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中編

ワームの出現が確認された。

第6師団に被害が出たようで、ルナは連日病院に詰めている。

出現したワームはずいぶんと大型だったようだ。警戒するよう上層部から指示があり、巡回を強化したところ隊の者が、第6師団が襲われたのとは別のワームに遭遇した。

やはりかなり大型のワームであったため討伐には及ばず、退却の際に数人が怪我をした。


仕事を片付け、怪我をした部下の様子を確認するために騎士団内病院へと向かった、その途中。



「……………」

ルナがひとりの青年と、手を繋いで歩いているところに出会った。

彼は確か、第6師団の所属だったか。

…微笑み合う様子は、まるで恋人同士ででもあるかのようじゃないか?


「ルナ。出掛けていたのか」

声をかけると、ぱっと明るい笑顔になった。

青年に向ける、整いすぎた微笑とは違う、その自然な笑顔になぜかほっとした。

……………?

なんだ? なんで今、ほっとした?

だが、己の内に湧き上がったモノの正体を考える余裕はなかった。

「ええ。ダン先生の診療所にお使いに行っていたのよ。サミーが荷物を運んでくれたの」

ルナが、そう、言ったからだ。

ルナが名前を呼び捨てる相手は、教卓を囲む仲間以外に知らない。

目上の者に対してはいつも「さん」をつけて呼んでいたはずだ。


「サミー…?」


親しげな呼び方に、なんだか胃が重たくなるような感じがした。

「お、呼び捨て」

「ほぅ」

ロンやクルスも意外そうにしている。


「えっと、お昼もご馳走になったの」

ルナがそう言って、青年を見上げて微笑む。青年もとても優しい暖かな笑みをルナに見せていた。


……………。

「そうか。それは、うちの子が世話をかけて悪かったな」

声音に、不穏な色が滲み出た。

「…いいえ。僕がしてあげたくてしていることですから」

感じ取ってはいるのだろうが、サミーは静かに、まっすぐに、見つめ返してくる。

「だが、小さい子の相手は大変だろう」

「彼女は、言うほど幼くありませんよ。振る舞いも気遣いも十分大人です」

…言われるまでも無い。そんなことは分かっているさ。分かっているから嫌なのだ。


………………嫌?


「そう。だが、見ての通り、ルナはまだ子供だ。ルナ」


ルナの大きな瞳が俺を捉える。その瞳をじっと見つめてゆったりと微笑みかけた。


「おいで」


差し伸べた手に引き寄せられるようにルナが近づいてくる。その手を捕まえ抱き上げて、俺は満足した。


「う〜わ〜…(ドヤったよ)」

「…(はあ)(ドヤりましたね)」


ロンはうろんなものを見るように俺を見ているし、クルスは呆れたようにため息をついている。

が、俺はそれを無視した。


クルスはサミーに病院へ行くことを告げ、荷物をロンに受け取らせた。


病院へ向かう道々、クルスがルナには聞こえないように言う。

「隊長」

その声には咎めるような響きがあった。まあ、言いたいことは大体は…。

「分かってる」

「やきもちなんてみっともないですよ」

分かっていると、言ったのに。

俺は顔をしかめた。

さっき漠然と感じた気持ちの正体を言い当てられたからだ。

「〜〜〜〜〜まだ早い」

そうだ。まだルナは6歳だ。恋人を持つのは早いだろう?

