受け継がれゆく物語
――彼女の母が亡くなった。
道路に飛び出た子供を助けるために自らの命を落としてしまったのだ。助けた子供の方は怪我もなく無事。彼女は、良かったと、そう思っていた。母の死は一人の子を救うことができたのだから。そうでなかったら彼女はこんな気持ちにはなれていなかっただろう。きっと、轢いた人を恨んでいたに違いない。更にその飛び出した子をしっかり見ていなかった人にも。
運転手の方もその場で母の事を助けようとしてくれたそうだし、謝罪にも来ていた。そのまま逃げていたのなら心中穏やかではなかっただろう。運転手の話を聞いた時、この人もワザとではないと彼女は感じて怒る気にはならなかった。
母の死から数日後
葬式も終わり、母との別れも告げ終えた彼女は、今、父と一緒に母の荷物を整理していた。
「あっ、懐かしい」
洋服タンスの中、一つの引き出しの底に洋服で隠されていた一冊の古びた本が出てきた。
この本は彼女がまだ小さかった頃良く母が読み聞かせてくれた本だった。
(確か騎士と姫のお話だったわよね)
彼女は何気なしに本を開く。
(……今読んだらお父さんになにか言われるわね)
彼女に背を向けて作業をしていた父を見て、彼女は本を閉じ整理に戻った。
ピンク色のカラフルな水玉模様のパジャマを着た彼女は、体からまだ微かに湯気をたたせている。
「ふぅ~」
彼女は息を吹きながらベッドへと飛び込んだ。枕の横には昼間に見つけた本がおいてある。彼女は横になりながら本を手に取り、開く。本は絵と文字が書いてある、いわゆる絵本というやつだ。
(…………)
彼女は黙って絵本に意識を集中させていた。
姫はとある騎士の事をいつも見ていた。
騎士は姫様の事をいつも守っていた。なぜなら姫専属の近衛兵だからだ。
そんなあるとき、姫様に婚約の話が上がった。相手は隣国の王子様。王位継承権第一位の人だ。
しかし、姫様は乗り気ではなかった。
嫌だと言ってるにも関わらず姫様の父親、この国の王様は無理やり王子との会食の場へと引っ張り出したのだ。
姫様は親のため嫌々だが、外面を良くしてこの場を乗りきる。
だが、姫様の苦難はこれだけではなかった。
王様は隣国の王子様と裏で手を組んでいたのだ。
姫様には弟が居た。弟が隣国の姫様をもらう代わりに、この国の姫様は隣国の王子様と結婚させられようとしていたのだ。弟とも姫様とも本人同士の確認もしないままに。
騎士は運よく廊下でこの話をしていた女中から盗み聞きをして、この事実を姫様に話した。騎士は姫様の騎士であってこの国には忠誠を誓っていなかった。いや、昔は国に誓っていたが、今は姫様の護衛となり、姫様に、姫様だけに忠誠を誓い直していた。
騎士の話を聞いた姫様は逃げようとその場で決め、今日の夜決行しようとした。
しかし、上手くはいかなかった。
夜、逃走の準備を整え、皆が寝静まる時間まで待っていた時の事だ。突然隣国の王子様とその従者たちが姫様の部屋にやって来た。
姫様は戸惑った。隣国の王子様はそんな姫様を気にする事なく姫様を拐っていったのだ。
外で馬を連れ待っていた騎士は不自然に走っていく馬車の姿が眼に入った。
耳を澄ませると馬車の走る音に紛れて聞こえてきた微かな声。いつも側で聞いていた声だ。
その声を聞き、騎士は馬を出した。
馬車は荷台を引いてるため騎士と馬はすぐ追い付くことが出来た。
馬車を追い越し、前に立ちはだかった騎士は馬から降り腰に携えた剣を引き抜く。
馬車が止まったことに気付き何事かと思い、外を覗いた隣国の王子様は、前に立っている騎士に向かって、これは王様から許可は得ている。そこを退け。と言い放つ。
騎士は首を振り、断る。と大声で叫んだ。
その場に居た全員が騎士に気を取られていた。
その時、馬車の中に居た姫様が隣国の王子様を蹴り飛ばし馬車から落としたのだ。
従者たちは王子様を気にかける瞬間、姫様は落ちた隣国の王子様を踏みつけながら馬車の外に出て騎士の方へと向かった。
姫様は口を封じられ唸りをあげるしかできなくなっており、手を縛られていたのだが、足は何故か縛られておらず自由に動かせたのだ。
