そうだ、夜逃げしよう
「そうだ、夜逃げしよう」
ふと思い立ち、そう口にした。
現在ボクは鳴りやまない固定電話をBGMに、家のポストを破壊せんとする程送られてくる郵送物を可燃用ゴミ袋に詰め込む作業をしている。
「ボクの事を知る人がいない町へ行こう。例えばそう……東京の郊外とか」
数か月前、交通事故で両親が死んだ。ボクの両親はボクが幼少期の頃から仕事で大変忙しくしており、毎日の様に家を空けていた。その為か、こう、死んだと聞いてもああそっか、葬式とかどうすればいいんだろう、というのが第一に頭に浮かんだことだった。
ボクは両親に育てられたというより、家政婦やyoutubeや本、アニメなどに育てられたといっても過言ではない。
ボクが成長し家に一人でも暮らしていけると判断した両親は家政婦に暇を言い渡し、それからはずっと一軒家に一人で住んでいた。
その為か、両親は遠いところからボクの口座にお金を入れる人、という認識で今まで生きてきた。死に顔を見ても幼少期の記憶と照らし合わせて、いつの間にか老けたんだな、という印象だった。
ありがたいことに両親は生前の間に自分らが死んだ後の事、葬式やらあれこれを手配してくれていたようで、滞りなく淡々と物事は進んでいった。そして遺産の話となり、親戚一同も集まった場で遺言書は読み上げられた。
「遺産は全て私たちの子、家本 乃亜へ渡す」
「……え?」
その時のボクの表情は大変滑稽だったと思う。
そこからが大変だった。ボクはちょうど成人した年だったので相続はできた。できたが、その場にいた親戚達は、遺産を全てボクが相続するということに不満を抱いたらしく、若くして両親を亡くしたボクを心配するポーズを取りながら近づいてくるようになったのだ。額が額だっただろう。ボクが相続したのはサラリーマンの生涯賃金と同額か、それ以上だったのだ。
親戚とは今まで全くと言っていいほど関りがなかったのに。
そしてそれから家の固定電話はずっと鳴るわ何かよくわからない郵送物は来るわ……もうボクはうんざりしていた。
「はぁ……今まで親らしいことをしてこなかったって言っても……お金遺せばいいってわけでもないだろうに」
可燃ごみ袋の口を縛りながら、今は亡き両親に悪態をついたボクは、夜逃げもとい引っ越し屋の手配をスマホでしていた。思い立ったら即実行だ。
「あ、もしもし……あ、はい。そうです……お願いできますか?」
「わあ、こんな高いんだなぁ」
それから親戚に勘付かれない様にこそこそと引っ越しを終えたボクは新居に引っ越した。部外者はエントランスから先へ入れないセキュリティ万全の高層マンションだ。そのベランダからビルや家やらが立ち並ぶ外を上から眺めていたボクはチープな感想を口にし、これからどうしようかなぁとベッドに倒れ込んだ。その時、ポケットに入れたスマホが震えたことに気が付く。
「……はぁ」
親戚からの着信だった。固定電話を解約したからか今度は直で電話をしてくるようになったらしい。ボクはその着信を拒否し、次に連絡先に入れてあった親戚一同の電話番号を全て着信拒否に設定した。
「疲れたなぁ……これからどうしよう」
今までも特に生活に困ったことはなかった。しかし、これから遊んで暮らせるほどの遺産を受け取ってしまった今となっては、生活費を稼ぐためだけに働いていたボクは今後働く意味も見いだせず引っ越しの際に退職してしまったのだ。親戚からの追跡を免れる為というのもあったけど。
「はぁ……寝よう」
とりあえず今日は寝よう。起きてから、考えればいいや。
真新しい匂いのする毛布やマットレスに抱かれ、ボクはそのまま意識を手放した。
「ほええ……凄いな今のVRって」
そして数日間は食べて寝て軽く運動して食べて寝て起きて軽く運動して読書して……といった生活を送っていたボクはAR眼鏡越しにネットの海を彷徨っていた。
ここ数年で目覚ましい成長を遂げたネット世界は第二の現実といっても過言ではないほどその世界を拡げていた。VR、バーチャルリアリティー技術も発展し、今では誰でも気軽にネットの世界に身を投じることができるようになった……らしい。らしい、というのはボクは最近までAR、拡張現実の方にばかり目を向けていたので気が付かなかったのだ。VRは趣味や在宅ワーカー向けのものが多かったしね。
「いつの間にやらこんなに発達してたんだぁ……んんん、家に居ても暇を持て余すだけだし、少し手を出してみようかな。何か面白いのはないかな……っと」
AR眼鏡を通して操作できる立体検索窓に【VR 面白い 長く楽しめる】と打ち込み、検索をかける。我ながら安直だとは思うが、このくらいの方が検索をかけやすいのだ。
「お、出た出た」
検索結果に目を通していくと今年のVRゲームランキングまとめサイトがヒットした。
1位を見てみると、そこにはゲーム名と目を引く謳い文句が書いてあった。