「そうでしょうか。でも、ご自分で引き受ける気は無いんでしょう?」

虚をつかれて言葉に詰まった。

「………………」

「私はどうですか?」

「なに?」


クルスがルナに向かって声をかける。

「ルナ、私のことどう思います? 嫌いですか?」

ルナはきょとんと目を丸くした。なぜそんなことを聞かれるのか分からないからだろう。

「いいえ? クルスさんはとっても素敵なひとだと思うわ」

「どうもありがとう、ルナ」

クルスは悠然と微笑んで見せ、その笑みを浮かべたまま、視線を俺に移し言葉を繋げた。


「ルナは聡明で立ち居振る舞いも美しくダンスも上手です。大人になれば美人になるでしょう。大変私好みです。隊長も私にならルナを任せてくれますか」


立ち居振る舞いが美しく、ダンスが上手い。確かに、クルスはそういう女性を好む。


「副隊長、ずるいっす。それなら俺も立候補します」

ロンまでそんなことを言って会話に割り込んできた。

「ちょっと待てお前たち」

「ルナは隊長のことを一生懸命に想っていますよ。あんなに小さな子があんなに懸命に想っているのに隊長は応じる気がないのなら、私が引き受けます」

「だから副隊長ずるいですって」

つまり、ロンはともかくクルスは、他の男から奪い取る真似をしておきながら俺自身がルナを受け入れる気持ちでいないことを咎めているのだ。

だが…。

「分かった、分かった。少し、考えさせろ」



ルナが淹れてくれたコーヒーを飲みながら考える。

ルナはまだ幼い。俺とは歳が離れすぎている。

今は慕ってくれているが、もう少し大きくなったらどうだろう。もっと歳の近い、若い男に惹かれるのではないだろうか。


「…………」

俺は、ルナの気持ちが変わってしまうことを恐れているのだろうか。恐れている、というよりも、変わってしまうに違いない、と諦めているのか…。


だが、ルナは…。

クルスの言う通り、ルナは一途に、それこそ一生懸命に気持ちを俺に向けてくれる。あのとき言葉に詰まったのは、決して図星を指されたからではない。


懐かれているとはいえ相手は6歳の幼い少女だ。恋だの愛だのと本気で考える方がどうかしている。

()()()、そう思っていたのだ。

俺がそう思っていたことをクルスも分かっていて、だから咎めた。その気もないのにルナを惑わせるな、と。


だが俺は。


あのとき、咄嗟に「そんなことはない」と言いそうになって、言葉に詰まってしまったんだ。

そう、言いかけた自分に戸惑って…。


6歳の少女の気持ちを本気にするのは、おかしいだろうか。

ルナが俺を好きだと言ってくれる間は、素直にその言葉を受け入れたいと思う。それはいけないことだろうか。

花を育てるように成長を見守り愛しみ、想いを(はぐく)んでいけたらと、願う気持ちはあるのだ。

だから、決めた。


共に同じ時間を過ごし、彼女の成長を待つ。


いつか気持ちが変わってしまったら、そのときには…。

それを受け止める覚悟が必要だな。

それはきっと、相当に苦しい思いをすることになるだろう。しかも、そうなる可能性は、そうならない可能性よりも高いに違いない。けれど、懸けてみたいのだ。


寝支度を終えたらしいルナが寝室の前で振り返る。

「おじ様、おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

気持ちの整理をしたからだろうか。覚悟が、出来たからだろうか。

その笑顔を愛しいと、ただそう感じた。



10月の初めの深夜のことだ。

遠くで何か物音がした、そう思って目が覚めた。

不審に思いベッドから出た、その直後。


非常事態を告げる警報が鳴り響いた。


急いで着替えていると、さらに建物が揺れるような地響きがした。

「ーっ?!」

いったい、何事だ?

シャツを羽織り上着を掴んで部屋を出ると、ルナも慌てた様子で部屋から出てきた。


「ルナ…」

迷った。連れて行くのは危険かもしれない。だが、何が起こったのか分からない以上、置いていくのも心配だ。なにより、ルナは行く気でいる。その瞳はしっかりと前を見据えていて、立派に、騎士団員の目だ。

「行くぞ!」

大きく頷くルナの手を取り、音のした方へ向かって走った。


現場は本部棟の資料庫だった。

大きく壁が裂け、資料が散乱していた。場所が場所だけにこれは大きな問題になる。

高さも幅もある大きな金庫の、分厚い観音開きの扉が開かれていた。中には騎士団の機密文書が入っていたはずだ…。


強盗の仕業だろうか。だとしたらずいぶんと派手にやってくれたものだ。

天井にも床にも穴が開いている。

一体どうやったら、こんな風に壊すことが出来るのか。

どうやったら……?


