第三話
「なんか嘘臭いね」
何故か自慢げにスマホを見せる友人を見て俺は笑った。
「おお、そうですか?じゃあここでやってみようぜ?」
少し癇に障ったのか、調子がいいが面倒見もいいと噂の金田が、さっきから気になっていた大きめのリュックを前に出す。
「あんたまさか、その為にそんな大荷物持ってきたの?」
金田の隣で呆れたような顔をしているのは、金田の彼女である桐栄ちゃん。この二人とは高校からの付き合いだが、入学から4か月、ここまで楽しく生活出来ているのはこの二人のおかげだ。
「もちろん!初めからそのつもりだし!」
「でもそれなら別に、こんな所まで来なくてもよかったんじゃないか?」
窓から差し込む月明りだけでは心細い程の暗い室内。スマホの光に照らされて見るそこには、やけに小さい机と椅子が乱雑に並び、壁も窓も時代に置いて行かれたように劣化している。
「こんなとこだからだろ?いかにもなんか出そうじゃん?」
確かに、肝試しと称して廃校になった小学校に来たはいいものの、特段なにかがあったわけでも無く、ただただ不法侵入した事実だけが残る今、それぐらいやってみないと納まりがつかないのも納得か。
「じゃあそれやってさっさと帰りましょうよ。そろそろ明日になっちゃうわよ?」
「明日は日曜なんだしいいじゃーん!朝まで遊ぼうぜぇ!?」
「それは後で話すとして、まずはこれをどうにかしないとね……」
さっきから俺の腕に顔を押し当ててブルブル震えている小動物を指す。
「こ、怖くないよ?全然!」
自分の話をされているのを感じ取ったのか、ばっと顔を上げて俺を見たそいつは、目に涙を浮かべながら笑っていた。
「よし、じゃあ決定!やろうか!」
「な、なにを?」
話なんてまったく聞いていなかったこいつの名前は里穂。俺の彼女だ。と言っても幼馴染の時とあんまり変わらない。だからこんな時でもないとこんなに甘えてくることは無い。
「よし、里穂がいいって言ってるし、早速やろう!」
「え!?なにを!?なにをするの!?」
いつもよりなんか可愛い里穂を見て、つい悪戯心が芽生える。俺たちは理解出来ずにオロオロする里穂を放置し、その得体の知れない胡散臭い儀式の準備を始めた。
複数立っている蝋燭の灯りは、どこからか漏れ入る隙間風によってユラユラと揺れ、さっきよりも明るいはずの教室が不気味に照らされている。中心に設置した机の上に桶を置き、ペットボトルに入った水を中に注ぐ。
一つひとつ手順を終える俺を、隣で心配そうに里穂が見つめる。喋ったら駄目とだけ伝えてあるからか、ジッと涙目でこちらを見てなにかを訴えかけている。
大丈夫だと笑いかけて頷くと、里穂は俺の腕に顔を当てて固まってしまった。よかった、この方がいい。例え人形でも、首を切っている所を彼女に見せたくはない。
なにかのアニメのキャラをディフォルトした様なぬいぐるみは、金田がゲーセンで取って来たらしい。握り拳一つ分程の顔は、愛らしいもののどこか間抜けで、正直これが生首になってもそんなに怖くは無いと思えた。
裁断用の大きめの鋏で挟んで一気に切っていく。中の綿ごと切ったそれは、上下に分断されてもなお、悲壮感は見せずに笑っていた。
水に浮かんだ人形の首は、水を吸ってすぐに沈み後頭部のみが見えている。それが気に入らなかったのか、金田は首を動かしてこちらを見るようにし、満足げに笑って壁の方へ歩いて行った。
「あなたの身体はここにあります」
握っている人形の胴体に目を落とし、思ったよりも低い声が出たことに少し照れくささを感じる。いつの間にか追い抜いていた、かつては大きく感じていた黒板を見つめ、妙な感傷に浸る。
相変わらず隣で俺に引っ付いて顔を押し当てている里穂の暖かさを感じながら、時折スマホの時計を確認する。長い、十分ってこんなに長いっけ?
