雨の中の暗殺
事の発端は私が生まれる遥か以前。私が本当の意味で関わったのは一年前。
あの日は雨が降っていた。泥に深く刻まれた轍が、雨によってその原型を失くす。視界が霞むほど激しい雨の中でも私の眼は良く見通してくれた。眼球に散布されたナノマシンが消えた轍や靴の後を色分けしてくる。
分厚い雲に太陽が隠され闇の帳がおりた昼下がり。捕縛ミッションには適していた。
幾度となく人を殺した私の手には、使い慣れた狙撃銃が。
足の泥の感覚は感圧板を仕込んだ硬いタイルとは違い、不安定で新鮮だった。舗装されていない道を歩き続けた。
「パッケージインサイト。これより状況を開始する」
私の眼は雨の向こう、二キロ先に居る女の姿を鮮明に映し出す。ヌァザ・ミカエラ。MSFに所属していたこともある精神科医。蟻一匹殺せなさそうな女は、催眠によって村一つを消した。
私のいた小隊にはこんな任務ばかりだ。
後二〇メートルも前進ずれば狙撃範囲に入る。この雨の中、どこまで精密に狙撃できるかは私の腕次第だ。
「この雨の中でパッケージは何をしているんだ」
そう声を掛けたのは観測手を務めるアレックス。青い目に短く刈り上げた金髪のナンパが好きな既婚者だ。
私はアレックスに聞かれてスコープを覗き直し、観察を続ける。木の屋根がある。屋根には葡萄の蔓が無秩序に絡みつき、火の光を求めて重なり合っている。その下のベンチにヌァザは座っていた。葡萄の蔓に引っかけられたランプが幽鬼のように虚ろなその姿を照らしている。淡い光で本を読んでいるのだ。本の題名を読もうとしたところで、耳に仕込まれた機械が、耳小骨へ直接振動を伝える。
『ベータからアルファ、いつでも行動開始できる』
脳波を読み取り、目が拡大倍率を下げる。すると黄色くタグ付けされた四人の姿があった。戦術単位スクアッドベータ。実際に確保する部隊だ。私達アルファは狙撃によるバックアップと撤退を指揮する。
「アルファからベータ。コードレッド、二〇秒待て」
アレックスに目配せをして私たちは急いだ。近くの木に背中を預け、狙撃ポイントへ移動する。狙撃体勢に入り、スコープを覗いた。手のブレ具合、心音がポリグラフのように視覚され、狙撃に手来たタイミングを知らせる。
『ベータからアルファ、二〇秒経過したぞ』
アレックスが私の肩を叩く。それでも私は狙撃可能の指示を出さない。今までの仕事で培った勘が違和感を訴えた。
「アルファからベータ。パッケージは動いたか?」
『ベータからアルファ、質問の意味が分からない。再度応答願う』
「アルファからベータ。パッケージは本を読んでいるか? ページは捲ったのか?」
戦術単位スクアッドベータの位置からはヌァザの視線を確認はできない。それは私の位置からも同じだ。
だが、手元は見える。本のページが捲られていない。
『ベータからアルファ、読んでいない。パッケージは動いていないぞ』
私はアレックスを見た。軍服とヘルメットに身を包んだ彼は双眼鏡で対象を確認していた。
「間違いない。オブザーバーはヌァザのだ。アラートもない、生きてる」
生まれたときに体内に埋め込まれる身分証明機械、オブザーバー。偽造は不可で本人の生命反応が消えた時点でアラートを送る。そこには口座情報や、戸籍が記録されている。
「アルファからベータ。コードグリーン」
スコープの向こうで動きがあった。戦術単位スクアッドベータがベンチを取り囲む。それでもヌァザは反応を示さない。
『パッケージアライブ』
豪雨。それこそ私たちのように骨に直接響かせなければ会話すら難しいこの中で、ヌァザは寝ている。矛盾を抱えた状況。瀑布にも似た水量は猛烈な音と風と気圧をもたらす。いくら疲れていてもこの環境で寝るとは如何なものか。