ふと、ルナを見ると、破壊された室内を見回し裂けた壁を見つめて考え込んでいた。

その、ルナの様子が気になった。



調査が進み、資料庫は何者かの襲撃によって破壊されたと結論付けられた。

魔法が使われた形跡があったからだ。

口さがないものは魔法士の誰かがやったのではないかと言い出し、臨時で開催された役職者会議では魔法士長殿が槍玉に上げられた。

魔法士長殿は毅然とした態度で否定していたが、疑いの目は当然ルナにも向けられた。


もちろん、疑われているのはルナだけではない。資料庫をあのように破壊できる魔力を持つ者のひとりとして名が上がっただけだ。

俺は後見人として断固ルナが潔白であることを訴えていくつもりでいる。実際、ことが起こったそのとき、ルナは部屋にいたのだ。ルナがやったのではない。

確信を持ってそう言えることを考えると、ルナを俺の部屋で寝泊りさせていて本当に良かったと思う。

だが。

資料庫に駆けつけたときのルナの様子はやはりちょっと気になっている。


直接話をしたくて、病院へ向かった。

ルナは病院の裏手で集めた枯葉を燃やしているようだ。

「おじ様も召し上がる?」

そう言ってルナが火の中から取り出したのは上手に焼かれたサツマイモだった。

焼き芋…。

なぜ、焼き芋?


いや、芋のことは取り敢えずどうでもいい。

焚き火の火を眺めながら、資料庫襲撃事件について何か気付いていることがあるのではないかと尋ねると、困ったように口籠った。

やはり、なにかを知っているのだ。


ルナは賢い子だ。現状をきちんと説明すれば自分が置かれている立場を理解するだろう。


ルナはしばらく考えた後、躊躇いがちに口を開いた。

そうして知らされた内容は、頭を抱えるようなものだった。

「あれは、白雷の魔女の仕業よ」


魔女と国はお互いに不可侵だ。

不可能を可能に変え可能を不可能に変える力を持つ彼らは条理から外れた存在で、脅威だ。国は彼らに特別な待遇を与え、引き換えに彼らとの関わりを断つことで魔女の脅威を排除してきた。


その魔女が、魔法で攻撃を?


俯くルナは小さな体をさらに小さく縮めている。

これは多分、他にもまだ知っていることがあるのだろう。

「なぜ魔女が?」

尋ねると首を横に振った。

「それが分からないの。ただ、規則上、国に敵対する行為はしないはずなのよね。だから、何か目的があったとしても、国に対する攻撃ではないと思うの。狙ってやったのか、何かの事故なのか…」