さっきまでの感傷は消え、どんどん後ろが気になってくる。今後ろを振り向いても、そこにあるのは間抜けな顔をした人形の首だけだ。しっかりと握っている人形の胴体に目を向け、さっきまでそこにあったはずの顔を想像する。
あんなのがこっちを見ていたからといって怖いことは無い。そのはずなのだ。でも一度気付けば、どんどん後ろが気になってくる。壁が軋む音も、どこからか吹く隙間風の音も、自分の呼吸も、それらに反応して時折ピクッと動く里穂さえ、全てが気になってくる。神経は背中に集中し、まるで本当に誰かに見られているような錯覚に陥る。
スマホを見てもまだ五分しか経っていない。横目で隣を見ると、金田も珍しく険しい顔をしている。重い、重いのだ、空気が。気が付けば必死に出そうになる涙を堪えている。俺の呼吸はどんどん速くなるのに、里穂は固まってピクリとも動かなくなっていく。
今更ながらに軽はずみにこんな事をしたのを後悔し始める。それも、里穂まで巻き込んだことを。いや、なにを考えているんだ。なにも起こるはずがない。あんなぐらいで何かが呼び出せるなら、今頃どっかの偉い学者がとっくにその謎を解明しているはずだ。
「ひっ!」
ガタッと窓が鳴り、桐栄ちゃんの短い悲鳴が聞こえる。風で鳴っただけだ。頭では分かっているが、後ろを振り向くことが出来ない今、真実はなにかを確かめる術はない。
スマホを確認する。もうすぐ十分だ。もう少し、もう少しで終わる。明日は昼から里穂と遊ぶ。服を見に行きたいって言っていた。そうだついでに駅前に出来た店に寄って……。
頭の中で必死に明日の事を考える。駄目だ、なんで……なんでだよ。後ろから、俺の首筋、耳の近くで呼吸が聞こえる気がする。里穂の顔は俺の腕に押し当てられたままだ。横目で見ると後の二人の姿も確認出来る。じゃあ、じゃあ俺の耳元で呼吸しているのは誰なんだよ……。
十分が経過した。後はセリフを言って終了。後ろを向けばいいだけだ。でも言えるか?今まさに、背後に確かな気配を感じている俺が、後ろにいるのは誰かなんて、聞けるわけが……。
チラッと、腕に掴まる里穂を見る。怖いのは、俺だけじゃない。俺が言わなきゃ終わらないんだ。
「後ろにいるのは……誰ですか?」
擦れた声が出た。思ったよりも汗を掻いたのか、喉がカラカラだ。隣にいる金田と桐栄ちゃんの二人に目くばせし、指でスリーカウントを取る。
三つ目の指が立った瞬間、同時に振り向いた。そこにいたのは……。
「な、なんだよ……あの人形、また下向いてんじゃん」
「ふはは!結局なんも無いわな!そらな!ははは!」
「も、もう……変にドキドキしちゃったわよ……」
三人はさっきまでの空気を払拭するかの如く、口早に喋りながら笑い合う。そして依然として話さない里穂に、自然と三人の視線が集まった。
「り、里穂?」
「里穂ちゃん?どこ……見てるの?」
唇を震わせ、目を見開いた里穂は、涙を流しながら教室の隅を見つめている。一気に空気がまた重くなる。顔を動かすことなく、ゆっくりと目だけでそこを見る。
「うっ……」
「うわああああああ!」
「きゃああああ!」
真っ赤なワンピース、ボコボコになって原形を留めない顔。身長からしてまだ小学生ぐらいの少女は、教室の隅からジッとこちらを……。
「逃げろ!」
金田が叫び、やっと我に返った。なぜかその場を動こうとしない里穂を無理矢理引っ張る。
「こっち!」
桐栄ちゃんが窓を開けて外に出る。俺たちは続いてそこから逃げ出し、最早走る気力も無い里穂を抱えたまま学校の敷地を出た。
「はぁ、はぁ……」
「追ってきてないよね?」
「怖いこと言うなよ……」
あれはなんだったんだ?本当に幽霊?だってそんなの……。
「女の子、だったよな?」
「ワンピース、あれって血だよね?」
「顔、凄かった……血だらけで……うっ!」
吐き気がする。なんなんだよ、いったい。
「里穂、大丈夫か?……里穂?」
固まっている。涙を流す気力も無くし、ただ放心していた。
「ごめん里穂、あんなことしなきゃ……」
「いや!悪いのは俺だよ!俺がしようって言ったから!」
「ねえ……もう、帰ろう?」
桐栄ちゃんが疲れ切った顔で言う。俺たちはそれぞれ彼女を家まで送り、その後家路についた。
後ろを振り向けばまた、あの少女がいるんじゃないか。そんな恐怖と戦いながら……。