私の中の嫌な予感が膨らむ。その状態をサーチした機械が背中へと適度な電気的刺激を送り込み、不安を和らげる。
――何かが来る。
予兆があったわけではない。だが、この声すら掻き消す豪雨の中、ヌァザの周りだけが周りの環境から切り取ったように静かすぎる。
結論を言えば私の予感は当たることとなる。
雨によって私たちの耳には何も聞こえなかった。だが、目は光を受け取り瞳孔が収縮する。拡大していた視界の端から赤と白の光が瞬いた。一度ではない。何十という光が花火のように一斉に瞬いたのだ。
拡大された私の目にはもはや目の前で繰り広げられているも同じで、手を伸ばせば届きそうだ。気の知れた仲間の身体が跳ねると、糸の切れたマリオネットのように崩れ落ちていく。ヌァザの腕は吹き飛び、血煙を噴き上げる。
マズルフラッシュが消えた後にのこったのは血の海だ。雨で飽和した地面に流れ込み、薄らとその色を広げていく。
この豪雨だけが私の友の血化粧を洗い流した。だが、屋根の下のヌァザだけがその赤をランプに血肉を照らし出している。
一瞬だけ呆気にとられた私の背中に、強烈な電気的刺激が流され、強引に我を強く意識させられた。ここは戦場である。気を抜けば、死ぬのは私の友だけではない。
「――アレックス‼」
私よりも戦術単位スクアッドベータと中の良いアレックスは電気刺激などでは足りない様子だった。私が背中を叩いて、意識を強引に引きずり戻す。
眼のナノマシンに熱反応が無かった。動体反応もない。最新型の熱工学迷彩によって姿を隠しているのだと気づくのにそう時間はかからなかった。
「衛星からリアルタイムで地形マップを重ねろ。奴らをここで仕留める」
数すらわからない。距離はおよそ二キロ。もし相手が中隊規模なら私たちは殺されるだろう。捕まった狙撃手の未来など想像するまでもない。
ほどなくして、私の眼にはグリッド線で表された地形マップが反映される。そこで既存のマップと一致しない場所は赤いシルエットで表示された。
数は四人。そして旧式の装甲車一台、改造された軽トラのテクニカルが一台。全てステルス加工が施され、熱、レーダーなどから完全に消えてしまっていた。画像処理のアナクロ二ズムに浸ったやり方でなくては見つけることも困難だったはずだ。
「アレックス、撤退だ」
私は戦力差を見てすぐにそう判断した。装甲車が出張っているということは政府軍か、政府軍の装備を拿捕できるほどの装備を整えた反政府軍ゲリラが出張ってきたということだ。二人で相手にできる数ではない。
だが、アレックスに私の考えは理解できないらしかった。首を横に振って双眼鏡のレンズに目蓋が張り付いたかのように覗き込んでいた。
「HQ、敵装甲車部隊にアンブッシュを受けた。チームベータは全滅。パッケージ死亡。作戦が敵に漏れていた。作戦の続行は不可。撤退の許可を」
『こちらHQ、撤退は許可できない。パッケージの遺体を回収せよ。なお、本作戦は極秘であるため援軍を出すこともできない。現状の戦力で奮戦せよ』
作戦本部の命令はアレックスの背中を押した。
狙撃兵と観測手で装甲車部隊を退けろと言っているのだ。本部としては研究材料であるヌァザの死体は喉から手が出るほど欲している。私たちの命よりもヌァザの死体は重い。今にも走りだしそうなアレックスの肩に手を掛けて動きを止める。
「テクニカルは破壊できるかもしれないが、装甲車は無理だ。一回落ち着いてくれアレックス」
「それだけ破壊できるなら十分だ。援護をしろ」
背中に貼られた電極から流される刺激はもはやアレックスを興奮させる材料でしかない。私の静止を振り切ってアレックスは雨の中を走りだした。