事故。そうか、故意に破壊したのではない、という可能性も…。

いや、ないだろうな。


「ひとつ、聞いてもいいか?」

問いかけると、ルナは上目遣いにそっと俺を見た。

あまり、聞いて欲しくなさそうだな。

「なぜ、白雷の魔女がやったと分かる?」

「…………」

ルナは黙ってまた俯いた。


魔女というものはその存在を公開されない。魔女認定を受けた人物に近しい者には分かるのだろうが、一般的にはその屋号も知られていないものだ。

だから俺も「魔女」と呼ばれる者が何人いるか知らないし、「◯◯の魔女」の◯◯にあたる屋号を知っている魔女など、一人も…。

…いや。そう言えば以前、魔法士長殿の話に出てきた魔女がいた。確か「北蝶の魔女」と呼んでいただろうか。

屋号が分かるのは、偶然知ったその魔女だけだ。

魔女について知っていることなどその程度だが、おそらく、数十人はいると思われる。

その中からひとりを特定した。それも、現場を見たあの短時間で。



ルナには資料庫を破壊したのは「白雷の魔女」だと分かっている。だが、なぜ分かるのかは言えない、ということは…。

以前、師匠は魔女だと言っていた、その師匠が「白雷の魔女」なのだろうか。


その考えはすぐに違うと分かった。

魔法士長殿に報告に行った際、その「白雷の魔女」と交流があるのかと尋ねられたルナは勢いよく首を横に振って言ったのだ。

「心臓の血を寄越せと言われたことがあります。恐ろしくてお会いしたくありません」


弟子に心臓の血を寄越せなどと言う師匠はいないだろう。

だが、「言われたことがある」ということは、会ったことがある、ということか…。

会ったことがある、とさっき言わなかったのは何故だろう。


いや。それよりも、今は「白雷の魔女」のことを考えよう。

その目的はなんなのか。

資料庫を破壊し金庫からなにを奪ったのか。


資料庫から奪われたものについては程なくして知らせが入った。資料庫の管理を担当する者たちの調べによると、王宮の警備に関する資料が紛失しているというのだ。

厄介なことになったな…。



すぐに臨時の会議が開かれることになった。

ルナに、くれぐれもひとりで無理をしないよう言い聞かせたのだが、不安だ。


会議では調査の結果判明したことの詳細な報告と対応について話し合われた。しかし、魔女が関わっているとなると意見も出難い。


停滞する会議中、新たな報告があった。

騎士団の敷地の周りにカラフルな箱が置かれているというのだ。

タイミング的に白雷の魔女が何かを仕掛けてきた可能性がある。中を改めるよう総長から指示が出て、直後、妖精を通じて、室内に悲鳴が響き渡った。


会議を中断し外に確認に出ると、黒い(もや)のような小さな塊がそこここに見られ、団員たちを襲っていた。


なんだ、あれは?


各団長たちはそれぞれ自分の部下たちに状況確認を支持している。

俺も隊の状況を確認しようとした。そのとき、すぐ目の前を黒い靄が通り過ぎた。

「ーっ!?」

振り返えると魔法士長殿に黒い靄が迫っていた。

「魔法士長殿!」

反射的に剣を抜いた。

だが真っ二つになった黒い靄は消滅することなく、矛先を変え、俺に向かって飛んできた!

「ぐっ?! 痛ぅっ!」

なに…?

黒い靄は、体当たりしてきた、と思ったらそのまま身体の中に入り込んだようだった。

その瞬間から、内臓を食い破られるような痛みが身体の内側から襲ってきた。

「ベル隊長!!」

貧血を起こしたようだ。目の前が、暗くなっていく。


あまりの激痛に、いっそ気を失えたら良かったと思った…。


「おじ様、しっかりして。ゆっくり息をして」

朦朧とする意識の中、その声だけはクリアに聞こえた。

「ル、ナ…」

「大丈夫」

大丈夫。その言葉が心に染みて、ルナに触れられところから、痛みが和らいでいく。

だが、新たにざり、っと腹の内側を喰われた感触がして思わず呻くと、俺を支えるルナからイラついた気配がした。

「ぐ! …?」

魔物がずるりと体内を動く。それはそれでとても気色の悪いものだったが、徐々に身体の内側から外側に魔物が引き出されていくような感覚に目を開けると、ルナが苦しそうに顔を歪めていた…。

「っ…!」

「ルナ…? 何をしている? やめろ!」

まさか、魔物を移動させているのか? お前の体内(なか)に?

