前編
その晩、ひとりの少女に出会った。
冬の日の深夜。月の綺麗な夜だった。酷い身なりのその少女は不安そうにしながらも、泣き叫ぶこともパニックになることもなく、子供らしからぬ冷静さで俺の言葉に従った。
月を映して輝く瞳が真っ直ぐに俺を見つめる。
その瞳を、綺麗だと、思った。
自分の名前すら言えない少女は、驚くことに魔法が使えた。この国では魔法を使える者は貴重だ。本人が理解しているかは分からないが、親か、親族か、少女の行く末を案じた誰かが、騎士団に来るよう指示したのだろう。
身元の分からない幼い少女。本来なら然るべき施設で保護してもらうのだが、魔法の使い手とあっては話が変わる。
子供は特別苦手ではないが得意でもない。悩んだが、俺が後見人となって少女を騎士団に入団させることにした。
悩んだのは、本人にとってそれが最善とは限らないからということもある。
衣食住は保証されるんだがな…。
騎士団は、年端もいかない少女には過酷な環境に思える。なにしろ、魔法が使えるから、という理由だけで大人に混ざって危険な仕事をさせるような職場だ。
辛いことや悲しいことや恐ろしい体験をしたときにフォローしてやらないといけないだろう。
それが俺に務まるだろうか。
正直、不安だ。ダメだったら…、ロンに頼もう。
ルナ、と名付けると少女は嬉しそうに笑った。
すぐに懐いて、「おじ様」と俺を呼ぶようになった。
凛とした美少女で、身なりを整えると気品も感じられた。会話もしっかり出来るし聡明だ。
謂わゆる、貴族の子供の一般常識でものを言う。
食事の際もテーブルマナーが身についている。
どうやら、当初考えていた境遇での生まれや育ちではなさそうだ。
「読み書きは問題なく出来るようですよ」
クルスの報告に感心したようにロンが言った。
「大したものっすねー。6歳でしょ?」
「そうですね。授業の内容にもさほど戸惑う様子はないようです」
名前も、家族のことも、なぜ、あんな格好で騎士団の敷地内にいたのかも、分からないから言えないのではなく、なにか理由があって口を閉ざしているのだろう、という考えは、俺もクルスもロンも共通している。
問題は、その理由が何かということだ。
そう日が経たないうちに、ルナがおかしなことを聞き回っていると報告が入った。
何事かと訝しんだが…。
「口付けをしてもらうにはどうしたらいいか」とは。
何か、お伽話に憧れでもあるんだろうか…。
女の子らしい、と言っていいのか?
女の子らしい疑問なのかも知れないが、堂々と聞いて回るようなことでも、無いだろうな。
「その風私が止めてあげるわ」
絶品と評判の肉料理の店で豚の角煮を頬張りながら、美味しい、と言うのと同じような気軽さで、ルナが言った。
強風の吹く谷を渡る細い崖道を通る必要があったときのことだ。
耳を疑ったが、ルナは言葉通り魔法を使って風を止め、俺たちは谷を渡ることが出来た。
魔法を使えるものに聞いたところ、その魔法自体は難しいものでは無いようだ。ただ範囲が広いため、膨大な魔力とそれをコントロールする力が必要だという。
発想力、というか頭の柔らかさは子供ならではなのかも知れないな。それを実現させてしまうところは規格外と言わざるを得ないが…。
「何者なんでしょうねー」
ロンが椅子の背もたれを軋ませながら言う。
「シドはほぼ何も聞き出せなかったようですね」
「何か聞き出せたことはあったんすか?」
「今回の魔法でたくさんの魔力は使っていない、と」
あん?
「…俺が魔法士の知り合いに聞いた話では、膨大な魔力が必要だと言うことだったが」
口を挟んだらクルスとロンが顔を見合わせた。
「たくさん、という言葉の意味する量が、異なるということでしょうか」
「…はは。なんか、とんでもないっすね」
他の魔法士にとってはたくさんと感じる魔力量が、ルナにとってはたくさんではない、つまり、持っている魔力の分母が違うということか。
「それだけの魔法が使える者が名を知られていない、ということがわが国であり得るでしょうか…」
クルスが思案しながら呟く。
有るか無いかを言えば、無くは無いだろう。
一般の国民であれば魔法を使えることを申告する義務はない。ただ隠す必要も無いし、使えるのならば使わないテは無いというのが一般的な考えだから、クルスの疑問も良くわかる。
「他国の人間の可能性があるってことっすか?」
「分かりません。ですが、あの年頃の子供があれだけ魔法を使えて、しかも育ちも悪くなさそうでしょう? そういう子供がいる、という噂くらい耳にしても良いと思うんです」
「確かにな」
もしもルナが他国の人間だとすると、それはそれで色々問題がある。
そうだ。近々、パーティがある。あまり気乗りのしないパーティだったが、著名な社交家が集まるはずだ。
「面通ししてみるか」
「まあ、レオン。可哀想よ!」
言われるまで気付かなかった。
それほどルナは静かに涙を零していた。
「……………」
これは、どういうことだろう。
なぜ泣いている?