考え躊躇う時間は終わった。ここからは考え動く時間だ。スコープの先にあるマップ上で動く異物。この雨なら発砲音は掻き消してくれるはずだ。問題はマズルフラッシュ。捉えられれば私の足では逃げ切れずに穴だらけにされる。視界に入らずに始末しなくてはいけない。
手振れが激しい。なかまの死は私にも動揺をもたらしているようだ。けれども、私が鈍れば全員死ぬ。表に出すわけには行かない。ジアゼパムをすぐに投与し、手振れを抑え込む。
「随伴歩兵は四人。敵装備不明。装甲車の内部は不明。テクニカルの運転手も確認できない」
そもそも右ハンドルなのか左ハンドルなのかもこの状態では判断できない。
歩兵の一人がヌァザに近づく。私たちのパッケージだ。敵もその重要性に気付いているのだろう。あるいは私たちを見て交渉材料にはなると判断したのかもしれない。
――ヌァザのところには確かランプがあった。
私はすぐにマップ表示を切って、目視確認を行う。敵の装備はサブマシンガンにショットガンのアタッチメント。特殊な装備は暫定政府軍のモノではあるが、問題が一つ。
「隣国の装備か? ナイフ、予備弾薬。フルフェイスのARヘルメットか」
さらに手榴弾。腰のベルトにしっかりと括りつけられている。政府軍であることを考えればこれは、コマンダー以外全員が同じ装備をしていることが考えられる。再度、マップを重ねあわせ兵士のシルエットを浮き彫りにした。
装甲車に最も近い歩兵の腰を撃つ。訓練を受けた兵士なら警戒時にどこを見ているかなど把握はたやすい。そして腰の位置も。一発の銃弾で的確に手榴弾を打ち抜く。
赤いシルエットは散り散りになる。ほかにも、周囲に板随伴歩兵はそのことごとくが地に伏した。回避のため、あるいは爆風で傷を負ったのか。
「セムテックスか。装甲車へのダメージはあまり期待できないな。だが、テクニカルのフロントガラスが割れたな」
熱工学迷彩塗装が施してあったフロントガラスを失い、私の眼にはくっきりと人の姿が色づけされて映りこむ。
二発目の弾丸はそこで頭を伏せようとしていた男の頭蓋を砕き、脳漿を散らせた。上顎が吹き飛んだ後には、下顎の白い歯が何かを訴えるように覗いている。しかし、あの歯がかみ合わされ、何かをしゃべることは二度と無い。
そこまでして、私の指が止まった。次に狙うべきは負傷した歩兵か、歩兵をカバーしに来る装甲車の中のコマンダーか。少なくとも無線で新たに情報が流れる前に撃つべきだ。それでも私が銃の引き金を絞る相手を探さなかったのは疑問があったから。なぜ、装甲車は負傷者をカバーしないのか。
雨の中、髪を伝って滴り落ちる雨粒ほどの疑問。ほかの雨に混じってしまいそうになるそれは確かな兆しだった。
目を凝らす。正確には目に吹き付けられ、コンタクトのように膜になったナノマシンの機能を最大限に活かす。暗視、熱、遠近、マップ。それらのフィルターを重ねあわせて、ようやく装甲車の微かな特徴が浮かび上がった。
セムテックスの爆発によって装甲車の左履帯が不自然に歪み、破片が挟まっていた。右の履帯は泥濘に足を取られ泥を跳ね飛ばしながら空回りを続ける。
居場所が発覚しても追われる心配が無くなったのは幸いだが、あの装甲を破る手段はない。何かできるとすればアレックスだ。狙撃種をサポートし、ある時は命すら守る役目の相棒を、直接援護することになるとは私も思わなかった。
アレックスは敵との距離を一五〇まで詰めていた。そのなりふり構わない姿は敵から発見される可能性を全て捨て去っていたように思う。装甲車は未だ、アレックスを見つけていない様子だった。
その時、ふと、見えた。装甲車の裏に赤いシルエットが浮いたのだ。影から死体が散ったであろう惨状を確認しているようにもうかがえた。
「なんで……」