「ファン待望のインディヴェルトシリーズ最新作『インディヴェルト.ed Ark』
【世界にただ一人しかいない貴方だからこそできる冒険を――――第二の人生を今、始めよう】……第二の人生……」
第二の人生という言葉に心惹かれ、そのまま公式で推奨されていたプレイに最適なゲーム機とカセットを注文してしまった。何か特典もつくみたいだし。
「わあ注文しちゃった……いつ届くのかなっと、え早、明日届くのかぁ」
勢いで注文しちゃったけど、どういうゲームかよくわかんないんだよなぁ。見切り発車過ぎたか……いいや、最悪売っちゃえばいいし。
っていかんいかん、なんて良くない成金思考だ。改めないと。
気を取り直して公式サイトを見る。そこに載っている情報や埋め込まれた動画をまとめると、この『インディヴェルト.ed Ark』というゲームはよくある中世ヨーロッパ風ファンタジー世界でロールプレイとアクションを楽しむゲームだそうだ。
その世界には近年急激にモンスターが異常発生していた。ある日、とある国の預言者が、近々厄災と呼ばれる非常に強力なモンスターが現れ、世界を滅ぼそうとするという啓示を受けた。それを受けた国王が異常発生したモンスターにも対応するために世界を渡り歩く冒険者をアークと呼ばれる神器を用いて世界に呼ぶこととした。by公式サイト。
「ふんふん、キャラメイクもできるんだ。どうしよっかな」
それからスクロールを進めると、キャラメイクも自由度が高く、性別までも変えられることがわかった。第二の人生を、という謳い文句もあるほどなので現実の自分とかけ離れた姿にもできるそうだ。これには賛否あるそうだが。うーん、髪色と目の色は変えたいかなぁ。せっかくだし。
「あとは……自分の行動がそのままスキルに反映される、と」
プレイヤーとなった自分がその世界でとった行動や意識、思考をAIが集計して、それに基づいた能力、スキルを手に入れられるらしい。これは面白そう。言わば誰もが物語の主人公になれるのだ。被るスキルも多いそうだけど。自分の行動や思考を元にスキルが手に入るというのは面白い。
ちなみにどんなスキルがあるかなどを事前に知るのはその集計に支障が出る恐れもあるとのことで、攻略サイトは認められていない。プレイしていく中で知っていくのは良いそうなので、その世界で情報交換をすることが推奨されている。掲示板等もゲーム世界に設けられているそうだ。
「これでサイトに載っているのは全部か」
あとは事前登録人数達成報酬やら公式Twitter等の情報が載っているだけだった。
「じゃああとは待つだけだね。お腹空いたぁ何か食べて寝よ」
ボクは冷蔵庫に常備している完全栄養ドリンクを取り出し、飲み干してその日は床に着いた。
次の日、宅配業者を待っていると電話が来た。知らない番号だったので表示された番号を調べると、宅配をお願いした宅配業者だった。電話に出ると宅配物は家に設置する作業が必要だとのことだった。話を聞く限り設置をお願いすることも出来るみたいだし、お願いしようかな。
心なしか電話のお兄さんが興奮していた気がするけど……大丈夫かな。
.
.
.
.
「いや~っお嬢さん良いの買いましたよねほんと! その年でこれを買うなんて相当ですよ! あ、もしかしてゆーちゅーばー? だったりします? あ、違う? あ、使い方のおさらいしますね! 購入されたゲームはもうインストールしたので、後はカプセルの中に入って中のスイッチを押すとVR世界にダイブできますっ! 使用前にはトイレや水分・栄養補給をお忘れなく! ではお嬢さん良いVRライフを~~~~! いつか逢いましょうね~~~!」
「あ、ありがとうございました~……」
す、すごい勢いだったなぁ……。
宅配業者のお兄さんがVRオタクだったらしく、えらく興奮しながら設置作業をしてくれた。ボクが購入したのはとても良いVRダイブ機器でお兄さんはずっと解説をしながら作業をしていた。ボクがやろうとしているゲームもやっているらしく、いつかゲーム世界で逢いましょう、と言っていた。
ふりふりと手を振り玄関でお兄さんを見送ったボクは、設置された場所、寝室へと戻り人一人がすっぽり入る大きさのカプセルを眺める。いやぁほんとに、これはゲーム機というより……コックピットな気がする。
「えっと、既にゲームはインストールされてるんだよね、あとはカプセルに入ってスイッチを押すだけで、始められるんだね」
いざプレイできるとなるとわくわくしてきた。新しいものに触れること、そしてVRゲームデビューに高揚していることに気が付く。
逸る気持ちを抑えつつお兄さんに言われた注意事項を思い出しつつ準備を進める。
「トイレよし栄養水分補給よし。じゃあ、始めよう」
カプセルに入り言われた通りスイッチを押す、機械の起動音を耳にしながら目を閉じると、意識がだんだんと遠のいていった。
.