何に怯えているんだ?
エレンの言うように、大人ばかりの場所だから怖がっている、ということは無いだろう。
けれど、何かに怯えている。
結局、舞踏会に連れ出して分かったことは、ダンスが踊れるということと、舞踏会の装いを知っているということ、そして、何かを怖がっているということか。
「隊長は、心当たり無いんすか?」
帰る馬車の中、ロンが俺を見て言った。
「ああ?」
「隊長にすごく懐いてる、っていうか、大好きですよね、隊長のこと。実は知り合いだったりして」
懐かれている。たしかにその自覚はある。
もしかしたら父親以上に歳が離れているんじゃないかと思うのに、おじ様おじ様と慕ってくれる。
可愛くて賢くて優秀な少女に懐かれれば、悪い気はしない。
本音を言えば嬉しい。誇らしい気さえする。
涙の跡の残る頬を見て胸が痛んだ。
可哀想なことをしたな。
心当たり、か。改めてその顔を見つめる。
同年代の友人にはすでに子供のいる者も多くいるが…。
「………………無いな」
「ですよねー」
「……(はあ)」
期待してませんでしたと言わんばかりにロンが天井を仰ぎ、クルスがため息をついた。
ルナがたったひとりでスコルを倒した。
それだけでも驚くべきことだが、さらに魔法の書を全て読めること、禁術の書が読めることが判明した。
なるほど。谷に吹く風くらい簡単に止められるわけだ。
魔法士長殿が言っていた。
ルナの魔力は非常に稀有で利用価値の高いものだと。
利用価値。
もしかしたら、その魔力の高さこそがルナが素性を隠す理由なのではないだろうか。
騎士団内の警備は厳重だ。だが、獅子身中の虫がいないとも限らない。不安があるとすれば寮でひとりになる時間だろう。
「大丈夫よ、おじ様。そんな迷惑はかけられないわ」
俺の部屋で寝泊りするように。そう伝えたらルナは困ったように言った。本当に、子供らしくない遠慮の仕方をする。まあ、幼いとは言え女の子だ。単純に遠慮をしているわけではないのかも知れないが安全には代えられない。
「…ルナ。お前が素性を隠すのは、その強い魔力のせいなんじゃないのか?」
「………………」
ルナは考えるように少し黙ったが、にこ、と笑って言った。
「…魔力を持っていることを隠したかったら魔法士になんかにならないわ、おじ様」
そう。高い魔力のせいで身を隠しているのなら魔法を使えることそのものを隠した方がいい。しかし、魔法を使えることを隠したままでは騎士団に入れない。
安全な騎士団の中に身を隠すには魔法士になることはやむを得なかっただろう。
少しくらいなら魔法を使っても平気だと思ったんじゃないか? まあ、「少し」の基準が他の魔法士とは違いそうだけどな。
「だが、お前は自分の力が突出していることに気がついていなかっただろう? 魔法士になれば、魔法を使う他の者の中に紛れられると考えたんじゃないのか」
ルナは困ったように首を傾げて唇を結ぶ。
「お前を狙う者から身を隠したいのだろう?」
それなら、俺の部屋の方が安全だ。
少々強引だったが、ルナを俺の部屋に住まわせることにした。
「ずいぶん思い切りましたねー、隊長」
ロンが面白がるように言う。
…そうだな。俺も、我ながら勇み足だったかなと思わなくもないんだ。だが、目の届くところにいてくれた方が俺も安心出来るし、安全であることは間違いない。少々の不便は勘弁してもらおう。
「入れ込んでますよね。まあ、魔法士としても優秀な少女ですからね」
珍しくクルスも揶揄うような口調だ。
それでも批判的でないのは2人ともルナに対して良い印象を持っているということだろう。
ルナを同居させることに不安が無かった訳じゃあないが、ルナは6歳にしては考え方も態度も行動も大人だ。なんとかなるだろうと思っていた。
そして、いざ一緒に暮らしてみるとその存在は予想以上にごく自然にそこにあり、ほぼ違和感なく馴染んだ。
不思議な少女だ。
ふわりと鼻をくすぐる芳ばしい香りに顔を上げると、ミニキッチンにいるルナと目があった。
「コーヒーか?」
「ええ。おじ様もいかが?」
「貰おう。ありがとう」
淹れてくれたコーヒーは深い香りとしっかりとしたコクがあった。
「美味い…。ルナはコーヒーを淹れるのが上手だな」
褒めるとルナは嬉しそうに微笑んだ。
ひとりのときには得られない暖かな時間。
そんな時間の過ごし方も悪くないと、そう思った。
3月も後半のことだ。
ルナが毒入りの菓子を持っていた。
騎士団内病院に実習に来ている看護学生から貰ったと言う。その看護学生が毒を盛ったのだろうか。ルナを殺すために? 動機はなんだ?
