に出てくる。声が横から聞こえてくる。目を向ければ腕も足も吹き飛んで、祖国の地を踏むことはないアレックスの姿が見えるのかもしれない。でも、謝る言葉も、反論の余地も持たない私は妄想上のアレックスに目を向けることすら出来ない。


『俺は死んだよ』


殺したのは私だ。あの女の子も。アレックスも。多くの犯罪者も。


『ああそうだ、その通り。だが本当に殺す必要はあったのか?』


あった。絶対に。けれども、妄想の上に成り立つアレックスにそうは言えなかった。溢れだすフラストレーションをどう堪えたらいいのかもわからずに、叩きつけるように口を開く。


「なら他に、どんな選択肢があったんだ!」

『そうだな。『罪荷降ろし』という部隊に居た俺たちに選択肢なんてなかった。殺すしかなかった。本当にそうなのか?』


『罪荷を背負いなおした』人間は犯罪的思考を取り戻す。そして、犯罪に走るのだ。なぜ罪を犯すのかは分かっていない。『罪荷を背負いなおした』人間が必ず犯罪をするのかも分かっていない。分かっていることは、専門の特殊部隊が必要なレベルで犯罪が凶悪化したということだけだ。多くの人間が目的もなく、凶悪な犯罪へと走る。

三ヶ月前を皮切りに化学兵器やクローン作製など行う犯罪者相手に戦ってきた。犯罪者は収容できない。一度収容した犯罪者が何かの拍子に外へ出ればまた犯罪が起きる。

これ以上の犠牲が出ないように『罪荷を背負いなおした』人間は殺すしかない。

殺す以外の選択肢なんて――。


『あったさ。ほら。俺は死んでお前は生きてる。まだ死ねる人間がいるじゃないか』


鋭い痛みが走った。リンゴの皮を全て剥き終えたのに気付かず、果物ナイフが、手の皮膚を剥いていた。


『犯罪者が死んで多くの人間が救われた。だが、お前が死ねばあの子は助かっていたんじゃないのか?』

「黙ってろ!」


私はリンゴを投げつけた。だけれども、アレックスには当たらない。当たり前だ、私の妄想の中にしかいない虚像だ。壁に叩きつけられたリンゴはつぶれ、汁が散った。手は果汁と血が滴る。


「やっぱりリンゴは嫌いだ」


その時、耳に埋め込まれた装置が骨伝導で任務を知らせる電子音を響かせた。


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