第一話
窓を開けているわけでも無いのに、一瞬蝋燭の炎が揺れる。そんな些細な事にさえ怯えつつ、何故自分がこんな事をしているのか分からなくなってきた。
誰もいない部屋。独り暮らしの身としては慣れたこの光景が、電気では無く蝋燭で照らされるだけでこうも違う物か。いやそれだけでは無い。部屋の中心に置かれた机の上には、普段は浴室で使われている桶が置いてあり、中に注がれた水に浮かんでいるそれが、じっとこっちを見ている。自分で作り出したこの状況が、今この部屋を未知の空間に変貌させつつある。
妙に涼しげで、重い空気。嘆息した後その全てから目を逸らすように壁を向く。背中に視線を感じながら、決められたセリフを述べる。
「あなたの身体はここにあります……」
自分の声が震えているのが分かる。怖がりなんだからこんなことするなよ。そう思ってももう遅い。始めてしまった物を、途中で終わらせることは出来ない。
長い沈黙が続く。別に返事を期待している訳でも、誰かに背中を叩いて欲しい訳でも無い。あ、駄目だ。自分で考えて更に怖くなった。背中を叩く……いや、忘れろ。明日の昼になにを食べるかだけ考えよう。
チラチラと腕時計を確認する。何度見ても進んでいないように見える針は、呼吸が荒くなってきた頃にようやく十分が経過した事を知らせた。
最後だ、これで終われる。あともう一つセリフを言えば、それでこの気味の悪い儀式は終わり、その先にはなにも無かったと証明出来る。だってそうだろう?こんなことぐらいで、なにか……日常を壊すようななにかが起こるわけがない。
「う、後ろにいるのは……誰ですか?」
声が裏返る。さっきまでと違う。背中に受ける視線が、プレッシャーが、自分の身体を壁に押し潰すかのように迫ってくる。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
短く、荒くなっていく呼吸。喉の奥が乾燥して痛くなってきた。勢いよく後ろを向こう。それでなにも無いと確信出来れば、もう終わりなのだ。電気を点けて、テレビを大音量で流し、ビールでも飲んで寝てしまおう。だから……。
「……え?」
勢いよく振り返った時、視線を覆った目が冴えるような赤は、顔が付くほどに近くにいたそれの、真っ赤に充血した瞳だった。