.
.
.
目を醒ますとボクは幾何学模様があちこちに浮かんだ空間に浮かんでいた。というのもふわふわとした浮遊感を感じていたからだ。宇宙空間ってこんな感じなのかな。無重力? っていうの?
ふわふわりと周囲を見渡してもひたすらに幾何学模様が浮かんでいる、ということしかわからない。
「えっと、ここは……」
「ここはキャラメイク兼チュートリアルを行う場所です」
振り向くとそこには白を基調とした豪華なドレスを身にまとった青髪の少女が浮かんでいた。
「ようこそいらっしゃいました。私はアークの精霊、ノムです。今回ノア様の世界移動をお手伝いさせていただきます。よろしくお願いします」
「あ、そうなんですね、よろしくお願いしますノムさん」
ノアという名前に関しては、事前に名前の入力ができたので名前だけは入力していたのだ。安直だって? いいんだよ別に。他に名前も思いつかなかったし。
ノムさんに丁寧にお辞儀をされたのでお辞儀をする……できてるのかなこれ、ずっと浮遊感しかないんだけど。
「はい、よろしくお願いしますノア様。では早速キャラメイクから始めますか? 現実世界の容姿のままプレイすることもできますが、プライバシー保護の観点から多少キャラメイクをすることをお奨めしています」
「ではキャラメイクで」
「かしこまりました。では失礼します……Ευλογία για όσους επιθυμούν να ταξιδέψουν στον κόσμο」
ノムさんは外国語? だろうか、それを唱えると一瞬の発光の後、目の前に現実世界のボクが現れた。すごい、こうやってキャラメイクするんだな。
現実世界のボクをこうして客観的に見るのは初めてだ。まじまじ見てしまう。
無地の麻製の服だろうか、地味な長袖のTシャツとズボンを身にまとい、黒髪を肩ほどまで伸ばした少し目つきの悪い童顔な低身長の女性が立っていた。ゲームということで少しアニメチックにデフォルメされてはいたけど、んん……こうしてみると成人しているとは思えないな……自分で思って少し悲しくなった。
独り悲しく思っていると、ノムさんが続いてキャラメイクの説明を始めた。
「では、どこをどうしたいのかイメージをしてください」
「えっと、イメージ? ……こう?」
手始めに髪色を変えようと思い白くなれーっと念じるとボクの髪が白く染まった。
「はい、そのイメージでどんどんキャラメイクを進めてください。何かご質問があればいつでもお聞きください」
「あっはい、わかりました」
あんまり身長とか変えても何か現実とのギャップが大きくて動きにくそう……髪色とか目の色とか変えるくらいにしとこっかなぁ……。
十数分後、キャラメイクが終わった。髪色を白色に、目を金色に変えてみた。これだけでも雰囲気変わるなぁ。
「ノムさん、キャラメイク終わりました」
「キャラメイクを終了して、チュートリアルへと移ってもよろしいですか?」
「はい、お願いします」
その後ボクはGMコールやインベントリを呼び出せるコマンドウィンドウの使い方。各コマンドについてとインベントリや戦闘のチュートリアルを受けた。戦闘チュートリアルでは後に貰える初心者装備の武器選択をした。長剣、短剣、杖、槌、槍、弓の中から選択して選べたのだが、ボクは短剣を選んだ。理由は一番使いこなせそうだからだ。
「では最後にチュートリアル突破記念初心者装備一式と、事前登録者数記念特典、推奨ゲーム機プレイ特典をお渡しします。こちらをどうぞ」
「わっわっ……えっと、これは?」
上空からドサドサと多くの物が落ちてきて慌てながら受け取る。ひとつひとつ見ていっているとノムが各特典の説明を始めた。
「$マークの袋は世界で流通している貨幣10万ゴールドです。金色のチケットは特典装備ガチャが引けます。剣のマークの袋は初心者装備です。先ほどお選びいただいた短剣とそれに合った防具が入っています。瓶マークの袋には初級HPポーションとMPポーションが5セットずつと、最後に訪れた街へと帰還することができる帰還結晶が一つ入っています」
わ、わぁてんこもりだぁ……。色々気になるけど一番気になるのは特典装備ガチャだな、ここで引けるのかな。