騎士は驚きながらもこちらに走ってきた姫様を抱えて馬に乗せ、自分も馬にまたがりこの場から立ち去った。
王様から許可を得てると言っていたからには城には戻れない。そう考えた騎士は城から反対方向に、でたらめに馬を走らせていた。
何時間走ったかはわからないが、馬が疲れを見せ始めたのでその場で休憩を取ることにする。
森の中、月の灯りが差し込んで周りが見やすくなっている所を見つけそこに向かう。
馬から降り、騎士が馬の手綱を木に縛っていると近くから足音が聞こえていた。人のではない、動物の足音だ。
騎士は注意を払って辺りを見回す。
狼でも出たのかと思っていたのだ。音は徐々に近付いて来ている。姫様も音に気付いた様で音が鳴る方を見ていた。
突然だった。
茂みから馬に乗った隣国の王子様が飛び出てきたのだ。
驚き騎士は叫ぶ。姫様は硬直していた。
隣国の王子様は姫様の横を通ると、姫様を抱きかかえそのまま走り去っていったのだ。
騎士は一瞬何が起こったのがわからなかった。
姫様が居なくなったことに気付いたのは数秒後だったのだ。
騎士は姫様を追い掛けるため、疲れが見えていた馬に再びまたがり、隣国の王子様を追った。
相手も騎士たちの事を追い掛けていたのだ、馬も疲れているはず。
この考えは正しかった。
隣国の王子様が乗っていた馬は突然躓き、転倒したのだ。
乗っていた隣国の王子様と姫様は地面へと投げだされる。
隣国の王子様は体を丸くして受け身を取っていたが、姫様は地面に投げ出された状態でそのまま落ちてしまった。
騎士は声を上げ姫様を呼んだ。
姫様は体を震わしていた。怪我をしているかもしれないが無事のようだ。
姫様の所に行きたいが隣国の王子様がその前に立ち塞がる。
騎士と隣国の王子様は同時に剣を取り、向き合った。
両者の剣が火花を散らす。斬り込んでは防がれ、防御しては斬り掛かる。この攻防は続いた。
だが、終わりは唐突なものだ。
隣国の王子様が騎士の攻撃を防いだが、同時によろけてしまった。
受け身を取っていたが、馬から落ちたときのダメージが足にあったのだ。
騎士はこの好機を逃さない。
体をよろめかした隣国の王子様を斬り伏せた。
身を引いて避けようとしたのか、体を切断はできなかったものの派手に血を上げた隣国の王子様はその場に倒れる。
騎士はそんな隣国の王子様を一瞥し、姫様の所へと向かった。
姫様は顔に擦り傷を負っていた。眼は潤んで鼻水まで垂らしている。まるで姫様とは思えない表情をしていた。
騎士はそんな姫様を見て、自分が仕えている姫様だ。と表情を和らげる。
姫様は騎士に支えられながら立とうとした。
だが、片足に激痛が走りその場にまた座ってしまう。
見ると片足の足首が青白くなっていたのだ。
捻挫だ。
騎士はそう判断し、応急措置を取る。足を固定しようと防具を脱ぎ、下に着ていたシャツを破り取った。
近場に落ちていた、あまり曲がっていない丈夫そうな木の枝を姫様の足に付け破り取ったシャツで固定する。
姫様は騎士にお礼を言うと眼を見開いた。
騎士にはそれがどうして姫様が眼を見開いたのか理解していなかった。
姫様の悲鳴。
騎士はそれから数秒後に腹部に熱を感じていた。
姫様が見ていた目線を落とす。
騎士の腹部から剣が生えていたのだ。
騎士は悟った、刺されたことを。
首を回し後ろを見ると、自分の血で体を染め上げた隣国の王子様が立っている。
王子様は笑っていた。
騎士は首を前に向きなおし、姫様を見た。
口を開くが騎士からは言葉は出ず、血だけが漏れていた。
そして騎士は倒れ込む。姫様に向かって。
彼女は本を閉じた。
(お母さんはこの終わり方は良いと言っていたけど……)
母が昔言っていたことを彼女は思い出していた。
私はハッピーエンドが良い、と言ったとき、
『この物語はこれで良いのよ。この方が幸せになれるかもしれないのだから』
と。
その時の彼女には良くわからなかった。読み返した今も彼女はやっぱりハッピーエンドを求めたのだ。
(描き直しちゃおう!)