調べる必要があるな。ルナが身を隠そうとする理由に関係があるかも知れない。
毒を盛られた、なんてことを知ったらさすがにショックだろう。
あまり、悲しませずに済むと良いが…。
調べさせたところ、ケティ・ナッシュという看護学生はあまり裕福ではない庶民階級の者だった。
学業は優秀で素行も悪くない。
ルナが身を隠そうとする理由とは関わりは無さそうか。
調査書を読んで考えていると、ロンが駆け込んできた。
「どうした?」
「あー、隊長すんません。ルナが崖下に落とされたっぽいです」
「ああ?」
急ぎ確認すると、落ちたらしい形跡があり、妖精を使って偵察させるとちゃんと無事でいることが分かった。
どうやら身体を休めるところを見つけて早々に眠っているらしい。
それならば…。
すでに暗くなり始めている。今無理をするより明朝迎えに行く方が良いだろう。
迎えに行き、無事に連れ帰ったルナに何があったのかと尋ねると、自分の不注意で落ちたのだとそう答えた。
どうして庇う?
「おじ様。心の底から本当に本気で悪いひとって、きっと、そんなにいないと思うの」
ルナはそう言って微笑む。
「だから、すぐに白状してしまったのでしょう? 罪の意識に耐えられなくて」
本当に悪い人間ならすぐに白状したりしない、と?
だから、庇うのか?
「本当は優しいひとよ。少し行き違ってしまっただけ。こどもの喧嘩よ、おじ様。おとなが口を出すものではないわ」
本当は優しいひと。そうなのかも知れないが、子供の喧嘩で済む話では到底無いな。
残念だが、彼女のしたことはお前が庇ってあげられる範囲を超えている。
動機は、魔法を使えることに対する嫉妬だった。
魔法を使う者には魔法を使う者なりの悩みや苦労があるものだが、隣の芝生は青く見えるものだからな。
ルナが治癒魔法よりも広く発展させることの出来る医療技術の方が優れているのだと訴える。
そうだ。いつの時代にも必ず治癒魔法士がいるという保証は無い。医療技術は必要だ。
使えない者にとっては夢のように思える魔法。
その魔法に志を折られてしまわない様、前途ある若者が道を見失わない様、配慮することが必要だと、小さな魔法士に教えられた気がした。
ケティ・ナッシュは危惧していた様な存在では無かったが、おかげでルナに危害を加えることは思いの外簡単に出来てしまうと分かった。
これまで以上に気を引き締めなければと思っていた矢先の討伐任務にルナが派遣されてくることになった。
スコルをひとりで倒したあの一件が上層部で好評だった様で、今後も積極的に討伐任務に投入されそうだ。
ルナの魔力の高さについては出来るだけ隠しておきたいところだったが、仕方がない。時すでに遅し、という気もする。
実際、エアレーの討伐にルナの力を借りられるのはありがたかった。
想定していた最も順調な流れでエアレーを討伐出来たのもルナのおかげだ。
だが、問題はその後に起こった。
ロンが魔物に攫われたのだ。
ルナの反応は早かった。すぐさま馬を駆って追いかけて行った。
「おじ様、それはマンドレイクの繭よ!」
馬を操りながらルナが叫ぶ。
「なに?!」
「取り返そうとして襲ってくるわ! 気をつけて!!」
「ルナ!」
気をつけて…?
不審に思いつつ警戒する。すると周囲で黒い影がざわりと動いた。
「ーっ!」
いつの間に囲まれた?