ボクは貰った装備品を装備するために、さっき教えられたインベントリを使用するためにコマンドウィンドウをイメージして呼び出した。そこから装備コマンドを呼び出し、初心者装備――――皮で出来た胸当て、関節サポーター? を装備していく。次いでインベントリコマンドを選択すると虚空にぽんと穴が空いた。その中にポンポンと特典を投げ入れる。入れた物は後からインベントリ確認をコマンドから選ぶと確認することができ、お金はいくら入れたかを勝手に計算してくれるそうだ。便利。
ボクはチケットを残し、インベントリにしまいノムにチケットはどこで使えるのか尋ねた。
「チケットは手に持って頂き、引きたいとイメージすると使用することができます。ここでも使用することができますが、使用されますか?」
「うん、使用するよ」
「では、イメージしてください」
「んん……」
使用すると強く思うとチケットがその金色を強く増しながら輝き、その形を変えていった。金色はいつしか虹色へと変わり、形を成していくにつれ控えめな装飾の鞘に収まった白銀の短剣へと姿を変えた。
白銀の短剣は白銀色の金属で出来ており、鞘には何らかの紋章が刻まれていた。柄には白い皮が巻かれており、軽く握ってみるとまるでボクの手の形に合わせて作られたように握りやすい。
ノムをちらりと見やると、驚いた顔をしていたが、直ぐに表情を戻し、笑顔でどうぞ鞘から抜いて確かめてくださいと言わんばかりに頷いた。
「わぁ……」
促されるままに鞘から抜くと、肉厚な刀身に木のような模様が浮かんでおり、そして新雪の様に綺麗な色をしていた。
これは……今から始めるという初心者が持っていい装備なのかな。なんて不安に思っていると、ノムさんから説明が入った。
「『シフォスア・ポクシヲボルカ』という短剣ですね。装備可能レベルが高い為、残念ながら今のノア様では扱えませんが、冒険を進めていく中で扱えるようになる日が来るでしょう」
「しふぉすあぽ……何だって?」
名前を教えてくれたみたいだったけど、初めて聞く名前によく聞き取れなかった。
ノムさんはこほんと咳ばらいをした。
「『シフォスア・ポクシヲボルカ』です。装備画面やインベントリから名前の確認はできますので、またご確認ください」
「あ、はい。ありがとうございます……」
装備は出来ずとも佩くことは出来るみたいだ。その場合装飾品扱いになる。ボクは初心者装備のベルトしふぉすあ……を括り付け、ノムに向き直った。にこりと笑われたので少し気分が上がっていたのを見抜かれたみたいで恥ずかしい。
「では……これにてチュートリアルは終了となります。お疲れ様でした。何かご質問はありますか?」
「ありがとうございます。ノムさんとはまたどこかで逢えたりしますか?」
ノムさんとはこの世界に来て初めて会った人? だ。何となく、ここで永遠にさようならは少し寂しい。そう思い聞くとノムさんは驚いた顔をした後、にこりと笑った。
「はい、ノアさんであれば、その旅路の中でいつかお逢いできるでしょう。楽しみにしています」
ぼくはノムさんの回答に嬉しく思い、笑顔を浮かべた。ノムさんは目をぱちくりとすると、再び笑顔を浮かべた。今度は先ほどよりも、何というか華やかな笑顔だった。
「……ノアさんの笑顔は初めて拝見しましたが、とても素敵な笑顔ですね」
あれ、ボク今初めて笑ったっけ。何度か笑ってたはずだけど……。
「ではノアさん、これから貴女の冒険が始まります。ノアさんの旅路に幸多からんことを」
「あ、う、うん。はい、ありがとうございました!」
ノムさんの言葉を皮切りに幾何学模様が光り輝き、視界が真っ白に染まっていく。慌ててノムさんに再度お礼を言うと、にこりと笑って返してくれ――――気が付くとボクは石造りの家に囲まれた広場の中心に建つ石像の前に立っていた。
Tips.主人公である乃亜について。
身長145cm 細身 一見成人には見えないことを本人は気にしている。髪型はセミボブ。目は大きめだがジト目気味で可愛らしい容姿をしており、ちっぱいである。
「牛乳飲むと大きくなるっていうけど……迷信だよねぇ」