そう漏らしたのは私の口だった。細い腕は装備を纏っていない。それどころか幼い。私の眼はその姿を嫌にくっきりと映し出す。雨で張り付いた髪と怯えた瞳。ロクな装備も纏わされず戦線に駆り出されたその姿は幼い女の子のモノだった。
少年兵だと私は悟った。それ以外に、銃を持った子供がここに居るはずがない。なぜこんな場所まで駆り出されているのかも容易く想像できた。
最新の光学迷彩を使っていたのだ。何の装備も積んでいない少年兵など敵の方向を炙りだすための餌だ。殺されるためだけに歩かされている。
最後まで残ったのは私にとってある意味僥倖だった。
「アレックス。装甲車の裏に敵兵だ。少年兵だ。撃つな。パッケージの死体と一緒に回収して合流地点まで連れて行くぞ」
返答はない。
焦燥感が競り上がり、嫌な汗が雨に濡れた皮膚に浮いた。通信障害。おそらくはあの装甲車だ。HQへコードを合わせても流れてくるのはノイズだけだ。
今、アレックスの元へ走ったところで少年兵が先に見つけてしまえばその先はあっけないものだ。それに装甲車も残っている。ここを捨てるわけには行かない。あの銃を持った少女が武器を捨てればいい話だ。
私は自分にそう言い聞かせた。そうしてスコープに少女を捉える。アレックスを見つけるなと祈り、そのまま逃げろと願った。
アレックスは何が起きたかもわからず地面を這っている男たちへ引き金を引いていく。その行為には私の位置からでは生きているかの確認は難しかったことも起因している。そして、それが悪手だった。
銃声は少女へ居場所を知らせてしまった。装甲車の方は砲塔が緩やかに湾曲しているらしく、アレックスは気にも留めていない。だから、装甲車の影に隠れる少女がアレックスへ銃口を向けたことも、気づいていないはずだ。
狙いの先は、自分が狙われているとも気づいていない。
「やめろ、トリガーに指を掛けるな……っ」
装甲車はアレックスがプラスチック爆弾で無力化した。残ったのは私とアレックスのみだ。そんな彼も怒り冷めやらぬ、と言った様相で私を責めた。
「なぜ撃った!?」
銃を持った少女のことだ。作戦の気密性を高いままにするためには一刻も早くランデブーポイントへ向わなくてはならない。ここで口角泡を飛ばして善悪の議論を交わしている余裕はなかった。
「おかしいよ、お前」
私はアレックスに告げる。背中の電極は痛いほどの刺激で背中を貫いてきた。
「特殊部隊が仲間を殺されて冷静さを失うなんて。本来、死ぬことはなかったかもしれない。冷静さえ欠かなければ二人でここを制圧していたんだ。狙撃手は手加減できない。なまじ、足を打ち抜いたとして、出血多量で結局死ぬ。だが、接近して交戦していたならその過程で生かす手段があったかもしれない。それができるようなを仕事をしろよ」
「おかしいのはどっちだよ……」
それっきり私もアレックスも言葉を発さなかった。代わりに、あの少女が声を漏らした。か細いうめき声だ。この雨の中聞き逃さなかったのは幸運なのか、私には判断できなかった。一撃で仕留められず苦しみ与えた少女をこの目に焼き付ける。それは殺さなかったのは情でもなんでもなくただの失態だ。
少女へと駆け寄った私たちが、見たのは痛みに耐えながら、死の恐怖に怯えた眼。それと華奢な体にはあまりにも大きく映る手榴弾だった。
反射的に原型をとどめていない装甲車の影へ身を隠す。幾千と訓練で繰り返した回避行動だった。だが、それはアレックスも同じ。同じ陰に飛び込もうとした私はアレックスとダブルブッキングを交わした。ぶつかり合った肩に、思わず振り返ると跳ね飛ばされたアレックスの姿とその後ろにいた少女に目が合った。
そして。
そして。
そして。
雨の中、たった一人。
私はヌァザの死体を抱えてランデブーポイントへ向かった。