「隊長、来ます!!」
クルスが剣を構えて声を上げる。
俺は剣を抜きざま、伸びてきた黒い影を切り捨てた。
林の中で2人を見つけたときは、その景色に息を呑んだ。
楕円のドーム状の魔法の壁に覆われたロンは、周りを囲む小さな炎と青白い顔色のせいでまるで透明な棺に入れられている様で…。腹の奥がヒヤリと冷たくなった。
膝を抱えて蹲るルナ共々息があることを確認して心底ほっとした。
相当疲れたのだろう。ルナは部屋に連れて帰っても、しばらく目を覚さなかった。
眠り続けるルナからなんとなく目が離せなくて、その寝顔を見つめた。
こんなに小さな子が、強い魔力を持っているとは言え、躊躇いもなく魔物に立ち向かう。
その力を惜しまずひとを助けようとする。
なんて、心の強い少女なのだろうか。
ああ、目を覚ましたようだ。
「気がついたか? どこか痛むところないか?」
ルナは目を瞬いて俺を見た。
「…大丈夫。おじ様、ロンさんは…?」
そっと頭を撫でると、心地良さそうに目を細める。
まるで猫みたいだ。
「あいつは大丈夫だ。俺たちが見つけたときはすでにかなり回復していて、自分で馬に乗って戻ってきたくらいだからな。念のため、今夜は入院させている」
「そう、良かった」
「お前にはいつも助けられているな。改めて、今日は本当にお前がいてくれて良かったよ。ロンを助けてくれてありがとう」
礼を言うと、誇らしげに笑った。
「ふふ。私、頑張ったのよ、おじ様」
「ああ、そうだな、よく頑張った。ロンを追って馬を駆る姿は格好良かったぞ」
そう。颯爽としたその姿は「格好良い」という言葉がしっくりくる。
「格好良かった? 本当?」
「ああ」
ルナは嬉しそうに微笑んだ。そうして、歌うように言葉を紡ぐ。
「惚れて下さってもいいのよ? そうしたら、遠慮なく口付けもして下さいな」
「ふ…」
面白いことを言う。
だが、そうだな。凛として気高く美しいその姿は戦いの女神のようで、男を魅了する力があるかも知れない。
もう少し、大人になれば。
「!」
そっと額に唇をつけると、頬を赤らめながらも恨めしそうに見上げてくる。
「口付けって言ったのに…」
「いい女は、唇を安く売ったりしないものだぞ」
ぷく、と頬を膨らませる様子は子供らしくて愛らしい。
つつきたくなる。
「もう、おじ様ったら。安売りじゃないわ! でも、そうね。それなら、おじ様が口付けしたくなるようないい女になるわ」
きっと、なるだろう。そのときには、俺のことなど目に入らないかもしれないな。
「楽しみだ。疲れているだろう。もう少し眠るといい」
頭を撫でてやると素直に目を閉じる。
その存在を守りたい、と。これまで以上に強く思った。
このとき、分かったことがある。
ルナが騎士団の流儀の剣術を使う、ということだ。
騎士団にルナの関係者がいるのだろうか。
少なくとも、懸念されていた「他国の要人ではないか」という疑いはなくなったと考えていいだろう。
定期的に行われる役職者会議で、その報告はなされた。
八岐大蛇の封印が破られそうだ、と。
18年前現れたその魔物は3つの村を壊滅させ多くの被害を出した。その際、討伐を命じられたのは親友のエディ・バークスだった。
エディは優秀な魔法士だった。優秀であろうと、していた。
いつだって努力を惜しまなかった。
いつ頃からか、何かに追われるように魔法研究に没頭し始めた。まるでそうしなければ全て失うと怯えるように。
騎士団の上層部が八岐大蛇の討伐をルナに命じるだろうことは容易に予想できる。
魔法のことは分からないが、あのエディに出来なかったことだ。ルナに出来るだろうか。
エディが討伐に失敗した理由は魔法が発動しなかったからだ。当時、エディの魔法は度々発動しないことがあったが、ルナはそういうことがないのだろうか。
いや、たとえこれまで無かったとしても、今後も無いとは限らないのではないか?