「う…!!」

すぐに俺の痛みは無くなった。

代わりに蹲るルナを抱きしめると、身体が火のように熱い。

「ルナ!」

何らかの魔法を使っているのだろう。

目を閉じて取り込んだ魔物と戦うルナをただ抱きしめた。何もできない自分が不甲斐なく感じられて唇を噛み締めた。


「はあ、はあ…」

荒く息をつき、ぐったりと脱力するルナの顔を覗き込む。

「大丈夫か?」

微かに笑みを浮かべ頷くルナを再び強く抱きしめる。

どうやら、体内を蝕む魔物は退治できたようだ。

詰めていた息を吐き出して、

「無茶をする」

そう言う俺に、甘えるように額を擦り付けてくる。

その髪をそっと撫でた。


落ち着いた後、その魔物は「蠱毒」と呼ばれるもので、それも白雷の魔女の仕業であること、白雷の魔女の目的に見当がつけられたことをルナが話した。

なんだか、ルナはずいぶん怒っているようだ。


俺は魔力の類は全く無く、オーラなどは見えたことがないが、このときのルナからは怒りのオーラが見えた気がした…。


そして、ルナの考えた作戦を実行したわけだが。

ルナの考えた魔女の撃退法は、魔女の自尊心を傷つけるというものだったようで…。

魔女が魔法で反撃してきたときのためにルナと待機しつつ様子を伺っていると、ルナの想定通りにコトは進み、(くだん)の魔女は大きな瞳に涙を浮かべて屈辱に震えている。


………………。


結局、こちらの狙い通り、白雷の魔女にマンドレイクの繭を渡す代わりに蠱毒を回収することを約束させることが出来た。


その様子にルナは溜飲を下げたようだが…。

ルナには、「手加減」というものを教えた方が良いかもしれない。相手が魔物であればともかくひと相手には、コテンパンにやっつければ良いというものではないのだ。



紅葉の綺麗な季節になり、ルナと遠乗りに出かけた。

ロンと出かける約束をしていたようだが、時間の都合が上手く合わなかったようだ。

残念そうにしていたので、代わりに連れて行くことにした。

ロンの代わり、というのが少々面白くなかったが。


行き先は南地方にあるカンポの町だ。大きな湖があり、丘の上から雄大な景色を見ることが出来る、いわゆるデートスポットだ。


「うわぁ、素敵!」

美しい景色にルナがはしゃいでいる。


きちんと髪をまとめ、長時間馬に乗ることを考慮した服装を選んでいる。TPOを弁える、そんなところも好ましいと思う。


湖のほとりで弁当をつまみながらいろいろな話をした。

話の内容は大したものではないが、日々の出来事を共有しているからこその話題に、心が和んだ。

たまにはこうして出歩いて、共通の思い出を増やしていきたい。時間を経て、あの時は楽しかったねと振り返ることのできる思い出をたくさん作りたい。

そうだ。そのためにも、ルナには言っておかなければならないことがある。


「ルナ。先日の白雷の魔女が襲撃してきたときのことだが」

「はい?」

ルナを胡座の上に座らせて、後ろからそっと抱きしめる。叱りたいわけじゃない。威圧しないように気をつけながら語りかけた。

「俺の中に入り込んだ蠱毒を、お前の体内に取り込んで退治しただろう?」

「………」

本当に、聡い子だ。俺が言わんとすることを察したようで黙ってしまった。

俺は、出来るだけ優しく聞こえるように心がけた。

「お前が俺を一生懸命助けようとしてくれたのは嬉しいよ。感謝してる。だが、そのために、お前自身を犠牲にするのはやめてほしい。俺が、お前を守ってやると言っただろう? これじゃ、あべこべだ」

「だって、おじ様」

「だってじゃない。お前が身代わりになるような方法じゃなければ、ありがたく助けてもらう。お前の強さはよく分かってるよ。いざというときは遠慮なく甘えさせてもらうから。な?」

頬と頬をくっつけて囁くと、納得してくれたのか、ルナはこくんと頷いた。

よしよし。いい子だ。


抱き締めた小さな身体をなんとなく離し難くて、そのままで抱き締めていると、ふと、水を含んだ冷たい風を感じた。

……?


目の前の景色が変わっている。水が、すぐ側まで来ている。

「ルナ…!」

何かおかしい。湖の中央が波打っている。

湖に何かいる…?!

「ルナ、馬に乗れ! 早く!!」

慌ててルナを促して馬に乗った。

急いで湖から離れるように馬を走らせる。

背後で大きな水音がして、振り返るとそこに見えたのは

湖から出てくる巨大なワームだった。


丘の上まで退避したところで馬を止め、湖を見下ろした。

ワームの出現はこれで3体目だ。

思わず呟くと、ルナを首を傾げた。

「おじ様、第6師団と先日の騎馬隊を襲ったワームは別のワームなの? アレとも別?」

あれ、と指差すルナに頷く。

「ああ。第6師団を襲ったワームは木属性だったと報告されている。騎馬隊が遭遇したのは土属性のワームだった。そしてアレは水属性だ」

「…………」


視線の先、泳ぐワームが不意にこちらを見た!

「!!」

直後、悲鳴をあげた馬が大きくいなないて後ろ足で立ち上がり、その勢いでルナの体が空を泳いだ。

「きゃあっ!」

「ルナ!」

焦って伸ばした手で、かろうじてルナの足を掴んだ。

暴れる馬に振り回されてバランスを崩しかけたとき、ルナが俺に向かって何かしようとしているのに気づいた。

大方、俺がルナを掴んでいる手を離せば、俺は無事でいられるとでも思ったのだろう。

全くこいつは。俺の話、全然分かってないじゃないか!

「ルナ! お前はまた!!」


ルナは笑みを浮かべている。本当に、自分のことになると危険を顧みない。

ルナ。俺だって、俺自身よりお前が大事なんだぞ?