そう決めた彼女はベッドから降りると机に向かった。
数日後
「で、出来たぁ!」
両手で数枚の紙を持ち上げながら、彼女は叫んでいた。
学校から帰ってきてから暇な時間と、寝る前などに毎日彼女は、本を隣に置いて、絵を見ながら、真似しながらも絵本の続きを描いていたのだ。
大学一年生の彼女は特に趣味もなく、時間もあり余っていたため絵本の直しに熱が入っていた。
(やっぱり絵本はハッピーじゃなくちゃね)
彼女は知らない。実際の絵本のモデルとなっている話や童話は悲劇も多いという事を。
彼女は、騎士が刺される手前のページから後ろを丁寧に取り出し、同じ大きさの、似たような感触の紙に描いた新しい続きに差し替える。
姫様は騎士にお礼を言うと眼を見開いた。
どうしたのかと騎士は姫様の眼を見る。するとそこには嫌な笑みを浮かべた隣国の王子様が立っていたのだ。
騎士は咄嗟に剣を振りながら後ろを振り向いた。
振り向きざまに放った剣撃は隣国の王子様の剣とぶつかり合い、二人は相見える。
ぶつかり合った剣の片方が、力負けをし隣国の王子様の後方へと飛ぶ。
先程斬られた怪我のため、隣国の王子様の握力が弱まっていたのだ。
騎士は今度こそと隣国の王子様に向かって斬り掛かった。
肉を絶ち、骨を斬ったのだ。
言葉もなく、隣国の王子様は崩れ落ちた。
血が辺りを赤く染め騎士の足元まで流れている。
騎士はゴミを見るような眼で一瞥すると、姫様に向き直す。
姫様の眼には雫が溜まっていた。
騎士が近づくと、姫様は動かせない足を庇いながら騎士に抱きついた。
騎士の耳元で姫様は囁くと、姫様から唇を騎士の唇へと近付けていった。
(きゃーっ、やっぱりこうでなくっちゃ! ――ッ!?)
「アッっ、……いったぁ」
椅子に座りながら足をバタバタとさせていたので、踵を椅子の脚にぶつけてしまったのだ。
「あーっ、もうっ!」
涙眼になりながら彼女は立ち上がり本棚へと向かった。
本棚の空いている場所にこの絵本を仕舞うと、彼女は満足げにベッドへと飛び込んだ。
(ふふふっ、これであの二人は幸せになれたわよね。私にも格好いい私だけの騎士そう様が来ないかなぁ)
そして、彼女は眠りに付いた。
彼女は知らなかった。
この絵本は彼女の母から彼女へ。彼女の母は彼女の母の父からと、そして、その前は……と、昔から彼女の家系で受け継がれて来ていたという事を。
彼女の母は、彼女が二十歳になったときに話そうとしていたのだ。それは、母もまた二十歳の時にこの話をされたからだ。
彼女の母が読んでもらっていた話の最後はこうだった。
馬が転倒、隣国の王子様と姫は即死
騎士は嘆き自殺した
この絵本がどういう物か聞いていた彼女の母は、これじゃあ物語が終わってしまう。自分に子が出来たとき続かなくなってしまう。
そう考えてあの話に変えたのだ。
絵本は昔、女の子が夢物語を少しだけ綴った物であった。
当時、紙も安くはない時代の話だ。
女の子が考えた夢、騎士様が私の事をお嫁さんにして欲しい。
そんな子供の頃考え描かれた紙。たった数枚。騎士が姫様の専属従者になる。そこだけを描いてあったのだ。
その女の子は結婚し、子供も出来た。
子供に、女の子だった女性はこの話をしたのだ。
すると、子供は続きを教えてと言ってきた。そう言われ女性は数枚の絵に文字を書き簡単な物語を創った。
それがこの絵本の最初だ。
世代が渡るにつれ、絵本は厚さを増していた。
絵本の持ち主が自分の好きなように話の最後を変えていったのだ。
彼女の母も例外ではない。
だから彼女の母は、この終わり方が良いのよ。と言っていたのだ。
物語は二人を残して続いていく。一難去って次は幸福が訪れるのか、また一難襲ってくるのか、変わらずここで止まっているのかは次の持ち主次第。
彼女はこの事を知らずに描き替えていた。
この家系の人は、何故か絵心が多少はあり、描けない人はいなかった。それがこの家系の血なのかもしれない。
絵本は次を待つために本棚へと眠りについたのだった。次は彼女の子に開かられることを夢見て……
読んでいただきありがとうございます。
ジャンルが自分でも良くわからなかったため、その他になっております(笑)