あれから、時々考える。エディの魔法が発動しなかったのはなぜなのか。
魔法士である知り合いに聞いてみたことがある。そのときはそういうこともあり得ると言っていた。
剣士だって不調はあるだろう。魔法士だって同じだと。
確かに、そう言われればそうだろうと思える。
だが、エディはストイックに訓練を重ねていたし準備を怠ることもなかった。
不調。もしそれが理由ならば、ルナにだって起こりうることだ。
ルナに、八岐大蛇討伐の命令が出た。
だがそれを阻止しようとする人物がいた。魔法嫌いで有名なハガティ第3師団長だ。
反対する理由には腹が立ったが、俺もルナに討伐させたくなかった。腹は立ったが、別の案を出してもらえるならその方が良い。だが、話はおかしな方向に転がった。
総長がシーサーペントの討伐をもってルナの力を皆に知らしめよと言い出したのだ。
たぬきジジイが。
シーサーペントの討伐は難しく、手が出せない場合がほとんどだ。騎士団をよく思っていない連中にとって、騎士団を非難する恰好の的となるネタになっている。
それをルナに討伐させて一石二鳥を狙おうというわけだろうが、そう上手くいくのか?
ルナのことを高く買っていると言えば聞こえはいいが、たとえ失敗しても小さな少女のやることだ。騎士団の名誉は傷つかないとでも思っているんじゃないだろうな。
ルナはどう思ったのか、素直にシーサーペントの討伐を引き受けた。その場にいた者たちはルナには無理だろうと考える者が多かったようだが、ルナは全く気にする様子もなく言った。
「ところで、総長さま。シーサーペントのお肉はとても美味しいと聞くのですが、倒したシーサーペントのお肉を頂くことは出来ますか?」
驚いた。討伐する気でいる。
出来ない、などとは考えていないようだ。
そして実際、討伐して見せた。
海に逃がさないよう、遙か沖まで海岸線を退けるという方法で。
そこで、ルナが剣を振るうのを見た。確かに、この騎士団で教える剣術だった。
ルナがこの騎士団の剣術を使うことは上層部には報告してあったが、総長はこれを確認しようとしたのだろうか。
そして、八岐大蛇討伐の日。
ルナは気負うことなく討伐に向かった。
不安な様子は微塵もない。堂々と巨大な魔物を迎え撃った。たったひとりでーーー。
現れた巨大な魔物の下、隙間を縫うようにルナが動き回っている。小さなその姿を追いかけて八岐大蛇の侵攻が止まる。何をしているのかは分からないが、ルナが何かをするたびに上空に巨大な刃物が出現した。
固唾を飲んで見守る者たちから感嘆の声が上がる。
誰もが思ったろう。俺も思った。
八岐大蛇討伐は成功すると。
エディのときとはまるで違う。魔法士としての格の違いを見た気がした。
八つ目の巨大な刃物が出現した直後、ルナの体が突き飛ばされたように岩壁に激突した。
「ーーーっ!」
居ても立っても居られず、馬を走らせた。
「っ隊長! 待って下さい、まだ…!!」
制止する声はクルスのものだったが、待ってなどいられるか。
辛そうに上体を起こしたルナが魔法を発動させるのが見えた。巨大な刃物に切断された八岐大蛇は無数の小さな蛇の魔物に姿を変えて…。
蛇の大群に呑まれる寸前にルナを馬上に引き上げることが出来た。
「よくやった。しっかり掴まっていろ」
ルナが笑って背中にしがみつく。
八岐大蛇を討伐出来たことはもちろん良かったと思う。だがなによりもルナが無事だったことを良かったと思った。
その晩、ルナに尋ねた。
なぜ、エディの魔法が発動しなかったのかを。
エディが精霊を犠牲にしていた。それはにわかには信じられなかったが、ルナの話を聞きながら、ひとつ思い出したことがあった。
「最近、精霊の声が聞こえないんだ…」
エディがそう言っていたことがあった。
あれは、エディが独自の魔法を使うようになった頃ではなかったか?