「おじ様!?」

俺は手綱を離しルナを抱きしめて湖に飛び込んだ。

「うっきゃあ!!」

ルナは愉快な悲鳴を上げて俺にしがみつき、直後俺たちは水の中に落ちた。


ルナは泳げない。

夏の合宿で、それを知った。

湖に落ちた後、急いでルナを連れて水面に上がり、追いかけてきたワームをルナが魔法で撃退した。


濡れた服や髪を焚き火にあたりながら乾かし、ルナをもう一度諭した。

ルナはやはり自分を犠牲にすることをなんとも思っていない。

平気なのだと微笑んで言う。

そしてそれは、そうなのだろうと思う。

あのとき、ルナがひとりで落ちたとしてもきっとルナは無事だったろう。

魔法を駆使してひとりでも戦えるだろう。

だけどルナ。万が一のとき、俺はお前のそばでお前を助けられる存在でありたいのだ。


「ひとりの方が楽。そう考えるのはやめろ。たとえ、それが事実であってもだ。()()()()()()解決する、面倒がらずにそう考えるクセをつけてくれ。お前なら出来るだろう?」


ひとりで頑張らなくてもいい。

俺に出来ることは俺に任せてしまえ。足手まといとは言わせない。

どんな困難も、簡単なことでも、2人で力を合わせて解決していこう。仕事のことだけじゃない。なんでも、だ。

それが、2人でいることの意味だろう?


見つめると、ルナは大きな瞳で見つめ返してくれる。

その肩を抱き寄せて、焚き火の炎を眺めた。



遠乗りから帰ったその足で、騎士団の上層部に3体目のワームが出現したことを報告した。

同時に、後見人であることを最大限活用してルナを騎馬隊所属とするよう手配した。

ワームの討伐にルナが駆り出されることが予想されるからだ。

ルナの魔力を必ず俺が制御する、という条件付きで承諾された。


俺は毎日、

「どんな事態になっても、俺と離れて単独行動はしない。はい、復唱」

「どんな事態になっても、おじ様と離れて単独行動はしません」

「よし」

このやり取りを繰り返し、刷り込みを試みている。


ワームの討伐に当たり、身を潜めているワームを炙り出すため、弱い電流をワームが潜んでいる土地に流せないかとルナに言ってみると、ルナはぱちくりと目を瞬いていた。

どうやら、それは簡単ではないらしい。


打ち合わせの後、クルスが言った。

「隊長」

「なんだ?」

「前からうすうす感じていたんですが、わざと無茶振りしてますよね?」

「……ふ」

そっと笑うと、クルスは呆れたようにため息をついた。

「やっぱり。嫌われても知りませんよ」

「わざと無茶振りって、なんでですか?」

「ご自分のためにルナがアレコレ熱心に頑張ってくれるのが嬉しいんですよ」

「…前からうすうす感じていたんすけど、隊長って結構鬼畜っすよね」

何を言う。

「困難に立ち向かってこそひとは成長するんだ。俺はルナができる子だと思っているからこそ、難しいことにチャレンジさせているんだ」

「……………」

本当だぞ?


実際、ルナはちゃんとやってみせた。きちんと努力出来るルナを誇らしく思う。ルナの活躍で順調に2体のワームを討伐し3体目の討伐に向かったのだが。

3体目のワームはフェネクスという別のもっと凶悪な魔物に食われているのが見つかった。


フェネクスはワームよりももっと大きく危険な鳥の魔物だ。しかしこの魔物に対しても、ルナは果敢に立ち向かった。街を襲ったフェネクスを大きな魔弓を用いて射落としたのだ。

その様子は凛として強く美しく、弓を構える姿は月の女神を思わせた。


射落とされても未だ衰えず、反撃しようとするフェネクスを剣で倒すことが出来たのは、ルナが馬を操ってフェネクスに肉迫してくれたお陰だ。

ワームとフェネクス。この一連の討伐任務で、ルナは俺と2人で戦うことに終始してくれた。

年末を、この難しい討伐任務の成功で締め括れたことを嬉しく思った。



新年になり最初の吉日にメリー第二王女殿下と魔法士長殿の結婚式が執り行われた。

ルナの魔法によって目覚めることが出来たメリー第二王女は立場上さまざまな問題があったが、魔法士長殿と2人、力を合わせ乗り越えられたのだろう。

挙式でのお2人は清らかで美しく、晴れやかな笑顔を見せていた。

幸せが溢れ出るような、お2人の人柄が表れた暖かな披露宴の後、夜のパーティを辞退して帰ることにした。

ルナが、ひとりで待っているからだ。

ルナも招待されていたのだが、体調が優れないと言って欠席した。

おそらくそれは口実で、大勢人の集まる場所に行きたくないのだと思う。

いつだったかの舞踏会を思い出す。あのとき、何を怖がっていたのだろう。


退室の挨拶に伺うと、メリー第二王女殿下は、幸せのお裾分けをしたい、と手に持っていたブーケを見せて言った。

「ルナはどの花が好きかしら」

白い花だけで作られたブーケ。

まるく球状に整えられた花束には、バラやトルコキキョウ、かすみ草、カーネーション、ガーベラなどが使われていた。

ルナの好みは分からないが…。

「では、バラを」

綺麗に咲いた小ぶりのバラを指差すと、メリー第二王者殿下は目を細めて微笑んだ。

「まあ、ふふ」

レースの手袋にあしらわれたリボンを解き、ブーケから抜き取ったバラの茎に飾ってくれた。

「ベル隊長の想いが届きますように」



気づくと、ルナは月を見ている。

その様子がどこか寂しそうに見えるのは気のせいだろうか。



その晩、ルナが言った。

「ねえ、おじ様。おじ様は私のこと、好き?」

なんとなく、この後に言われることが予想できた。

「好きだぞ?」

「じゃあ、キスして下さる?」

「……………」


俺は穏やかな気持ちでルナを見つめた。


一途にまっすぐに想ってくれる存在を、愛しく思わないことがあるだろうか。

だが、ルナ。

愛している。その言葉は枷となっていつかお前の自由を奪うだろう。


「ルナ。口付けは気軽にするものじゃない。それにお前はまだ幼い。慌ててする必要もない。前にも言ったな? もっと多くの人と知り合い、見聞を広げて、自分にふさわしい相手を見つけろ、と」


お前はこれからたくさんの出会いを経験するだろう。

新しい知識を身につけるだろう。

考え方が変わるだろう。

気持ちが変わるだろう。

新しい恋をするだろう。


お前には、たくさんの可能性がある。


だから、言わない。口付けもしない。待つ、と決めたから。


「感違いするな? 俺はお前を拒絶しているわけじゃない。お前の気持ちは嬉しいよ」


伝わるだろうか…。


「大人になっても、その気持ちが()()()()()()()()()()()()()()と、願ってる」


そう。願っている。心から…。


「でもだからこそ、まだ幼いお前が将来後悔するかもしれないようなことは出来ない」

優しく告げると、ルナはわずかに首を傾げた。

「私がそうして欲しいと言っても?」

「…それでも、だ。経験の少ない幼い者には判断が難しい場面がある。お前がそうして欲しいと言った、とお前のせいにしてしまうことも出来るが、そうはしないのが大人の分別というものだ。聞き分けて欲しい」

「……………」


だけど、もしも、それでも。お前の気持ちが変わらなかったなら、そのときは…。


「慌てなくていい。お前が大人になるのを待っているよ」


そのときは、たくさん口付けを交わそう。


ルナはおかしそうにくすりと笑った。

「待っていてくれるの? おじ様、おじいちゃまになっちゃうわよ?」

「…ふ。それでも、俺を好きでいてくれるんだろう?」

「もちろんよ、おじ様」

そう、即答してくれることが嬉しかった。


愛している。

ルナ。

なによりも一番、お前の幸せを願っている。


ひとりになって窓から夜空を見上げた。

美しい満月だった。

初めてルナに出会ったあの日も、月の綺麗な夜だった…。

そうか。あれから一年、経ったんだな。


翌日はいつもどおりに起き、ルナと一緒に朝食を食べ、いつも通りに本部棟の前までルナを送った。


いつも通りに騎馬隊の隊舎へ向かい、ルナが姿を消したことに気づいたのは昼過ぎのことだった。


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