エディは魔法の使い方を誤ったのだとルナが言う。けれどその魔法で守れた命もたくさんあったはずだ、とも。
「おじ様。私はおじ様が悪かったとは全く思わないけれど、おじ様がそうやって、あのときこうしてあげれば良かったんじゃないか、こう言ってあげれば良かったんじゃないかって彼のことを想うのは悪いことじゃないと思うわ。おじ様の優しい気持ちはきっと天まで届く。無理はするなと言った、おじ様の言葉の本当の意味も。だからたくさん思い出してあげたらいいわ。文句もいっぱい言ったらいい。今だから言えることだってあるでしょう? いつかおじ様が天に召されたとき、彼は言い返すために、きっとおじ様を待ち構えているわ」
ルナがそう言うとそんな気がしてくる。
あいつは俺に何を言うだろうか。
あの日から、思い出すのは辛そうな顔ばかりだった。上手くいかないと悩み、苦しんでいる姿ばかりが思い出された。
でも今、あいつはきっと笑ってる。そう思える。
あいつはあいつなりに出来ることを精一杯やったのだから。
「ありがとう、ルナ。お前と話せて良かった」
ルナは笑って抱きついてくる。俺はその小さな身体を抱きしめた。
ルナの身体が成長していないのではないか、とクルスが言った。保護してから半年。日に日に背が伸び体重が増えてもいい年齢なのに、確かに成長が見られない。
念のためイスラ・ガードナー医師に診てもらったが、内臓などの機能に異常はないと言う。
アドバイスに従って、このまま様子を見ることにしたが、ルナの体調については注視していこうと思う。
ルナが、またおかしなことを始めたようだ。
派遣任務を止められているから暇なんだろう。
難解だという調剤の魔法に挑戦しているらしい。
上手くいっていないようだが…。
そんなおり、緊急の討伐要請があり、ルナが治癒魔法担当として同行することになった。
ブギーマンという目に見えない魔物を討伐するため、俺が頼んだこととは言え、試作中の「元気の出るお茶」とやらを雨のように降らせたのには驚かされた。
それは、お茶とは到底思えない、酷い色と匂いで…。
「お前、コレを飲まされたのか?」
少し前に報告は受けていたが、これ程とは…。
「そうっすー」
「………………」
「同情します」
その後もルナは調剤の魔法に苦戦しているようだった。
ルナが言うには、魔法は人の命に関わるものほど難解なのだそうだ。それならば治癒魔法の方が難しそうに感じるが、効果の及ぶ範囲、というものが重要らしい。
曰く、治癒魔法は目の前の人間にしか効果を表さないが、調剤の魔法で作られた薬の効果は場所に左右されない。汎用性の高さから調剤の魔法の方が難易度が高くなっているらしい。
「おかしなことじゃないわ、おじ様。上手くいけば、きっと、おじ様の役にも立つんだから!」
そう言って頬を膨らませていたのを思い出した。
あれこれと試行錯誤しながらなかなか上手くいかない魔法に挑戦し続けるのは、俺の役に立ちたいから、であるらしい。
可愛らしいことこの上ない。
「隊長。思い出し笑い、気持ち悪いっす」
「……うるさい。昨日の報告書、今日中に出せよ」
「えぇ〜…」
ルナとの生活は思いの外楽しい。
仕事の都合ですれ違うことも多かったが、夕食後、ルナが淹れてくれたコーヒーを飲みながらルナのおしゃべりを聞くのが、楽しみのひとつになっていた。
ルナの活躍はその後も続いた。
貴重な魔物の巣を見つけたり、公爵家が関わる事件の解決に協力したり、騎士団が所持する保養所で管理人を殺害した犯人を突き止めたり…。
上層部は再びルナを討伐任務に派遣することを検討していたようだが、まだ幼いルナが強大な魔力を持っていることに関してその力を危険視する声もあり、結論が出るまでにもう少し時間がかかりそうだ。
俺はいつしか、ルナの素性やそれを隠している理由についてを気にしないようになっていた。
ルナが何者であろうとも問題はない。彼女が大人になって、いつか巣立つその日まで、この生活がずっと続いていくのだと、そう、思うようになっていた。
「元気がない、というか。物思いに耽っている、というか。もともと大人びた子ですが、最近は特に物憂げな表情を見せることが多くて。何か悩み事があるんじゃないかと思うんです」
ルナのクラスを担当する教師、ルイーズ・セスが心配そうにそう言った。
確かに、このところ少し塞ぎ込んでいるように思えた。
迷ったが、遠回しに探りを入れようとしても誤魔化されそうな気がして、単刀直入に尋ねると、
「だって、おじ様がなかなかキスして下さらないんですもの」
そう言って、ぷい、っとそっぽを向いた。
キス…?
なんだか、以前もそんなことを言っていなかったか?
なんだろう。
王子様との素敵なファーストキスを夢見る、ということならありそうだが…。
「おじ様は、私が嫌い? 私はおじ様が好き」
おやおや。
好き、とはっきり言葉に出して言うことは珍しい。
これはあれだろうか。
女の子が男親に「大きくなったらパパと結婚する!」と言うことがあるという…。
友人のひとりがでれでれとやに下がった顔で言っていたのを思い出す。
なるほど。嬉しいものだ。
でもだからと言って、こんなに小さな子の唇を奪うわけにもいくまい。
優しく諭すと不満そうな顔をしたが駄々をこねるようなことはなくほっとした、が…。
何を悩んでいたのか、結局、誤魔化されてしまったのではないだろうか。